歴史推理ゲームに挑め!3

白里りこ

歴史推理ゲームに挑め!3


 この高校にはちょっと変わった部活がある。平松さんと僕の二人が所属している、歴史研究会だ。

 平松さんとお近づきになりたいという下心から入部した僕は、肝心の歴史の知識に疎い。そこでもっぱら、平松さんの歴史トークに耳を傾けている日々だ。


 僕は平松さんから色んな知識を授かった。

 たとえば、第二次世界大戦前から、ヒトラー率いるドイツはオーストリアやチェコスロヴァキアなどの地域を併合して領土を広げていたこと。そしてその頃からドイツではユダヤ人への不当な扱いが始まっていたこと。

 一方、日本は韓国や台湾に加えて中国に領土を広げるために日中戦争をやっていたこと。そのことにアメリカは不快感を示していたこと。

 第二次世界大戦中に日本がアメリカに攻撃した後は、アメリカに住む日系人たちが差別を受けて強制収容などの憂き目に遭ったこと。一方で、同じくアメリカの敵国であるはずのドイツ系やイタリア系の人たちは、さほど差別を受けなかったこと。


 僕は真剣に話を聞いた。教養が深まるし、平松さんは可愛いし、良いこと尽くめだ。

 狭い部室での、二人きりの幸せな放課後。

 しかしある日、突如としてそれをぶち壊す者が現れた。


「よっ。真面目にやってるか? 平松、安藤」


 顧問の大岩先生である。主に世界史の授業を担当しているフレンドリーな若い青年で、女子生徒からの人気も高い。

 そんなあ、と僕は心の中で嘆いた。せっかくの二人の時間が台無しだ。


「真面目にやってますよ、先生」

 平松さんが笑みを向ける。

「今は安藤くんに歴史推理ゲームを解いてもらっているところなんです」

「歴史推理ゲーム?」

「はい」

 平松さんは頷いた。

「私が問題文を出すので、安藤くんには私が『はい/いいえ』で答えられるような質問をいくつかしてもらいます。そして答えを導き出すというものです」

「へえー。面白いものを考えるじゃないか。どれどれ……」


 大岩先生は机に歩み寄って、平松さんが書いたメモを覗き込んだ。


『とある国がたくさんの兵を敵国に送り出し、七千人の戦死者を出した。生き残った兵たちは国に帰還したが、うち四万人が間も無くして死んだ。何故?』


「ははーん」

 大岩先生は頷いた。

「分かっても答えを言っちゃ駄目ですよ、先生」

「オーケーオーケー、安藤のお手並み拝見といこうじゃないか」


 僕はむくれたが、表情には出さなかった。それよりも問題に集中せねば。「簡単だよ」と平松さんは言っていたが油断はならない。何しろこのゲームには、五分間という制限時間が設けられているのだ。

 僕は頭を捻った。戦死者の四倍以上が母国で死んでいる。どういうわけか。


「四万人の死因は寿命?」

「いいえ」

「ええと、死因は戦争に関係ある?」

「はい」

「うーん」


 次に気になるのは……そう、刑事ドラマなどでもよく重視されるもの。


「事故?」

「いいえ」

「他殺?」

「いいえ」

「えっ、自殺?」

「はい」


 大岩先生が黙ってにやにやしている。ちょっとムカつく。

 僕は考えた。戦争に関することで自殺した……って、あれ? これ、もう答えは出ているんじゃないか?

 戦争とは悲惨なものだと、この部活で僕はたくさん学んだ。生き残った兵も残酷な現場を数多く目撃したはずだし、殺されるかも知れない恐怖を味わっただろうし、敵兵を殺して罪悪感を抱きもしただろう。普通に考えて、平常心でいられるわけがない。

 僕は言った。


「戦争から帰った兵たちは、戦争で体験したことがトラウマになって、そのせいで精神を病んで自殺した!」

「……はい。正解です」


 平松さんは拍手をした。大岩先生も釣られて手を叩く。


「とある国っていうのはアメリカで、最近ではシリアやアフガニスタンにたくさん兵士を送り込んでたんだよ」

 平松さんは説明した。

「その戦死者数がおよそ七千。でもそこからの帰還兵の多くがPTSD……心的外傷後ストレス障害にかかって、戦争の光景が何度もフラッシュバックするなどの症状に悩まされた。結果として多くの自殺者が出たというわけ」

