第三話 婚約破棄はブラッシングのあとで

「この場にて正式に宣誓しよう! わたくし、第二王子ローランドは、マチルダ侯爵令嬢との婚約を破棄する!」


 常軌を逸した宣誓がなされた――


 侯爵家が主催した園遊会にローランドが到着すると、婚約者のマチルダへの挨拶もそこそこに、やけに真剣な顔つきで貴族の子女たちに質問をしてまわったかと思いきや、急に大声を張り上げて婚約破棄をしたのだ。


 もともと視野狭窄なところがある王子だったし、愛人を囲っているという噂も絶えなかったので、穏やかな園遊会は一気に色めきだった。


 もっとも、当のマチルダはというと冷静だった。


 ローランドの愛人のことも知っていたし、直情径行な性格も含めて、いつかはこんなことをしでかすだろうなと予想していたのだ。


 それほどに問題のある王子だったわけだが、父親同士が決めた政略結婚だったのでマチルダも仕方がないとあきらめていた……


 ただ、こんなふうに一方的に離縁を突きつけられたことについては、さすがにかちんときた。マチルダは「ふう」と息をついて、何とか気持ちを落ち着かせてから、園遊会の会場がぴしりと凍りつくような冷めた笑みを浮かべてみせる。


「それでローランド様、せめて理由ぐらいは教えて頂けますでしょうか?」


 ローランドはその氷の微笑に後退させられたものの、「ふん」と息をついて覚悟を決めたのか、マチルダを指差してみせた。もちろん、高貴な者の間では無礼に当たる行為だ。


「胸に手を当ててじっくり考えてみよ、と言いたいところだが、いいだろう。そのひん曲がった性格を治すためにも、教えてやろうじゃないか」


 そして、ローランドはマチルダを傲然と見下しながら続けた。


「先日、侯爵家は娘を一人迎え入れたようだな。聞いたところによると、お前にとっては異母妹に当たるのだとか。名前はマクロサ。間違いはないな?」


 マチルダは「はあ」とため息をついた。


 園遊会にまでやって来て、侯爵家と親しい貴族に聞き込みした挙句、多くの面前で家庭事情を晒してみせるこの性格……本当に何とかならないだろうか。


 それでも、マチルダはそんなローランドの無分別を責めずに、遠くにいた母である侯爵夫人に視線をやって、その首肯を確認してから応じた。


「はい。その通りです。マクロサはまだ小さいですが――」


 だが、ローランドはマチルダの言葉を切ると、いかにも反論など聞く耳持たぬとばかりに矢継ぎ早に尋ねてきた。


「では、その扱いについても、皆の前ではっきりと言うことができるのか?」

「扱い……ですか?」

「そうだ。相当に酷いらしいじゃないか」

「仰っている意味がよく分かりませんが……」

「ほう。そうか。ならば、はっきりと言ってやろう。お前がマクロサ嬢にしているという虐待についてな」


 マチルダが眉をひそめると、ローランドは勝ち誇ったように言った。


「まず、侯爵夫人がマクロサ嬢を甘やかしているのに嫉妬して、ろくに食べさせないように仕向けたばかりか、よりによって残飯を与えたそうだな?」


 その詰問に園遊会はざわついた。


 貴族の虐めとしては定番ともいえるが、まさかマチルダがやっているとは誰も信じたくなかった。ローランドに比して、マチルダは思慮分別があると認められていたからだ。


 それだけに会場にいた貴族たちの驚きは大きかった。


 が。


 マチルダは憮然として答えた。


「たしかに仰る通りです。わたしはマクロサに残飯を与えました」


 その言葉にローランドは「くく」と笑みを浮かべた。いかにも論破したといわんばかりで、性格の悪さがよく滲み出ている笑顔だった。


「しかも、お前は王家が贈答した高級ぶどうを独り占めしたそうではないか?」

「うっ……」

「がめつい女だ」

「それは……本当に申し訳なかったと反省しております」


 ぶどうがあまりに美味しかったので、父や母にさえも渡さずに一人で食べてしまったのは事実だ。こんなふうに瑕疵かしにされるぐらいなら、食い意地に負けてしまったあのときの自分を罵ってやりたい気分だった。


