蒼、インザレフ

 夏が過ぎるのは、思うより、ずっと早い。

 幼い頃は、あんなにも長かったのに。始まる頃は、終わるような気なんてしなかったのに。

 夏は終わる。いつの間にか、終わっている。

 蝉の声はか細くなり、日の沈むのが微かに早くなって。

 カレンダーにバツ印をつける度、思う。

 あの世界は嘘ではなかったはずなのに。それなのに、まるで嘘みたいに、今はただ写真しか残らない。

 日々の過ぎるほど、記憶の中の夢見心地は増していく。

 そして、また、カレンダーにバツをつけて。


 俺を引きずっていきながら、日々は巡る。



 ────────────────────



 チ-ン


 姉の写真が置かれた仏壇に手を合わせ、目を閉じる。

 別に、何を願うとか、何を思うとか、そう言う事は無い。最初の内は泣いてたし、「生き返れ」とか、願ってたけど。

 自分は彼女の死を受け入れてしまった。だから、生き返って欲しいとかは思うけど、そんな事ある訳無いって知ってるから、無駄に必死になったりしないだけ。


 瞳を開け、朝飯を作る為に立ち上がる。


 冥土の世界がどうこうとか、そう言う宗教じみたアレコレも良く分からない。もし彼女の意識がどこかにあるなら、幸せになっていて欲しいと、思うけど。


 台所に立ち、手を洗う。


 ──けど、多分、麗奈はもう、どこにもいないような。

 根拠とか無いし。死んだらどうなるかとか、知らないし。でも、そう思った。

 もう会えないと悟れば、気持ちは傾く。夏の間中、特に何も無かったし。もう、あの声は、聞けないし。

 ──何だか、自分が冷酷になったような──本当は、麗奈の事なんか愛していなかったんじゃないかって、思ってしまいそうな。いつも通りの、堂々巡りの思考回路。


 スクランブルエッグでも作ろうか。思い立ち、冷蔵庫を開けると、甲高いインターホンが家中に響く。


「はーい」


 無意識に時計へ視線を向ける。こんな時間に誰だろう。まだ時計の短針は8を回ってないし、若干非常識な気もするが。

 タオルで手を拭き、早足に玄関まで駆ける。

 玄関まで出て、ドアのくすみガラスの向こうに、訪問者のシルエットが見えた。

 低身長、全体的に白い服──何だか、見覚えが。

 鍵を開け、ドアを開く。

「そいつ」は少し後ろに避けて、俺の顔を見るなり、ばつの悪そうな顔で苦笑いを浮かべた。

 地面から、アリに食われているセミの、「ジジ」と言う声が聞こえる。


「──お前」


 複雑な感情に、声が漏れる。恥ずかしさとか、めんどくささとか、色々。


「また、天界追い出されちゃった」


 ──カミサマが、1ヶ月ぶりに姿を見せて発した言葉は、そんな情けない一言であった。



 ────────────────────



 それから、15分後。

 ちょこんとテーブルの前に座るカミサマに、とりあえずスクランブルエッグとサラダの朝食を出した訳だが。

 相変わらず、うざいようで、品があると言うか何と言うか──見た目はどこからどう見ても中学生なのに、振る舞いのそれはとても中学生とは思えない。


「いやー、毎度毎度、ありがとね」


「──あぁ、うん、良いよ」


 許してしまう自分も自分な気がする。何かこう、強く出られない。案外、自分は奉仕気質なのかもしれない。こんな田舎じゃ、男の自分がそんななんて、気持ち悪いと言われるだけかもしれないが。

 ──会話は続かず、カミサマが箸を進めている音だけが聞こえる。

 俺の部屋にテレビとか無いし、やる事も特に無いし。

 何となく、壁の写真へと視線をやった。


 ──蒼い空と海をバックに、変な体勢でカメラに映る俺と麗奈。


 麗奈に抱かれた俺の顔は、照れ臭いような、でも、久しぶりに写真越しに浮かべた、笑顔。


 笑い合うツーショットを見て、ズキリと、胸が痛むような。

 言語化しがたい──無理矢理言語化するなら、愛に悼みで報う事のできない、罪悪感、か。


「──なあカミサマ」


「ん?」


 返ってくる、優しげな声。こんな事を聞くのに、また胸が1つ痛む。


「あの夢って、意味あったのかな」


「分かんない。そんなの僕に聞かないでよ」


 即答だった。

 清々しいまでの、即答。こちらは真面目だと言うのに。逆に何だか呆れて、肩の力が抜けた。自分か、カミサマか、何に呆れたのかは良く分かんないけど。


「カミサマなぁ──俺、結構マジだったんだが?」


「でも、実際僕はただの傍観者に過ぎない。君たちの過ごした時間の意味を問われたところで、返す言葉はただの薄っぺらな感想文でしかない」


 そんな、淡白な回答だけ残して、カミサマは再び箸を進める。

 見透かされてるような気がした。機会を与えられながら、1人で答えも出せない弱々しさ。テーブルの木目と意味も無いにらめっこをして、目も合わせられない。そんな自らの軟弱さを。


