第16話 逃避行


 久しぶりに歩き回ったので疲労困憊だった。帰宅すると一目散にベットに横たわり、その刹那深い眠りに落ちていった。

 目を覚ましたのは深夜2時を過ぎた丑三つ時だった。まるでこの世から人が消えてしまったかのような静寂が支配している。もはや、この世に存在するのは己だけではないか? そのような錯覚に襲われた。

 帰ったのが夕方5時なので、9時間以上寝ていたことになる。さすがに9時間も寝れば、身体の疲れはとれた。だが、精神的な疲れまでは抜けきらなかったようで、脳みその血の巡りがあまりよろしくない。シナプスを媒介とした神経細胞による電気信号の送受信が遅れる。

 頭が働かない状態では何事もやる気を失い、無為な時間を過ごす事態に陥ってしまうものだ。それは、あまりに非生産的である。こういう時は、散歩してリラックスすることが肝要だ。

 

****


 日中の湿気を含んだ重苦しい空気が深夜には軽やかで滑らかな空気に転じている。

 玄関の扉を開けるとひんやりと澄み切った風が全身を包み込んでくれた。新鮮な空気が脳に酸素を運ぶ。頭の中がクリアになっていくのを感じられる。

 「よし、行くか」


 都心の住宅街はそこまで暗くない。表札を照らす門柱灯や玄関先を照らすポーチライトなど屋外照明が行く先をオレンジ色に照らしてくれる。昼間は人や車が往来してる道路も夜中には遊歩道に一変する。まるで裏世界に迷い込んだかのように周囲は静まり返っている。普段馴染みの道も夜中に歩くと別世界のように感じるものだ。ちょっとした冒険気分で足の向くまま歩いていると、常闇が「おいで、おいで」と誘ってくる。


 さあて、どの方向に進もうか

——あっちか、それともこっちか

 ううーん

——よし、こっちに決めた


 俺はこの時間が一番好きだ。ある人は闇と静寂の世界を忌避するかもしれない。恐怖や寂寥せきりょうの感情を抱くかも知れない。しかし、俺にとっては寧ろ暖かく包み込んでくれるホームである。この孤独が俺を癒してくれる。


 この時間こそ本当の自由を身に染みて感じられる。

 人間は往々にして言葉の概念や定義を知らずに言葉を使っている。自由とはやりたい放題なんでもやっていいことを指すのではなく、本来的には束縛からの解放を意味している。人は常に権威や常識、ルール、マナーなどに縛られて生きている。でも闇散歩はそれら抑圧から解放してくれる。鼻歌を唄っていても、ブツブツ独り言を言っていても、スキップしていても誰にも咎めることは出来ないのである。

 

 歩くのに飽きたら公園のベンチに座って考え事をするのがルーティンになってる。小じんまりとした殺風景な公園だ。街灯がほとんど無く、闇に囲まれている。以前ブランコが設置されてたんだけれど、今は撤去されてしまい遊具と呼べるものは一切無い。昔、お婆ちゃんによく連れて来てもらったなぁ。


 ところで、0時を過ぎれば日付は1日新しくなるわけであるが、この日付が変わるという認識はどう処理されているのだろうか。つまり、我々は普段何気なく、昨日・今日という概念を使い分けているが、その基準はどこにあるのか、というはなしだ。

 0時以前は昨日ということになるのであろう。しかし、オールしてる場合、それも昨日という認識になるのだろうか?

 理屈としては0時を起点に新たな1日の到来を告げるのだが、仮にオールをして深夜1時まで起きてるとしたら、その1時間前は昨日で今の時間は今日という実感になるだろうか? 

 

 時間というのはある意味直線的な概念で、意識がある限り永続するものだと思う。そして睡眠で意識が途絶えた時リセットされ新しい直線に一新される。

 暦上は0時を境に日付の切り替えが起きる。18日だったら19日に。だが、オールをして深夜を過ぎればもはや19日であるとは認識せず、18日の延長線だと感じるのではないだろうか。


 とまれ、こんなくだらないことを考えることが案外楽しいのである。論理性も客観性もないし、建設的でもない。およそまともな思考と呼べるものではないかも知れないが、形而上の世界に入れ込むと現実の逃避行が出来る。


 スマホで時刻を確認すると3:00だった。そろそろ帰るか。定期テストまで1週間もない。そろそろ勉強しなければ。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る