中編

 昼休み。

 私達の密会の場所は、体育倉庫の裏。


「沙月との事、おめでとう」

「じゃあ約束通り、あいつから離れてくれ」

「いいよ。でも向こうから来た場合は、知らないから」


 こうして、沙月の好きな彼とこっそり会うのも何回目だろう。連絡先も交換しているなんて知ったら、沙月、どんな顔するのかな?

 そんな想像に胸がときめく。

 まぁ、今日でそんな関係も終わるけれど。


「それは困る。ちゃんと拒否してくれ」

「困るのはあなただけでしょ?」


 私の言葉に揺さぶられるかと思ったけれど、やっぱり彼は変わらない。むしろ、私を見下す目が冷たくなった。


「そうかもな。でも、沙月も男好きなんて言われるのは、許せない」


 彼の目的は、沙月の噂を消す事。その為に、彼は全く興味のない私に近付いてきた。私の傍にいなければ、噂は消えると思って。


 ずっと好きだったんだもんね、心の綺麗な沙月が。

 だからこそ、どうして私を気にかけるのか、気付こうとしないままなんだよね、君は。

 でもね、そんな所がすごくお似合い。

 だから私は、沙月が選んだ君も好き。

 そんな私の想いを伝えたらきっと、2人は全然違う顔になるだろうけれど。


 思い浮かべて、吹き出しそうになる。

 だから、彼の顔が歪んだ。


「今笑うとか、どうかと思う」

「そうだよ。どうかしてるんだよ。じゃ、連絡先消そうか。沙月にバレたら大変でしょ?」


 スマホを取り出し、彼を見上げる。すると、無言で私に応えてくれた。


「それじゃ、さようなら」


 お互いの連絡先を見せ合うようにして、私の言葉と同時に消す。沙月の為の共同作業に、幸せな気持ちになる。


「お前もいい加減、自分の事大切にしろよ」


 そういうのは、いらない。


 接点を作りすぎたからか、彼の眼差しに優しさが含まれてしまった。その事実に幻滅する。

 けれど、私は彼を信じている。だから、微笑む事ができた。


「それなら大切にできるように、噂がもっと広まるぐらい、沙月だけと一緒にいてもいい?」

「お前の人生に、沙月を巻き込むな」


 さっきの優しさが嘘のように消え、まるで害虫を見つけたような顔になる彼に、安心した。


 やっぱりその顔があなたらしい。

 だから優しさは、沙月だけにあげて。


 私の言葉なんて待たずに去っていく彼の背中に、声を出さずに呟いた。


 ***


 沙月と距離を置いたからか、女の友情はあっけなく壊れた。もともと亀裂は入っていたけれど、面白いぐらいに粉々。

 でもそのおかげで、私は自由だ。

 もう、話を合わせる相手もいない。その事実が、私の心を軽くする。


「沙月さ、噂が消えてよかったね」


 友達だった女が、休み時間に本を読む私の耳へ届くように喋り出した。


「うん。事実じゃない噂なんて、放っておけば勝手に消えるんだよ」


 そんな訳ない。

 沙月の噂はきっと、遠回しに私を傷付けようとしたものだから。

 それを見ないようにするのが、沙月の特技だもんね。そうやって綺麗なところだけを見つめ続ける沙月が、1番好き。


 沙月らしい返事に、私の口元が緩みそうになる。

 そこへ、沙月の声が続いて聞こえてきた。


「それに、麻衣が――」

「あっ! そーだ。あのさ、沙月さ、彼とどこまで進んだのー?」

「えっ。それは、その……」


 私が、何?


 私の話題にならないように、別の話に切り替わる。

 それでも許せなかった。

 沙月がまだ、私を気にかけている事を。

 そんな私の心が滲むように、本に落ちる影が濃くなった。


 ***


「麻衣と久々に話せて、すごく嬉しい」


 誰もいない教室。それを染める夕日の中で微笑む沙月はとても綺麗。だけど、私を見る目は汚い。


「私は嬉しくない」

「えっ……。じゃあ何で、今日残ってなんて言ってきたの?」


 そんなものは決まってる。私は沙月が好きだから。私の大好きな前の沙月に戻す為に、呼び出した。


「あのね、あの噂、私が流したんだよ?」


 だから嘘も平気。笑いながら言えちゃう。


「なん、で?」

「だって沙月が良い子すぎるから。気持ち悪くて」


 私の言葉に、沙月の大きな瞳が揺れる。


「麻衣、やっぱり、気付いてたんだね」


 あ、これは藪蛇やぶへびだったかも。


 そう考えたところで、手遅れだった。


「麻衣が私と離れたくて、そんな事までしちゃったんだよね? ごめんなさい」


 謝る沙月の瞳が、さらに濁っていく気がした。


 ここにいたくない。


 それなのに、足が動いてくれない。この先の言葉なんて、聞きたくないのに。

 だから、沙月の声が私を遠慮なく汚していく。


「それでも、私は麻衣が好き。友達としてじゃなくてなの、わかってるよね?」


 吐きそう。


 好きな人から言われるほど、打ちのめされるものはない。それぐらい、私の心が抉られる。


「麻衣から、彼と付き合い始めたんだよね? って言われた日。すごく悲しかった。私ね、どこか夢見てたんだ。彼氏ができた私に、妬いてくれる麻衣を」


 聞きたくない。


 喋れなくなってしまった私に向けられた目は、私以上に傷ついたように、潤みを増す。


「勘違いしてたんだよね、私。麻衣の私を見る目が優しくて、好かれてるって、思っちゃって。気持ち悪くて、ごめんなさい」


 沙月が溜め込んできたものを吐き出され、途方に暮れた。どうやって綺麗な沙月に戻せばいいか、わからなくなったから。

 それなのに、沙月は話す事をやめない。


「でも最後に、これだけは言わせて」


 こんなはずじゃなかったのにと、ようやく私の足が動いた。

 けれど逃げ切る前に手を掴まれ、私は短い悲鳴を上げるしかなかった。

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