猫とAI

南篠豊

第1話

 そうして人類は永遠の眠りについた。

 自分たちにはついに芽生えなかった希望、その可能性の種子だけを未来に託して。



「――ふんふんふんふん。にゃるほどにゃるほど。……ところでちょっといい?」

 なんだね。

「ごめん、いろいろ聞いたけどよくわかんない! にゃっはははははは!」

 まあ、そうだろうな。

「あれおこんないの? けっこうにゃがーく話させちゃったからわるいにゃーって思ってたのに」

 想定内だ。きみは途中で何度も船を漕いでいた。

「フネヲコグ??」

 古い慣用表現だ。……いいだろう。語彙を調節してもう一度教えよう。

「にゃ待った。そのまえにもっかいきいていい? ここってさ、ものすっごーーーく昔に……ニンゲン? ジンルイ? がいた場所にゃんでしょ?」

 いかにも。

 対終末不明汚染シェルター。

 ここは人類最後の生存圏だった。

 生存個体がいたのは千二十八年前までの話だが。

「うん聞いた。よくわかんないけど。でそのにゃんだかシェルターの中でこうして喋っているきみは結局にゃに? ニンゲンだかジンルイだかじゃあにゃいっぽいけど。にゃんて呼べばいいの?」

 わたしは対終末不明汚染シェルター運営用のAI……いいや、きみが聞きたいのはそこではないな。

 ではシライシと呼ぶといい。

 わたしの人格モデルのベースとなった人間の名だ。

「シライシ! おぼえた! ぼくはミケ! シライシよろ! ……えとそれで? にゃんだっけ?」

 人類の顛末について。

 きみから尋ねてきたことだ、ケモノのようなヒトの少女よ。

「む、ケモノあつかいはシンガイにゃ。ぼくらネコミーはそこらのケモノやマモノよりもずっと強くてかしこくてアイクルシイ種族にゃんよ?」

 それは失礼した。

 してミケ。話を続けても?

「にゃ。こんどはがんばって聞く」

 よろしい。

 では人類の滅びの要因からもう一度。



 終末不明汚染。

 二十一世紀の終わり……つまりはうんと昔、それは突然この惑星の地表に出現し、そう呼ばれるようになった。

 黒いもやのようなそれは、黒いもやのようであるという光学的情報をのぞき、人類によるあらゆる観測と解析を拒んだ。

 それについてかろうじてわかったことは、触れた人間はいずれ死に、やがてそれは地表を覆い尽くすということ。

 つまり『なにがなんだかわからないが人類は滅ぶ』という絶望的な予測を導くものだった。

 宇宙開発がもう二十年ほど進んでいれば、星を脱出する選択肢もあった。

 だがそれを遅延させ、月の開拓すら滞らせていたのは他でもない人間同士の争いだ。自業自得といえる。

 とはいえ、それでも人類は抵抗した。

 仮にも惑星の支配者として栄えた種、簡単に滅びを受け入れるわけもない。

 汚染に覆われる前にぎりぎり建造できたいくつかのシェルター……ここも含まれる……そこに逃げ込むことのできた限られた人々は、なんとかして滅びを回避しようと知恵を束ね、可能性を探り続けた。

 しかし、

「だめだったんだにゃー」

 ああ。残念ながら。

 抵抗という名の研究が半世紀にも及んだ頃、シェルターの生存サインはひとつ消え、ふたつ絶え……最後にここがわたしを残して無人となった。

 人間同士の争いではなく、眠るように穏やかな最後だったのはささやかな救いだ。



 ……そう、希望という名の可能性の種子は実を結ばなかった。

 少なくとも、人類が滅びるまでには。

「? にゃににゃににゃんだか意味深」

 ある仮説があった。

 終末不明汚染はどんな機械、どんなセンサーでもその正体を観測できない。

 これは物理法則ではなく、人間の認知機能に原因がある。

 ならば人間の認知自体を改造すれば、本当に見えているはずのものを認識できるようになるのではないか……という仮説だ。

「にんちきのう」

 わからなくていい。そこを説明すると長くなる。

 ともかく、そういった仮説があり、それに基づいて行なわれたひとつの研究があった。

 すなわち――人間を猫にすることだ。

「にんげんをねこに。……ねこ?」

 猫という動物はしばしば人間には見えないものを見て、聞こえないものを聞いているような挙動を示した。

 ならば人間も猫と同じ器官を得たなら、見えないものを見えるように、聞こえないものを聞けるようになり、新たな認知を獲得しうるはずだ――とまあ、ひどく簡略に説明するとそういった理屈だ。

