かわら版屋/京一朗の失踪事件

江田 吏来

消えた男の謎(1)

 一八五三年(嘉永かえい六年)、アメリカ合衆国の軍人マシュー・ペリー率いる艦隊が浦賀うらが沖(現在の横須賀市よこすかし)に現れた。

 人々は山のように大きな真っ黒の船に驚きと恐怖を覚えたが、それをうまく利用した者もいる。


「さあさあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。大海原に現れた、巨大な異国船をもう見たかい? いよいよ日の本が危ないよ」


 できあがったばかりのかわら版を片手に、威勢のいい声を張りあげたのは京一朗きょういちろう。深い網笠をかぶって顔を隠していたが、なじみの客が足を止めた。


「おい、またなにか事件でも起きたのか?」

「かわら版はお上が禁止してるだろ。それを破ってまで知らせたい大事件さ。三文で売ってやるぜ」

「京一朗のかわら版はデタラメも多いからな」

「ひっどいこと言うね。俺のかわら版にウソなんかひとつもないぞ」

「よく言うぜ。この前は漁師が海坊主に食われた話。江戸えどにも巨大海坊主がやってくるって、いつ来るんだよ」


「バッカだな。俺はちゃんと書いたぜ。巨大海坊主がやってくるかもしれないって。かも、だ。しっかり読め」

「けっ、またそうやって俺らをだますつもりか」

「違うって、今回はあの黒船だ。全部見せるわけにはいかないが」


 京一朗はかわら版を器用に折って、その一部を客に見せた。すると客は驚きの声をあげる。


「おい、この話は本当か?」


 京一朗はニッと笑った。


「ああ本当さ。異国の奴らは、真っ赤な生き血を飲むバケモノだ。日の本にやってきたのも俺たちを食うためさ。この先、あちらこちらで神隠しがはじまるかもしれないぜ」


 よく通る声をさらに調子よく弾ませて、かわら版を宣伝する。


「大切な人を守りたきゃ、このかわら版を読んでくれ。魔よけじゃねぇが、異国の奴らが嫌うタコの絵もつけた。これがたったの三文。お買い得だよ!」


 だれもが得体の知れない黒船の来航に不安を抱いていた。そこを的確につけば、野次馬やじうまが集まってかわら版が次から次へと売れていく。

 京一朗は笑いが止まらなかった。


「うまくいった。今日はご馳走が食えそうだな」


 ずっしりと重くなった巾着を持って、飯屋へ。


「おやっさん、この店で一番高いウナギをくれ」


 忙しげに汁をそそぎ、飯を盛る店主が奥からひょこっと顔を出した。


「ずいぶんと景気がいいな。ウナギを食う余裕があるなら、先につけを払ってくれ」

「いくらだ?」

「三百もん

「はあああ? そんなにあるわけないだろう。今日のもうけが全部、ぶっ飛んでいくぞ」

「それじゃ二百五十文にまけてやる。京一朗はイワシでも食ってろ」


 店主は店の奥へ引っ込み、代わりに現れたのが飯屋の看板娘、小春こはるだった。


「いらっしゃい。今日のイワシはおいしいですよ」


 咲いたばかりの花のような笑顔を見せるから、京一朗は顔をしかめた。

 つややかな黒髪をきれいに結い、白いうなじがまぶしい小春の前で格好悪い姿は見せられない。潔くつけを払ってイワシを頼んだが、店主の思惑にはまった気がして面白くない。だが、小春が京一朗の横にちょこんと座るから、ポッとほおを赤く染めた。


「ねえねえ、さっきお客さんが京ちゃんのかわら版を持ってきたわよ。神隠しって本当なの?」

「以前から異国の船に次々と乗り込む人の姿を確認してるらしい」

「怖いわね」

「なあに異人だろうとバケモノだろうと、小春に手を出す奴は俺がぶっ飛ばしてやる」


 ドンと胸をたたくと小春はほほ笑んでくれた。でもすぐに表情をすっと平らにして、諭すように語りはじめる。


「みんな黒船のうわさを耳にして、怖がってるよ。そこへ神隠しの話を持ち出して、脅しながらかわら版を売りつけるのはどうかな?」


 曇りのない清らかな瞳で見つめられると、京一朗はタジタジになった。

 恐怖は人の判断を狂わせる。ふだんなら神隠しの話をしてもかわら版は売れないが、黒船という得体の知れないものがやってきたからこそ、かわら版は飛ぶように売れた。


 じゃんじゃん金儲けをして小春を幸せにする。これが京一朗の夢だから、どんな手を使ってでもかわら版を売るつもりだった。それなのに小春に嫌われてしまったら、意味がない。


「いいか、よく聞いてくれ。俺のかわら版は注意喚起でもあるんだ。黒船が来なくても神隠しは日常茶飯事だ。だがよ、俺のかわら版を買った連中は大切な人を必ず守ろうとする。毎日それをやってくれりゃ神隠しなんて起こらないのに」

「そうね。最近、子どもたちだけで遊んでる姿を見かけなくなったわ。必ず大人がついてるわ」

「だろ? あとは次のかわら版に載せる極秘情報なんだが」


 声をすぼめていくと、小春は「なに?」とぐっと体を近づけてくる。にやけるのを我慢して京一朗はささやいた。


「西国でコロットっていう病がはやってるんだ。そいつが江戸の町にもやってくるって話だ」

「聞いたことない病ね」

「コロッと死んでしまうから、そういう名がついた疫病だ」

「やだ、怖い」


 小春の小さな手が京一朗の着物をつかんだ。これはいけると目に鋭い光を宿したが、


「見つけたわ、かわら版屋ッ!」


 飯屋に女が飛び込んできた。

 高価な着物を身につけ、盛りあがった胸がたぷんと帯の上に乗っている。あまりの大きさに息をのんだが、小春が不安そうな声を投げてきた。


「京ちゃんの知ってる人?」 


 京一朗は知らねぇと叫んだが、女は小春を押しのけて胸ぐらをつかんできた。


「もうあんたしか頼れる人がいないんだ。あたしを助けておくれ」


 そう言うやいなや大粒の涙を流して泣き出した。


「京一朗ッ、店で女を泣かせるんじゃねえ」


 店主の怒鳴り声が響き、小春も冷たい視線をぶつけてきた。


「ち、違うんだ。俺は知らないって。あんた、だれだよ」

「あたしは雪乃ゆきの。いいから一緒に来ておくれ」


 雪乃は京一朗の腕を取ると、強い力で引っぱっていく。えっ、ちょっと、なに? と意味のない言葉を並べていると、無理やり外へ連れていかれた。







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