「うへえー……エグいな。戦争って本当にろくでもないな」

「でしょう。もっと前のベトナム戦争なんかでも同じことが起こってる。アメリカはよく戦争に首を突っ込むけど、敵国にも自国にも被害をもたらしているの」

「うへえー」

「なるほどね」


 大岩先生が言った。


「面白いゲームじゃないか。俺にもやらせてよ」

「えっ、でも、先生に出せる問題なんてないです」


 平松さんは畏れ多そうに言った。


「知識のある人に出してもすぐ分かっちゃいますよ。これは、歴史に詳しくない安藤くんにも、部活を楽しんでもらうためのゲームなんですから」


 そう、このゲームは平松さんの優しさによって作られたもの。だからこそ僕は知らないなりに一問一問真剣に取り組んでいるというのに、先生に割り込まれてしまっては台無しだ。


「違う違う」


 先生は手を横に振る。


「俺にも二人に問題出させてよ」

「えっ」


 今度は僕が言った。

 僕はもともと、平松さんが作った問題を解くことで平松さんとの仲を深めようと思っていた。

 ……が、協力して一緒に問題を解くというのも、案外楽しいかも知れない。僕が平松さんの役に立てるかどうかは、甚だ疑問だが。


「それじゃあ、行くよー。ジャジャン!」


 有無を言わさず先生が問題を口に出す。


『あるところで大規模な暴動が発生し、一夜にして数千もの商店が破壊されてしまった。ところがこの事件は、道いっぱいに散らばったガラス片が月光の下で光っていた様子から、“水晶の夜”などと呼ばれて、美化された。何故?』


「ええっ!?」


 僕はびっくりした。そんな大きな事件なのに、綺麗な名前をつけられて美化されるなんて、どうかしている。

 それとも、歴史とはそういうことの繰り返しなのだろうか。


「……」


 平松さんはしばし考え込む姿勢を見せたが、おもむろに言った。

「それでは、質問タイムのスタートですね」

 ピッ、とタイマーをセットするや否や、平松さんは大岩先生に切り込んだ。


「事件が美化……正当化されたということは、この暴動は時の権力者に都合が良い展開だったということ。破壊された商店の持ち主は、差別されていた人々、もしくは反政治団体ですか?」

「はい」

「……これだけでは、答えにはならないですよね」

「うん。ちゃんと詳しく状況を説明してくれ」

「分かりました。……ガラス片は商店が破壊された跡ですか?」

「はい」

「商店街にガラスがいっぱいあるということは、ガラスが安価に大量生産できていたということ。時代は近現代ですか?」

「はい」

「近現代で、数千もの商店にガラスを使えるほど技術力のある地域。舞台は欧米ですね?」

「はい」

「ふむ……」


 平松さんは考え込んだ。

 僕はすっかり感心して平松さんに見惚れていた。やっぱり平松さんは知識が豊富で頭の回転も早い。非常に魅力的な女子である。心惹かれるのを止められそうにない。


「安藤は何か無いのか?」


 先生に話を振られて僕はハッとした。そうだ、僕も役に立たなければ。何でも良いから質問しよう。特に思いつくものは無いから、平松さんが挙げた選択肢を使ってみるのが手っ取り早い。そう、たとえば、時代は近現代と言っていたから、近代か現代かを絞ろう。


「時代は現代ですか?」

「第一次世界大戦以降を現代と定義するなら、そうだな」


 ふーん。いいことを教えてもらった。

 それから、これも確認しないと。


「商店の持ち主は反政治団体ですか?」

「いいえ」

「差別を受けていた人たちなんですね?」

「はい」


 差別というと、黒人差別や、アジア人差別などが思い浮かぶ。たとえば第二次世界大戦中のアメリカでは、アジア系の日系人だけが敵国人扱いされて差別された。


「その人たちって、日本人ですか?」

「いいえ」

「あっ……、言い方の問題? 日本にルーツを持つ欧米の人、とか?」

「いいえ」

「えっと、じゃあ、黒人の人!」

「いいえ」


 にべもなく否定されて僕はしゅんとした。だが平松さんは「ありがとう」と僕に言った。


「えっ?」

「可能性がかなり潰れた。これで答えに辿り着ける」

「もう?」

「うん。欧米にて数千もの商店を持てるようなれっきとした集団でありながら、差別を受けていた人々なんて、いくつかに限られてる。しかもこの国の権力者は理不尽なタイプで、こんな大規模な事件も正当化してしまえるほど強大な力を持っていた。……これできっと、安藤くんにも分かるはずだよ」