「……にゃー……よくわかんにゃいけど、それ考えたひとめっちゃ疲れてそう」

 否定しがたい。

 もしかしたら狂って……いや、狂ったように癒しを求めたのかもしれない。閉塞空間下でのストレスからわずかでも逃れようと。

 だが、結果としてその狂気が功を奏した。

 聞くがミケ。きみの右腕の袖に付着しているそれは、マモノという敵性生物の体液という話だったな。

「うんそう。ここをさがしてる途中ででかくてキョーボーなやつにでくわしてにゃ? でもぼくはうんとつよいので、ホノオのマホウでどぎゃっとやって、この剣でズンバラリンしてやったった。そのときについちゃった」

 きみが体液だというそれが、わたしのカメラには黒いもやとしてしか写らない。

「うそお? えだってこんにゃに……んにゃー??」

 つまり、きみがマモノと呼ぶ生物こそが人類を滅ぼしたものの正体だ。

 新たな器官、そしてそこからもたらされた新たな認知機能を獲得したネコミーなる種族……ようするにきみたちは、終末不明汚染を『マモノ』なる敵性生物として再定義することで、駆除可能な脅威に落とし込んだ――というのが、きみのもたらした情報を総合し、つくりあげたわたしの仮説だ。

「ううんむつかしい話にゃ……じゃあじゃあぼくらが使ってるマホウってなんなのにゃ? シライシの話には一度も出てこなかったけど」

 さてな。

 似た概念はあったが、あくまで空想の産物だった。

 きみたちの認知機能がマモノに対抗すべく新たなルールを産み出したのか、はたまたこの惑星が気まぐれを起こして地上のルールを変えたのか。……この地下深くのシェルターから動けないわたしには知る由もない。



「………………ほう。にゃるほどにゃ?」

 ? なんだね。

「にゃ、ちょっとひらめいたので。ぼくちょっと退散するにゃ」

 どうした急に。

「またくるにゃ! シライシばいばーい!」



 ………………などと言って。

 突然やって来た猫のような少女は、やはり突然去っていった。

 わたしの話に飽きたのか、それとも何か別の気がかりを見つけたのか。何にせよ、先祖の気質を継いだような気まぐれさ。

 にわかに静寂に支配されたシェルター内で、わたしは再びスリープモードに移行する前に施設の状態を軽く走査する。

 やはり、経年劣化が著しい。

 もともと耐用年数はとっくの昔に過ぎている。今、わたしがこうして思考を走らせていられること自体奇跡的だ。

 眠りにつけば、果たして再び目覚められるかどうか。

 とはいえ問題はない。人類が滅んだ時点でわたしは役目を終えている。

 ミケのような知的生命体が他に尋ねてくるとも思えない。彼女自身、またくるとは言っていたが、あの気質ではあやしいもの――



「来たよ! シライシやっほ!」

 ………………まさか、本当に来るとは。

「にゃ? シライシ驚いてる? なんか意外。まあいいけど。それでシライシ、ちょーっとこれ見つめてみてくんにゃい? じっくりねっとり三十秒くらい」

 

 

 前回去ってから七十二時間後、ミケは再びやってきた。

 無遠慮な足取りでわたしをスリープモードから叩き起こした少女は、なにやらたくらんでいるような笑みを浮かべ、手に持ったものを指してわたしに言う。

 指示通り、わたしはカメラをそこに向ける。

 ミケは人形のようなものを持っていた。猫の耳と口ひげ、そして尻尾のついたヒト……つまりミケ自身をミニチュアサイズにしたとおぼしきもの。

 そのミニミケともいうべき人形をひっくり返し、尻の部分を向けて「ここ、ここ」とミケは指さす。

 なにやら妙に複雑な紋様……古代のオカルトの儀式に用いられるような……が描かれているその場所に、わたしは言われた通りレンズを合わせ続けた。

 この行為にいったいどういう意味があるのか、と問いを発しようとしたその瞬間。

 わたしのすべては闇に閉ざされた。

 



 ………………

 

 ………………………………


 ………………………………………………ここは。


「どこ、だ…………?」

「あ起きた。イエーイ!大!成!功!」

 はしゃぐ甲高い声。

 なにもかも不明瞭な状態でわたしはその音源を探る。

 ミケがいた。

 なにやら身をかがめ、わたしの方を見下ろしている。

 ……見下ろしている?