「正論だな」


「でも、君が求めているのは正論ではない。そうだろう?」


「──正論、だな」


 機械のように繰り返す。彼の言葉は、心の隙間をツンツンとつついてくる。

 なおも彼は、俺を見つめ。


 ──箸を皿に置く音が聞こえる。影が伸びて、驚きに視線を上げると、頬に柔らかい衝撃を感じた。


 頬に当てられた真っ白な左手は、俺の頬を包み、顔を真正面に持ち上げた。


 目の前に、テーブルの向こうから体を伸ばした、彼の顔があった。


 息も届くような距離、深緑の双眸が、蒼に染まる俺の瞳を見つめる。

 見つめ、見つめられ、見つめ合う──驚きに心臓が強く鳴り響き、1秒を10秒にも感じる時間。

 唇が開き、喉が動く。静止した時を動かすように、彼は言葉を発する。


「愛とは、何だと思う」


「──わかん、ねぇ」


「飢えているんだろう、君。飢えに飢えて神格化しているから、小難しく考えて本当の姿が視界から消える」


 半拍、呼吸がずれた。

 多分、自分でも気づいていなかったような心を、会って1ヶ月ぐらいしか経っていない奴に、突然、指摘されて。


「急だな」


「心の準備させると、君、すぐ予防線と壁を作るから」


「──」


「僕が思うに、愛とは、質でも量でもない」


「──じゃあ、何だよ」


「形」


「──わかんねぇ」


「素直だね、嫌いじゃない──君、両親に愛されていると思うかい?」


「──分かってるのに言わせるのは、残酷だろ」


 多分、親は俺の事をあんまり好きではない。

 仕事仕事で、こっちの事、全然見てくれない──から。そんな事実を裏返せば、何となく分かる。


「彼らが君に与える愛は、質も量も全く足りていない」


「──言いてぇ事、良くわかんねぇよ」


「君は、君が思うより愛されている」


 また、半拍呼吸がずれた。今度は、多分、予想もしていない事を言われたから。またずれて、一周戻って、何だか落ち着いてさえいるような。


「彼らの苦悩が分かるかい?娘を亡くし、息子が心に深い傷を負った。どうすれば良いかって──でも、あの人たち、君と同じで不器用だから」


 それは、分かっていた。

 優しい母親が、厳格な父親が、理想的に見える彼らは、だけど、酷く不器用だった。

 安い言葉だけ、ツラツラと並べ立てる人たちじゃないから。


「だから、どうすれば良いんだろうって思ってる内、気持ちが伝わらなくてすれ違って、そのまま離れていく──」


「そんなん、幻想だろ。限りないロマンチシズムだ」


「否定から入ろうとする癖、やめなよ」


 カミサマが立ち上がり、上から俺を見つめる。


「バカになった方が良い。リアリズムとか、ロマンチシズムとか、変な事考えないで」


「──」


「今は過去の先にある。未来は今の先にある。お姉さんは、過去を守ってくれた。じゃあ、君は?」


「俺は──俺は……」


「感じるままに生きなよ。都合良くやってけば良い。嫌な事からは逃げれば良い。そんなんで良いんだ」


 テーブル越しに、透き通るような右手を差し出される。

 色んな建前に、隠れている自覚はあった。

 多分、何言ったって誰も聞いてくれない。そんな諦念が、あの人が死んで、生まれちゃったから。


 ──少し、迷って、ちょっと、意地張って、目逸らして──でも、まっすぐに見てくる彼の視線が痛くて、どこか諦めるように、手を重ねる。


「──そんなんで、良いのか」


「そんなんで良いんだよ。世界なんて、簡単さ」


 笑う彼の顔は、窓から差し込む太陽に輝き、純粋で。

 肩が楽になったような気がして、思った。


 俺は、諦めたんじゃなくて、選んだんだ。


 少し、少しだけ、彼に笑い返して。


 ──耳にうるさい蝉の声は、いつしか消え去って、どこかへ飛んでいった。



 ────────────────────



「もう帰んのか?もうちょいいても良いのに」


「いやぁ、今回は『カミサマの父』も本気じゃないと思うから。門限破ったら怒られちゃうや」


「カミサマ事情もわかんねぇな……」


 夕暮れ、橙の空をバックに、玄関でカミサマが靴を履く。

 ──別れ際になって、ふと、気になっていた事を聞きたくなった。


「なぁ」


「ん?」


「カミサマって、何のカミサマなの?」


「──んー」


 靴を履き、立ち上がるカミサマ。こちらを向きながら、顎に手を当てて何かを考えている。


「悩む事じゃねぇだろ」


「いやいや、こういうのってストレートに伝えないのが味ってもんじゃん?」


「訳わかんねぇ」


「ま、そうだね、強いて言うなら」


 ウィンクしながら、彼が言う。


「『忘れないでいてくれる事』。それが答えだよ」


「──ロマンチシズムだな」


「好きなんだよ、ロマンチシズム──あ、そうだ」


 言うと、彼が後ろポケットから何かを取り出す。


「これ、記念に君にあげる」


「──お前、これ──でも、あの時カメラなんて──」


「僕は『神様』だよ。それが答えだ」


 出してきたそれに驚きの声を上げ、目を見開く。

 彼の出したそれは、1枚の写真で──。


「──んじゃ、僕行くね」


「──おう、またな」


「ん、またね」


 交わした言葉は、意外に淡白だった。

 扉が開き、むわっとした空気を体に感じる。

 見えなくなるまで見送る。感傷は、意外に無かった。

 再び、写真を見つめる。

 ──その中には、神社の鳥居の前、木陰の前に自転車を出す、俺の姿が。

 それは、紛う事無き、あの日の記憶──いや、思い出。


『蒼──辻村蒼だよ。よろしくな、カミサマ』


 耳の奥に、声が聞こえた。


「──忘れねぇよ、こんなの」


 呟く

 写真が、また1枚増えた。

 また、会えるかは分からない。だけど、会えなくても、多分、忘れない。

 俺を支えてくれる、確かな『思い出』が、そこにあるから。


 ──暑苦しいへばりつくような夏が、今、終わった。

 今なら笑える。そんな暖かさを、残しながら。

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蒼、インザレフ 緑山陽咲 @hinata2791

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