幸福な引き金

夢月七海

幸福な引き金


『また来ているよ……』


 手振れが酷い動画の中で、その撮影者の男はうんざりした調子で呟いた。

 どこか、アパートの二階か三階らしき部屋で、開けた窓から外の路地裏を見下ろしている画角だった。敷かれた段ボールの上、ホームレスの初老の男が、このアパートの向かいの建物に寄り掛かって座っている。ぎとついた灰色の髪を見せるように俯いて、「お恵みを」と書かれた空き缶が、その足元に置かれていた。


 撮影者の独り言から、この男が数日にわたってここに居座っているというのが推測される。その姿を映像に残しているのは、ここの自治体にでも文句を付けようと思っていたからだろうか。

 舟を漕ぐように、体を前後させている老人を数秒間、カメラは映していたが、少しだけ彼から離れて、奥の方から歩み寄る黒いコートの男を捉えた。その男は帽子を目深に被り、コートの袖に手を通さず肩にかけている状態だ。


 足音が路地裏で響いていても、微動だにしなかった老人だが、コートの男が自分の目の前で立ち止まった時、やっと顔を上げた。しょぼしょぼと目を瞬かせ、空き缶を差し出すように持ち上げる。


『お願いします。お恵みをください』

『ああ、いいだろう。幸福を与えてやる』


 コートの男は、淡々と答えた。それが意外だったのだろう。老人は、目を見開いてから、ゆっくりと微笑みを作ろうとしていた。

 トンプソンの発射音が、短く響いた。撮影者は「ひっ」と声を挙げ、カメラを大きく揺らしたので、気持ち悪くなるほど映像が上下する。


 それが収まった時には、老人は腹部に無数の穴をあけたまま事切れて、壁に倒れ込み、下を向いた双眸は何の光も宿していない。彼の手から零れた空き缶が、カラカラと転がる。

 一方、コートの男は、何事もなかったかのように立ったままだった。微かに、彼の腹の側から、硝煙が棚引いているのが見えなければ、何もしていないように思われるだろう。


 状況の全貌を把握して、撮影者の手が細かに揺れ出した時、コートの男が振り返った。ボタンの空いたコートの内側に、トンプソンが握られていて、その銃口が、こちらを睨む。

 撮影者は、『ヤバい、ヤバい』と繰り返しながら、家の中に引っ込む。映像は一瞬昏くなった後に、すぐ停止した。


「映画の中途半端な予告みたいだな」

「現実に起こったことに出来事だけどな」


 俺の持ったスマートフォンから、それを覗き込んでいた、子供と間違えられそうなほどスレンダーで、ピンクのベリーショートの女・マーシーがそう称するので、俺はちゃんと注意した。お互いに殺し屋なんてやっているから、完全に麻痺してしまっているのだが、あれをフィクションのようだと例えるのは、殺された奴に失礼だ。

 三カ月前から、アメリカの各地に現れ、無差別にトンプソンで撃ち抜いてくる殺人鬼、通称「トリガーハッピー」は、その派手なやり口に対して、正体は謎に包まれていた。人気のない場所での犯行で、標的になったのは一人だけ、目撃者も全くいなかったため、性別すら不明だった。


「トリガーハッピーの動画って言っても、顔が分からないからな。目立つ格好をしてるけど、それだって着替えられるし」

「だが、この動画で得られたものは多い」


 うちの組が贔屓にしている情報屋から教えられた、動画サイトの中に埋もれていたそれを見て、マーシーは文句を言っていたが、俺は正反対な考察をしていた。

 スマホをしまい、代わりに煙草とライターを取り出し、火を点けた。すると、マーシーが当然のように手を差し出す。言い争うのも面倒なので、箱とライターを渡した。


「相変わらず、まっずいやつを吸ってんな」

「そう思うなら吸うな」

「ブーメランだぞ、その指摘」


 肺いっぱいの空気を、全部吐き出してから、俺は動画を見て気付いた点を話し始めた。


「この動画、撮影者の存在にトリガーハッピーは気付いていたが、手に掛けなかった」

「そうだな。がっつり、カメラ回されているのも見て、家も分かっているのに」

「トリガーハッピーは、ただの無差別殺人鬼じゃない。あいつなりに、殺す相手を定めている」

「ええと、これまで、トリガーハッピーに殺されたのは、十名だったよな?」

「ああ。ホームレスが三名、他に、車椅子使用者、麻薬依存症やアルコール依存症、片腕がない奴、あとは、聴覚障碍者と知的障碍者、鬱病患者……共通点は分かるな?」

「ハンディキャップがある奴らか」


 不味い煙草をしかめっ面で吸っていたマーシーは、ますます険しい顔をする。


「それに加えて、『お恵みをください』と言ったホームレスに対して、『幸福を与えてやる』という返答……トリガーハッピーは、そういうハンディキャップを持つ奴らを殺してやるのが、彼らにとって幸せだと考えている」


