第18話 孤高と孤独
校外学習以降、張さんと俺は挨拶する程度には関係性が昇華した。
それは、校外学習の翌日の朝だった。
****
ジジジジジ……
最寄駅の電光掲示板をみると時刻は7:51分を示していた。スーツを着たサラリーマンが闊歩しており、制服を着た高校生はまばらで指で数え切れる程度しかいない。ピークの8時30分台に比べれば少ないが、それでも何十人もの人が往きかう。
階段を上がり、PASMOをピッとかざして改札を出てしばらく直進すると、後ろから声を掛けられた。
「おはようございます。いつも早いですね」
夢とうつつの境界線が曖昧に感じる声色。咄嗟に左右を見渡すが、誰もいない。俺か?
おじおじ、振り返ると柔和な笑みを浮かべた張さんがそこに居た。
「あぁ、おはようございます。」
足が止まり、時間が止まったかのようにお互い見つ目合う時間が数秒続いた。彼女はまるで絵画から抜け出してきたように現実感がなく、背景と輪郭が濃く識別されていた。
そういや、しっかり顔を見るのは初めてだ。目がくりくりで、小動物のような愛嬌を持つ少女だ。
再び歩き出し、会話を進める。
「土橋さんも早いんですね。まだ8時ですよ」
「俺、満員電車が苦手で……それで早く学校に行くようにしてるんですよ……」
サラリーマンから主婦、学生、ニート。趣味趣向から生活の質がまるっきり異なる存在が一同介して同じ場所に集まる異常さ。あの充溢した空気感に耐えられない。想像するだけでげんなりしてしまった。
「分かります。私も満員電車苦手で……人の波に酔ってしまうというか」
「それに、都会の人って歩くの速いですよね。ちょっと怖く感じます」
そう言うと張さんの歩く速度が下がった。
「あー、生き急いでるって感じありますもんね。どうせ2分後に電車来るんだから走らなくていいだろ、って思うんだけど」
もっと心にゆとりを持つべきであろう、現代人は。それに比べて張さんはマイペースというか天然寄りな少女だ。
「土橋さんはテスト勉強進んでますか?」
「それは、微妙なところですね」
「というと順調ではない?」
張さんは覗き込むように俺の顔をみた。誤魔化そうと思ったが、これは正直に言った方がいい気がする。
「はは、全く捗々しくないですね。実をいうと、まだ手をつけてないです」
「えー、本当ですか? やってない詐欺じゃないですよね?」
目を細め疑いの眼差しを送ってくる。口を尖らせて不満をたらたらの様子。
「俺の場合、ガチです! わざわざ嘘をつくメリット無いですから」
「じゃあ、テスト終わったら結果見せて下さい」
「いいですよ。本当に成績が芳しく無いことを証明してみせますよ!」
謎に自虐風自慢な話になってしまった。しかし、意外と踏み込んでくる子だな。
「約束ですよ。その日になってやっぱり、は通じませんよ」
「了解です。でも、こっちが見せるんだから、張さんのも見せて下さいよ」
「勿論、良いですよ」
何やら自身ありげな様子。成績良いのだろうか。
「勉強は得意なんですか?」
そう訊ねたが「どうでしょうか」とはぐらかされた。見てのお楽しみという事なのだろう。
地下構内を抜け地上に上がると、初夏を知らせる温い風が新緑を揺らしていた。
****
こうして俺は張さんと会話をしながら学校に向かう習慣ができた。ただ、待ち合わせを特に決めたわけでは無いので、6割くらいの頻度であったが。
道中はたわいのない話で花を咲かせた。数学の課題が難しいとか、最近暑くなったとか、そんな誰しもが経験する取り止めの無い日常的な会話。
しかしながら、人生は諸行無常であり、時の流れと共に、万物は流転してゆく。今、同じ空間で過ごしてる張さんや矢上もいずれは異なる世界に羽ばたいていき、異なる生活圏を営んでいく。そうやっていつしか、人間関係は白紙に還元されるのだ。何年後か何十年後か、この今を思い懐かしむ日がくるのだろう。だが、記憶にも消味期限がある。記憶は呼び起こされるたびに劣化して、いつの間にかそれが現実なのか想像なのか判別が付かなくなる。同時に記憶に付与された特別な感情も薄らいでゆくのだ。
****
矢上夏帆についても話しておこう。
彼女は校外学習以後からどうも様子がおかしかった。いつも女子3、4人と群れて和気藹々とおしゃべりする姿がデフォルトであったのだが、鎌倉から帰ってきてからは窓側の席で一人頬杖を突いて外を眺めるアンニュイな姿が散見される。授業中も上の空で珍しく教師に注意され、友人が気遣い声を掛けるも、心ここに非ずといった態度である。
また、俺との関係にあれから特に進展があったというわけでもない。いや、寧ろ関係が冷え込んだと言った方が適切か。あの日以来、話しかけてくることも、ちょっかいを掛けてくることもなく、頻繁に感じられた視線すら皆無であった。平和な時間が取り戻せた。だが、あと一歩で解けそうで解けない、そんな問題を解いてる時のような歯痒さを感じている自分が居た。
正直拍子抜けだった。次は何をしてくるかあれこれ考え身構えていた自分が阿呆らしく感じる。
一体全体、彼女の心境にどのような変化があったのだろうか?
「私も鳥になりたい」
その一言が脳裏に浮かんでくる。その言葉の裏腹に何が潜んでると言うのか。考えても人の気持ちは分からない。
『光栄ある孤立』という19世紀イギリスの外交政策を表す有名な言葉を聞いたことがあるだろうか。各国との同盟を結ばない外交政策を孤高と表現した言葉である。しかし、その実態は『光栄』なんて箔がつくものではない。なぜならば、集団から離反することは四方八方を敵に回すことに繋がるからだ。それは諸国の団結を生み、勢力図を書き換える勢いにまでのぼる。それはパクス・ブリタニカの終焉である。
つまり、人が既存の関係を捨ててまで、自分から孤立を選ぶと言うのは並大抵の覚悟で出来る選択ではないはずだ。出来ることなら集団に属する方が良いに決まってる。俺は確かに好んで自発的に孤立を選択している。だが、孤高と孤独は全くの別物なのだ。
『変人における思考の特異性について10万字以内で主観的にかつ自由に記述せよ』 単品 @Tanpin0000
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