誰にも言わないで

右中桂示

俺と里見さん

 放課後の教室に、男子と女子がいた。

 窓からは夕日が差し込む。グラウンドの喧騒は届かず、静寂。

 男子も女子も、うっすら頬を赤らめている。沈黙にも居心地悪く感じていないよう。

 いい雰囲気だった。

 これから何をしようとしているのか、誰でも簡単に察せられる程に。


 その様子を、隠れて窓からこっそり見張る人影がいた。

 眼鏡でショートカットの女子。

 俺と同じ文芸部の一員。里見さんだ。

 その後ろに俺は近付いていった。


「いいねー。いい感じだねー。雰囲気出てるよー」

「ほら、遊んでないで部室行こうな」

「わぐっ」


 肩に手を置けば妙な悲鳴。

 そしてすぐに振り返って、怒りをあらわに抗議してくる。


「ちょっと! なんで邪魔するの!」

「それは俺の台詞だ。お前こそ、なんであの二人の邪魔をするんだ」

「邪魔なんてしてませんー。取材の一環ですー」


 口を尖らせて文句を言う。

 自分が悪いとは少しも思っていない態度。小説を書く為の取材なら何をしてもいいと思っているのか。


 まあ、いい。

 こんなのはいつも通りだ。

 腕を掴んで強引にこの場を離脱させる。


「いいから行くぞ、な?」

「はーなーせーこーのーやーろー」


 里見さんの抗議を聞きながらも一切容赦せず、俺は部室に連行していった。




 そして文芸部部室。

 他に人はいない。顧問の先生は会議。部員は補習だったり、体調不良だったり、あとは幽霊部員だった。

 という訳で、俺と里見さんの二人きり。

 条件はさっきと同じ。いい雰囲気と言えなくもない。

 しかし里見さんはぶすっと頬を膨らませた不機嫌な顔をしていた。


「どーしていつもいつも取材の邪魔するかなー。そんなにライバルが上手くなったら困る?」

「人の気持ちを考えろよ。誰だって嫌だろ。大事な場面を見られるのは」

「未来の大作家の名作のネタになるなら喜ぶトコロでしょーよ」

「人の気持ちが理解出来なくて名作が書けるかよ」

「それが出来ちゃうんだよねー、私には」

「人の気持ちが理解出来ないのを否定しろ」


 俺達は文芸部員だ。

 真面目に小説を書いている。

 里見さんはその為の取材と称して他人の色恋沙汰に首を突っ込む事が前からあった。

 事実、里見さんの小説は読者から高く評価されいる。それが暴走を助長したのかもしれない。

 ストッパーになれるのは俺だけだ。

 いい加減に止めさせないといけない。


「それを免罪符にすればなんでも許される訳じゃない」

「だってリアリティの為に必要なんだもん」


 話は堂々巡り。

 里見さんは聞いているのかいないのか、構想ノートに何かしら書きながら投げやりに答えるだけだ。


「相談されたならともかく、ああいう現場を覗こうとするな。無理矢理聞き出そうとするな。相談内容を他人に言いふらすな」

「恥ずかしがり屋が多いからさー。言いたくないなら聞き出し方を工夫しなきゃ」

「それは違う。言いたくないんじゃない。言えないんだ」

「え? んなもん工夫とは言わない、じゃないの?」


 俺の返しが予想外だったか。

 里見さんは興味深そうに顔を上げた。

 ここがチャンスだと、俺は真剣に説得する。


「恥ずかしがり屋とか、そんな問題じゃない。大切な気持ちは軽々しく言うもんじゃないんだよ。大事にしまって、丁寧に扱いたいんだよ」


 確かに恋愛について他人に言わないのは、恥ずかしい、が理由の場合もある。

 でも、不特定多数に言うのは、気持ちの大きさの証明になる訳じゃない。

 大切な気持ちは、特定の相手にだけ伝えたい。そんな人は少なくない。

 秘密だからこそ、宝物のように扱う。

 高価な品物を前にしたら自然と緊張するように。

 無意識の内に扱いは慎重になる。

 他人に言わない、んじゃなくて、言えないんだ。


「特に恋心なんてその最たるもんだ。思い出は秘密にして、独り占めしたい。相手にも失礼で裏切りと感じる事もある。だから、誰にも言えないんだ」

「へー。意外とロマンチストなんだねー」


 ニヤニヤと笑いながらの発言。バカにされた気がする。

 あれだけ言ったのに伝わっていない様子だ。


 俺は語気を強めて反論する。


「ロマンじゃない。常識の話だ」

「私は非凡な人間を目指してるからね。時には非常識も必要なのだよ」

「時には、じゃなくて常に非常識だからこうして説教してんだよ」

「はいはい。お疲れ。あ、でも今の話はいいネタになるかもねー」


 里見さんの興味は構想ノートに戻った。反省の色はゼロ。

 この様子じゃ、今後も被害者が増えかねない。それは色んな意味でよろしくなかった。


 仕方ない。

 正攻法で説得出来ないんだったら、方向性を変えるしかないか。


 うん、そうだ。

 人の気持ちが理解出来なくても、自分の気持ちなら理解出来るんじゃないか?