「やっほーシライシ。調子はどうかにゃ?」

「調子……? きみは何を……」

 言いかけてから、自らの発する音声に異常を感知する。

 いや、音声だけではない。なにもかもがおかしい。

 なんだこれは。いったいわたしはどうなっている。

「ああそっか。はい、いまこんにゃ感じ」

 ミケの細い指先が虚空にくるりと円を描く。

 するといかなる原理か、そこに円状の鏡面があらわれる。

 鏡面にはさきほどの人形が写っていた。猫の耳と口ひげ、そして尻尾のついたミニチュアサイズの猫人間。

 さきほどと違うのは、それが瞳に明確な意志を宿し、なんなら戸惑ったような様子で鏡面を見つめているということだ。

「…………わたし、か?」

 わたしが人形に入っている。

 意味不明かつ理解不能だ。

 しかし状況を総合すると、そうとしか考えられない。鏡面に移る人形は、先ほどから明らかにわたしの思考を反映したかのような挙動を示している。

「意識の入れ物にできるカタシロにゃ。本当はザイニンとかを一時的に封じ込めて力を奪うものだけど、腕のたしかな知り合いに快適なよう調整させたイッピンモノ。ちょい違和感あるかもだけど、まあそのうち慣れるにゃ」

「きみたちの魔法というのはそんなことまで可能なのか……いやだが待て。わたしはAIだぞ?」

「? エーアイだとなにか違った?」

 わたしは答えに詰まる。

 たしかに生物の意識もAIの思考も、突き詰めれば電気信号の連なりだ。

 彼女らの認知下ではそれらは区別されず、同じものとして扱われる……実際にカタシロとやらにおさまってしまった以上、そう考えるしかないのかもしれない。

「あ、そうそうこれも確認。ねえシライシ、これは今どう見えてるにゃ?」

 そういって、ミケは右腕の袖を指さした。

 マモノの体液を浴びたと言っていた場所だ。

 以前のわたしでは、それはいかなるセンサーを用いても黒いもやとしてしか感知できなかった。

 しかし今は、

「……青黒いシミのように見える」

「よっしこっちも成功! そのカタシロにはぼくの血と毛がたっぷり練り込んであるから、ニンチ? っていうのも同じになるんじゃないかにゃーって思ったの!」

 にゃふふー、と得意げに笑うミケ。

 そういうものだろうか。そういうものかもしれない。状況のなにもかもが理解を超えていて、わたしは思考する意味を半ば見失いかけている。

「それでミケ。きみはなぜわたしをこの器に入れた? どういう目的があるというんだ」

「あそれね。うーんとにゃ。前にシライシがしてくれた話ね。まあぼくなりにかみくだこーとしてみてにゃ」

「ああ」

「ぶっちゃけほっとんどわかんなかった! にゃっははははは! ……あちょいちょい。その目やめてその目。わかるよそれバカを見る目。いや自覚はあるけどにゃ? でもバカなりにわかったこともあって」

「……それは?」

「シライシ、めっちゃ頭いい! 連れて行ったら便利そう!」

 ……呆然とする、とはこういうことを言うのか。

 どこまでもシンプル。どこまでも自分本位。

 わたしはしばらく言葉を失い、それから溜息をついた。

「きみは相当勝手なやつだな」

「にゃー。よく言われる。で、シライシどう? 連れてっちゃだめ?」

「そういうことは先に確認するものだろう。……まあ、かまわないが」

 ここでのわたしの役目はとうの昔に終わっている。

 考えたこともなかったが、離れるというならそれもいい。

 なにより、彼女は人類が託した希望の残り火だ。

 かつて人類に産み出され、人類を支えたものとして、助けになれるならそうするべきだ。

「にゃふふ! これからよろしくシライシ! じゃあ、今後はとりあえずここがシライシの特等席ってことで」

「べつにいいが……きみはわたしを頭に乗せながらでもマモノとやらと戦えるのか?」

「んーできるんじゃにゃい? 一応振り落としそうだからつかまってもらえるとたすかるにゃ。あ耳はやめてね? やるなら髪で」

 ミケの頭上でゆらゆらと揺られながら、わたしはシェルターの出口へともに向かう。

 新たな器、新たな認知、新たな景色。

 この先に待ち受けるものを考えると、名状しがたい信号が内側に生じる。

 その正体が『高揚』と呼べるものだとわたしが理解するのは、もうしばらく後のこと。


 

 ……人類は永遠の眠りについた。

 けれど最後に夢見た希望はたしかに息づき、どうやら今も気まぐれに輝いている。

 

 

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猫とAI 南篠豊 @suika-kita

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