A Quiet One-Sided Love

Akikan(仮)

届かない声

 沖縄が梅雨入りしたというニュースが流れる頃。 

 二年A組教室、四限目、国語の授業、窓側の席に僕は座っている。


『一目で好きになりました』


 告白だけが声帯を震わさないまま心の中でぐるぐると回っている。

 僕の足りない何かを満たすことができるのはあの人だけかもしれない、だけど声をかける勇気がない。

 その人は今、正門を通っている。

 年齢は多分二〇代前半で、柔らかそうな長い髪は明るい茶に染めて、幸せに満ちた優しげな横顔、淡く暖かい表情、ひらひらとした服装、肩にかけたバッグには小さい動物のぬいぐるみキーホルダー。

 綺麗、と思わず見惚れてしまったのはつい先月、今日と同じく窓の席から。

 週に三回のペースで来ているけど、一度も廊下ですれ違ったことはなく、職員室にも姿がない。

 学校の関係者? 誰かの親戚? 全てが謎に包まれている。

 風で髪がふんわりと揺れる度、指で髪を流す仕草がまた僕の胸を擽った。


「トウヤ、トウヤ」

「…………」

片桐かたぎりさん?」

「あ……はい」

「片桐さん、どこか気分が優れませんか?」


 国語の先生は心配そうに僕の体調を訊く。

 メガネの奥で、優しく僕を見つめる先生は細身でいつもニコニコしている相原あいはら先生。男性。

 みんな先生のことが好きで、もちろん僕も、分けへだてなく親切にしてくれる先生を尊敬している。

 そんな先生を心配させてしまった僕は、しまった、と焦りながら首を振った。


「だ、大丈夫、です」

「そっか、良かった。もし体調に異変があるようならすぐに言ってくださいね。それじゃあ三行目の行頭から読んでもらえますか?」

「……はい」


 クラスの誰も僕のことなど見ていないが、妙な空気感がただよう教室に、恥ずかしさと焦りが増長された。


「あーあ」


 隣から聞こえた呆れた控えめな声に僕は横目で覗く。

 セミロングの黒髪で前髪をヘアピンでサイドに留めている上川うえがわさん。

 僕とは対照的な上川さんは中学一年から同じクラスで、いつも席が隣同士。席替えをしても大体席の左右にいるという奇跡。

 先生が声をかける前に、僕を呼んだのは上川さんだろう。

 あとで、謝ろう……。


 国語の授業が終わって真っ先に、


「どしたの? 窓なんか見てボォーっとしてさ」


 上川さんから。


「あ……いや、特には、何も」


 もう一度正門を覗くが、もうあの人の姿はない。

 次はいつ来るんだろう。


「相原先生の授業だよ? 珍しいじゃん」

「……う、うん、ごめん、上川さん、呼んでくれたのに」

「それは別にいいけど、で、本当に気分悪いとか? 保健室行く? 良かったら私ついてくけど」

「本当に、大丈夫……ありがとう」


 僕は心に留まっている想いを吐くことができないでいる。

 他の皆や家族にはもちろん、親切な上川さんや優しい相原先生にも言えないもの。

 俯いていると、

 