 煙交じりの溜息をついて、マーシーは首を横に振る。


「日本のことわざに、『同情するなら金をくれ』って言うのがあるんだが、」

「けったいな国民性だな」

「トリガーハッピー流に言えば、『同情するから死をあげる』ってことだな」

「あんま上手くねぇよ」


 煙草の吸殻を、携帯灰皿に押し込みながら呆れ顔で返す。こうするのは面倒だが、シマを汚すとボスが煩いので、仕方ない。マーシーも、ちゃっかり俺の灰皿に、自分の吸殻を入れる。

 それをしまってから、スマホを取り出した所で、近くの教会から鐘が鳴り響き、マーシーと共に、釣られるように空を見上げた。殺されたホームレスの葬式の音だった。それを聞いた彼女は、溜息を吐く。


「うちのボスは物好きだな。殺されたホームレスがここに流れ着いたのは、ここ数日の話だろ? そもそも無関係なのに、葬式を上げるなんて」

「うちのシマで死んだ身寄りのない奴は葬式をあげる、それがボスの人情だからな」

「人情は素晴らしいが、今時、そんなんじゃあ、いつか足元を掬われるぞ」

「今度、ボスに会った時に、言っといてくれ」


 歩き出した俺に、合わせてくるマーシーに、そう語る。

 マーシーは、元々全米で三番目にデカい組織から、小さい組織であるうちに入ってきた。元の組織では、信頼した方からやられるというほど、殺伐した場所だったのだろう、実際に、マーシーも自分のボスに殺されかけて、組織を抜けた。


「で、あたしたちは何をすんの?」

「ボスの命令通り、トリガーハッピーを探し出すの第一。だが、これ以上被害者を出さないために、奴の標的になりそうな人物に、部下を通して外出しないように注意する」

「さらっというけど、難しくねぇか? 外で殺人鬼が出歩いているから、出ないでくださいって、グリズリー出没より現実味がないだろ」

「その気持ちは分かるけどな、説得は部下たちに任す。俺たちは分かれて、トリガーハッピーを探しに行くか」

「へいへい」


 耳の穴をほじくり返しながら、マーシーは気の抜けた返答をする。スマホで部下たちに命令を送るのに忙しい俺からすれば、気楽すぎて腹が立つくらいだ。

 その時、マーシーのスマホが鳴った。画面を見た彼女は、おっと嬉しそうに笑う。


「武器屋からの連絡だ。あたしが欲しがっていた獲物が、用意できたってさ」

「なんだ? 新型のガトリングか?」

「ブッブー。トリガーハッピーに乱射キャラを奪われたから、もっと違う道を模索しようと思って」

「個人的には大歓迎だな。お前、大型銃器で荷物が多すぎなんだよ。あと、俺の部下を使ってランチャーを運ばせるのは今後一切禁止だ」


 俺の説教の途中で、マーシーはくるりと踵を返す。このまま、足の向いた方向にある武器屋に向かうらしい。俺も舌打ちをして、振り返る。


「武器を買ったら、俺に連絡入れろよ」


 肩甲骨が丸見えのキャミソールのマーシーは、面倒くさそうに俺に手を振った。態度は気に食わないが、了承の合図だ。

 さて、部下への命令も送り終えて、トリガーハッピーの潜んでいそうな場所はどこかと考えていると、今度は俺のスマホが鳴った。部下からの着信だ。


「なんだ?」

『赤毛の旦那! ハロウィン通りに住んでる、盲目の女、ウィリアムスがいません!』


 鼓膜を貫くほどの大きな、部下の慌てた声が電話口から聞こえてきた。思わず、スマホを耳から離す。


「落ち着け。彼女はどこに行ったか分かるか?」

『隣人によると、この時間は近くのスーパーに行っているようです』

「お前は、その近くを探しながら、マーシーにも知らせろ。俺も捜索に加わる」

『分かりました!』


 電話を切った後、俺は駆け出した。ハロウィン通りから一番近いスーパーへ、この辺りの道を通ることが出来る。

 すると、一つの細い路地に、こちら側を向いた白い杖の女と、黒いコートにハットの男の背中が、一瞬見えた。


「あの、何か御用ですか?」

「逃げろ!」


 困惑した女の声に引っ張られるように、道を戻った俺は、そう叫びながら、愛用のシグザエルの銃口を、男に向けた。安全装置を外し、引き金を引くまでをいつも以上に素早くやったつもりだったが、じれったく感じる。