「僕にも?」

「うん」


 平松さんはにっこりした。


「せっかくだから安藤くんに答えてもらいたいな」

「えええ」


 僕は頬が少し熱くなるのを感じた。と同時に焦ってしまった。五分以内に何とかしないと、平松さんもろとも負けになってしまう。いや、いざという時は平松さんが答えてくれるだろうが、それでは僕があんまりにも情けない。


「ど、どうしよう。分からないや……」

「そんな安藤に、ヒントをあげよう」


 大岩先生は言った。


「“水晶の夜”は現地の言葉で“クリスタルナハト”だよ」

「はい?」

 僕は顔をしかめた。

「何ですかその変なヒント」

 平松さんも呆れ顔である。


 全く、こんな情報、もらったところで何の参考にもならない……いや、待てよ。

 英語圏の国だったら、夜はナイトと呼ぶ。即ち、“水晶の夜”は“クリスタルナイト”になるはずだ。だが実際には“クリスタルナハト”。

 つまり舞台は英語圏以外の欧米の国ということになる。

 どこだろう。アメリカじゃないから、ヨーロッパだよな。イギリスでもない。となると、フランス、スペイン、オランダ、スイス、イタリア、ドイツ、オーストリア、チェコ、……。


「あ」


 僕は思わず声を出していた。


 ──第一次世界大戦以降の事件。

 ──理不尽で強大な権力者。

 ──ヨーロッパで差別を受けていた人々。

 ──第二次世界大戦前から、各地の併合と同時進行で行われていた、あの国のあの差別政策。


「……舞台はドイツですか」

 僕は確認した。

「はい」

 さらりと答えた大岩先生を、僕は決然と見上げた。


「分かりました。商店の持ち主たちはユダヤ人で、舞台はヒトラーの時代のドイツですね? 暴動で多くのユダヤ人の商店が壊されたけど、ヒトラーにとっては都合が良かった。だから、それが正当化された!」


 大岩先生は、大きく頷いた。


「正解。おめでとう、平松、安藤」

「やった!」


 平松さんと僕は同時に言って、目を見合わせた。平松さんの目はきらきらしていて綺麗だった。うっかり見つめそうになった僕は、いささか照れながら目を逸らした。

 平松さんも目を逸らして、タイマーを止めた。時間はあと一分だった。良かった、僕らの勝ちだ。


「それにしても、残酷な話ですね」

 平松さんは言った。

「実際はもっと残酷だよ。クリスタルナハトなんて嘘っぱちで、そこらじゅう血まみれだったって話だし、ユダヤ教会への放火事件もたくさんあったし、もう無茶苦茶」

「ヒエー」

 僕はたまげた。

「これまた、エグいですね」

「差別も戦争も絶対駄目ってことだよ、諸君」

 先生は急に真面目くさって言ったかと思うと、ニッと破顔した。

「二人とも、楽しく活動しているようで大変よろしい。これからも頑張って」

「はい」

「はい」

「じゃあ俺はお邪魔みたいだし、そろそろ消えるか。引き続きお二人で仲良くね〜」


 大岩先生は部室を出て行った。ガラガラとドアが閉められた。


「お、お邪魔って、そ、そんなことないのにね……」


 平松さんは珍しくしどろもどろしていた。だが僕はそれ以上にテンパっていた。


「うん、ぼ、僕も、平松さんと一緒に、問題を解けて、た、楽しかったよ……」

「そ、そっか……」

「でも」


 僕は勇気を振り絞って言った。


「平松さんと二人で話をするのも……っていうか、平松さんの話を聞くのも、同じくらい、楽しい、かな……」


 平松さんは少しだけ目をみはった。


「そ、そう……ありがとう」


 そして俯いて、長いまつ毛で目をしばたたいた。僕は心臓がどきどき言っていた。


「そ、それじゃあ」


 平松さんは顔を上げて僕の方を見た。


「良い機会だから、紹介したい本があるんだけど……」

「え、何?」

「いろんな分野の学問にとって、すごく意義深い本なの。部室ここにあるから、今出してくるね」


 そして引っ張り出された本には、ユダヤ人として強制労働をさせられた著者の体験記が綴られていた。解説を受けながら、僕は、書かれている内容の過酷さと、熱心に話をする平松さんの愛おしさの板挟みにあい、頭を抱えたのだった。




 おわり

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