消えた男の謎(3)

「消えた男に関わった者がすべていなくなっている。雪乃をのぞいて」

「あんたもあたしのこと、ウソつき女だと思うのかい?」

「いや、思ってねえよ。俺はかわら版屋だ。ウソの情報をつかまされないように、人を見る目に自信がある。雪乃の瞳は真っすぐできれいだ。ウソをつく連中とは違う」


 堂々と胸を張ったが、雪乃はうつむいて唇を噛みしめている。


「あの人が見つかるまで泣くものか、と思ったけどダメだね。唇の震えを止められない」


 言葉を詰まらせながら、ときどきかすかな嗚咽おえつをもらして「あの人は強くて、優しくて、笑うとわらべのようなえくぼができるんだ。ウソなんかじゃない」と涙をこぼした。 


「すまねえな、まかせろと大口をたたいてしまった。謎は解けないままだ」

「もういいよ、あんたはあたしを信じてくれた。あたし一人だったら、頭がおかしくなってたよ」


 手のこうで涙をふいて、雪乃は笑顔をつくった。


「ありがとう。あたしを信じてくれるあんたがいる限り、あの人は色あせない。それでもう満足さ」


 力になれなかった京一朗は奥歯をギリッと噛みしめた。だが、くやしさをにじませた頬に雪乃のやわらかい唇がふれる。


「あんた、なかなかいい男だから惚れる前にサヨナラしとくよ」


 京一朗はゆで蛸よりも顔を赤らめたのに、雪乃はくすっと笑っていってしまった。


 

    ***



 町人が行き交うつじの真ん中で、十日ぶりに京一郎のよく通る声が響いた。


「さあさあ大変だ。西国で大はやりの病を知ってるかい? その名はコロッ――」

「ひとつくれ!」

「私にも!」

「俺が先だッ」

「えっ?」


 かわら版は京一朗と客の取り引き。いかに客の興味を引きつけるかが重要で、売り手の口のうまさが試される。それなのに今日は宣伝をする前から飛ぶように売れて、あっという間に完売してしまう。


「いったい、これは?」


 京一朗が首を傾げていると、筋肉美が神々しい飛脚が足を止めた。


「よう、かわら版屋。久しぶりだな」

「あんたは、<鷹屋>の」

虎吉とらきちだ。いいネタがあるぞ、消えた宿屋の話だ」

「その話ならもう必要ない。雪乃はあきらめて屋敷に戻ったからな」

「そうか。それならただの独り言だと思って聞いてくれ。西国の病が江戸にもやってきたぞ」

「なんだって!」

「役人は必死に隠そうとしているが、もう無理だろうな。はじめの一件はうまくもみ消せたんだが……おっと、俺の口から話せるのはここまでだ。じゃあな」


 もみ消しという言葉にハッとする。


「ちょっと待てッ。まさか、雪乃の男が最初に」


 虎吉はこくんとうなずくから、京一郎はすべて理解した。


 大勢の人が集まる伊勢で、雪乃の恋人はコロットに感染した。それから日本橋で体調を崩し、医者なら一目で厄介な疫病が入ってきたと感じたはず。

 そして感染を広げたくない連中が、宿屋にいたすべての人を無理やり別の場所へ連れていき、汚染の可能性がある建物も壊された。


「雪乃は薬を買いに走り回っていた。宿にいなかったから、一人だけ隔離されなかったのか」

「そういうことだ。この秘密をもらせば、俺らも感染者として家族もろともしょっぴく。家も店も取り壊すと脅されてたから、本当のことを言えなかったんだ。あのときは、悪かったな」

「コロットは、そこまでやらなきゃならない病なのか?」


 京一朗の手は無意識に頬を押さえていた。

 雪乃のやわらかい唇を思い出して、背筋を凍らせる。


「得体の知れない病も恐ろしいが、疑心暗鬼にとらわれた人間も恐ろしいぜ。不安をあおるかわら版もほどほどにな」


 虎吉はニッと笑って去っていく。

 すべての謎は解けたが、京一朗の心には重たいものだけが残っていた。



 <了>






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かわら版屋/京一朗の失踪事件 江田 吏来 @dariku

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