蜻蛉領巾(あきつひれ)の女

1

 無人の交差点。不規則に明滅する歩行者信号。西日に赤く染まる横断歩道の上で、姿なき声が響き渡る。



「「とーおりゃんせ とおりゃんせ」」



 一つは軽快に。一つは老獪に。



「こーこはどこの ほそみちじゃ」

「てんじんーさまの ほそみちじゃ」

「「ちょっと とおしてくだしゃんせ」」



 交互に紡がれる唄を聞くものは誰もおらず。



「ごようのないもの とおしゃせぬ」

「このこのななつの おいわいに おふだをおさめに まいります」

「いきはよいよい かえりはこわい」

「こわいながらも」

「「とーおりゃんせ とおりゃんせ」」



 声が途切れた後、そこには閑寂な風景があるだけだった。





 ***





 上京してから早くも二ヶ月が経つ。入学式を経て、大学生生活を開始した俺、苫米地憲剛とまべちけんごの視界の端々には、今日も今日とて多種多様な妖怪の姿が映っていた。

 その中には、先日、猫と勘違いして散々構いたおしたスネコスリの姿もある。あれから妙に懐かれ、今では俺が借りている部屋に入り浸るようになってしまった。何度追い出しても戻ってくるので、諦めて部屋の一角を明け渡している。

 ついでに寝床――引っ越しの時に利用した縦30cm、横50cmの段ボールに、百円ショップで買ったクッションを敷いたもの――を用意してやったりもした。見た目は本当にただの猫なので、ペットみたいなものだと思って平静を保っている。

 世の愛犬・愛猫家たちは、こうやって犬猫に飼い慣らされているんだろうな、なんて考えながら。


 話は変わるが、妖怪と一口に言っても、姿形や能力は多岐にわたる。そして、地元で見ていた彼らと違って、都会に暮らす妖怪たちは随分と社会に。スネコスリのように上手く現実のものに擬態して日常に溶け込んでいるモノが多いのだ。

 スーツ姿ののっぺらぼうやは後ろから見たらただのサラリーマンだし、ストールで口元を覆ったパンツスーツの口裂け女はまさに“できる女”といった風体をしている。からかさ小僧はビニール傘に擬態してコンビニの傘立てに居座り、公衆トイレの鏡には雲外鏡が紛れている。

 まるで間違い探しをしているようで、なかなか面白い――なんてことはなく。見つかったことに気付いた妖怪たちが寄ってきてちょっかいをかけてくるようになったのだ。人目がないところならまだしも、人通りの多いところでそれをやられると対処に困る。


「無視し続けるにも限界がある……」


 地元にいた頃は、ボロボロの着物に解れた草履、もしくは本性そのままの姿が大半だったので見間違うことはなかったから、うまく妖怪を避けることが出来ていた。ところが都会こちらの妖怪達は実に巧妙に人や物に擬態し、違和感なく馴染んでいて見分けがつかない。

 本来なら、人や物への擬態その努力も、9割9分9厘の人間が妖怪を見ることができないので馴染んでいようが無駄にしか思えないのだが。極めて稀に、(俺のように)妖怪を見ることができる人間が存在し、そういう人間が引っかかることを彼らは期待して日常に潜んでいる。

 怯えを隠せず肩を跳ねさせる、脱兎のごとく逃げ去る、興味深そうにして寄ってきては対話を試みる、などなど。反応は十人十色で、それが面白くてやめられないのだとか。

 何事もなかったように無視、という態度を貫く肝が太い人もいるようだが、そういう人は妖怪たちもあえて相手にすることはない。そして、そんな妖怪たちの期待通りに引っかかる人間の一人である俺は、つい先ほど、記念すべき20回目のやらかしを記録した。

 帰宅中、点滅している街灯を見つけたと思ったら、それが提灯お化けに変化してゲラゲラと笑いながら空に消えていったのだ。思わず立ち止まってそれを見送ってしまい、すれ違う人達に怪訝な目を向けられていることに気付いて、慌ててその場から走って逃げてきた。つらい。


御主おしゅうは、妖怪かどうか区別できるほどのだな。だから、よく引っ掛かるのである」

「うぅ……」


 ずっ、と俺が出した緑茶を啜りながらそう言うのは、引っ越し直後に知り合った自称「書生」の胡散臭い男である。俺以外の人間にも見えているようなので、妖怪ではない、はずだ。たぶん。名前はまだ教えてもらっていない。男が「書生でよい」と言うので、俺は彼の言葉通り「書生さん」とお呼びしている。

 閑話休題話を戻そう

 曰く、審美眼とも言うべきものが磨かれていないのは、見ないフリを続けてきたのが原因なのだとか。


「実家だとそれでなんとかなってたんですぅ…」

「しかし、こちらに出て来てからは全く通じておらぬのであろう?ならば、審美眼を磨くしかあるまいよ」

「どうやって?」

「やはり慣れるのが一番である」


 よく観察することで妖怪のというものの見わけがつくようになり、が分かるようになれば、いずれ意識しなくても妖怪を避けることができるようになるという。


「……それまで妖怪達にからかわれ続けろって?」

「それも致し方なし」

「他人事だと思ってぇ~!」

「御主が慣れるまで、小生も付き合おうと思っていたのだが……」

「実家から送られてきたお菓子があるんだけど、お茶請けにどうかな?」

「ふむ…これが"手のひらクルー"というやつであるな」

「そういうの知ってるんだ……?」


 実家から届いて段ボールに入れたままにしていたポン菓子の袋を取り出しながら、目の前の書生さんを見つめる。色合いこそ異なるが、服装は先日と全く同じで実に現代っぽくない。やっぱり妖怪の類なのかなと思いつつ袋を開け、適当な皿にポン菓子を広げてテーブルに置いた。


「ポン菓子とはまた懐かしいものを……」

「実家に機械があってさ。あ、小豆と小麦のもあるよ」

「なんと」


 一口サイズに固められたそれを持ち上げる書生さんを横目に、膝の上に乗り上げてきた——今日は茶トラに擬態している——スネコスリの首元を撫でる。審美眼、ねぇ…?本当にそんなものを磨いただけでどうにかなるのだろうか。

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