最終話 恋の痛み

 テスト明けの土曜日はとても良い晴天せいてんに恵まれた。昨日まで降り続いた雨が嘘みたいだった。


 そのせいか、遊園地はとても混雑していた。どのアトラクションも人がたくさん並んでいたから、列に並んでいるあいだとかで、わたしたちが話す時間は多かった。


 だけど、いつも森川もりかわさんはひとり言葉少なげに後ろの方にいた。社交的とは言えない彼女にとって、普段はあまり関わることないわたしたちとの時間をどう過ごすべきか、わからなかったのだろう。


 わたしが誘った手前、本当なら橋渡はしわたやくになるべきだったんだろうけど、やっぱりできなかった。


 それどころか、わたしは森川さんと堂林どうばやしくんが会話できないようにたくみに立ちまわった。だから、森川さんは終始しゅうし借りてきた猫みたいに居心地の悪そうにわたしたちの後をついてきた。


 そんなわたしのことを里枝りえが何か言いたげに見ているような気がした。でも気のせいだと思いたいから、わたしはできるだけ里枝とも視線を合わさずに過ごしていった。


 嫌なやつだ、わたし。ホント、嫌なやつだ……。


 でも仕方ないよ。


 わたしだってずっと堂林くんのことが好きだったんだから。



 夕方になって、わたしたちは家に帰ることにした。だけど最後に何かひとつアトラクションに乗ろうということになったから、それぞれが何に乗りたいかを言っていくことになった。


