お花探偵~野に咲く星

さんぱち はじめ

第1話

 春のある日、白いアーチ門の前にぼくは立っていた。


 アーチにはたくさんの葉っぱが絡んで、緑のトンネルのようになっている。


 今日、同じクラスの女の子に言われて、ぼくはここへ来た。困ったことがあってそのことをその子に話したら、この家のことを教えてもらったのだ。


「だったら、わたしのおばあちゃんに相談したらいいよ!」と、その子は言った。

「おばあちゃんに?」

「うん。うちのおばあちゃん、探偵なんだよ」

「探偵? 探偵って、アニメとか映画とかに出てくるあの探偵のこと?」

「そうだよ。お花専門だけどね。って言うの」

「お花探偵……?」


 ここはその子のおばあちゃん、お花探偵のお家らしい。


 目の前には玄関があったんだけど、お花探偵に用があるときは、アーチ門からまっすぐ庭へ入っていいって言われた。


 ……けれど、本当に勝手に入っちゃっていいのかな?


 恐る恐るアーチをくぐる。柔らかな葉っぱが太陽の光を受けて、トンネルの中は緑の光に包まれていた。ぼくはゆっくりと、そこを進んでいった。


「うわ、すごい」


 トンネルを抜けた先の光景を見て、思わず息をのむ。


 そこには別世界が広がっていた。たくさんの草花や木々が植わっていて、色とりどりの花が咲いている。


 庭の真ん中には白くて丸いテーブルと椅子が二つ置かれていた。そして、その奥に一人のおばあさんが立っていた。真っ白な髪が日に当たって、キラキラと輝いている。優しそうな感じのおばあさんだ。ちょうど、如雨露で花に水をあげているところだった。


 そのおばあさんが、身体を起こすとこちらに顔を向けた。


「あら、お客様かしら?」

「あの……、勝手に入ってごめんなさい」

「いいのよ。そんなに怖がらないで」


 そう言うと、おばあさんはにこりと笑った。


「あのぼく……、一宮いちみや悠人ゆうとって言います」

「そうなの。わたしの名前は、麻里花まりかって言います。いらっしゃい、悠人さん」


 そう言って、おばあさんはもう一度微笑んだ。でも、なぜか目を閉じたままだ。


「この庭に来たということは、何かお困りごとがあるのでしょう?」

「はい。ぼく、友だちの明日花あすかちゃんにここを教えてもらって来ました」

「あら、明日花のお友だちなのね?」


 おばあさんがそう言うのと同時に、家の中からどたどたと元気のいい足音が聞こえて来た。そして、明日花ちゃんがベランダから飛び出すように顔を出した。


「あっ、悠人くん! 来たんだね!」

「明日花ちゃん」


 明日花ちゃんの顔を見て、ぼくはホッとした。


 同じクラスの明日花ちゃんは、いつも元気いっぱいな女の子だ。肩に乗るくらいの髪をしてて、頭に髪留めのピンをしてるんだけれど、そのピンにはいつも蜂の人形がくっついている。


