第17話 忘却の彼方へ


「ダメだぁ、集中できん」

 置き時計を見ると4:30だった。春はあけぼの。空が青みがかり、ちゅんちゅん雀の鳴き声が聞こえてくる。

 既に散歩から帰って1時間が経っていた。あれから、シャワーを浴び、夜食を済ませ、やっとこさ机に向かったものの、勉強が身に入らない。どうしても昨日の出来事が頭に浮かんできてしまう。

 張さんと初めて会話したこと。矢上が意味深な発言をしたことetc.


 ——張秋華。彼女について知ってることは多くない。新学期最初の自己紹介で台湾出身で、中学の時に親の仕事関係で来日したと話していた気がする。寡黙な子でクラスメイトの女子と会話している様子を目にしたことがない。俺と同じであまり人付き合いを好まないタイプなのかもしれない。

 彼女に抱いた感想はその程度だった。いずれは記憶の彼方に消失する雑多な一人でしかないと。

 だからこそ、昨日の意外性ある展開に少しばかり驚いた。そら、そうだ。ここなら人が居ないだろうと選んだ寂れた定食屋で彼女が食事していたのだから。奇しくも、何の因果か、時の巡り合わせで出会ったわけであるが、まあ多少は興味深い人物であったと思う。


 矢上に関しては……そうだな。人というのは案外奥が深い生き物であるのかも知れない。人は目につきやすい特徴に従って他人を識別しようとする。人は外見が9割だ、なんてよく耳にするだろう。例えば、眼鏡を掛ける人は賢そうだ、チェックのシャツを着るのはヲタクだ、などなど。人は無意識のうちに一部だけ見て、その人間像を規定する。

 俺もそのバイアスに掛かっていたのだろう。矢上の活発な印象から俺とは縁のない世界の住人であると勝手に断定してしまっていたようだ。人とは一つの要素からではなく、多元的で矛盾を孕んだ生き物とも言える。次同じ間違いをしないようにメモしておこう。


 思考を中断し、時刻を確認すると5:00になろうとしていた。いかん、いかん。30分も考え事をしていたようだ。定期テストまで6日しかないのだ。

「ええーと、初日に行われるテストは現代文、コミュニケーション英語、政治経済と」

 現代文は授業で読んだ内容そのままが出るので、勉強する必要無いとして、問題は生物と政治経済だ。暗記科目は範囲が狭い中間テストの間に点を稼いだ方が効率的な為、重点的にやるとしよう。教科書をどこやったけな?

 

 あ、そうそう。定期テストと言えば、誰しも苦い思い出を内包してるはずだ。

 例えば、部活道が休止したために、下校時には帰宅ラッシュで道中カオスに陥ること。     

 他には留年しないためのギリギリの得点調整に四苦八苦したこと。我母校は40X5で合計200点が合格ラインなのだが、きっちり200なのか、180でも良いのか、あるいは190までなら大丈夫なのか、そこら辺の基準を教えてくれないので困った。結局、許容してくれることを祈って190前後で収めるようにしていたが。

 さらに点数について述べておくと、俺ははなから指定校推薦など狙っていなく、赤点回避できればそれで良かった。それはもう悲惨な点数であった。幸か不幸か0点を取ったことは無かったが、100点満点で最低9点を叩き出したことがある。受験科目の世界史でしかも担当教員が担任だったもので、アレはヤバかった。留年回避にはどこかで30点も上乗せする必要に迫られたからな。記念に保管しておいた筈なんだが……まあ、それは置いといて。

 他の科目についても似たり寄ったりで、平均点を越えることは滅多に無く、赤点ラインを基本彷徨っていた。

 試験後は合計点のクラス順位なるものが発表されるのだが、40人中38位当たりが定位置であった。しかし、自分でも驚くが、最下位になったことはついぞ無かったが。俺よりも酷い奴がいると知って世界(学校内)は意外にも広いものだと妙に悟った気分になったことを覚えている。


 ****


 次第にキーボードを打つ指が止まり始めた。カーソルが無機質に点滅する状態が続く。

「……」

 卒業からまだ数年しか経っていないが、紙に書いたら500字程度でまとまる自信がある。


 果たして、あの3年間に意味があったのだろうか?

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