コーヒーを一杯どうぞ~そのワガママ、後悔してませんか?~【朗読にも使える】
つづり
コーヒーを一杯どうぞ~そのワガママ、後悔してませんか~
小さな喫茶店を祖父から引き継いで、数年がたった。
まだまだ先代と比べられながらも、なんとか店を営業している。
祖父はコーヒー一つで沢山の人の心を掴み、一時の休息を与えてきた。
ボクもコーヒーで……いつか誰かを、そう願いつつ、日々を過ごしていた。
その日は、雪だった。
ボクの地域では珍しくて、人の出足がぐっと減っていた。
休んでもいいかもしれない……こんな日に開店してもほとんど人は来ないだろう。
それなのにボクは営業していた。
「寒いな……」
こんな日だからこそ、コーヒーを飲みたくなる人が居るんじゃないかと思った。
しんしんと雪が降り続く中、時刻は夜を迎えていた。お客は三組しか来なかった。
当然といえば当然で、人が来ないことに落胆よりも、少しでも温まればいいなと思った。どの お客さんも体が冷えてて。何か飲まずに帰れなかったよと言っていた。
その声がボクの背中を押してくれる気がした。しかし夜更けになると、冷え込みが増す。街の通りにはほとんど人がいなかった。いつもの光景を知っている分、がらんとした通りが、逆にファンタジーのような感じがした。現実味がない。
「さすがに閉店かな……」
ボクはひとりごちて、立ち上がった。表のOPENの看板をCLOSEに変えようとする。
するとそこに、一人の女性がやってきた。女性は震えていた。
「まだ、やってますか?」
閉店ですよ、と言える立場だった。実際閉店しようとしていたのだから、しかし彼女の震える肩を見ていると、それがあまりにしのばれなくて、ボクは頷いた。
「はい、やってます」
青白い肌の彼女の表情が、少し緩んだ。
「ありがとう」
彼女は、とてもきれいなひとだった。
彼女はカフェオレを頼んだ。体が心底冷えた様子だったから、熱めにカフェオレを作った。サービスでチョコレートを出した。
「ああ……生き返った気分」
心の底から、そう言っているような、肩の力が抜けた彼女に、ボクは微笑んだ。
「こんな日に出かけるなんて、風邪をひいてしまいますよ」
「確かに……でもこんな日でも開いてるお店のお陰で、風邪はひかないかも」
なかなか、気の利いた返しだ。ボクは少し驚いて、目を丸くした。まだそれなりに若そう……むしろボクと同じ世代かもしれないのに……感心してしまう自分がいた。
「温まってください……今日は冷えますよ」
あっという間に食べきられたチョコレートの皿を片付けながら、ボクが言うと、彼女は小さく頷いた。少し気恥ずかしそうな顔をしていた。
「そうね……ホントは出かけることなかったのに、こんなに寒くて、雪がふったら、懐かしすぎて家を飛び出してた」
「もしかして、雪の降るところの出身なんですかね」
ボクの言葉に彼女はそうなのよと嬉しそうに言った。
「寒いし何もないし、雪ばっか降るところ……でも新雪の美しさは、どこにも引けの劣らない、いいところ」
「なるほど……」
ボクは窓の外を見た……雪が舞うように降っている。それはあまりに見ない光景で、ボクには幻想的に美しく見えたけど、彼女からすればもっと美しいところがあるのだろうか……。
「それにしてもお兄さん……店のマスターみたいだけど、その年で、こんな立派な店を扱うなんて、すごくない?」
その質問に、ボクはなぜか笑ってしまった。
たしかにボクは店のマスターだ……しかし全然すごくはない。
「祖父から譲り受けたんです……けど、まだまだですね」
「それはどういう……」
「ほんとは閉店する予定の店を、ボクのワガママで、続けさせて!って引き継いだんです。最近お前さんのコーヒーが飲めるようになってきたって言われる始末ですよ」
常連さんが手厳しくてと、小さく笑うボクに、彼女は真剣な顔をしていた。
どうして、まるで食い入るようにボクを見るのだろうと思うと、彼女は困ったように眉を寄せた。
「そのワガママ、あなたは後悔することはなかったですか?」
え、と思った。閉店予定の店を引き継いで、自分の一存で続けさせたワガママを……後悔することは……。ぐるりと今までの記憶が、頭の中で走馬灯として駆け巡った。引き継ぐと言ったときの、周囲の戸惑った顔……祖父の難しそうな顔。喫茶店を営業するために修行して……生活が苦しいこともあった。営業を開始しても、先代と変わったことを受け入れられず、店に来なくなった人もいた。何もかも楽しかったわけじゃない……苦しいことだって多かった。多かったけど、それでもボクのコーヒーを。
「ボクのコーヒーをおいしいと言って、店へ来る人の顔を知ってしまったら、後悔はあるかもですけど、なんだかどうでもよくなりました」
だってボクは……
「祖父に憧れてたんです、コーヒーで人を幸せにする祖父の姿がかっこよくて、少しでも近づけられたら、ボク、この店をやってよかったと思います」
彼女はから笑いをして、そっかそっかと言った。
「すごい模範解答みたい……私と大違いだ」
「それはどういう」
ボクの怪訝そうな声で言った言葉に、彼女は大きくため息をついた。
「私、ダンサーなんです、一応。……好きなことをするために、地元を離れて、ここで暮らしてて。親に何度も帰ってこいって心配かけられてるけど、それを毎度突っぱねてる」
彼女は目をほそめた。
「ダンスで生活するのも大変で、心が折れそうな瞬間が何度もあるんですよ、でも諦めたくなくて……傍から見たら馬鹿なんですけど、やめたくないって」
彼女は窓の外を見た。その表情は泣きそうだった。
「だけど、こんな雪を見てしまったら、ダンスなんてかなぐり捨てて、地元に帰りたくなっちゃって、情け、ないですよね……」
ボクは顔を伏せている彼女に即答しなかった。優しいなぐさめの言葉は、いくらでもあるかもしれない。だけどボクはそれが言えなかった。彼女の心の底を、他人のボクがわかったようには言えない。分かった風に言いたくない……。
「どうぞ……サービスです」
ボクは彼女のカフェオレをさげ、コーヒーを出した。ボクは上ずりそうな声になりそうなのをこらえつつ、言葉を紡いだ。
「心が冷えちゃったんですよ、お客さんは……温まってください」
彼女はひゅっと息を吸って、泣きそうな顔のまま笑った。
「そうかも、しれないね」
熱くてコクの深いコーヒーを、彼女はゆっくりと飲んでいった。ボクは彼女の姿を時折見つつ、食器を片付ける。時計の針が、時を刻む。雪はまだ止みそうにないが、それでも明日の早朝には日差しが出るという。
ボクは彼女の心に、日差しが差し込むように、静かに祈った……。
コーヒーを一杯どうぞ~そのワガママ、後悔してませんか?~【朗読にも使える】 つづり @hujiiroame
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