 もこもこした可愛い蜂で、マルハナバチって言うらしい。明日花ちゃんはこの蜂が大好きなんだとか。


「明日花さん、いつもの本を持って来てくれないかしら」

「わかった! 取って来る!」


 おばあさんがそう言うと、元気よく明日花ちゃんは奥に引っ込んでいった。で、すぐに戻って来ると、大きくて分厚い本を抱えていた。


 赤いサンダルをはいて庭に出ると、白いテーブルの上にその本を置く。とても古めかしい本だった。


「さ、悠人さん。椅子にどうぞ」


 おばあさんにすすめられて、ぼくは椅子に腰かけた。おばあさんと向かい合って座る。


 その間も、おばあさんはずーっと目を閉じたままだった。


「ねぇ、おばあさん。どうしてずっと目をつむっているの?」

「わたしは目が見えないのよ」

「そうなの?」

「ええ、ずっと昔に病気が原因でね」

「そうなんだ」


 でも、それなら不思議だな……。


「どうかした?」

「うん。目が見えないのに、どうしてぼくが来たことや、不安に思ってるのがわかったのかなって」

「足音よ。大人と子どもの足音も違うし、自信たっぷな人の足音と不安気な人の足音も違から」

「そうなんだね」

「ね? 本当に探偵みたいでしょ?」


 明日花ちゃんが少し誇らしげにそう言った。ぼくは「うん」と大きくうなずいた。


「さあ、それではお話を聞きましょうか」


 おばあさんが、本の上に両手を乗せた。


「どんなお悩みがあるのかしら? お花のことで知りたいことがあるのなら、おばあさんが解決できるかもしれないわ」


 そう言われたので、ぼくは学校で明日花ちゃんに言ったことをもう一度話した。


「ぼくのパパは今、出張で外国に行ってるんです。それで、お別れする日に、近くの草むらに花が咲いていて、『あの花があと二回咲いたとき、パパは帰って来るよ。ちょうどあの花が咲く今の季節にね』って、そう言ったんです」

「そう。悠人さんは、その花のことが知りたいのね?」

「はい」

「その花のことがわかったら、お父さんがいつ帰って来るかわかるもんね!」


 明日花ちゃんが笑いながらそう言ったので、ぼくもうなずいた。


「けどね、おばあちゃん。その花が咲いてた場所はすぐに埋め立てられちゃったんだってさ! ね?」

「うん。パパが出張に出てすぐに……。今は駐車場になっちゃった。だから何もわからなくなっちゃって……」

「そうなの。事情はわかったわ」


 優しく微笑むと、おばあさんがぼくに両手を差し出した。


「それじゃあ、悠人さん。ここに手を乗せてくれないかしら」

「え? う、うん……」


 戸惑いつつ、おばあさんの手のひらに自分の手を乗せる。


「目を閉じて……。その日のその場所に、おばあさんを連れて行ってちょうだい」

「え? 連れてくの……?」

「そう。悠人さんがお父さんとお別れした日のことを思い出して? 目を閉じて、そのときの光景を思い出すの。それをおばあさんにも聞かせてちょうだい」

「う、うん」


 戸惑いながら、ぼくは目を閉じた。


「どう?」

「真っ暗だよ」

「そのときのことを思い出すと、何か見えてこないかしら? 何か感じない? たとえば、外の空気は暑かったとか寒かったとか。風に乗って何かの匂いがしていたとか。悠人さんはそのとき、お父さんとどんな話をしたのかしら? 思い出せること、どんなことでもいいから教えてちょうだい」


 おばあさんにそう言われると、真っ暗だった目の前に、あの日の光景が少しずつ浮かんできた。ぼくはそれを言葉にしていった──。




 それは朝だった。ぼくはママと一緒に、近所までパパを見送ったんだ。ママは、少し寒そうに肩を丸めていて、肩に上着を羽織っていた。ぼくも確かパジャマの上から服を着てたと思う。


