第二話 ノルン・セルティカ②

 冒険者のリディア前線基地施設は荒野の高い位置にあり、比較的安全な所だといわれている。しかし、その道中には戦闘の形跡が絶えず続いていた。きっと冒険者が崖上まで逃げてきたのだろう。

 大気中には空間が歪んだように魔法障壁の残滓ざんしが揺れていて、地面の至るところに人間大の氷塊が散らばっていた。前方にも氷の柱がいくつかそびえ立っており、その一つの柱に冒険者らしき様相の人が身体を貫かれていた。


 灰の空を映した氷塊の中に、赤黒い柱は酷く目立っている。


 小型輸送車を運転するシルルが無言のままアクセルを全力で踏む。事態は私たちの想像を越えて切迫しているのかもしれない。


 前線基地内で救護活動を行う広場の先には、すでに四つの簡易テントが設置されていた。崖下からここまで上がるのは一苦労だ。ましてや戦場から負傷者を後方に運ぶことは統率の取れた集団であっても、簡単なことではない。


 だというのに、もう戦場から四人も負傷者が運び込まれたのかと驚いたが、実際に人の気配があるテントは一つだけだった。


 テントの入り口をめくると中には三人いた。負傷者と医療魔法士らしき白装束を纏った少女、それから腕に包帯を巻いた冒険者の大男の姿があった。


 ベッドに横たわる冒険者の怪我は見るに堪えないものだった。腹部の内側から突き出てきた氷の結晶が、血の成分を含んで赤く染まっている。


 その結晶だけを摘出すれば、あかい宝石と勘違いしてもおかしくはない美しさを放っていた。しかし、鮮血色に染まった雫を垂らしているそれは間違いなく魔法によって生成された氷塊だ。生き血と魔力を吸っている間は美しく輝くのだ。


 どうやらバウンティハンターの中に、少なくとも一人は卓越した氷魔法士がいるようだった。


「サーミル軍先遣隊、後方支援担当の第二セルティカ小隊よ」


 がたいのいい男は私を横目に、慣れた手つきで白装束の少女をサポートしている。交代する必要はなさそうだった。


「セルティカ小隊長だな? 通報者は俺、ギンジだ。“七爪”のリーダーもやってる」


ギンジの高慢な一言に、彼が言いたいことを咄嗟に理解してしまった。

 ギンジは通報してやったんだから、冒険者集団の内“七爪”のメンバーを優遇しろと言っているのだ。


 冒険者を襲っているバウンティハンターは都市と深い関わりを持った者達だ。都市の管轄地で好き勝手に暴れ回られては、上層部や軍の面子が潰れてしまうため、ギンジの通報は無下にはできない。

 

「……あなたが無事で何よりよ。ここを襲った襲撃者は?」


「ここまで上がってきたバウンティハンターは一人だった。俺達二人はこのざまだが、奴はもういない。荒野の方に向かっていった」


「外にいた人は……」


「あいつは別の冒険者メンバーだ。奇襲の犠牲になってくれたからな、事が済めば埋めてやるつもりだ」


「そう……任せるわ」


 冒険者は命を共にする仲だからか、仲間内の信頼は堅く結ばれていて、情に厚い者が多い。しかし時として、商売敵である別の冒険者に対しては、驚くほど薄情な者達でもある。


「ここにはまだ、こいつ一人しか負傷者はいない。戦場になっている場所まで決して距離は遠くないが、現状ここまで自力でやってこれる負傷者がいないようだ」


「……私の小隊が負傷者の回収に向かえばいいのね」


 ライムリー上官はここで大人しく救援準備をしておけと言っていたが、そんなことをしていたらシーラがここに来るまでに、何が起こるか分からない。どうせこれ以上の指示は飛んでこないのだから、現場判断で戦場に降りることにする。


「ああ、そうだ。今ごろ“七爪”の仲間は荒野を四方八方に逃げ回っている。それが俺たちなりの生存戦略だからな、文句は言ってやらないでくれ」


 見渡しのいい荒野なら味方を肉壁に、行く手を阻む森林なら転んだ味方を餌食にする。冒険者は戦闘が小規模なため、この手の話はよく聞くものだ。メンバーの全滅を避け、生きた人間の口から語られる情報を残すことが大切なのだという。


 被害にあった現場の調査で得られるものは限られているし、時間もかかってしまう。生きた情報というものは都市にいる他の仲間へ伝えるためだけでなく、私達軍人などに売るためにも重要だ。


