有罪と無罪のトリル

はじめアキラ

有罪と無罪のトリル

「僕、桃太郎で一番嫌いなのは、桃太郎のおじいさんとおばあさんなんです」

「え?」


 教師である私と、小学校六年生の桜木魁人さくらぎかいと君との面談でのことだった。好きなお伽噺に関する作文を書いてくるように。そう言われたにも関わらず、彼が宿題の提出を拒否したので呼び出したのである。その時真っ先に言われた言葉がこれで、私は面食らうことになったのだった。

 これが、国語が極端に苦手な生徒だったり、作文を書くのが得意ではない生徒だというのなら何も不思議に思わない。が、担任であり国語教師である私が知る限り、魁人少年はけして国語が苦手な生徒ではなかったはずである。それどころか、むしろクラスでも一、二を争うほど成績が良かったはずだ。そんな彼が何故、今回唐突に宿題の提出を拒否してきたのだろう。こう言ってはなんだが、今回のテーマは六年生向けにしてはかなりハードルが低いものだったような気がする。むしろ、“子供っぽいテーマだ”と渋い顔をしてきた生徒もいたくらいだ。


「えっと、どういうこと?」


 正直拒否されるなら、彼の場合も同じ理由だと思っていたのだが。


「子供っぽいテーマだから書きたくないとか、じゃなくて?」

「そんなことないです。むしろこのテーマは嫌いじゃないです。お伽噺ってシンプルな話だからこそ、いろいろと深い考察ができて面白いと思います。大人も考えるべきことがたくんさんあると思ってます」

「じゃあ、なんで?」

「それは……」


 彼は座ったまま、私から視線を逸らした。何か言いたいことがあるのに、それを言っていいのかわからなくて困っているという顔だ。これは、何か私の対応に問題があったのかもしれない。

 私は三十代後半だが、教師としてちゃんと仕事を始めたのはほんの数年前のことだった。教員免許は取ったものの事情によりすぐに教師として仕事ができず、普通のOLをしていた時期があったからである。


「何か、こうして欲しいってことがあったら言ってね」


 ゆえに、私から切り出すことにする。


「先生もまだ、先生として二年目だから……その、そんなにちゃんと授業できてる自信ないし。授業のやり方とか、悩みがあるとか、こうしてほしいとか、そういうのがあったら積極的に言ってくれた方が嬉しいかな。勉強させてもらうから」

「す、すみません。先生が悪い、わけではないんですが」


 クラスで一、二を争うほど成績が良く、いつも手を挙げてはきはき喋る少年である彼がここまで言いよどむのも珍しい。この年の少年は、少女以上に個人差が激しい年頃だと私は思っている。まだまだ幼い子もいれば、中学生と間違えられるくらい達観している子もいる。女の子にも言えるが、男の子の方が心身の成長に開きがあるから尚更そう感じるのだろう。


「……作文を回収したら、先生が面白いと思ったものをいくつか紹介すると言ってたじゃないですか」


 彼はおずおずと口を開いた。


「それで、僕の作文は紹介しないでくれるというのなら……提出、します」

「ということは、書いてはいるのね?」

「はい。でも、もし先生が僕のをみんなの前で読んでしまったら困ると思って。先生一人が読むのはいいけど、友達にあんまり聞かれたくないんです。特に沼津ぬまづ君には。……沼津君と、作文に関する話をしたんですけど、沼津君も桃太郎に関して作文を書いたらしくて。内容をちょっと教えて貰ったんですけど、すごく夢いっぱいでキラキラした内容だったというか。……僕の作文を知ったら、絶対ショックを受けると思って。桃太郎に関する夢を、ぶち壊しにするようような考察を書いちゃったから……」


 そう言われると、逆に興味が湧いてしまうというものである。彼の作文を紹介するかどうか、は横に置いておいて。ひとまずそれがどんな内容なのか、は聴いてみる価値が大いにありそうだ。

 桃太郎と言えば、昔話の代表。鬼を退治して、人々の平和を守った英雄。ヒーローの象徴として扱われることも多いものである。彼の親友である沼津賢哉ぬまづけんやの作文も読んだが、多くの生徒がそうであるように彼も桃太郎という存在に対する憧れをストレートに作文に記していた。なるほど、そういう内容を先に知っていたのであれば、ややイメージを破壊しかねないような作文を彼に見られたくないと思うのも自然なことだろう。


「とりあえず、どういう内容か教えてくれないかな。桃太郎が嫌い、鬼が嫌いという人はいるけど……おじいさんとおばあさんが嫌いっていうのは初めて聴いたから、凄く興味があるわ」