「すみません上川さん」


 一度教室から出て行ったはずの相原先生が、扉から上川さんを呼ぶ。


「は、はいっ」


 背筋を思い切り伸ばし、なんとも抜けた裏声を出しながら上川さんは立ち上がった。

 前髪を気にして指先でいじりつつ、相原先生のもとへ。


「プリントの名前、抜けてましたよ」

「あっ! はは、すみません」


 慌てた様子で相原先生から鉛筆を借りて、教卓の上で名前を書いている。


「はい、ありがとうございます。今度から気を付けてくださいね」

「は、はぃ」


 相原先生が教室から出ていき、ふぅ、と息を吐いた上川さんは早足で席に戻ってきた。


「やっぱ相原先生って、かっこいいよねぇ」

「……うん」

「イケメンだし、優しいし、声も、メガネも良く似合うしー大人の余裕もあるしー」


 指折り数えながら相原先生のいいところ、というか好きなところを言う。


「……上川さん、相原先生のこと好き、なの?」

「はっ?! なんでよ?」


 頬を赤く滲ませて、僕を睨んだ。


「え、あ、なんとなく……」

「はぁーそんなの皆好きじゃん、相原先生のファンクラブがあるくらいなんだからさぁ」


 鉛筆を指先で弄りつつ、どこかよそ見をしてボソボソ言う。


「え……ファンクラブ……上川さん、入ってるの?」

「皆と違って私は相原先生を尊敬してんの」

「僕も」

「そ、トウヤと一緒、尊敬だけ。私達、ただの子供だよ?」


 僕は、頷くしかなかった。

 所詮子供、なんだ。大人からすれば僕達はそういうもの。

 言い訳のような呪文に僕の胸や喉がギュッと締まる。


「って、これ先生の鉛筆じゃん! 返してくる!」


 上川さんは再びあわただしく、どこか嬉しそうに教室から出て行った。

 子供だとしても、僕は思わず願ってしまう。


『好き』


 吐き出せない想いを。


「……」


 僕はカバンからおにぎりが入ったランチボックスを取り出す。

 ラップに包んだ丸いおにぎりのほかには冷凍食品のミニハンバーグとサラダ。

 ゆっくり頬張ほおばりながら、上川さんを待った。

 一〇分が過ぎた……。

 クラスの誰かが、僕の隣を通るついでに覗く。誰もいないことに不思議そうな顔をしている。

 さらに一〇分、ようやく上川さんは教室に戻ってきた。

 眉を少し下げて僕に笑いかける。


「ちょっと先生を探すのに時間かかってさぁ、あーお腹空いた」


 カバンからお弁当箱を取り出して、いつも通り昼食を摂る。





 日曜日のこと。

 家で、部屋で、ベッドに寝転び、上川さんとスマホでやり取りをしていると、


『トウヤは寝てるの?』


 母さんの声が廊下から聞こえた。


『どうせ行かないだろ、放っておけば?』


 兄さんの声も聞こえた。


『まぁまぁ、いつものことだ』


 父さんの声も、ばらつく足音を立てながら玄関の扉が閉まる。

 それを合図に僕は起き上がって、部屋から出た。

 キッチンにある冷蔵庫を開けてみたけど、飲み物は水とお茶以外ない。

 今、喉はジュースを欲している。特に炭酸系が飲みたい気分。

 コンビニに行くべきか悩んでいると、上川さんから『駅前のコンビニに来て!』というメッセージが送られてきた。

 珍しい、学校以外で上川さんと会うなんて初めてだ。

 どうして、また? そんな疑問を浮かべながら戸締りをした後、自転車に跨る。

 少し稲が伸びた田んぼに挟まれた舗道ほどうを走り、大きな交差点を越えれば徐々に市街地に入っていく。

 駅前のコンビニ、多分西側、かな。

 自転車を駐輪スペースに止めて、上川さんを待つことにした。

 一体何の用事だろう……。

 スマホで何気なしに色々と検索していると、駐輪スペースの横に一台車が入ってきた。

 ただそれだけの事だった。


「片桐さん」

「あ……相原先生、こんにちは」


 車から降りてきたのは、相原先生。

 カジュアルな服装に黒縁くろぶちのメガネをかけた先生が僕に声をかけてきてくれた。


「こんにちは。待ち合わせ中ですか?」

「はい、上川さんと」


 先生は、うんうん、と嬉しそうに頷く。


「仲良しさんですね。でも、遅くならないように気を付けてくださいね」


 いつものように優しい声で、ニッコリと微笑んだ先生はそのままコンビニに入っていく。

 びっくりした……。

 先生の車、あんまりちゃんと見たことがない、そもそも詳しくないから分からないけど、薄い黄色の軽自動車。

 可愛い色、先生ってこういうの、乗ってるんだ……――。


 無意識に手からスマホが滑り落ちそうになるなんて、僕の心臓は痛いくらい焦ってしまった。

 綺麗だ、車内で雑誌を読んでいる横顔が水彩画の淡く暖かい色みたいに映えている。

 柔らかそうな長い髪は明るめの茶髪、ひらひらとした服装。助手席の前には動物のぬいぐるみ。

 僕の喉は、震えすぎて何も出てこなくなった。 


『…………』


 口や心臓が裂けても言えない。僕の両手はだらん、と力なく下がっていく。指先も、勝手に広がる。


「トウヤ!」


 僕の名前が聞こえ、右手に温かさを覚えた。


「あ……」


 自転車を雑に止め、僕の右手をスマホごと掴んでいる上川さんが、目の前にいた。


「またボォーっとして、スマホ落とすところだったじゃん大丈夫?」


 怪訝な表情で上川さんは僕の顔をマジマジと見てきた。

 それがどういうわけか、感情にバグでも引き起こされてしまったのか、ボロボロと僕の目から生暖かい液が溢れる。

 上川さんの、驚いている表情が歪むほど。


「ちょ、ちょっと、なんか私が泣かせたみたいじゃん。とりあえずコンビニでジュース買ってくるから……」


 上川さんの声は途中で止まった。

 どこか、別のところを見ている。僕の後ろを、コンビニの入り口だろう。

 気まずそうに、小さく笑みを浮かべて眉を下げた上川さん。

 僕の手を軽く引いて、そっと一歩下がったあと、温かみがすり抜ける。

 何も言わず、ただ自転車に跨る上川さん。

 僕を呼んだ訳とか意図いとなんてどうでもいい、今すぐここからいなくなりたいという思いだけで、自転車に乗った。

 先をぐ上川さんの背中が滲んでよく見えないけど、真っ直ぐ漕いだ。

 さっきまで天気は悪くなかったはずなのに、ぽつり、ぽつり、と手の甲に水が跳ね始める。雨なのか、僕の涙なのか、それとも……――。

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