第5話 ガソリンスタンド

 朝、四時。少しひんやりする海岸添いの道路を走行車線キープで走る。たまにすれ違う車はかなりスピードを出しているが、僕は、制限速度を少し超えたくらいで潮風を楽しんでいる。


 こんな時間なのに海の側にある駐車場では、気の早いサーファー達が忙しなく準備をしている。


 稲村ヶ崎を越えたあたりで、ちょっとしたスペースを見つけた僕は、スピードを緩め愛車を止めた。


 そして、海の彼方を見つめる……。


『もうすぐ陽が昇る……』


 サイドスタンドをゆっくりと降ろすとフルフェースのヘルメットを外す。そして、髪型を整えながら、すぐ横にある自動販売機でブラックコーヒーを買い、プルタブを一気にひっぱった。


 三年バイトをして漸く購入した年代物のホンタVT-250。『俺は、まだまだ現役だぜ』というような声が聞こえてきそうなくらい、ご機嫌なエンジン音を今日も聞かせてくれている。そんな音に惚れ惚れしながら、僕は缶コーヒーをちびちびと飲む。乾いた喉にほどよい苦みが広がり、少しだけあった眠気が一気に飛んでいった。



 漆黒の空の下を横浜から鎌倉まで走ってきた。だが、今、僕の目の前には、薄いオレンジ色の空が広がっている。

 そして、東の空には、太さがまちまちの幾つもの綿状の雲が泳いでいる。その雲がどんどん朱色に濃く染まっていく……。

 正面には富士山がとても綺麗に見えている。もう流石に冠雪はしていないが、富士山も入れて写真を撮りたい、、そう思った。


『今日の朝焼けは、かなり良さそうだぞ』


 僕は、ポーチの中からデジカメを取り出すと空に向けた。

 露出を少し抑えめにすると空の色が強調されて綺麗に撮れる。


「パシャ、パシャ」


 僕は、数枚撮ると、液晶をチェックする。

 

 空は、刻々と変わって行った……。

 様々な色が重なっては離れ、濃くなっては薄くなる。

 余りにも素晴らしすぎてシャッターを止めることが出来ない。


 そうして一時間は撮っていただろうか!?

 僕は、スマホを取り出し、時間をチェックする。


「ん!?やばい」


 僕は、すぐにデジカメをポーチにしまうと、愛車に飛び乗った。

 そして、ヘルメットを被るとギアを一速に入れ、アクセルをふかすと一気に加速して走り出した。



 僕、緒方 結おがたゆうは、大学二年生。神奈川の大学に通っている。

 趣味は単車、そして写真撮影だ。

 今日のように、出来るだけ時間を見つけては愛車と共に各地へと出向き、そこで見つけた風景をカメラに収めていた。


 

 

 走り出すと、早い時間にも関わらずもう渋滞が始まっていた。僕は、少し焦ったものの、なだらかな坂の頂上を超えたあたりで、急に渋滞は解消され、それからはとてもスムーズに運転できた。

 

 『もうあと五分で大学に着くな…』


 信号待ちでふとメーターを見るとガソリンがかなり減っていた。


 左折すると大学の駐車場、右に行けば東京方面の交差点を躊躇無く右折する。

 僕は、そこから十分くらいの所にあるオネオススタンドに入っていった。


「いらっしゃーい」


 アルバイトだろうか?元気な女の子が、僕を第二レーンまで導く。

 髪の毛はロングで金髪に染めているが何となく可愛い感じだ。

 オネオスのツナギを来てキャップを被っているのでよく見えないが、ちょっと照れくさそうにしているような気がした。胸元には、ひらがなで『さゆ』と書かれたネームプレートが貼られてある。