「それじゃあ、行って来るよ。悠人と家のことを頼んだよ」と、パパはママを見てそう言った。

「ええ、あなたも気を付けて」

「うん。向こうに着いたら連絡するから」


 パパとママはそんなことを話していた。


 ぼくがじっとパパを見上げていると、パパは笑いながらぼくの前にしゃがみこんだ。


「悠人! そんな泣きそうな顔をするなよ!」

「だって……」

「元気でな、悠人! ママのことを頼むぞ!」

「うん」

「ママの言うことをちゃんと聞いて、学校の友だちとたくさん遊んでたくさん勉強するんだぞ」


 パパはそう言うと、ぼくの頭を力強くなでた。


「パパ、いつ帰って来る?」

「う~ん、しばらくは帰れそうにないんだ。けれど、そうだな……。きっと今くらいの季節になるな」


 そう言うと、パパは首を巡らせてある場所を見た。ぼくもつられてそこを見る。草むらが広がっていて、細い木が生えていた。


「悠人、あの花が見えるか?」


 パパは木のそばに咲いている白い花を指差した。同じ場所に、その花はたくさん咲いていた。ぼくは、パパと一緒にその花の前にしゃがみこんだ。


「この花の名前は、すぷ******って言うんだ。ちょうど今の季節に咲く花だよ」

「お星さまみたい」

「ハハハ、そうだね。だからそう言う名前がついているんだろう」


 パパはぼくを見つめると、ぼくの肩に手を置いた。


「この花のことを憶えておくんだ、悠人。この花があと二回咲いたとき、パパは必ず帰って来る」

「二回?」

「ああ。ちょうど今の季節、この花が咲くころにね。それまで待っていてくれ」

「わかった」


 腕時計をちらと見て、パパは立ち上がった。


「それじゃあね、悠人。向こうに着いたら手紙を書くよ。悠人も手紙をくれよ」

「うん! パパ、お仕事頑張ってね」

「うん、行ってきます」




 ──ぼくは眼を開いた。おばあさんは目を瞑ったまま黙って話を聞いていた。


「その花の名前は、すぷ、ナントカって言うの?」


 一緒に話を聞いていた明日花ちゃんが、まず口を開いた。


「うん。確かそう言ってた」

「それ以上、思い出せない?」

「うん。だって、もうずっと前のことだし、聞いたことのない言葉だったんだもん」

「すぷぅ~……。あ、スープかな? コーンスープはわたしも好き!」

「スープじゃないと思うよ。すぷ……なんとかって言ってたから」

「ふ~ん」


 黙ったまま、おばあさんが両手でぼくの右手を包む。


「お話を聞かせてくれてありがとう、悠人さん」

「うん」

「そのお花の形を見て、悠人さんはお星さまみたいって思ったのね?」


 そう尋ねられて、ぼくはうなずいた。


「うん。本当にお星さまみたいな形をしてたから」

「色は白だったのね?」

「うん。白っぽかったと思う」

「本当の真っ白? それともなにか別の色も混ざっていたかしら?」

「ええとね……。青とか紫っぽい色をしてた気がする」

「そう……。それ以外に、その花の香りや葉っぱの形なんかは憶えてる?」

「匂いは……わかんない。葉っぱは……、あっ、そうだ!」


 おばあさんに問いかけられて、ぼくは葉っぱの形を思い出した。


「細長かったと思う! それで、お野菜に似てるなって思ったんだ」

「お野菜に? それは悠人さんも食べたことがあるお野菜?」

「うん! 食べたことがあるよ」

「お野菜に似てるんだ~。人参とか? それともジャガイモ?」


 明日花ちゃんに聞かれて、ぼくは首を横に振った。


「そう言うんじゃなくて、葉っぱの野菜だよ」

「あ、そうか。じゃあキャベツとか? それともレタス?」

「いや、そういうんじゃなくて……」

「じゃあ白菜? チンゲン菜? あ、ブロッコリーかな!」


 次々と質問されて、ぼくはちょっと頭がこんがらがってきた。


「明日花さん……、ちょっと黙っておきましょうね?」

「へーい」


 おばあさんに優しく叱られて、明日花ちゃんはつまらなそうに口をとがらせた。その様子を見て、ぼくの方は少しおかしくなってしまった。


 気を取り直して、おばあさんがまた、ぼくに質問する。


「お父さんのお見送りをしていたのは朝なのよね? そして、あなたのお母さんや悠人さんも、外はまだ寒くて羽織を着ていた」

「うん」

「そのとき、お外は暗かったかしら?」

「ううん、そこまでは」

「そう。ならきっと季節は春だったのね」

「ええっと……。多分そうだと思う」

