第2話 ノロマな亀
二人の仲は、夏が来ても良くはならなかった。浦佐はいつも絆創膏を貼っていたし、下北の教科書や体操服はしょっちゅうゴミ箱に捨てられた。
「これは犯罪です。警察に言ってソアラを逮捕してください」
ある時、凄い勢いで先生に迫る下北を見た。
「そうは言っても、証拠が無いんだよなあ」と先生は頭を掻いた。「教頭先生には報告しておくから。あと浦佐のケガ、本当に下北じゃないんだな?」
「あたりまえです。ソアラはなんて言ってるんですか」
「言いたくないってさ。正直、先生も困ってるんだよ。仲良くしてくれないかなあ、二人」
先生は職員室に戻った。下北は悔しそうに下を向いて、拳を握りしめていた。
夏休み前に大掃除がある。家庭科室を任された僕たちは、二階の端っこに向かう。
窓を開け放っていて、外の熱風が容赦なく流れ込んでくる。
「掃除中もエアコン付けてよう、もう」
肘折が文句を言う。
一学期の間に肘折はますます成長し、僕より十センチは高い。
「デカいとやっぱり暑いの?」
「デカいって言うな」
最近肘折は、背の高いことを気にしている。
その時、廊下の先で悲鳴が聞こえた。近い。図書室だ。
慌てて駆け込む。
浦佐が震えながら突っ立っている。
床に投げ出された二本のほうき。
「どうしたの! ソアラちゃん?」
肘折の言葉に、浦佐は開いた窓を指差す。
お腹くらいの高さまで書棚が並んでいて、その上が窓になっている。
僕は窓を覗き込む。書棚が邪魔で下がよく見えない。
「どいて、ミキト」
肘折に脇に追いやられる。肘折は窓から身を乗り出して下を覗き込む。
「危ないぞ、落ちるなよ」
「落ちてるよ!!」
肘折が叫ぶように言った。「ミクちゃんが落ちてる!!」
僕は咄嗟に走り出した。
「肘折はここにいろ。浦佐を頼む!」
廊下に出て非常ベルを押す。けたたましい音の中、階段を降りる。
「図書室から人が落ちた! 先生を呼んで!」
誰かとすれ違うたびに、片っ端からそう叫ぶ。
「下北! 大丈夫か!?」
下北は生きていた。でも息の仕方がおかしい。
動かしちゃダメそうだ。大人が来るのを待とう。
下北が何かを言っている。ものすごく小さな声。
耳を口元に近づける。
「ソアラに……突き落とされた……」
頭の中が真っ白になる。
救急車が来て、下北は入院した。とりあえず命に別状はないらしい。
警察の人に詳しい事情を聞かれる。
肘折が窓から身を乗り出して、下北を発見した時のことを説明した。
メジャーで書棚の高さを測った警察は、僕たちと見比べて、「これは危ないわ」と呟いた。
ほうきの写真を撮っている人もいる。
何かが気になる。大事なことを見落としてる気がする。
「浦佐は逮捕されるんですか?」と僕は聞いた。
「小学生だからね。捕まらないよ」と女の警官が言った。「でも、お父さんお母さんには、会えなくなっちゃうかもなあ」
「大丈夫です」と肘折が振り返った。「浦佐さん、お父さんいないんで」
その警官は悲しそうな、困ったような顔をした。
予定が変わって、次の日から夏休みになった。
お母さんが全校保護者会に行って、その様子がテレビのニュースで流れた。見ていると、お父さんが黙ってテレビを消した。
僕は夜中に何度も目が覚めるようになり、何年かぶりに、お父さんとお母さんと一緒に寝た。
夏休みの学童保育は休んだ。お父さんとお母さんが交代で休んで、家にいてくれた。YouTubeをどれだけ見ても、ゲームをどれだけやっても何も言われなかった。
そんな生活を2週間続けた。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だから、仕事いつまで休んでらんないでしょ」
心配する母の背中を押すようにして見送ったあと、自転車で肘折の家に行く。
肘折は元気そうだった。肘折の親も今日から会社に行ったそうだ。
部屋に入れてもらう。
「麦茶持ってくる」
肘折はそう言い残すと部屋を出ていく。タタタっという階段を降りる音がする。
エアコンの風の当たる場所で身体を冷やす。女の子のいい匂いがした。
トレイに麦茶を乗せて肘折が帰ってくる。新聞を小脇に抱えている。
「ありがとう。うち新聞取ってなくて。TVもニュースだと消されるし」と僕は言った。
「あるある。うちも」と肘折は笑った。
渡された新聞を読む。