 弾は、トリガーハッピーの胸辺りに向けて飛んだ。しかし、振り返ったトリガーハッピーが、その両腕で抱えたトンプソンの銃身に、銃弾がはじかれた。銃身に、何か加工をしているのだろうか。


 ウィリアムスは、銃声に驚き、閉じていた目を見開いた。不格好ながらも、トリガーハッピーから背を向けて、駆け出そうとする。

 トリガーハッピーは、彼女の方に振り返ろうとしたが、俺が走り寄りながら、二発目を発射した。それもまたはじかれる。


 俺が目の前に来て、三発目を発射しても、トリガーハッピーはそれをはじくばかりで、反撃をする様子がない。明らかに、自分を殺そうとしている人物であろうと、奴の信念は崩れないようだ。

 だが、自分が安全だからと言って、有利になるわけではない。隙を作れば、トリガーハッピーはウィリアムスを狙う。振り返って、トンプソンの引き金を引けば、防ぎようがない。


 それならばと、俺は四発目を片手で持った状態で、トンプソンに向けて撃った。当然、それもはじかれるが、こっちは囮だ。

 間合いは十分に入っているので、俺は左手で腰のベルトのナイフを抜いた。その切っ先はトリガーハッピーの頬を狙ったが、奴はトンプソンの長い銃口でそれを受け止める。ガチンと音と共に、火花が散った。


 反応速度と体の使い方とが、素人のそれとは根本から違う。シグザエルから持ち替えた、右のナイフもはじかれて、俺はそれを感じ取る。

 トンプソンを乱射させるだけのいかれた殺人鬼という印象は、すでに払拭されていた。俺のナイフの攻撃を、何度も防ぎながらも、奴は必死に逃げているウィリアムス足音を聞いている。


「……お前の目的は何だ?」

「この世で苦しんでいるすべての人間に、幸福を与えること」


 右太腿を狙いながらの問いかけは、意外にも返答があった。今の一撃も防がれてしまったが、話をすることで、相手の集中力を削ぐことが出来るのかもしれない。


「お前にとっての幸福は、死なのか?」

「多少異なる。普通に暮らしている人間には、死という幸福は必要ない」

「じゃあ、何か? ハンディキャップのある人間は、死ぬことでしか幸せになれないのか?」

「その通り」


 トリガーハッピーは、揺るぐことのない言葉でそう告げる。まるで、聖書の暗唱するかのように、その正しさを信じている。


「欠けを埋めることは出来ないのならば、死によって、その苦しみに終止符を打つ」

「何を言っているのですか!」


 その反論の言葉は、トリガーハッピーの背後から飛んできた。

 俺は、奴の背中越しに、足を震わせながらも、こちらをしっかりと向いて立つ、ウィリアムスの姿を認めて、舌打ちをする。


「あなたの主張は無茶苦茶です。私達にとっての、生きることの苦しみや幸せを、あなたなどが勝手に決めないでください」


 ウィリアムスの独白は、非常に立派だ。こんな状況ではなければ、拍手喝采を送りたいくらいだ。

 しかし、これを聴いているのは、殺し屋と、彼女の主張とは真正面から反発する信念を持つ殺人鬼だ。この一言が、奴に油を注ぐ結果になることは、想像に難くない。


 帽子の庇の下で、トリガーハッピーの目の色が変わった。俺のことなど構わずに、両手のトンプソンをウィリアムスに向けようとする。俺は、奴の左の二の腕に、ナイフを突き刺した。

 だが、トリガーハッピーは悲鳴すらあげなかった。右手で、俺のナイフを持った右手首を握り、俺の足を払う。バランスを崩した俺の体を、背負うようにして、反対側に倒した。テレビで見たことのある、柔道の背負い技の一つだ。


 アスファルトに叩き込まれた俺の上で、トリガーハッピーはトンプソンを構える。銃口が狙うのは、ウィリアムスだけ。間に合うか、間に合わないか。俺はともかくがむしゃらに、左手に残ったナイフを奴に投げようとした。