 やや机に身を乗り出して尋ねれば。彼はちょっと驚いたような顔で、いいんですか、と尋ねてくる。


「ちょっと長いんですけど、それでいいなら」


 勿論、異論はない。幸いにしてこの小学校では部活動というものがないので、教師が部活の顧問をしなければいけないということはないのだ。残念ながらテストの採点やら日報やらの仕事は残っているが、だからといって面談に時間をかけられないほどではない。まあ、あまり長く彼を放課後の教室に留めておく方が申し訳ない、というのもあるが。今日は塾もないようだし、それなら少しばかり長話になってもいいだろう。


「……本来の桃太郎は。不老長寿の妙薬だった桃を食べたおじいさんとおばあさんが若返り、子作りをしたら桃太郎が生まれたという話ですよね」


 あってます?と小首をかしげる少年。私は、う、うんそうね、と曖昧に頷くしかない。いきなりなんとも説明しづらいところから入ってくれたものである。子供を作るために具体的にどうこう、と言う話になったらどうしうようかと焦ったが、幸いにして彼の主眼はそこではなかったらしい。

 というか、本人はその性的な知識もちゃんとある上でものを語るようだった。何故ならば。


「この設定のままだと、子供に“赤ちゃんはどうやって作るの”という質問をされて親が面倒なことになるので、まあ今の日本で主流となっている流れに変更されたみたいなんですよね。ようするに、大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ、と流れてきて中から男の子が生まれた、ということになった、と」

「そ、そうね。うん」

「そんな川で流れてきた桃をいきなり食べようとするのも、今の価値観からするとどうなのかと思うんですけど。まあ、山でしばかり、川で洗濯をするような老夫婦が裕福だったとは思えないので、得体の知れない桃であっても食糧になるなら食べておけ、って思うのもわからないではないです」

「まあ、そうね。巨大な桃なら、二人でおなかいっぱい食べられるものね」


 自分だったら食べないだろうけれど、貧しくて食べるものに困っている環境ならば充分あり得ることだろう。まあメタ的に言えば、おじいさんが桃を食べようと思って拾わなければ物語が始まらないので、という事情もあるだろうが。


「そして桃を割ったら男の子が生まれてきて、その子を育てることにしたわけなんですけど……」


 僕はどうしても疑問なんです、と魁人は言う。


「……人間が、桃から生まれるわけないでしょ、普通」

「それはまあ、そうだけど。そういう風に物語を改変しちゃったんだから、仕方なくないかしら?」

「改変はいいですけど、改変したからには改変したなりに整合性は必要だと僕は思います。僕が言いたいのは、桃太郎が桃から生まれたのが間違ってるってことじゃない。桃から生まれた時点で、桃太郎は明確に“人間じゃない”ってことなんです。明らかに、人ではなくアヤカシの類でしょう。……そんな得体の知れない子を、おじいさんとおばあさんはどうして育てようなんて思ったんでしょうか。得体の知れない桃を拾って食べようとするくらいに貧しかったと想定されるのに、人間でもなんでもない子供拾って育てる余裕、普通ないですよね?」


 言われてみれば、そうかもしれない。私は考えたこともない視点であったが。


「裏を返せば。……多少生活が厳しくても、人外だと分かってても、桃太郎を育てる必要がおじいさんとおばあさんにはあったのではないでしょうか。単純な善意だと考えるには、やや不自然な点が多いので。というか、本当に心優しい夫婦なら、自分達の生活もいっぱいっぱいなのに子供拾って、同じくひもじい思いをさせようと思うでしょうかね」


 だから僕はこう思うわけです、と魁人。


「桃太郎は、桃から生まれたのではない。桃から“復活した”桃太郎だと」

「復活……?」

「そう。例えば……既に死んだ、特別な存在が生まれ変わり、桃に宿って復活した。そして、その存在を必要とするおじいさんとおばあさんのところに必然的に流れついた」


 彼いわく。

 桃太郎の世界では、人外と呼ばれる存在は“鬼”しか登場していない。勿論他にも人外が存在する世界である可能性はあるが、もし鬼以外に善きアヤカシや神が実在するというのなら、鬼に搾取されて困っている漁村の人々を放置しておくものだろうか。

 ならば、その世界に力ある人外は鬼しかいない、と思うのが自然なのではないか。あるいは、それ以外にいたところで人間に好意的な存在ではないと思われるので、今回の場合は考察の外に置いていいのではないか、と。

 その上で。

 長く漁村の人々が鬼に悩まされていたということは、漁村の人々では鬼に太刀打ちできなかったと考えるのが自然。当然、大人の男が複数いたはずなのにかなわなかった、ということになる。

 ならばますます、犬と雉と猿の助力があったとはいえ、子供であるはずの桃太郎が単身鬼が島に乗り込み、鬼を退治できたというのが不自然に感じるのだと。言われてみればその通りかもしれない。桃太郎は何故、鬼に匹敵するだけの身体能力を備えていたのだろうか。


「そう考えると、筋が通る答えは一つしかないです。……桃太郎もまた、鬼だった。鬼の首魁、もしくはそれに匹敵する存在が死んだ後、桃の形をした媒介に宿って復活した存在だと。……だたし、転生した桃太郎は鬼としての記憶を失っていて、自分を人間だと思い込んでいる、と」

