せめてあなたにこの花を

秋待諷月

せめてあなたにこの花を

 この恋は叶わない。

 だから、この恋は誰にも。



 *



 私とコータの出会いは、今から三年前、中学二年で同じクラスになったときに遡る。

 コータは当時から物静かで落ち着いており、授業でも行事でも部活でも際立って目立つようなことは無い、周囲からすれば印象に残りにくい男子だったように思う。

 かと言って、クラス内で孤立しているわけでもなく、ほどよく周囲に調子を合わせて粛々と学校生活を送る彼は、同学年の他の男子たちと比べて大人びた雰囲気を持っていた。私はきっと、コータのそんなところに、無意識に惹かれたのだろう。

 掃除の班が一緒だったことがきっかけで、本や映画の好みが似ていたこともあり、コータと私は時折ささやかな雑談を交わすようになった。三年生に進級してもクラスが同じだったので、「少し仲のいい同級生」という関係がそのまま継続した。

 転機になったのは高校受験だ。同じ高校を志望していたコータと私――すでに彼への気持ちを自覚していた私が、コータの進路希望を全く意識していなかったと言えば嘘になる――は、放課後の図書館で勉強を教え合うようになり、その甲斐あってか、二人揃って希望校への合格を果たした。

 同じ中学校から今の高校へ進学した同期生は私とコータの二人だけだったので、入学してからは一層、二人で話す機会が増えた。このころには校内のみに留まらず、時折、休日に二人で遊びに出かけるようにもなっていた。

 ファミレスや図書館で学校の課題をこなしたり、映画を観たり、近場のレジャー施設に行ったり、私の買い物に付き合わせたりと、あっさりとした学生らしい「お出かけ」ばかりとは言え、二人きりで過ごしているという特別感が私には重要で、かけがえのない至福の時間なのだった。

 たとえ、私とコータが、友達以上の関係になることは無いのだとしても。




 高校に入学したころから、薄々気付いてはいたのだ。ただ、あえて意識の外に追いやっていただけで。

 私から遊びに誘えばコータは応じてくれるが、コータから提案してくれることは無い。

 私からメッセージを送れば、どんなにくだらない内容だろうとコータはこまめに返してくれるが、コータのほうから私に必要最低限以上の連絡をしてくることは無い。

 私が服装や髪形に気を遣えば、コータはちゃんと気が付いて褒めてくれるけれど、それは挨拶と同じようなもので、ある種の礼儀として、彼なりに義務を果たしているだけなのだろう。

 コータは私のことを好きではない。少なくとも、特別な間柄になろうとは思っていない。




 確信を持ったのは高校一年の冬、二人で出掛けた先で、偶然、同級生たちと出くわしたときのこと。

 二人って付き合ってたんだね、と冷やかされ、その場では慌てて否定したものの、恋人扱いされたことに調子づいた私は、彼女たちと別れたあと、つい軽口を叩いてしまったのだ。「本当に付き合っちゃう?」と、冗談めかして。

 そのとき、「いや……」と気まずそうに視線を逸らして口ごもったコータの、いかにも申し訳無さそうな苦笑いが、今でも私の脳裏に焼き付いている。




 それから少し経ったある日、通りすがりの民家の庭先に咲いていた花を見て、コータの口からその名前と花言葉がすらすらと出てきたことがあった。

 意外性があったので、私がつい揶揄からかうと、コータは少し照れくさそうに、「前にひとから教えてもらっただけ」と答えた。

 その、それまで見たことがなかったコータの柔らかい表情に、私はぴんときた。「誰かいるんだな」、と。

 コータが仲良くしている他の女の子の話を聞いたことは無いし、私と二人で出かけてくれる以上、誰かと正式に付き合っているわけではないだろう。

 だが、一度気付いてしまうと、コータの言動のそこかしこに、私は他の誰かの気配を感じずにはいられなくなった。

 たとえばショッピングに付き合ってもらった際、私がプチプラのアクセサリーを吟味している横で、コータが真剣な眼差しを送っていたのは、ショーケースに入った華奢で品のあるネックレスだった。

 たとえば帰りがけにコンビニへ立ち寄ったある日、コータが手を伸ばしかけて止めたのは、甘いものが苦手な彼は絶対に食べないであろう、クリームがたっぷり詰まったシュークリームだった。

 小さな植物園を訪れると、「前に来たことがある」と懐かしそうに呟く。少し以前の映画の話題を振られて、「DVDで観た」と嬉しそうに目を細める。

 そんなとき、コータは目の前にいる私のことは見ていない。私ではない誰かのことを、愛おしそうに遠くに見ているのだ。

 それをコータに指摘したことは無い。好きな人や恋人の有無を尋ねたことも無い。もちろん、私の気持ちをコータに打ち明けたことも、彼が私をどう思っているかを確かめようとしたことも。

