消えた男の謎(2)

 ぐんぐん進む雪乃は、五街道(東海道とうかいどう中山道なかせんどう日光街道にっこうかいどう奥州街道おうしゅうかいどう甲州街道こうしゅうかいどう)の起点である日本橋付近でようやく手を離した。


「ここだよ」

「ん?」


 京一朗の目先には棒手振ぼてふりと呼ばれる天秤てんびん棒をかついだ行商人たちが歩き回り、たくましい体から活気のある声を飛ばしている。

 目線を変えれば飛脚ひきゃく問屋とんやが見える。ふんどし一丁の男たちが忙しそうに走り回っていた。


「はー、屈強な男たちを眺める趣味でもあるのか?」

「バカなこと言うんじゃないよ。そこの空き地に、あたしの恋人がいたんだ」

「いた、ということは、今はどこかにいってしまったのか」

「消えたんだ。神隠しだよ」


 その言葉に京一朗はギクッとした。


「このかわら版に神隠しのことが書いてある。神隠しのことをもっと教えてよ。あの人もきっと神隠しにあったんだ」


 でかい胸をぐんぐん押しつけて迫ってくる。


「ちょっと落ち着けって。まずはその恋人のことを詳しく聞かせてくれないか」


 神隠しについて、知っていることはなにもない。だが、消えた恋人という言葉は興味をそそる。

 かわら版で人気なのは、恐怖を誘う妖怪騒動や役者の噂話。男と女の話も飛ぶように売れる。京一朗は協力的な姿勢を見せつつ、面白そうな情報だとひそかに笑っていた。

 京一朗のたくらみに気づかない雪乃は、ふぅっと一息ついてから語りはじめた。


「あの人との出会いは、お伊勢参りから江戸に戻る途中だった」


 雪乃は、弥次やじさんと喜多きたさんが江戸から伊勢神宮に向かう様子を面白おかしく書いた、十返舎一九じっぺんしゃいっくの『東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひざくりげ』を読んで、伊勢参りにでかけた。

 道中で道に迷い、盗難に遭うこともあったが、頼りになる仲間のおかげで伊勢に到着。帰りも安泰だと思われたが、雪乃は誘拐されてしまう。


「とても怖かったけど、あの人が助けてくれたのさ。それから二人一緒に江戸を目指して、恋に落ちて、夫婦になる約束もしたのに」


 日本橋で男は姿を消した。


「雪乃さん、だまされたんじゃねぇーのか。あんたの着物は上物だ。一目で金持ちだとわかる」

「違うんだ。あの人はただ消えただけじゃない。だれもが知らないと言いだすんだよ。あたしは確かにあの人とここの宿やどに泊まったんだ」


 白く細い指を突き出したが、そこはなにもない空き地だった。

 京一朗が不可解な顔をするから、雪乃は声を荒げた。


「屋敷まであと少しだったけど、あの人が具合を悪くして宿屋に泊まったんだ。あたしは医者を呼んで、薬を買うために走り回って、ここへ戻ってきたら」

「男も宿屋もすべて消えていた、ってことか?」


 雪乃はうなずいた。


「あの人だけがいないなら、あんたの言う通りだまされたのかもしれない。だけど、宿屋ごと消えるなんておかしいだろう。宿屋の主人も女中もみんな消えちまったんだ」

「不思議な話だな。ちょっと待ってろ」


 京一朗は空き地に一番近い、飛脚問屋の<鷹屋たかや>へ入っていった。

 飛脚屋の仕事は手紙を運ぶことだが、各地を駆けめぐる飛脚には数多くの情報が集まる。

 金を払えば面白い話や噂話を教えてくれるので、かわら版のネタを集めるためによく利用していた。


「おう、京一朗。いいネタがあるぞ」


 小遣いほしさの飛脚がすぐ声をかけてきた。


「今日はネタよりも聞きたいことがあるんだ」

「ほう、そいつは珍しいな。情報料は高くつくぜ」


 こちらから情報をくれと言えば、足元を見られる。それを知っていながら京一朗は、声を張りあげた。


「そこの空き地に宿屋があっただろう。そのことについて知ってることがあれば、三百文で買う」


 京一朗が食いたかった飯屋のウナギが二百文。三百文もあれば酒つきの豪華な飯が食える。大食らいの飛脚たちが飛びつく金額だが、しんと静まりかえった。


「悪いな、京一朗。あそこはずっと昔から空き地だ。もしかして雪乃って女の話を信じてここに来たのか?」

「雪乃のことを知ってるのか?」

「この辺じゃ有名だぜ。男に捨てられたことを認めたくない、あわれな女だって」

「へえ、そうかい。でも、向かいの店は宿屋があったと言ってたぜ」


 しれっとウソをついた。すると飛脚の目に驚きの色が浮かび、顔色もスッと青ざめていく。

 京一朗は手応えをつかんだが、奥から激しい怒鳴り声が飛んできた。


「おい、てめぇら止まってんじゃねぇ。さっさと働け!」

「へ、へい」


 飛脚たちは京一朗から離れていく。ここでしつこく食いさがれば、筋肉ムキムキの男たちにつまみ出されて、かわら版をつくるための大切な情報源を失ってしまう。

 京一朗はチッ、と舌打ちをして雪乃のところへ戻った。


「どうだった? なにか情報はつかめたかい?」


 わずかな情報でもほしがる雪乃が、ウソをついているとは思えない。顔色を変えた飛脚のほうがあやしかった。


「こりゃ大きな裏がありそうだな」


 消えた男に、消えた宿屋。飛脚たちはなにかを知っているが口をつぐむ。その謎を解けば大儲けできそうな気がして、京一朗の目は輝いていく。


「よし、この俺にまかせろ。必ず真実を暴きだしてやる」


 気合いを入れ直したが、空き地周辺の聞き込みは、いくら金をちらつかせても失敗に終わる。

 男が具合を悪くしたとき医者を呼んでいる。そいつを見つけだせば、なにかわかるかもしれないと思ったが、そいつも行方知れず。

 数日走り回ったが、情報はなにひとつ得られない。京一朗は不気味さを感じた。







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