 正直、私なら部下を見捨てて逃げることなど絶対に出来ない。したくない。


 端末にギンジから人物リストが送られてきた。外見の特徴も分かりやすい。男女ともに若く、新人が多い。


「……恐らくセルティカ小隊長じゃ、逃げ回って遠く離れたメンバーと合流することは叶わないだろう」


「あまり舐めないで頂きたいのだけど」


「いや失礼、余裕がなくてね。思ったことを口に出してしまうようだ。とりあえず渡したリストはほぼ確実にくたばっている新人どもだ。死んでいる奴はマーキングだけしてくれれば、それでいい。後程こちらで回収する」


「了解。装備の点検が済み次第、すぐに出発するわ」


 今回のように混乱を極める戦場に医療魔法士を連れていくことは難しい。戦力としては足手纏いなのだ。

 そして戦場で医療に集中する環境を用意するのは簡単なことではないし、特にここにいる医療魔法士はまだ少女で、なぜこんな小さな子が来ているのかという動揺が隠せない。それでも少女はこの喧騒の中で、治療魔法に集中することが出来ている。ここまで負傷者を連れてこれさえすれば、任せるに値するだろう。


 とにかく今は私自身が救える命、救えない命を選択しなくてはならない時だ。こんな事態を二度と起こさないために冒険者を救い、生きた情報をより多く集めることが重要だ。


 イツキが私の大盾を持ってきてくれた。内部ギミックを稼働させるための動力エネルギー源が装填されているか確認する。固形のエーテルは予備も含め装填済みだった。


 機動性に優れた軍服のポケットとバックパックには救命キットが大量に詰め込まれている。私の魔法を味方に使うための発煙性エーテル剤も胸ポケットにしっかりと備わっていた。


「ミラ、スカウト! あなた達はA2、A3グループを連れて各自の判断で負傷者の回収に当たって。シルルとイツキは私に付いて来て!」


 第二小隊の息の揃った応答を合図に前線基地を飛び出す。前線基地は荒野の中でも標高が高い位置に建てられたため、崖の端からは遠くまで見渡すことが出来た。

 至る所で砂煙が巻き上がっていて、冒険者達は迷路のような格子状地帯でモンスターとバウンティハンターに追われているのだろう。視界不明瞭な地で命を狙われ続けるのだ、そう長くは身も心も持たない。


「イツキ、ノルンさんの発煙剤はちゃんと持ってる?」


 シルルが言った。彼女は面倒くさがりな性格をしているが、何事も入念な準備を重ねた上で面倒ぐさがるのだ。だから、こうした確認を怠ることはない。


 そして私が胸ポケットに入れた予備の物とは別に、兵営所で渡した発煙性エーテル剤には私の魔力が封じ込められている。これが負傷者をスムーズに回収するための手段になる。


「ああ、悪い。……よし、ちゃんと装着したよ」


 崖を見下ろすイツキが緊張した様子だった。この先遣隊が結成させてから二年ほど経つが、本格的な戦場に出るのはまだ四度目だ。それに戦況の異様さも相まって、私自身も上手くこなせるか不安になっている。

 しかし一刻を争う状況において、高速移動手段を心得ているかいないかで負傷者の生存率は大きく異なってくる。


 出来て当然。だからイツキにこれから行うことを想像させる間も与えないように、これから先も一瞬の迷いを生じないさせないために、命令した。


「私に続きなさい!」


 崖を勢いよく飛び降りる。

 灰褐色の地面が迫りくる中、空中で身をひるがえし、反射障壁を蹴り、落下の勢いをそのまま前方の推進力に切り替える。勢いの減弱を予測して、目先の大気中に反射障壁を展開することで持続的に高速移動を保つ。


 後ろから煙が広がる音がしてシルルとクミミが透明化を付与したようだ。私も全身を魔法によって消した。空中は素早く移動が出来るが、遠距離攻撃を避けにくいため、こうした対策が必要なのだ。


 三度の障壁を踏み、下方に真っ黒な斑点が目に入る。こちらの方向に向かっているデザートパンサーだった。

 あのモンスターの群れの先に前線基地に逃げようとしてる人がいるのだろうけど、冒険者なら自力で辿り着いてもらうしかない。


 今はあれほどの量のデザートパンサーを相手にしている暇はない。それでも――


「ノルンさん……今、障壁を張るのが二秒遅れたです」


 シルルが抑揚のない声で言った。遅れたところで問題はない。だけど、シルルが言いたいことはそういうことではないのだろう。

 確かに私は今、地上に向かって見つけてもいない人を助ける手段を模索しようとした。冒険者でもなければ、人でもないかもしれない。そもそもデザートパンサーが追われている側の可能性もある。