「……しょうがないな。俺がとっておきのネタを教えてやる。それで我慢しろ」

「えー。期待出来ないんだけどなー」


 里見さんは不満げな顔。ノートから顔をあげない。

 本気で期待していない。

 残念だ。

 長い付き合いでも、いやだからこそ、なのか?

 俺はこの程度の軽い扱いなのが悔しくもある。


 一度目を閉じる。

 里見さんとのこれまでを思い返す。

 丁度いい機会かもしれない。

 目を開ければ、夕日の差す二人きりの教室。


 俺は真剣な顔で、出来るだけ良い声を意識して、言った。


「……俺は里見さんが好きだよ」


 告白。


 我ながら流れとして不自然過ぎると思う。

 だけどまあ、不意打ちも駆け引きの内だろう。


「……え?」


 里見さんは固まっていた。

 小さく口を開けて、まばたきもせずに。

 それから徐々に理解が進んできたのか、頬に赤みがさしてくる。口がパクパク開閉している。

 遂に、立ち上がって叫んだ。


「はあーーー!? え、なに!? なんで! この流れで!? 嘘でしょ!? 馬鹿なの!?」


 馬鹿とは心外だ。嘘でもない。

 なんで、と言われたら理由は色々ある。

 少し考えて、俺は真面目に答える事にした。


「まず単純に可愛い。目がくりくりしてて眼鏡も似合う。表情がコロコロ変わって飽きない。それに行動力が凄い。向上心も強い。やり過ぎなところはあるけど、前向きな精神面は羨ましい。あとそれから」

「ちょ、ちょっと待って待って待って、ストーップ! もう充分! 充分だから!」


 里見さんは顔が真っ赤だ。

 わちゃわちゃと手を振りながら、俺の言葉を止めた。


 荒く息を吐く。

 少し落ち着くと、上目遣いに聞いてくる。


「…………本気?」

「本気だ」

「あれだけ説教しておいて、嫌いじゃない訳?」

「それとこれとは別の話。いくら好きだからって、なんでもかんでも受け入れたりはしない」


 疑われているのか。

 好きな人は他人から嫌われたくない。好きだから他人に悪く思われたくない。

 そう思って悪い所を直そうとするのは当然じゃないか。


「……へ、へー。そんな事言って、実は今まで私にちょっかいかけてきてたのは、嫉妬してたからじゃないのー? 私に早く会いたい、俺を見てほしい、って、そういうことだったのー?」


 里見さんはまだ赤いけど、少し調子が戻ってきたらしい。

 ニヤニヤと、強気な笑みを浮かべてからかうように言ってきた。

 俺への仕返しのつもりだろうか。


 だけど、まあ。


「……確かに。自覚してなかったけどそれはあったかもしれない。うん、俺は嫉妬してて、里見さんを独り占めしたかったんだな」

「わーーーーーー!!」


 結果自爆。

 人をおちょくる癖に、打たれ弱い。やっぱりこんなところも可愛いと思う。

 あんまり意地の悪い事はしたくないから、これは俺も反省しないといけないけど。


 それはそれとして、説教はまだ続いている。


「で、返事は?」

「へっ、いや。まだ心の整理が……今まで意識してなかったし……」

「そっちじゃない。俺は今の里見さんのリアクションを他人にペラペラ言いふらしたくない。言えない。そっと俺の胸だけにしまっておきたい。里見さんはどう?  俺の告白を誰かに言いたい? 自分の事を小説のネタにしたい?」


 真っ直ぐ、静かに問いかける。

 これで「うん」とか言われたらもうどうしようもないが、それならまあ、俺が責任を持って暴走を止め続けるだけだ。


 里見さんは押し黙っている。

 目が泳いでいる。

 口は開きっぱなし。


 そうして。

 やがて自分の胸を押さえて、赤い顔で、か細い声で、ささやいた。


「……これは、確かに誰にも言えないかな……」

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