蒼、インザレフ
緑山陽咲
カミサマ笑
蒼の快晴が天を覆う、夏真っ盛りの7月下旬、午前11時。
右を見れば、地平線の向こうまで続く日本海。左を見れば、セミの合唱がうるさい緑の森。炎天下の中、汗だくになりながら必死に自転車を立ち漕ぎして、坂を登る。
今日は、高校の終業式だった。明日からは夏休み。とは言え、受験生に「休み」など無いし、勉強漬けの日々が始まるだけであろうが。
森の中にある神社、その鳥居の前で、1度自転車を止めた。
「……あっちぃ」
呟く。いつもは夕方とか夜に帰るから、なおさら、思う。息を切らし、タオルで顔を拭く。
森の中からは、若干の冷気が伝わってきていた。今の自分に、その誘いに抗うだけの根性は無い。少しの間、体力を回復する為に神社の木陰の中で休みたい。一息つき、自転車から降りる。自転車を森の方へ寄せると、スタンドを下げ、日に当たらないよう木の下に止めた。
タオルを首から提げたまま、階段の続く、神社の鳥居を潜る。誰かいる。気配を感じ、ふっと顔を上げた。
1人の子供と、目が合った。
白の半袖シャツに、クリーム色のパンツ。髪は肩まで伸びており、一見すると女のように見えるが、神社の階段のド真ん中に堂々と座るその態度と仕草は、明らかに男のもの。
暑さで動きの鈍くなった脳ミソが、若干の混乱を覚える。
厚さ的にも色素的にも、酷く薄い唇を開き──少年?は、言葉を放つ。
「どうも、カミサマです」
「──は?」
──あまりにもバカらしいその言葉に対し、俺は疑問と呆然と、あと少しの羞恥心を、覚えてしまっていた。
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少年?こと「カミサマ」の横に落ちている木の葉を足で払う。案の定、1つ、葉の裏に緑色の芋虫らしき何かがいた。虫は嫌いだ。こんな田舎だと「男なら〜」とか言われるだけだから、誰にも言わないけど。
カミサマの横に少しスペースを空けて座り込む。2人の間の空間は、不信感とか、得体知れなさ故の恐怖の表れか。「不審者にはできるだけ近づかない」。日本人なら誰でも知っている対不審者の1番の対処法である。もう既に、不審者は真横にいるのだが。
正直、この自称カミサマと深く関わるつもりは無かった。体力回復ついでの暇潰しと言ったところか。
「んじゃあまあ、何から聞こうか……君、名前は?」
「カミサマ」
「カミサマって……もうちょい捻りと言うか設定をだな……まあ良いや。歳は?」
「大して歳取って無いよ。この前178歳の誕生日を祝ってもらったばっかり」
「10で割っても本当か怪しい年齢だぞ、それ」
座っていても頭半個分は下にある、カミサマの緑の目。全体的に色白で華奢、そして顔つきも幼いカミサマは、正直中学生にしか見えない。
「で、なんでカミサマはこんなところにいるんだよ。なんかもっと、カミサマチックなところで神々しく人間を見守ってるもんじゃねぇの?」
「カミサマチックなところじゃなくて、天界ね。端的に言えば、1番偉い神──そう、カミサマの父に追い出された。『仕事しなさすぎ』だって」
「カミサマの父って、これまた捻りの無い設定を……つまり、勉強しなさすぎて成績下がったから、怒った父親に家を追い出された、と」
「そんなどこにでもいそうな男子中学生と一緒にしないでよ、失敬な」
「聞いてる限りどこにでもいそうな男子中学生じゃんか、お前」
自分の事を「カミサマ」と言うところとか。もう明らかに、中二病である。
かく言う自分も、中学二年生の頃は、多重人格者を演じたりしていたような……気が、する。そんな記憶は、最早既に脳内から消し去った。
「お前、いつ帰んだよ。別にお父さんもお前をガチで追い出した訳じゃねぇだろ」
「いつだろうね。カミサマの父から『帰っていいよー』ってお告げ貰わないと無理かな」
「お告げって事は、一応スマホは持ってんだな」
「スマホなんて不便な道具、僕は持っちゃいないさ」
「スマホが不便とは大きく出たな……」
考える。まあ、このカミサマ──と言うより、「カミサマ笑」は、成績が下がりすぎてキレた親父に家を追い出された、中二病まっさなかの男子中学生と言ったところだろう。この前まで自分もそうだった。話は良く理解できる。
「──お前、うち来る?」
「え、良いの?」
「まあ、今日中には帰るっつー条件付きでな──こんな暑い中いたら、お前死ぬぞ」
『今日は、観測史上でも稀に見る猛暑となるでしょう』。朝のお天気キャスターが言っていた。テレビの天気予報なんて、すぐに「観測史上」という言葉を使い出すものだが。
男子中学生とは思えないほど華奢な上、夏の盛りの日差しの下では有り得ないほど色白な、カミサマ笑。今日みたいな日には、いつ倒れてもおかしくないように見える。
「んじゃまあ、行くか──こっから5分も歩けば俺ん家だ。父さんは単身赴任だし、母さんは泊まりの出張で今日は俺1人なんだ。変に気張んなくても良いぞ」
立ち上がり、伸びをする。体力は万全とまでは言えないが、帰るだけなら余裕はあるだろう。階段を下りると、自転車のスタンドを上げた。
「君、優しいんだねぇ……名前、聞いても良い?」
自転車を木陰の外に出すと、カミサマ笑にそんな声をかけられる。
日差しの下、天も海も、見渡す限りの蒼。こんな日は、自分が世界に祝福されているような気がして、何だか気分が良い。
太陽の眩しさに目を細めながら、鳥居を潜ったカミサマ笑に答える。
「蒼──辻村蒼だよ。よろしくな、カミサマ」