「まだあるのだぞ。マチルダよ」

「今度は何でしょうか?」

「侯爵夫人がマクロサ嬢に様々な服を買い与えたというのに、お前はそれを着させないようにしたというではないか?」


 ローランドの言葉に園遊会の会場はさらに騒々しくなった。


 これまた貴族の虐めとしては定番だったが、温厚なマチルダまでもが裏でこっそりとやっていたとは考えたくなかったからだ。


 が。


 マチルダはさも当然だとばかりに答えた。


「たしかに仰る通りです。わたしはマクロサから服を取り上げました」


 その言葉にローランドは「はは」と勝利を確信したような笑みを浮かべた。いかにも得意の絶頂にいるといった様子で、ナルシストらしい側面も透けて見えた。


 ただ、それでもローランドは追撃の手を緩めなかった。


 そもそも、ローランドがこうまでしてマチルダをあからさまに責めたてたのも、次の噂を耳にしたからなのだ。


「最後に、マチルダよ。お前にはっきりと確認したいことがあるのだが――」

「はい。何でしょうか?」

「第三王子のデューイと結ばれたいと、方々に言いまわったのは本当か?」


 マチルダはつい顔を伏せた。


 言い訳しようのない事実だった……


「婚約者がいながら、そのような言動をするとは、侯爵令嬢としてはいささか軽率に過ぎたのではないか?」


 だが、意外なことに、ローランドにしては淡々と尋ねてきた。


 これまでの態度を考えれば、もっと激昂してもおかしくはないのに、どうしたことかとマチルダは疑問に感じたものの、そういえばローランドは愛人を囲っていて、そちらによほどご執心だったことを思い出した。


 何にしても、ローランドもそうした事情を探られたくないのか、結論を急ぐことにしたようだ。


「皆よ。聞いただろうか。これがマチルダ侯爵令嬢の本性である。果たして王家に嫁ぐに相応しい人物だろうか? 否っ! だからこそ、私、ローランド第二王子は改めて正式に宣誓する。侯爵家が迎え入れたマクロサ嬢を私の名のもとに保護して、いずれは将来の妻として迎い入れる意向であると!」


 その宣言で会場の喧騒は頂点に達した。


 拍手や歓声も上がっていた。どうやら貴族たちはローランドに対する認識を改め始めたようだ。


 もっとも、マチルダはやはり冷静だった。ローランドはいわゆるシンデレラの王子役をやって人気取りをしたいだけなのだ。


 それに、まだ小さな娘と婚約すると言っておけば、実際に結婚するまで時間が稼げる。そうなれば、密かに愛人と過ごすことも十分にできるというものだ。


 マチルダは、本日何度目だろうか、「ふう」と小さく息をついた。拍手がいったん止み、歓声も落ち着いたところで、真っ直ぐにローランドに視線をやる。


 そして、マチルダは、はっきりとこう告げたのだ――


「お言葉ですが、ローランド様。貴方様がマクロサと結婚することは出来ません」


 会場は水でも打ったかのようにぴしゃりと静かになった。


 マチルダの不可解な反論に、ローランドの片頬はひくひくと震えている。


「ふん。唐突に何が言いたいのだ?」

「真実を告げただけです。繰り返しますが、ローランド様ではマクロサと結婚することは絶対に無理です」

「なぜそう言い切れる?」

「だって――種族・・が違いますもの」


 さらなる静寂が会場を支配した。


 ローランドはさながら鳩が豆鉄砲でも食ったかのような表情をしている。


「しゅ、しゅ、種族……だと?」

「はい。何を勘違いなさっていたのかは存じ上げませんが、母が迎え入れたのは子猫・・です。メス猫です。マクロサと名付けて、娘同然に可愛がって育てております」

「ね、ね、猫おおお?」


 ローランドは素っ頓狂な声を上げた。


 対照的に、マチルダはやれやれと肩をすくめてみせた。


「で、では……残飯を与えたというのは?」

「はい。いわゆる猫まんまです。スープをかけて与えました」

「ぶどうを一人で食べきったというのは?」

「食欲に負けたのはたしかですが、そもそも猫にぶどうは厳禁なので、手を出す前に早めに食べきりました」

「服を着させなかったのは?」

「母が可愛がり過ぎるのです。マクロサが嫌がっていたので、服を脱がせていったん部屋から出してやりました」


 マチルダがそこまで説明してあげると、ローランドはその場でよろめいて、いったん膝を屈してから額に手をやった。


「それでは……デューイ第三王子と結ばれたいというのは、いったい何事だったのだ?」

「デューイ王子も猫を可愛がっておられるとお聞きしましたので、いずれつがいになってくれたらいいなあと。そんな他愛のないお話なら、たしかにデューイ様ともしたことがありますが?」