 プシュッと、短く鋭い音がした。トリガーハッピーのトンプソンも、俺のナイフも発射されなかった。代わりに、トリガーハッピーの額に、一本の矢が深々と刺さっていた。


 俺は何が起きたのかと、身をよじらせて、仰向けになったトリガーハッピーとは反対の位置を見る。

 体を震わせて立っているウィリアムスの背後、この細路地と合流する大通りの上、ボーガンを構えたままの姿で、マーシーが倒れ込んでいた。


「……ギリ間に合ったな」

「お前が買ったのは、それだったか」

「おう。これからは、ローテクの時代だ」


 自慢げにボーガンを掲げて、マーシーがにやりと笑う。倒れたままなので、格好がつかないが。それは俺も同じか。

 そんな二人に挟まれてしまったウィリアムスは、ますます困った様子で、俺とマーシーの方に顔を何度も行き来させていた。「ええと」と口ごもる彼女に、俺は立ち上がりながら言う。


「大丈夫だ。お前のことを狙っていたトリガーハッピーは、今、殺された」

「ああ、あたしの見事なショットのお陰でな」


 マーシーはボーガンを上に向けて、引き金をカチャカチャ引く。矢が装填されていないとはいえ、こんな風に遊ぶものではないと思うが。

 それを聞いて、ウィリアムスはようやくほっと息をついた。


「あなた達が、殺されて人たちの仇を打ってくれたんですね」

「そういう言い方はやめてくれ。俺たちは、ボスに命じられてやっただけだ。恩を着せる必要は一切ない」

「そーそー。あの快楽殺人鬼は、さっさと捕まって、正しく裁かれるのが一番だからな」


 俺たちの苦笑交じりの言葉を聞いて、ウィリアムスは神妙な顔でこくんと頷く。そして、自分の持っている杖を、トリガーハッピーが倒れている場所に見当をつけて、指し示した。


「彼は、そこにいるのですか」

「ああ、倒れてる」

「分かりました」


 俺の返答を聞いたウィリアムスは、自分の胸に手を当てて、トリガーハッピーに向かって言った。


「お幸せに」






   ▲






 数年前、とあるテロリストが滞在している建物に、警察の精鋭部隊が侵入した。追い詰められたテロリストたちは、あちこちの部屋で自爆し、建物は半壊した。

 ある警察官は、幸いにも動くことが出来たが、彼の仲間たちは瓦礫に埋もれて、半死半生の状態で苦しんでいた。仲間たちを助けるには、安楽死させるしかない。警察官がどう感じて、そう判断したのか分からないが、ともかく、彼は仲間たちの頭や胸を撃ち抜いていった。


 情報屋から送られてきたメールには、トリガーハッピーの過去が書かれていた。

 アジトの一つで、俺がそれを読み上げると、壁に掛けた的へボーガンを撃っていたマーシーは、興味なさそうに「ふーん」とだけ返した。


「どうでもよさそうだな。同情もしないのか?」

「別に。どんな過去があろうと、そこからどうするのかは、本人の心次第だからな」

「同意見だ」


 テロリストとの事件後、その警察官は、精神病院に入って、自分のトラウマと向き合っていたのだが、抜け出して、トリガーハッピーという殺人鬼に身をやつした。立ち直るチャンスを棒に振ったのは、彼自身だ。俺も、あんな出来事に遭遇したから、可笑しくなったとは言い切れない。

 だが、俺はそれよりも、マーシーのボーガンの練習の方が気になっていた。アジトの壁に穴を開けているのに、もう注意するつもりにもなれないほど、的に刺さらなかった。


「お前、滅茶苦茶下手だな」

「あん時は、倒れ込みながらでも命中できたんだけどな。運が良かったんだな」

「確かに、あと数秒遅れてたら、彼女は殺されていただろう」

「いや、そっちじゃなくて、トリガーハッピーの」


 マーシーは、壁に刺さった矢を全部抜いた。そのまま、さっきまで自分が立っていた位置に戻る。矢を装填し、まだ練習をするつもりらしい。

 熱心なのか暇なのか。俺は呆れた気持ちで、ソファーの上からそれを眺める。こっちもやることがないので、煙草を一本咥えて、火を点けながら考える。


 トリガーハッピーは、俺を殺そうとしなかった。チャンスならば、十二分にあったが、アイツの標的となる基準を満たしていなかった……つまり、俺は、「幸福」に見えた。

 他人から見た、幸か不幸かなんてそんなもんだよなと、息が続く限り煙を吐きながら思う。俺の内側で、どんな嵐が吹き荒れているのかをあいつは知らずに死んでいった。


「なあ、マーシー」

「何?」


 ふと、目の前にいるこの女は、どう思っているのかが気になった。

 練習の成果はまだ現れず、的の周りの穴が増えていくばかりだ。マーシーは、俺の方を見ずに、ボーガンを的に向けることに集中している。


「お前は今、幸せか?」

「その答えはアンタと一緒だよ」


 皮肉めいた笑みで口元を歪めたまま、マーシーが放った矢は、初めて的の中心を貫いた。








































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