遼遠の譜

「泣く時は声をあげて泣きなさい。でなければ、誰にも気づいてもらえないから」


 そう言ったの人は、声をあげずに死んだ。

 政争に敗れたのだと、春の訪れとともにやってきた東国の朝貢の使者が、そう言った。

 だから……だから帰りたもうな、と止めたのに。

 わたしは泣けなかった。朝見の場、居並ぶ臣にはばかったのもある。なにより君子は儀礼のおりにしか涙を見せぬものだと、幼い頃から躾けられていた。

 加えて、吾に彼の死を告げた使者にしてみれば、さして重要な話でもなかったのだ。話題はすぐに別の話に流れてしまった。吾の国に立ち寄るまえに、旅の途中で耳にした話を語っただけのことだ。それとなく水を向けてみたが、どうやらそれ以上の話を知っているふうでもなかった。

 彼の人、公子遥こうしようは、北の大国、りょうの先王の王子で、いまの王の弟だった。いまの王にはたくさんの子がいる。彼の立場はさほど重要ではない。

 ――そういうことだ。

 吾は使者に決まったとおりの労いの言葉をかけて、朝見を終えた。

 独りになりたかったが、不自由な吾の身の上では、それは過ぎた望みだ。

                  *

 八年前のことだ。

 北の雄、稜にいたしたのは吾の国が西戎と戦をしているおりであった。

 稜と吾の国、は締盟してはいたが、吾の父は後背に憂いをなくすため同盟をより密にすべく、互いに質を交わすことにしたのだ。

 吾の国からは、当時、太子であった吾が質として稜に入った。

 稜から出されたのは妾妃の産んだ公主。

 稜と璃、二国のちからの差はあきらかであった。

 質の身分は心細いものだ。

 質の交換は締盟に基づくもので大切にされてはいる。国の父に万が一のことがあれば、稜は吾をすぐさま国に返してくれもするし、弟や叔父が叛意をおこして王位を簒奪しようとすれば、吾の後ろ盾ともなって吾を玉座につけてくれよう。

 勝手気儘に出歩けるわけではないが、締盟の国をよく知る機会でもある。稜が大国であればなおのこと、かの国を知ることは自身の見聞を広める好機であったし、璃の太子としての責務でもあった。

 質の身分は悪いことばかりではない。分かってはいても、当時十二であった吾にとってみれば、大好きな母、頼りになる従臣たちと離れ、わずかばかりの随身にかしずかれて暮らす異国の日々は心寒いばかりであった。


「我が稜もまた、五十年ほどまえは北の小国に過ぎなかったのですよ」

 吾にそう語ってくれたのは、公子遥だ。

 歳は二十二、武をくし、文に優れた佇まいの美しい人だった。

「私の祖父は義を重んじました。国と国は義によって助力すべきであると説き、それは稜が大国となっても変わりませんでした。難にある小国が礼を尽くして求めるならば、利を捨てても義によって助力する。祖父は一代で我が国を盟主の地位に押し上げたのです。それを思えば、いまの我が国の外交はにぶい。璃が弱れば西戎と我が国が直接まみえることになる。南と東に兵を出している我が国にとって璃の善戦はなによりのこと。にもかかわらずまともに手も差し伸べず相手に太子を求め、みずからは格下の公主を質に送るなど盟主のやることではない」

 当時の吾に、彼の内なる怒りが理解できようはずもない。

 が、稜の官衙かんがにお伺いをたてて、いくつもの許可を得ねば宮城きゅうじょうの外にも出られぬ我が身を気遣い、自身の用にかこつけて巻き狩りに、領下の視察に、高賢を招いての学問にと連れ出してくれた彼に、吾が懐くのも当然のことであった。


 三年前、我が父は病没し、吾は国に帰って即位した。

 十七にしかならぬ吾とともに、質の帰国のための大使正たいしせいとして一軍とともに璃に来てくれた公子遥は、長くつづく西戎との戦に疲弊し、王の突然の死に騒然とした吾の国で、二年のあいだ、亜卿として吾を支えてくれた。

 彼は手始めに稜の軍威を盾として西戎との休戦の途を探り、和議に持ち込んだ。秋にいくらかの協約の作物を差し出さねばならなくなったが、交換に西戎からは毎年百頭の駿馬が来ることになった。

 馬は巧く育てて増やせば商品にもなるし、軍の機動力を増すことにも繋がる。

 なにより疲弊しきった璃にとって休戦は干天の慈雨だ。外交の落としどころとしては絶妙であった。

 そして吾は悟ったのだ。

 巻き狩りは軍の動かし方を体得するため、領下の視察は民の機微を知るため、学問はともすれば現実のままならなさに見失う理想を求め続けることの大切さを学ぶため。

 なにもかも、吾が王となったあとのことを想っての彼の配慮であったことを。

                 *

 公子遥が永遠に現世を去ったと聞いた日の夕に彼のしたためた書物を読む。

 吾の国を去るとき、彼が呉れたものだ。

 これを手渡したときの彼の顔が、今生の別れを告げていたようにも思えて開くのに気が進まず、いままで封緘を解かなかった。

 まず、そこには稜の民の困窮が、切々と書かれていた。

 つぎに、それを救うにはどうすればよいか、政治のことわりと施策について、大樹が枝葉を茂らせるように記されていた。

 そして、最後に……『叶うならば、貴君が盟主となりうる徳を具えられんことを』と、締めくくられていた。

 彼はきっと、最後の最後まで「いまは泣くべき時ではない」と信じていたに違いない。

 彼はいつでも、諦めからはいちばん遠い場所にいた。

 いまも時折、幻に視る。

 星の見える露台で、世の理と、人の情、その愛しさを説いてくれたあのひとの横顔を。


心契九秋幹 心には秋にも変わらぬ松柏の操を誓い

目翫三春荑 目には春に伸びた若芽の美しさを愛でる

居常以待終 普通の暮らしをして静かに人生の終わりを待ち

處順故安排 運命に身を任せて世界の移ろいに安らかに従ってゆく

惜無同懷客 ただ残念なのは、思いを同じくし

共昇靑雲梯 青雲に至る梯子を一緒に登ってくれる人がいないこと


 吾の国を去る別れの宴席で、古い詩人の詩を詠った彼を想い、吾は、決意した。

                  *

 吾は九年、ただ富国に努め、十年目の春、吾の国に南の国を侵す戦費を負担せよとやってきた稜の使者を切って軍を発した。

 公子遥が考え抜いた軍政で鍛えた吾の軍は精強で、野火のように稜を圧し、吾はまもなく二国の王となる。

 稜の王都が落ちる前の夜、吾は打ち捨てられたように荒れた野辺の廟に参ってあのひとの位牌に頭を垂れ、葬送の哭礼を捧げた。

 吾は泣くために……ここに来なければならなかったのだ。

 徳治の盟主となれず、覇者となったことを真摯に詫びる。

 別に国など欲しくはなかった。

 吾の哀しみと苦しみは、誰に気づいてもらえなくても構わない。

 ただ、あのひとさえ生きていてくれたならそれでよかった。

 十二歳のあのとき、吾が声をあげることがなくとも、吾の涙に気づいてくれたあのひとさえここに居てくれたなら。



引用:謝霊運『登石門最高頂』

岩波文庫 文選 詩篇(二)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

極東奇譚 宮田秩早 @takoyakiitigo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