小生、ただの書生につき

序.緞帳が上がる

「小生、ただの書生につき、御主おしゅうの力が必要なのである」


 この一言があったから、俺は――



 ***



 子供の頃から、俺の目には人には見えないモノが見えていた。


 実家の屋根裏に住み着いた着物姿の子供とか、近所の川で小豆を洗ってるおっちゃんとか、雷と一緒に落ちてくる見たこともないイキモノとか、自前の雪でウサギとダルマを量産する女性とか。様々な姿形の彼らは、俺が視認すると喜々として寄ってきて、人目を憚らずちょっかいをかけてくる。だから、彼らに気付かれてしまった時には、人目につかない場所に移動するようにしていた。誰にも、それこそ両親にも、気付かれないように。――子供なりに、彼らが見えることが普通ではないのだと分かっていたからだ。

 だって、人間は自分と違うものを忌諱するイキモノだ。特に、田舎ではそういった傾向が顕著で、ほんの少し常識からズレているだけでも排除の対象になる。俺が生まれた町も田舎と言って差し支えなく、しかし、幸いにも常識との差異には寛大だったので、俺のこの特異な目のことももしかしたら受け入れてもらえたかもしれない。もっとも、隠すことが当たり前になってしまっているので、今更、告白する気にはならない。今はもうある程度あしらい方も身についたし、そもそも見えないフリをしていれば彼らが寄ってくることもないから、人目を気にすることは減った。

 ちなみに、彼らの正体を知ったのは小学生になってからだ。図書館でたまたま手に取った本に見覚えのある姿がいくつか載っていて、そこで初めて彼らが“妖怪”と呼ばれるモノなのだと知ったのだ。本に載ってあるままの姿だったり、実物の方が顔が厳つかったり、逆にコミカルだったり。ここだけの話、本の絵と実物とを見比べるのが楽しかったのは、内緒だ。



 ***



 一人暮らしの準備を終え、上京したのが二日前のこと。昨日と今日は実家から郵送してもらった荷物を解いていたが、それもひと段落した。電池を入れたばかりのウォールクロックを見れば、短針がちょうど“4”を指している。空になった段ボールを畳みながら、アパート周辺の散策でもしようと思い立ち、薄手の上着を羽織って財布とスマホを片手に部屋を出た。空は西側から綺麗な茜色に変わり始めていて、アパートの敷地を囲む白い塀も同じ色に染まっていく。その塀の足元には黒い塊がデンッと佇んでいて、何かと思って見れば、その塊の正体はまるっと肥えた猫だった。


「愛らしい子であるな」


 近づいても逃げないので、野良っぽいが人馴れしているように見える。ここはペットOKのアパートだから他の入居者の飼い猫かもしれない、なんて考えながらしゃがんで猫を撫でているとそんな言葉が降ってきた。顔を上げれば、1メートルほど離れた場所に時代錯誤も甚だしい服装の男が立っている。白のスタンドカラーにストライプ柄の袴、質の良さそうなインバネスコートと日和下駄。今時、そんな格好をするのは役者かコスプレイヤーくらいじゃないだろうか。思わず顔が引き攣ってしまったが、男はそれに気付くことなく顎を擦りながら微笑んでいた。


「しかし……妖怪が見える人間は久しく見ておらなんだが、まだいたのであるなァ…」


 ふいに、男と目が合う。色素の薄い瞳には喜色が浮かんでいて、ちょうど雲の切れ間から差し込んだ光によって縮瞳した。瞳孔が縦に割れているように見えたが、まばたきしてみたら普通に丸い形をしていたから見間違いかもしれない。それはともかく、先程、この男は何と言っただろうか。服装のインパクトが強すぎて何を言われたか飛んでしまった。ええと、確か……そう、「妖怪が見える人間は久しぶり」って言って――え?


「――な、なんで、」

「……ん?」

「なんで、見えるって…知って……?」


 親にすら話していないことを言い当てられ、ザッと全身から血の気が引いていく音を聞いた気がした。さらに、背中から嫌な汗が噴き出すのも感じる。撫でていた猫が顔を上げ、ガラス玉のように透けた色合いの瞳に青褪めた俺の顔を映し出す。男は少し首を傾げ、それから合点がいったというように手を叩いた。


「なるほど、気付いてはおらなんだか」


 カランコロンと下駄を鳴らして俺との距離を詰めた男は、俺の横にしゃがんで猫を指さしながらニコリと笑う。


「その猫、実のところ猫ではなく“スネコスリ”というである」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「白昼堂々と妖怪に触れておるのでな、見えることを隠しているとは思わなかったのだ」


 すまんと笑いながら言う男の顔を見て、猫を見て、もう一度男の顔を見て、再び猫を見る。その次の瞬間、俺は墓穴を掘ったことを自覚して両膝に顔を埋めた。まるで血が沸き立ったかのようにカッと全身が熱を帯び、叫び出したくなる衝動を抑えて喉の奥でぐぅと唸る。きっと、顔は耳まで赤くなっているに違いない。羞恥心に耐えながら、「そういえばこの人にも見えてるんだな」と気付いた。


「まァ、今回のこれは、スネコスリが見える者を引っ掛けるために普通の猫に擬態しとったようだし、区別がつかんのも仕方があるまい」


 ポンポンと肩を叩きながらそう言う男には申し訳ないがやめてほしい。慰めのつもりなんだろうが、今の俺にはただの追い打ちだ。しかし、このままでいるわけにもいかないので、深呼吸して無理矢理気持ちを落ち着かせる。そして膝から顔を上げて俺の横にしゃがむ男を見た。切れ長の目元は涼やかで、スッと通った鼻筋が美しいその男は、まるで精巧に作られたビスクドールのようですらある。


「江戸の都にはイタズラ好きの妖怪が多いゆえ、気を付けるのがよかろう」

「……はい」


 男の顔に魅入っていると、まるで止めを刺された気分になった。善意で言ってくれているのは分かっているので頷いたが、もし部屋に一人でいたら胸を押さえて床を転げまわっていたと思う。散策する気力も削られたので、部屋に戻ろうと立ち上がれば、猫だと思っていたイキモノがその名の通り体を俺の脛に擦りつけて懐く。猫に見えていた姿は既に本性を表し、そこにいたのは犬に似たイキモノだった。


「……可愛くねぇの」

「妖怪とはそういうものである」


 思わず愚痴めいた言葉を溢せば、しゃがんだまま俺を見上げた男がしたり顔で言う。それに頷きで返して、足下のスネコスリを蹴飛ばさないよう注意しながら敷地を跨いだ。そういえば、と踵を返して俺は口を開く。


「俺、苫米地とまべち憲剛けんごっていいます。一昨日このアパートに越してきたばかりなんですけど、良かったら仲良くしてください」


 俺が手を差し出せば、男は目を丸くして俺の手と顔を交互に見やり、そして、面映ゆそうにそっと俺の手を握った。


「小生は、ただの書生である」


 これが、俺達の始まり。――あの時を思い返すたびに思うが、何で俺は自分からあっさり自己紹介をしたんだろう。

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