後編
夕日がまるで、私と沙月を焼き尽くすように赤く染める。その中で、私は沙月に手を掴まれたまま、固まっていた。
「麻衣はさ、みんなが良い関係でいられるように、いつも努力してくれていたよね? だからこそ、誰にも踏み込まないし、踏み込ませてくれない」
さっきまで泣きそうな顔をしていたはずの沙月は、すでに消えていた。だからこそ、怖い。
「それが麻衣の優しさなんだって気付いた。それと同時に、すごく臆病なのかな? って、思った」
おく、びょう?
その言葉が私の中に触れ、弾けた。だからその勢いで、言葉が滑り落ちる。
「私が臆病なんて事、ある訳ない。それは沙月の方でしょ!? いつも事実から目を逸らして、自分だけはずっと綺麗で居続けて! そんな、そんな沙月が私は――」
私は?
取り乱した私でも、この先を告げる事はしなかった。そんな事をしたら、本当にお終いだから。
なのに、沙月の表情が和らぐ。
「ちゃんと言って? ようやく話してくれた麻衣の本心、最後まで聞きたい」
何でそんな事、言えるの?
真っ直ぐに見つめてくる沙月に、心の中まで覗かれた気がした。だからなのか、溢れてしまった。
「好き」
「す、き?」
何、言ってるの?
驚く沙月と一緒に、私も驚くしかなった。
けれど、伝えてしまった想いをしまい直す事なんて無理だから、私はやけを起こした。
「綺麗な沙月が好き。綺麗なものしか見ない沙月なら、私の事なんて好きにならない。そう思っていたから、好きでいられた。それなのに、沙月は私を好きになった。だからもう、いらない」
綺麗なままでいてほしかった。そうしたら私も、綺麗でいられる気がしていた。
誰にも求められない、透明な私。
それだけが、誰からも汚される事のない、私だけの世界を完結させる唯一の方法だと思うから。
本心を伝え、沙月の手を振り払おうとすれば、もう片方の手も掴まれた。
「麻衣は誰かに想われる事が、怖いの?」
「私に向けられる好意は、汚されるようで気持ち悪い」
「そう、思うんだね」
悲しげに眉を寄せた沙月だが、手に込めた力は強くなる。もう離してほしいのに、沙月は構わず話し出す。
「麻衣はきっと、人の感情に敏感なんだね。だからこそ、その感情に染まって自分が消えちゃうようで、怖いんじゃないのかな?」
「それが何?」
当たっている気がした。けれどこれを認めたらもう戻れない気がして、きつい口調になる。
それなのに、沙月は私の手を離すと、抱きしめてきた。
「大丈夫。麻衣が消える事なんてないよ。麻衣の心はいつも透明で、綺麗。それを汚せるのは、麻衣だけ。麻衣が汚れたと思えば、汚れる。だからね、麻衣以外には絶対に汚せない。それが心だと、私は思ってる」
家族と触れ合う事すら、吐き気がする。それなのに私は、沙月の腕の中で安らぎを得ている。普段なら寒気がして、突き飛ばしているはずなのに。
呆然とする私は、訳がわからなくて涙が溢れた。そんな私に気付いた沙月が腕を緩め、顔を覗き込んでくる。
「ほら、涙だってこんなに透明でしょ?」
「何、言ってるの? 涙なんて、みんな、透明なのに」
「そうだよ。みんな透明。涙ってさ、その人の心だと思わない? だからどんな人の心も透明なんだよ」
意味のわからない言葉があまりにも沙月らしすぎて、笑ってしまう。
「麻衣のその顔、好きだよ」
「そういうのは彼に言いなよ」
「彼、じゃないんだ」
予想していなかった返事に、時が止まる。
そんな私へ、沙月が困ったように微笑んだ。
「麻衣の気を引きたくて、従兄弟に彼氏役を頼んだだけ。だから麻衣がどういう事してたか、知ってたんだ」
「……全部?」
「全部」
沙月にそんな事ができるなんて考えた事もなくて、私の今までの行動が恥ずかしくなった。
それと同時に、沙月が嬉しそうに微笑む。
「私、諦め悪いから」
誰にも言えない恋が2人だけの秘密の恋になった瞬間、私の心が波立った。
沙月の隣なら、私はずっと透明でいられる。
そんな未来に想いを馳せて、私の透明なままの心を包み込む外側だけが、赤く染まったのがわかった。
ずっと、透明でいたい。 ソラノ ヒナ @soranohina
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