「…………」


 そのときだ――


 どこかからか、「にゃあ」という声が上がった。


 マクロサだった。白猫なので園遊会の会場でもよく目立った。


「あらまあ、園遊会にまでやって来てしまって、まだまだ甘えたい盛りなのでしょうね」


 マチルダはそう言って、足もとにやってきたマクロサを両手で抱き上げてから肩で担いだ。そして、これまで散々言いたい放題にされた仕返しというわけでもなかったが、せいぜい皮肉たっぷりにローランドに告げた。


「それでもマクロサと結婚したいと仰るのでしたら、私はお止めいたしません。ただ、ローランド様には、クロスリバーちゃんがいるとお聞きしておりますが?」


 マチルダは冷たく微笑した。


 そのとたん、ローランドはギョっとした顔つきになった。


 園遊会の会場では「クロスリバーちゃんって誰だ?」、「例の愛人か?」といったざわめきが上がり始めた。ローランドは「やめろ。やめてくれ」と呟いて、懇願するようにマチルダを見上げてきたが、


「婚約破棄をしてまで一緒にいたい時間を作るほどなのですから、さぞかし私よりもゴリラ《・・・》のクロスリバーちゃんの方が可愛らしいのでしょうね」


 マチルダはそう言って突き放すと、ゆっくりとローランドから離れた。それをきっかけに会場では様々な声が上がり始める――


「猫を異母妹と勘違いするようではな」

「まさか婚約者よりもゴリラを取るとは信じられん」

「日がな一日、ゴリラの厚い胸板に抱かれているという噂もあるぞ」

「何にしても、第二王子はこれで終わりだな。侯爵家の後ろ盾も失うだろうよ」


 そんなひそひそ話を後にして、マチルダは母である侯爵夫人にちらりと視線をやった。園遊会をつまらないものにしてしまって、さぞかし怒っているかと思ったが、意外にも満足そうに微笑んでいた。


 そもそも、マチルダには初めから気になっていたことが一つだけあった。ローランドは園遊会にやって来て、侯爵家と親しい貴族の子女にマクロサのことを聞いて回ったはずだ。それなのに、なぜ誰もマクロサが猫だと伝えなかったのか――


 ――いや、違う。


 わざと・・・言わなかったのだ。


 そうすることでローランドの短絡ぶりを刺激して、この園遊会にて誤認させて暴走するように仕組んだ。あるいは、もしかしたら、マクロサを侯爵家で引き取ったことだって、最初からこんな茶番をする為に……


 というところで、屋敷の入り口付近でマチルダは母とすれ違った。


「夫が勝手に決めた婚約話だったわけですから、王子から破棄したいという申し出があった今、従う必要はありません。これで貴女は自由です。よかったですね」


 マチルダは母に肯いて感謝の気持ちを伝えた。


 母は強し。いわば、全ては母が手のひらで転がしたことだったわけだ。


 その後、マチルダはマクロサを連れて部屋に戻ったが、園遊会はというと、ひとしきりペットの話で盛り上がった。しばらくして貴族の間で猫を飼うのが流行ったのは言うまでもない。


 なお、余談だが、猫好き同士の縁もあってか、マチルダはデューイ第三王子と結ばれた。さすがにマクロサほどのたくさんの子宝ではなかったが、十分に幸せな家庭を築いたという。


 逆に、ローランド第二王子には縁談が一つも持ち上がらず、ゴリラのクロスリバーちゃんが寿命で亡くなると、ついには王国から離れて、動物行動学者としてどこかの森に隠れ住んだらしい。遥か後世になって、ローランドゴリラという名の新種が発見されたのは奇妙な偶然なのだと思いたい。


(了)

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愚者の王国(短編集) 一路傍 @bluffmanaspati

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