「そうね、ごめんなさい。気を付けるわ」


 とりあえず、負傷者を発見することだけに集中する。


 地上に降りて岩陰を探すべきかと悩んだが、偶然その悩みはすぐに解消された。ギンジから貰ったリストの個体識別がレーダーに掛かり、視界に二人の負傷者の姿が共有される。


「あの三角岩の裏に負傷者がいるわ」

 

 岩裏にいた二人の女性の怪我は酷いものだった。血痕を引きずりこの岩裏に逃げ隠れた跡がある。死に物狂いだったのだろう。


 二人はピクリとも反応が無いが、息はあるし脈もある。


 重傷者は一人、先ほど見た前線基地で見たものと同じ氷の魔法による腕の損傷だ。右腕の中から紅い氷の結晶が突き出し、氷は今もなお成長している。二の腕辺りが変色していて、凍傷も進んでいるようだった。


「ここで止血と氷の除去を試みるわ。シルル、外傷が見られないもう一人を前線基地まで連れて帰って」


「はいです。ノルンさんとイツキも、出来るだけ早く離れてくださいね」


 シルルは体重が倍はありそうな長身の女性をあっさりと背負い込み、跳躍して戻って行った。


 発煙剤はエーテル燃料を消費し、組み込まれた魔法術式を持続的に展開してくれる。周辺一帯に効果が付与されるため、透明化魔法はシルルと長身の女性どちらにも掛かることになる。


 目の前の重症の冒険者は右腕が皮一枚で繋がっていて、千切れ落ちるのも時間の問題だった。そして止血帯を腕に縛ろうにも、この進行型の氷塊が邪魔で仕方ない。

 冒険者の魔力を使って成長しているのだろうから、透明化魔法を展開している私が触れ続けることで、さらに成長を早める可能性だってある。

 

 まずは結晶の除去から始めることにした。


「イツキ、滅菌ナイフで右腕を切断して。氷が断面を覆っているはずだからすぐに出血は酷くならないわ」


 イツキがぎこちない手つきで作業を進める間に、私は氷魔法を中和するための準備をする。


 本来、魔力を使ってオーラを纏えば、他者の放った魔法が触れたところで何も現象が生じることはない。オーラによる身体防御は強力だ。きっとこの女性は魔力がほとんどないか、攻撃のためにオーラを弱めていたのだろう。そうでなければ、こんな内側から破壊されるような怪我にはならない。


 局所的に体内魔力を消費する拮抗薬を生理食塩液に混ぜて、注射剤として患部に打ってやれば、氷の結晶はしばらくして崩壊期に入る。詳しい原理までは覚えていないけれど、これが戦場での粗治療の一つだ。


 氷の自然溶解に伴って、腕から少しだけ血が溢れ出してきた。イツキに布で断面を圧迫してもらいながら、止血帯を上腕にきつく結びつける。


 出来る限りのことはやった。冒険者が生き残り、切断した右手が再生に至るかどうかはこの冒険者の自力と運次第だろう。


 イツキに声を掛けようとした途端、横から一体のデザートパンサーが飛び出してきた。


 ——まずい、すぐに離れないと!


 咄嗟に負傷した冒険者にも私のオーラを被せ、姿を隠したとはいえ、すでに辺りは血の匂いが充満している。

 しかし、デザートパンサーはぐったりと横たわったまま動かない。


 黒い毛並みの間から紅い氷の結晶が生じる現象に、例の氷魔法士バウンティハンターだと悟る。岩の向こう側で乾いた地面を歩く音が近づいて来た。


 私とイツキならあの氷魔法は効かないし、対処できるだろう。しかしここには冒険者もいて、私が離れてしまえば透明化の魔法はすぐさま解けてしまう。


 イツキは息を殺して、小刻みに震えていた。ダメだ。彼は戦えない。状況に呑まれてしまっている。


 冷や汗が頬を伝い、地面に流れ落ちたその時、胸部の通信端末越しに馴染みのある声が響いてきた。

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軍人令嬢と同棲することになった話 コロン @rein00

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