「そう……、だいたいわかったわ」

「えっ! ホントに!?」


 ぼくは思わずおばあさんの顔を見上げた。たったこれだけで、あの花のことがわかるなんて……。


「確か……。このページね」


 おばあさんは本を手にすると、指で丁寧にページを触りっていく。そして、あるページを開いてぼくに見せた。


「あなたが見た花は、この花じゃないかしら?」

「あ……っ!!」


 そのページに乗っていたのは、まさしく、ぼくがあの朝、パパと見た花だった。


 うっすらと青みのある白い花。花びらの形はお星さまのようで、葉っぱはスーッと細長い。


「これだよ! この花で間違いないよ!」

「この花の名前は、ハナニラって言うのよ」

「ハナニラ?」

「ええ。そして、ハナニラには別の名前がついているの。その名は【スプリングスターフラワー】」


 その名前を聞いて、ぼくはパパの言葉を思い出した。


「そう! パパが言ってた名前もそれだった!」

「スプリングスターフラワー……、どういう意味?」


 明日花ちゃんがぼくと同じ疑問をおばあさんに聞いた。


「英語の名前でね、スプリングは春って意味。スターは星、フラワーはお花のことね。春に咲く星のような花だから、そう名付けられたのね」

「春のお星さまか。確かにピッタリな名前! ね?」


 明日花ちゃんの言葉に、ぼくはうなずいた。ハナニラの花は、本当にお星さまみたいな形だった。だからあのとき、ぼくもそう思ったんだ。


「ハナニラは、見ての通り葉っぱが細長くて、お野菜のニラにそっくりでしょう? 悠人くんが似てると思ったお野菜はニラじゃないかしら?」

「うん。みんなでお鍋をしたときに食べたんだ」

「近くにいくと、本当にニラと同じような香りもするのよ?」

「あ、そうだ。確かにそんな匂いがしてた気がする」


 おばあさんに言われて、また記憶がよみがえる。葉っぱの形だけじゃなくて、あのとき、ニラのような匂いもしていたんだ。


「あっ! けれど注意してね」と、おばあさんが人差し指を立てる。

「お野菜のニラと違って、ハナニラには毒があるの。だから間違っても食べてはだめね」

「そうなんだ。おばあさん、本当にお花に詳しいんだね」


 そう言うと、おばあさんの代わりに明日花ちゃんが自慢げにぼくを見た。


「ね? うちのおばあちゃん、本当にお花探偵でしょ?」

「うん! すごいよ!」

「お役に立てて光栄だわ」


 おばあさんは微笑んだ。


「ハナニラは3月から4月にかけて咲く春の花。お父さんがあと二回この花が咲いたら帰って来るって言ったのなら、ちょうど二年後の春に帰って来るってことよ」

「パパとお別れしたのはいつだったっけ?」

「二年生になってすぐだったと思う」

「えっ!? じゃあ、もうすぐじゃん!」


 明日花ちゃんが驚いたように笑顔になった。


 そう。今は4月で、ぼくたちは四年生になったばかりだ。


「お父さんが外国に行って、今年でちょうど二年目の春……。悠人さんのお父さんは、もうすぐ帰って来るかもしれないわね」

「よかったね!」


 二人にそう言われて、ぼくも嬉しくなってうなずいた。




「ありがとう、お花探偵!」


 帰りがけ、玄関前で、ぼくはお花探偵に手を振った。


「いえいえ。また、お花のことでお困りごとがあったら来てちょうだい」

「はい、そうします! 明日花ちゃんも、ありがとう!」

「ばいばーい。 また明日ね~!」


 ぼくはウキウキしながら家に帰った。もしかしたら、もうパパは家に帰ってきているかもしれない。


「ただいま!」


 玄関のドアを開けると、ママは誰かと電話中だった。残念ながら、パパはまだ帰って来ていなかった。


「あ! ちょうど悠人が帰って来たわ!」と、ぼくをチラッと見てママはそう言った。

「どうしたの?」

「悠人! パパからよ」


 スマホの画面にパパが写っていて、ぼくを見ると手を振った。


「悠人、久しぶり!」

「パパ!」

「悠人! もう少ししたら帰るからな」

「本当に!?」

「ああ。悠人、ずいぶん大きくなってるんだろうな。春からもう四年生だもんな」

「そうだよ!」

「帰ったらパパとたくさん遊ぼうな」

「うん!」


 パパが帰って来ることを想像すると、ぼくは嬉しくなって部屋を飛び跳ねた。

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