優しい兎と、ノロマな亀

酒魅シュカ

第1話 優しい兎

 兎とー 亀のー どちーらでもー いいー わたしたーちはー じょうほくー じょうほくーっ子


 春休みが終わったら、6年生かと思いながら校歌を歌った。

 続いて校長先生の話が始まる。春休みは危険がいっぱいらしい。それ、夏休みも冬休みも聞いた。

 壇上でピアノの伴奏をしていた下北しもきたミクが帰ってくる。浦佐うらさソアラに小さく手を振る。浦佐は返事の代わりに、小さく笑う。

 下北は何でも出来る。家も馬鹿みたいに大きい。これから教室に帰ったら渡される通知表にも、『良い』が並んでいるはずだ。

 浦佐は逆に、何にもできない。勉強も運動もダメダメだ。髪もボサボサだし、服もいつもシワシワだ。家もアパートで、タブレットの充電もしてこない。


 通知表は、『良い』と『普通』が半々だった。僕にしてはよく頑張った。

「どうだった? ミキト」

 隣の席の肘折ひじおりサクラが覗き込む。

「見んなよ」

 僕は通知表を隠す。

 こいつも成績がいい。おまけに背も僕よりでかい。

 こいつも兎側の人間だ。

 世の中は亀にとって不平等だと思う。


 卒業式の準備の手伝いをして、お昼に学校が終わる。肘折と、学校の敷地の中にある放課後児童クラブに向かう。

 下北と浦佐が一緒に下校するのが見えた。笑顔で話している。

 兎と亀くらい違うのに、二人は仲がいい。共通点は背が低いことと、お父さんがいないことくらいだ。

「仲いいよね、ミクちゃんとソアラちゃん。春休みも毎日、一緒に遊ぶらしいよ」

 肘折が二人を見ながら言った。


 春休みはあっという間に終わった。

 クラス替えで下北と浦佐は2組になり、僕と肘折は同じ4組で隣の席になった。

「げ! なんでまたミキトが隣なのよ」

「それはこっちのセリフだよ」


 始業式に浦佐の姿が見えない。休んでいるようだ。

 校歌でちょっとしたトラブルがあった。

 下北がピアノを弾き間違えたのだ。兎と亀の〜、のところで盛大に音が狂う。

 神妙な顔で下北が席に戻ってくる。

「ソアラちゃんいないと、調子が出ないのかな」

 肘折が呟くのが聞こえた。


 一週間後見かけた浦佐は、顔に大きなガーゼを貼っていた。テープの貼り方があまり上手ではない。自分で貼ったのかなと思う。

 いつも下北と一緒にいたのに、彼女は一人で過ごすようになっていた。

 喧嘩でもしたのだろうか。

 小さな背中を丸めてトボトボと帰る浦佐はは、なんだかとても悲しそうに見えた。


 気になって見ていると、一方的に浦佐が下北を避けているようだった。

 下北はよく声をかけようとしていたが、浦佐はいつも走って逃げた。

「あれ、イジメじゃないの」

 肘折が小さな声で言った。


 合同体育の授業で、クラス対抗のドッジボールがあった。

 僕はすぐに当てられて外に出た。

 4組最強の肘折は、四人目を仕留める。

「あのデカ女、なんなんだよ」

 当てられた2組の男子が、ブツブツ言いながらコートを出る。

 浦佐はとっくに当てられて、後ろの方でぼーっとしている。

「あーあ、ミクがいたらな」

 2組の男子が未練がましそうに、グラウンドの隅で見学している下北を見る。

 4組最強が肘折なら、2組最強は下北だ。肘折のようなパワーはないが、小柄な体を活かしてボールを避けて、巧みなフェイントで確実に当てていく。

「なんで下北は見学してんの? カゼ?」

 僕は近くの2組の男子に聞いた。

「誰にも言うなよ」とその男子は声を潜めた。「下北の体操服切られたんだよ。ひでえ事する奴いるよな」

 バシっと音がして、その男子の肩にボールが当たる。

 肘折がガッツポーズをしている。

「ちょっ! 4組卑怯だぞ!」

 当てられた男子は、僕を睨みつけて言った。


 体育の後、グラウンドに赤白帽を忘れたことに気づいて取りに戻った僕は、言い争う声を聞いた。用具倉庫の裏からだ。

 そっと様子を伺う。下北と浦佐だ。

「ソアラ!」

 強い口調で下北が浦佐に詰め寄る。浦佐は後ずさる。

 下北は浦佐の体操着の上着の裾を掴む。浦佐は抵抗し、揉み合いになる。

「やめて、ミク。関係ないから!」

 どうやら下北は、浦佐の体操服を脱がせようとしているらしかった。

「何してんだよ」

 僕はとっさに声をかけた。

「佐野くん。なんで……」

 下北が手を離す。

 浦佐は下北を突き飛ばすように、距離を取る。

「関係ないから。誰かに話したら、許さないから」

 浦佐は、そう言い捨てると走り去った。

「なあ、下北、お前何を……」

「待ちなさいよ、ソアラ」

 僕の言葉など聞かず、下北は浦佐の後を追った。


「それはイジメね。間違いないわ」

 肘折はうんうんと頷きながら言った。「きっと普段から、ミクちゃんはソアラちゃんをイジメてたのよ。ソアラちゃんは仕返しで体操服を切った。ミクちゃんはその仕返しに、体操服を取り上げようとしたんだわ」

「なんか仕返しだらけだなあ」

 僕は首をひねった。「下北が体操服なんか欲しがるかな。いくらでも買えるだろ、あいつんち」

「じゃあ仕返しに、体操服を切り刻んでやろうとしたんじゃない?」

 どうも下北と浦佐のイメージに合わない。

 と言っても、僕は三年生で転校してきたので、二人のことをそんなに知らない。

 肘折に下北と浦佐のことを詳しく教えてもらう。


 下北シモキタ 未来ミク

 魚座。お母さんは会社の社長で、すごい美人。お父さんはいない。二年生くらいまではいたらしいが、お母さんと下北に酷いことをする人だったので、離婚した。


 浦佐ウラサ 空亜羅ソアラ

 蟹座。お母さんはヤンキー。お母さんの恋人がいる。


「ミクちゃんのお父さんって、今考えたら虐待する人だったと思うの。だからミクちゃんも虐める側の人だと思うわ。虐待の連鎖ってやつ」

「虐待の連鎖の使い方間違っているし、そういうふうに決めつけるのは、良くないと思うよ」


 調べてみると、下北と浦佐は、ほんとうに仲がよかったらしい。

 きっかけは、二年生のときの運動会だそうだ。

 借り物競争があり、下北と浦佐は同じ組になった。

 スタートで駆け出して、途中に置かれた紙を拾う。そこに書かれていたものを、父兄や児童から借りてくるのだ。帽子やペン、たまに先生など小ネタも仕込まれている。

 ところが浦佐は紙を持ったまま、動かなかった。紙には『かぞく』と書かれていた。浦佐の唯一の家族のお母さんは、来ていなかった。

 それを見た下北はゴールする直前だったのに、引き返し、浦佐の手を引いて自分のお母さんのところに連れて行った。

 浦佐と下北とそのお母さんは、三人で手を繋いで、ビリでゴールしたという。

 下北、めちゃくちゃ優しいじゃんと僕は思った。

 兎と亀の物語だって、もしかしたら、兎は下北みたいなやつで、ノロマな亀のために、ゴール前で待っててあげたのかもしれない。恩知らずな亀は寝てしまった兎を起こさずに、一人でゴールした。

 亀、めちゃくちゃ嫌なヤツじゃん。

 

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