「このAさんってのが下北で、Bさんってのが浦佐だね」
「ミクちゃん、腰の骨が折れてるんだって。歩けなくなるかもしれないらしいよ」
下北の走る姿を思い浮かべる。小さな体で、めちゃくちゃ足が早かった。
「浦佐はやってないって言ってるんだね」
『二人の少女、食い違う証言』という見出しを僕は指差す。
浦佐は、下北を突き落としていないと言っていた。
一方、下北は窓に向かって掃除をしていたら、背中を突き飛ばされて落ちたと言っていた。
「あ!」
僕は気づいて声を上げる。なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだ。
「肘折、明日下北のお見舞いにいこう」
「え? いいけど?」
下北の入院している病院まで、バスと電車で向かう。途中、お見舞のりんごを買った。
病院で下北に会いに来たというと、受付の女の人は困ったような顔をした。
「面会制限なのよね……でもマスコミには見えないし……」
女の人は僕たちの名前を聞いて、電話をかける。しばらく待たされたあと、下北に会えることになった。
「佐野くんと肘折さん、ありがとう」
下北は僕らの顔を見ると、笑顔を見せた。
りんごも喜んでくれた。
下北は包帯だらけだった。四箇所も骨折しているらしい。
肘折と下北は、他愛のない話をして笑ってる。
二人の話が終わったところで、僕は口を開く。
「本当は浦佐に突き落とされたんじゃないんだろう、下北」
下北の表情が曇る。肘折は驚いたように僕を見た。
「ちょっと、ミキト何を……」
声を上げようとした肘折を遮って、僕は続けた。
「不可能なんだよ、浦佐が下北を突き落とすのは。警察は肘折を見て、下北は突き落とされたと思った。でも図書室の本棚は僕のお腹くらいある。本棚が邪魔で、僕は下を見ることもできなかった。背の低い君たちにはもっと無理だ」
「わたしが自分で飛び降りたって言いたいの?」
僕は頷く。
「なんのために?」
「浦佐は児童相談所に入れられたそうだよ。下北はこれで満足かい?」
児童相談所は子供が犯罪をしたときに、最初に送られる場所だ。虐待された子供を守る場所でもある。
「浦佐は虐待されていたんだ。お母さんか、もしかしたらその恋人に」
下北は大きなため息をついた。
「いつ気づいたの?」
「昨日。でも、もっと早く、君たちが言い争いをしているときに気付くべきだった。体操服を脱がせようとしたのは、浦佐の体にアザがないかを確認したかったんだね。体操服を切り刻んだり、教科書を捨てたのも、全部、下北が自分でやったことだ」
「なんでミクちゃんは、そんなことをしたの?」
肘折が言う。声が震えている。
「浦佐を助けるためだよ。先生が言ってただろう。証拠がないと、大人は動けない。最初は、浦佐に自分で大人に相談させようとしたんだろう。だけど浦佐には、証拠を集めることが出来なかった。しつこく言う下北を、だんだん浦佐は避けるようになった。虐待されていると、そこから抜け出そうともできなくなるんだってね。そのことを、自分も虐待されていた下北は知っていた。だから、浦佐を犯人にすることで、大人を無理やり引きずり込んたんだ」
「そんなことのために……」
「そう。そのために、下北は自分で窓から飛び降りたんだ」
僕はノロマな亀だ。心の底から後悔していた。もっと早く気づいていれば、下北がこんな怪我をすることもなかったし、浦佐が親友に犯人にされることもなかった。
「ねえ。秘密にしてくれないかな」
下北は小さく言う。「ソアラが犯人じゃなかったら、また家に戻されちゃう。虐待って辛いんだよ。こんな怪我より、もっと辛い。お願いします。ソアラを助けて」
「下北。浦佐はいま、児童相談所にいる。君が事実を言えば、浦佐は保護してもらえると思う」
「絶対に?」
「わからない。だけど、浦佐は君に裏切られたと思っているだろう。今のままじゃ浦佐の心が死ぬ。僕たちも、浦佐がいつも怪我をしていたことを話す。だから、一緒に真実を話そう」
下北が涙を流す。下北はごめんなさいと泣いていた。
僕も下北と浦佐に、心のなかでごめんなさいと謝った。
優しい兎と、ノロマな亀 酒魅シュカ @sukasuka222
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