「あのっ!オネオスカードって持ってますか?」

「あ、、、持ってないね」

「なら、作りませんか?年会費無料ですよ。しかも、今回の分からなんと二円引きです。絶対お得です。お願いします!」

「わかったよ。そこまで頼まれると断れないね」


 僕は、少し苦笑いをしながら、その女の子に付いて事務所に入っていった。


「チーフ、オネオスカード入会ご希望の方です」

「了解!!では、お客様、こちらにどうぞ。それでは、簡単に説明させていただきますね」


 そんなこんなで、若いお兄さんの説明を受け、申込用紙を書いた僕は、オネオスカードを受け取ると単車の元に戻り、機械にカードを挿入し、レギュラーガソリンを選ぶ。


 すると、さっきの彼女が近づいて来た。


「あの、、なんだか強引に紹介してしまって、すみません!!そして、入会ありがとうございました!是非、これからもご贔屓に!」


 僕は、彼女の顔をみて「うん。ありがとう」と言った。

 だが、やはり、彼女の顔はオネオスのキャップに隠れて余り見えなかった…。



 それから、僕は、給油が必要になったら、彼女がいるガソリンスタンドに行くようになった。

 運悪く、彼女がいないときもあったが、偶然、彼女の手が空いている時は、少しだが会話ができるような仲になった。

 僕は、その一言、二言の彼女との短い会話が楽しみで、わざわざ自宅からは遠いここ、日吉オネオス店まで通っていたのだ。



 それから、数ヶ月がたった。

 彼女は、車の誘導や洗車、オイル交換の紹介など、僕が行くたびに上手くなっていた。

 彼女には申し訳ないが、初めて会った時が嘘みたいだ。


 ある日の夕方、僕が、オネオスカードを機械に入れ、単車の給油口を開けていると彼女が近づいてきた。


「あのー。ちょっといいですか?」

「あ、お疲れ様!前に来たときはいなかったんだよな−」

「あっ、そうなんですね。それは申し訳ないです」

「いやいや、誤ることではないから」


 まるで君に会いに来ているんだよと言ってしまったみたいで少し気まずい。


 彼女は、キャップに手をやると、ぎゅっと深く被り直し、顔を僕の方に向けた。


「実は、私、今日でこのバイトを辞めるんです。今までほんとにありがとうございました」

「えっ、マジで?あー、、そうなんだ…」

「はい。本当にありがとうございました。緒方さん、、これからも安全運転で!そして、この店をご贔屓にお願いしますね。あっ、チーフに呼ばれたので、これで失礼します」


 今日で彼女と会えなくなる……。

 大がつくヘタレな僕だが、このまま彼女と会えなくなるのは絶対に嫌だ。

 よし、彼女の名前や連絡先を聞こうと決意した瞬間、彼女は年配のドライバーにつかまってしまい、パンフを片手に色々と説明をしている。


 僕は、給油後も、タオルでフロントガラスを拭くなどして粘ってはみたものの、彼女は次から次へと違うお客様と話をしていて、大忙しだ。

 そんな彼女を見ると、彼女が別れを言うのは、僕だけじゃなかったんだな…と少し寂しくなり、僕は単車に跨がるとセルスイッチを乱暴に押した。


 そして、「ギューン」という音を残しながら、僕はお客様と話をしている彼女の前を通り過ぎ、二車線の道路へと入っていった。



 それから長い夏期休暇に入った…。



 僕は、この夏、北海道へのツーリングを予定していたが、何故か心が躍らず、結局、だらだらと無駄に毎日を過ごしていた。

 時々、近くのスーパーには、単車を使って買い物に出かけたが、正直、あれだけ出かけていたのが嘘みたいに部屋で過ごす時間が増えていた。

 

 夏期休暇最後の日曜の夜、僕は、サイフの中のレシートを取り出しては、破って、ゴミ箱に投げ入れていた。

 すると、ガソリンスタンドのレシートに包まれたオネオスカードが千円札の隙間から出て来た。

 レシートの日付けは七月二十三日となっている。


 あの時の彼女の姿が目に浮かんだ。

 

 あの時、どうして、もう少し彼女を待てなかったのだろう?なぜ、もう少し勇気を出せなかったのだろう?なぜ、なぜ……。


 そういう女々しい後悔がぐるぐると頭の中で回っている。

僕は、枕に顔を沈めると、『あっーーーーー』と声にならない後悔の念を力の限り叫んだ。


 

 夏期休暇が終わって、大学のキャンパスは多くの学生で賑わっていた。

 一限目が終わった後、僕は、いつもゼミ仲間とたまっている喫茶室に向かって歩いていた。


「緒方さん、緒方さん、、、、」


 背後で僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 振り返るとそこには、ロングの黒髪が良く似合う、笑顔が可愛いい女の子が立っていた。


「緒方さん」

「えっ。はい。そうですけど…」

「お久しぶりです」

「・・・・・・」


 彼女はもしかして、誰かと間違っているのではないだろうか?

 緒方ってこの大学には数人いるみたいだし……。

 実際、僕はこの子とは会ったことがないのだが…。


「あの、もしかして、わかりませんか?」

「えっと、ごめんなさい。んーーーーーー」


 彼女はちょっぴり悔しそうな顔をして僕を睨んだ。


「私ですよ。私!!!」


 彼女はそういうと僕に近づいて、耳元で囁いた。







 僕が固まってしまったのは許して欲しい。

 

 聞くと、彼女は、大学の後期と来年分の授業代を稼ぐべく、今年の前期を休学してバイトを幾つも掛け持ちして働いていたとのこと。

 どうりで、これまで一度も大学で見かけなかった訳だ。しかも、休学した初日に自慢だった黒髪を金髪に染めたらしい。

 バイト先で、舐められないようする為みたいなことを言っているが、彼女のキャラに全く合わない。だって、一言でも話せば、彼女のその大人しい性格はすぐにわかるから。あっ、今はそんなこというと印象が悪くなるから胸の中に閉まっておこう。



 親に仕送りを受けているので偉そうには言えないが、僕も欲しい物を手に入れる為に、三年もバイトを頑張った経験がある。

 そんな似たもの同士の僕たちは、これからもきっと仲良くやって行けると、確信めいた気持ちで僕の胸は一杯になっていた。


「緒方さん!今度、単車に乗せてくれませんか?」

「うん。じゃあ、今から行こうよ。君に見せたい風景があるんだ」



第五話

終わり



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恋に落ちるその瞬間はいつも突然にやってくる。 かずみやゆうき @kachiyu5555

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