「わたしは観覧車に乗りたいなァ」

「あ、それいいんじゃねえか」


 率先そっせんして言ったわたしに堂林くんが賛同してくれる。


「今まで精神的に疲れるモンばっかだったからなぁ。最後くらいはゆっくりしたやつに乗りたいよ」

「うんうん、だよねだよねー」


 しかし片岡かたおかくんがしぶるような声を出す。


「いや、俺はもう一回ジェットコースターに乗りたいぜ。丸井まるいもそう思うよな?」

「まあ確かに、正直乗り足りない気もするよなー」


 そんな男子ふたりに、わたしはにっこりと笑顔を浮かべて言った。


「じゃあさ、別行動にしよっか。観覧車に乗りたい人とジェットコースターに乗りたい人に分かれてさ。もう最後だし、その方がみんな楽しめるしね」

「そうだな。そうするか」と堂林くんが言った。「やっぱ両方乗ろうって時間でもねえしな」

「でしょ? じゃあ片岡くんたちはジェットコースター、観覧車にはわたしと堂林くんのふたりで——」

「——待った」


 意見がまとまりかけていた時、だれかが叫んだ。里枝だった。


「……どうしたの?」

「いやさぁ」


 と、里枝はポリポリと頬をくそぶりを見せながら、困ったような顔をして言った。


「まだどっちにするか言ってない人、いるよね?」

「あっ、そうだよ! 森川がまだ決めてないぜ?」


 いち早く気づいた堂林くんの言葉に、みんなの視線が森川さんへと向けられる。注目を集めたことに驚いたのか、森川さんの肩がビクッとねた。


 そんな彼女に向かって、わたしはたずねる。


「……森川さんは、どうする? ジェットコースター? それとも……」

「わ、私は……」


 だけど彼女の答えは聞かなくてもわかっていた。わかっていたから、わたしは……。


 そして彼女は言った。みんなに見られている状況のせいか、それとも何か別の理由のためか、あわく頬を染めながら。


「わ、私も! 私も、乗りたい! 観覧車っ……!」


 しりつぼみに消えていった声は、けれどみんなの耳に届いたようだった。


「おっけー。じゃあ森川さんも観覧車組ね」


 そう言ってわたしのことを見る里枝に、わたしは言った。


「……里枝は? 里枝もどっちにするか言ってないよね?」

「んにゃ、アタシはパス。ちょっと疲れたし。あっちのベンチで休んでるよ」

「ひとりで大丈夫か?」と、堂林くんが気遣きづかわしげに声をかける。「なんなら俺もそっちに付き合うぜ?」

「いらないし、堂林はもっと気にすることあるでしょ? 女子ふたりのエスコートっていう大役たいやくがさ」

「お、おう、そうだな。わかった。吉崎よしざきたちのことは任せろ」


 そうしてわたしたちは観覧車の列に三人で並ぶことになった。


 必然的にわたしたちは三人で話すようになる。


 でも。


 ふたりの表情、ふたりの視線の先にはお互いの存在しか映っていないみたいで。


 ふいに、わたしは恥ずかしさに胸が痛んだ。


 もしも堂林くんが王子様おうじさまで、森川さんがお姫様ひめさまだとしたら、わたしの配役はいやくはさしずめ、シンデレラの邪魔をする意地悪な姉たち。


 だれが見たって、きっとそう言うに違いなかった。


「……」


 泣きたくなるような現実に、わたしは耐えられなかった。


 次がわたしたちの順番というところで、わたしはふたりに向かって言った。


「……あっ、ごめん。なんか親から電話みたい。出ないといけないから、わたし抜けるね」

「え、じゃ、じゃあ私たちも一緒に……」

「あーいいよいいよ。せっかくここまで並んだんだしさ。ふたりで乗って写真でも撮ってきてよ」

「で、でも……」

「いいってば。ほらほら、行った行った。綺麗な写真撮ってきてね!」

「あっ……」


 森川さんの肩を強引に押し込むと、わたしは列を抜けてふたりに笑顔で手を振った。


 そんなわたしを見て、堂林くんが口をパクパクさせてくる。


 サンキューな、だってさ。……あーあ、堂林くん、絶対わたしが気をかせたって思ってるよね。


 違うよ。わたしはそんな立派な人間じゃない。ただ耐えられなくなっただけ。逃げただけなんだよ。


 いまだって、わたしの胸は、油断すると張り裂けそうになる。その場にしゃがみ込んで、泣き叫びたい。


 わたしには覚悟がなかったから。ただそれだけの理由なんだ。


 ゴンドラの中に消えていくふたりを見送ってからその場を後にしたわたしは、近くにあったベンチに腰を下ろす。


 それからぼんやりとふたりが乗った観覧車を見るともなしにながめていた。


 今ごろあの中では、真っ赤になった顔のふたりが、夕焼けに染まった景色をのぞみながらたどたどしい会話をしているんだろうか。


 知らず、涙が流れた。ひとすじひかりが頬を流れていく。


 でも、これで良かったんだ。……これで、良かったんだ。


 そう自分に言い聞かせていたとき、だれかが隣に座ってきた。


 里枝だった。たぶん、どこかでこっそりと様子をうかがっていたのだろう。


「アンタはよくやったよ」

「……なにが?」


 頬をぬぐって、わたしはそっけなく応えた。


 八つ当たりだった。


 でも、里枝はそんなわたしの態度にも動じることなく、ただじっと黄昏たそがれの空を見続けながら言ってくる。


「だれにでもできることじゃないことをアンタはやったんだ」


 やっぱり里枝は気づいていたのだろう。わたしが堂林くんが好きだってことに。


 気づかないはず、ないよね。あれだけ森川さんのことを無視するように振る舞って、堂林くんが話しかけようとするのを邪魔していたんだから。


「……みじめなだけだよ」


 本当に。何も残らない。残ったのは、ただ苦い罪悪感だけ。


 だけど里枝は優しく微笑むと、


「ねえ、アンタ知ってる? 恋の痛みを知ると、女は美しくなれるんだぜ?」

「……なにそれ」

「ありゃホントに知らない? おかしいなぁ、姉貴あねきに貸してもらった漫画にはそう書いてあったのに」

「……あは、だからなによ、それ」


 イタズラっぽく笑う里枝は、きっと誰よりも大人だった。本当は大人っていう存在が何なのかまだわかっていなかったけれど、それでも里枝はわたしよりもずっと大人だと思った。


「…………嫌だよ」


 と、わたしはぽつりと呟いていた。


「諦めたくない……ずっと、好きだったんだから……」


 こぼれ落ちる涙が止められない。勝手に嗚咽おえつが漏れていく。泣きたくなんてないのに、あふれ出る涙を、わたしはどうしても止められなかった。


 そんなわたしの肩に、そっと里枝の手がれる。


「——頑張ったね、千紗ちさ


 優しく身体をきしめられ、優しく耳元でささやかれた言葉に、わたしはもう我慢することをやめた。


 人目なんて気にしていられるほど、簡単な想いじゃなかった。


 彼以外のだれに嫌われてもいいと思った。


 彼にさえ振り向いて貰えるなら、わたしは鬼にだってなれた……気がしたんだ。


 でも、結局、わたしには覚悟がなかったから。最後の最後で、耐えられなかった。


 嗚咽が止まらない。


 後悔の念が激しい痛みとなって押し寄せてくる。


 だけど、わたしは幸運だ。


 わたしにはまだ、わたしのことを理解してくれる友達が、感情を吐き出させてくれる、何よりも得難えがたい友達がいる。


「大丈夫。たとえ千紗の取った行動を責めるような奴がいたらさ、アタシがあわれんであげるから。だから大丈夫。頑張ったよ、千紗は」

「……うん、……うん……」

「ま、胸くらいはいつでも貸してあげるからさ。堂林たちが帰ってくるまえには顔、洗ってこいよなァ」

「……う、うぅ」


 山陰やまかげに消えていく夕陽ゆうひが、わたしたちを優しく包むように、赤くきらめいていた。



(了)

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