 私がそれらを口にすることで、彼との今の関係が壊れてしまうことが、ただひたすらに怖かった。




 連休最後の日曜日。私は一人で映画を観に出かけていた。例によってコータを誘ったのだが、「その日は用事がある」と断られてしまったのだ。

 私の琴線にはいまひとつ触れなかった話題作の感想戦を頭の中で繰り広げながら帰途に着き、最寄り駅で下車したところで、はっとする。

 駅前の花屋の店先に、私服姿のコータがいた。後ろ姿だけで彼だと分かって、同時に胸が高鳴った。

 他に連れがいる様子は無い。声を掛けようと後ろから駆け寄りかけて、その途中で、私は足をぴたりと止める。

 コータの片手に提げられているのは、私もよく行く、近所の洋菓子屋さんのケーキ箱。絶対に傾けないよう慎重に扱っていることが、コータのささやかな所作からでも伝わってきた。

 花屋のショウウインドウには、入店を躊躇うように外から店内を窺うコータの顔が、くっきりと映り込んでいる。

 口元に薄っすらと優しい微笑を浮かべ、はにかんでいるような。見ているだけで切なくなるような、ぎゅっと胸を締め付けられるような、そんな。

 大切な誰かを想う顔。




 ――ああ。

 私は、コータのその顔を、真正面からこの目で見たかった。

 表情だけで「好きだ」と語っているような、その特別な顔を、私だけに向けてほしかった。

 だけど違う。コータは私じゃない誰かを見ている。私がコータを想うのと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に、その人のことを強く想って恋焦がれている。

 コータは最後まで、背後の私の存在には全く気付かなかった。ショウウインドウの中のコータが意を決したように口をきゅっと引き結んだかと思うと、彼は花屋のドアを開けて店内へと入っていく。

 私はコータが何を選ぶのかは見届けず、その場でくるりと踵を返すと、脱兎のごとく家への帰り道を駆け出した。




 一人では持て余すこの想いを、女友達に語ったところで、反応は目に見えている。

「言ってみなくちゃ分からないでしょ。一か八か、告っちゃえ」なんて、無責任に背中を押されるか、あるいは、「そんな男は諦めて、他の人を探しなよ」と、もっともらしく助言されるだけだろう。

 そんなもの、私は求めていない。下手な励ましも憐憫も欲しくない。


 だから、この恋は誰にも言わない。


 夕暮れが迫る街をがむしゃらに走り抜けながら、こみ上げてくる涙とともに、私は想いの全てを飲み下す。



 *



 中学校に上がったころには、僕はこの感情の正体に気が付いていた。

 そして、その感情が報われることが無いことは、その時点で分かりきっていた。

 あのひとには、すでに決まった相手がいる。僕だけのものになることは決して無い。

 彼女が僕に向けてくれる暖かい笑顔は、ある意味では特別な感情によるものではあるのだが、けれど、それは僕が望んでいるものとは決定的に異なっている。

 僕の本当の気持ちを、万一、彼女に悟られてしまったら、間違いなく彼女を困らせてしまうだろう。

 だから。




 年に数回の特別な日、僕は花が大好きな彼女のために、こうして花屋を訪れる。僕のような年頃の男が店先で花を選ぶのは、何度経験しても気恥ずかしくて慣れないのだが、店員さんたちはそんな僕をからかうこともなく、いつでも親切に対応してくれる。

 贈る花は、入店前から決めていた。時節柄、店頭にずらりと並べられたバケツの中で大量に咲き乱れているその花の中から、僕は一際大きなオレンジ色のものを一輪と、白や淡い黄色の小さいものをいくつか選んだ。

 さして高価でもなく、誰でも知っているこんなありふれた花でも、あのひとは心から喜んで、満面の笑顔で受け取ってくれるに違いなかった。

 リボンの色はどれがいいかと会計の際に尋ねられ、いくつか候補として見せてもらった中から、上品で光沢のある金色のものをお願いする。薄黄色の包装紙と合わせてラッピングしてもらうと、メインの花の色がより際立った。

「メッセージシールはどれにしましょうか?」

 そう言って店員さんがカウンターの下から取り出したのは、十枚ほどのシールの見本を並べて一枚の台紙に貼り、ラミネート加工したものだった。

 シールの形は楕円や四角やハートで、色は金に銀、ピンク、白の四種類。中央には、『For You』や『Happy Birthday』といったメッセージがそれぞれ印字されている。

 その一つ一つをじっくり確認し、少しだけ迷ってから。

「これにしてください。この、丸い金色の」

 僕は、見本の一つを指で示した。


「『Happy Mother's Day』で」




 この恋は、誰にも言えない。






 Fin.

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