「でも、桃太郎に角はない、わよね?」

「そんなの、おじいさんとおばあさんが幼い頃に気づいてたなら、折るなり隠すなりできたと思いません?……普通の人が太刀打ちできない鬼をあっさり倒した、桃から生まれて来た……あるいは犬たちと普通に会話できたのも実は伏線だったのかもと僕は思うんです。桃太郎の昔話で語られている情報は少ないけれど、少ないなりに桃太郎が人外の存在だと示す証拠は揃っている、と」


 最終的に、と魁人はため息をつく。


「桃太郎は鬼を倒して英雄になり、鬼の宝物を奪って大金持ちになりました。言い方は悪いですが……おじいさんとおばあさんも、私腹を肥やしたんです。その結末を鑑みると、二人には多少生活が苦しくても……桃太郎という名の“人外”を育てて、鬼が島に送り込むだけの理由があったと思いませんか?」

「それも、そうかも……」


 なるほど。つまり、おじいさんとおばあさんは、桃太郎が鬼を倒せる鬼だと分かっていた上で、先行投資というつもりで桃太郎を我が子として育てた。復活した鬼である彼に、前世の鬼としての記憶がないのをいいことに人間として育て、人間として都合の良いように洗脳したのではないかということだ。


「おじいさんとおばあさんが、桃太郎が鬼だと気づく可能性は充分にあったし、最初から知っていてもおかしくない状況だった。鬼が島の噂だって、桃太郎よりも先に知っていてもおかしくありません。……鬼を倒すために、鬼を差し向け、鬼同士で殺し合いをさせて自分達の富とした。そう考えると、辻褄が合うことが多すぎるんです」


 だから、と彼は俯いた。


「だから僕は、おじいさんとおばあさんが嫌いなんです。何も知らずに仲間殺しをさせられたかもしれない桃太郎も、復活した元仲間に殺されたかもしれない鬼達も気の毒でなりません。下手をしたら、鬼の悪行さえ捏造だった可能性があるから尚更です。……桃太郎がもし完全な復活を遂げて、鬼としての記憶や知識を取り戻したら。自分を利用したおじいさんとおばあさんに復讐する可能性もあるのではないか、そんなことを考えて……作文にしてしまいました。そんなの、桃太郎に夢を見てる友達に見せられないですよ」


 苦しそうに、拳を握る魁人。どうやらずっとそこで悩んでいたらしい。

 彼なりに、自分の推理がマイナーなものであると考えて、空気を読もうとしてしまったらしかった。なるほど、大人が子供に求めるような夢いっぱいのキラキラした作文、とは程遠いものなのかもしれない。

 しかし、私は。


「……凄いわ!」


 純粋に、驚かされていた。絵本に描かれた桃太郎の物語は、お世辞にも厚みがあるものとは言えないだろう。しかし、そんな少ない情報からよくここまで伏線を拾い、真相を推理してみようと思ったものである。


「こんな見方、今まで一度もしたことなかった!大人でも思いつかないことを、数日で考えて作文にしたなんて……あなたはとっても凄いわ。凄く新鮮だし、面白いと先生は思う!」

「そ、そうですか……?」

「ええ。むしろ、こういうものこそ私が求めていたものかも。お伽噺をただ面白いとか、感動したとかで終わらせるんじゃなくて……そこから自分なりに学んだり、発見したことを自由に書いて欲しかったから」


 確かに、彼の世界の桃太郎は、おじいさんとおばあさんに利用されて英雄に祭り上げられた存在で。悪とされた、鬼の転生であるのかもしれない。それは、桃太郎に夢を抱く少年達の考えるヒーロー像とはかけ離れたものだろう。

 だが。

 人と人とで、違う意見があって何がいけないのか。思いがけない視点、ひっくり返る世界。それこそが子ども達に新たな発見を齎し、成長を促してくれるものではないのか。


「正義の味方を、ただの正義の味方と盲信しない。鬼をただの悪と決めつけない。……そういう考えはむしろ、積極的にお友達に知らせて欲しいと思うわ。いいじゃない、意見が違っても。そんなところで空気を読む必要なんかない。人の立場に立って、いろんなものの見方ができる生徒に育って欲しい……それが私の願いだから。君が、そういう生徒で今、すっごく嬉しいのよ」


 思いがけない褒め言葉だったのだろう。魁人は真っ赤になって俯き、小さな声で“ありがとうございます”と言った。本気で照れているその姿が可愛らしくて、私はぽんぽんとその細い肩を撫でる。


「もし、貴方さえ良ければ。貴方の作文、他のみんなにも聴かせたいわ。……まずは、書いたものを私にちゃんと読ませてくれる?」


 昔ながらのお伽噺でも、見方次第で世界は広がる。

 真実を探る旅に、きっと終わりはないのだから。

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