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散っては生まれ、爆ぜては上がり。鍋の中の水面にはいくつもの泡が、ぐつぐつと音を立てて暴れ回っていた。
首にかけたタオルで汗を拭う。家の台所には蒸し風呂のような熱気が広がる。「そうめん作ってやるよ」なんて言った、つい15分前の自分が恨めしい。カッコつけずにカップ麺でも出してやるんだった。
「ごめんねー。何か、ご飯も頂いちゃって」
「……良いよ、別に」
遠く、カミサマ笑の声が聞こえる。自分の部屋に上げたは良いが、変なところを見てはいないだろうか。男子高校生のベッドの下を覗かないぐらいのモラルはあると信じたい。
鍋の火を止めると麺を箸で掬い、2つ用意していた皿に交互に入れていく。カミサマ笑は色白でちっこくてあんま食べなさそうだから、俺よりは若干少なめで。あと何か普通に気に食わないから、もう1口分、カミサマ笑の皿から自分の皿に移す。2つの皿に冷蔵庫から出した氷を放れば、今日のお昼ご飯の完成だ。
お盆にそうめんと麺つゆの入った皿を乗せ、自分の部屋まで足を向ける。何しているか分からんから、少しだけ急いで。
見慣れた扉をくぐると、驚いた事に、カミサマ笑はテーブルの前で大人しく正座で座っていた。
「お疲れ、ありがとうね」
「おう」
テーブルにお盆を置き、手を合わせると、麺を麺つゆに入れ啜っていく。
よく考えてみれば、カミサマ笑は中学生にしてはだいぶ大人びているようにも思える。神社の参道のド真ん中に座ったりはする反面、言葉遣いや行動の節々には、育ちの良さが映っていると言うか。
神社の神主の子供だったりするのだろうか。神主なんて、見た事も無いのだが。
「──君、写真好きなの?」
2人、黙々とそうめんを食べていたところに、そんな言葉が正面から飛んでくる。
なんで急に──とは、正直思わない。自分の部屋の壁の一面には色んな写真が貼ってあるし、机の上の大きな一眼レフだって、素人からすれば物珍しいだろう。
「まあな」
特に何か、言う事も無かった。写真が好きなのなのは変わらないし。だからと言って、素人の男子中学生に細かな話をしたってつまらないだけだろう。
「もう1つ、聞いても良い?」
「何だよ」
「──この、君と肩を組んでる女の人」
カミサマ笑が、ゆっくり、俺の後ろに指を向ける。何を指しているかは、見なくても分かった。
「この人、君とどうい」
「可愛いだろ」
言う。畳みかけるように。
「分かるよ、男友達皆、うち来ると紹介しろって言ってくんだ。おかしいだろ?もう死んでんのにさ」
空になった食器の中、箸を転がして。
──あの人の話で、誰かに主導権を握られたくはなかった。俺と彼女の過ごした16回の夏は、親にも、誰にも、俺にしか、語れないから。
「──姉、だよ。2年前、心臓の病気で死んじまった、俺の姉だよ」
声は少し、震えていたかもしれない。
カミサマ笑の顔を見ると、少し驚いたような、申し訳ないような顔をしている。若干の気まずさを覚え、口の中、舌の上に麦茶を転がした。
「──何か、悪い」
「良いよ、別に……僕、これ食べたら帰るね」
「──おう」
ミンミンゼミと風鈴のうるさい、夏真っ盛りの7月下旬、午後0時。
日光に蒼く照らされた部屋に、カミサマ笑が麺を啜る音が、響いていた。
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カミサマ笑がいなくなった後、しばらく勉強をしていたら、部屋に橙の西日が差し込む時間帯になった。
集中が続かない。受験生なのに、勉強が進まなかった。ため息を吐くと、数式がいくつか新しく加わっただけのノートに、シャーペンを転がす。
椅子から立ち上がると、半分無意識にも近い感覚で、写真の貼られている壁の前に向かった。
姉と2人、撮った写真の数々。2人で学校サボって遠くの駅まで行った時の写真。水着の姉に「ブス」と言い、ビンタされて頬が赤くなりながらも、何だかんだ海の前で2人で撮った写真。憔悴しきってる癖に強がって、弱々しい笑みとピースで撮った、病院のベッドの上での、2人の最後の写真。手を伸ばし、慈しむように撫でつける。
「──づっ」
指の上に走った鋭い痛みに、一瞬、手を引っ込めた。写真の角で指を切ってしまった。紅い血が流れ、指に伝う。
カミサマ笑には、シスコンとでも思われただろうか。正直俺は、それでも良かった。彼女との思い出が、色褪せていくのが怖くて。「シスコン」と言う一言で、俺と彼女を強く結びつける想いが、証明されるのなら。
「──疲れたな」
下に穿いている黒のジャージで、指についている血を拭う。夕方にもなるといい加減、強い眠気が襲って来る。
絆創膏も貼らぬまま、ベッドに倒れ込む。いつもなら母に、「夜寝れなくなるから」と止められるものだが。今日は家に、誰もいない。誰かのいない自由は楽しいし楽だけど、寂しいし悲しい事も、また事実であった。
眠気に従うまま、瞼を閉じる。夏の暑苦しさも疲れには勝てず、意識を手放すまでに、そう長い時間はかからなかった。
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独特な薬の匂いが鼻を突き、白い壁面が辺りを覆う。
誰かの泣き声が聞こえ、驚きに目を開けて。
世界が止まったような、そんな感覚を、覚える。
目の前のベッドには、苦しそうに酸素マスクを曇らせる、2年前に死んだはずの姉がいた。
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