恋のぼり舞う空の色を、幼馴染のきみともう一度見上げられたら……

kazuchi

恋のぼり舞う、あの空の下で……

「――私、恵一けいいちくんのことが大好きだよ、大人になったらお嫁さんにしてね」

 そして幼馴染の女の子は、僕の大好きなあの笑顔をするんだ……。



 子供の頃の約束ほど、曖昧あいまいなモノがあるだろうか?

 僕もそう信じて疑わなかった。鯉のぼりが舞う五月のある日、

 大切な幼馴染との間で、小さな奇跡が起こるまでは……。



 *******



 小学校から家までの帰り道にある小さな駄菓子屋が、

 僕、香月恵一かつきけいいちと幼馴染の二宮藍にのみやあい遊園地レジャーランドだった。


 少ないおこずかいを握りしめ、買い食いをした懐かしい日々。

 僕はアイスや数十円で買えるコーンの駄菓子ばかりだったが、

 藍が好きだったのはシール帳に貼るデコシールやテープ、

 立体的な物や、香り付きなど当時の女の子の間で大流行したんだ。

 プロフィール帳と呼ばれる自己紹介のやり取りも流行って、

 僕も藍に無理やり書かされたんだよな……。


「恵一くん、ちゃんと全部書いてから藍に返してね、プロフ帳」


 駄菓子屋の店先に置かれたベンチで手渡されたカラフルなプロフ帳。

 藍の好きなキャラクター、ビーグル犬のガナーピーとモントレーが

 表紙を彩る、ガナーピーとは世界一有名なビーグル犬だ。

 漫画のキャラクターで、お供の黄色い鳥モントレーとのコンビが、

 藍のお気に入りだ、部屋にもでっかいガナーピーのぬいぐるみが、

 あったことを思い出した。

 

「あっ、気を付けてね、シールを挟んであるから、

 恵一くん用にシートで買ったんだ……」


 パラパラと中身を確認しようとしたら、彼女にたしなめられた。

 藍のテンションが上がっているのが分かる、ウキウキした時は

 無意識に膝をモジモジする癖、白いワンピースのスカートから伸びた

 白い足を見て見ぬ振りで盗み見る。擦り合わされる膝小僧に、

 僕はどぎまぎしてしまった、思えばあれが少年の通過儀礼だったのかもしれない。


「面倒くせえな、どうしても書かなきゃ駄目?」


「だ~め! 藍が最初に書いたから、その隣のページが恵一くんなの!!」


 この年代の少女特有のお姉さん感は何なんだろう。

 絶対に年上ぶるんだよな、同い年のくせに……。


 しぶしぶ頁をめくり、可愛いガナーピーだらけのプロフ欄を見つめた。


 僕は昔から字が汚くて人前で書くのが大の苦手なんだ。

 言い訳ではないが、出生時にひどい難産で右手を骨折したまま、

 僕は生まれてきたそうだ。

 子供の頃、リハビリでしばらくお祖母ちゃんに連れられて通ったそうだ。


 僕は不自由な右手から左利きにやむなくチェンジしたんだ。

 この出来事が僕の人生に暗い影を落とした。

 この社会全体が右利き用に作られていると言っても過言では無い。

 習字の書き順や、シャツの胸ポケットの位置、ハサミの持ち手、

 経験してみないと不便さは分からない。

 小学校に入って一番嫌だったのが、隣の人と肘が当たってしまうことだ。

 ご飯を食べるときもそうだ、僕は文字通り肩身の狭い思いをした。


 一枚目に書かれた藍の可愛い丸文字、でも習字を習っているから、

 とてもキレイだ、僕のミミズがのたくったような字とは雲泥の差だ。

 それを見ただけでげんなりしてしまった。


「どう、可愛いでしょ、ガナーピーとモントレー。

 今回の為に隣町のデパートまでお母さんと行って買ったんだよ!!」


 そんな僕の気も知らず、藍は嬉しそうだ……。

 屈託のない笑顔、大好きな幼馴染みの藍、俺の宝物だ。

 この笑顔を曇らせたくない、でも小学生の俺は無性に腹が立った。

 藍にではなく自分に……。


「僕じゃなくても、同じクラスの女共に頼めばいいだろ!!」


 ぶっきらぼうな口調でキレ気味になってしまう。手にしたプロフ帳を、

 藍に押し返そうとしたその時。


「ああっ!?」


 僕の手が滑ってしまい、ベンチの足元の地面に軽い音を立てながら

 プロフ帳が落下した。表紙の白いガナーピーが土で汚れてしまい、

 何だか寂しそうな表情をしているように見えた。


「恵一くん、ひどいよ……」

 藍が泣きながら、傍らのランドセルを掴んで店先から駆けだしてしまう。


「あ、藍っ!!」


 慌てて後を追いかけようとしたが、プロフ帳を拾い忘れたことに気がつき、

 もう一度駄菓子屋まで戻るはめになり、藍に追いついて謝ることは出来なかった。


「どうしてこうなるんだ、僕は……」


 とぼとぼと薄暗くなった帰り道を一人歩く。

 僕の家まであと僅か、見慣れたビニールハウスの列が見えて来た。

 この辺りは有名なカラーの生産地だ、カラーとは花の名前で、

 純白の花びらの真ん中に黄色い棒状の花が生えている。

 白い花びらの形が、ハートに見えるので、恋の花と呼ばれているらしい、

 これも藍が嬉しそうに僕に教えてくれた受け売りだ。

 そのときの情景が蘇る。



 *******



『生産地の地名が小糸こいとだから、それに掛けてなんだって、

 ロマンチックでしょ! それにカラーは結婚式の花嫁さんが、

 ウエディングブーケに使うんだよ』


『そんな苦しい語呂合わせだったら、僕にもすぐ作れるぜ。

 ……そうだな、もうすぐ五月の節句だし、

 鯉のぼりが恋のぼり、なんちゃって!!』


 僕は藍から結婚式の話が出て、ドキドキしてしまったんだ。

 照れ隠しに、わざとおどけてしまう……。


『もうっ!! 恵一くんの馬鹿、全然、上手くないよ、

 恋のぼりなんて、意味分かんない』


 藍は怒った顔も可愛い。

 陶器のような白い頬が膨れっ面になるところとか。



 *******



 家に戻り、藍の家を見上げる。

 この時間はいつも灯りが点いている筈の窓は真っ暗のままだった。

 僕は僕は取り返しのつかないことをしてしまったんだと理解した。

 すぐに謝りに行くべきだった。 だけど臆病で卑怯な僕には、

 親にそのことを言えるはずがなかった。


 その夜の夕食は何を食べたか覚えていないほどだった。

 味がしないとは正にこのことだ。


 その日に限って親父が残業で食卓に居ないことが、せめてもの救いだった。

 僕の親父は、がさつそうにみえるが結構、勘が鋭いんだ。

 男手一つで俺を育てる関係か、父親でもあるが母親の役目も担うので、

 繊細な女性みたいな目線もあるから、もし親父が居たら絶対に見抜かれた筈だ。


 自分の部屋に戻り、僕は解決策を考えた。


「ううっ、何も名案が浮かばない……」


 ちらりとカーテンを開け、僕の部屋に面した窓を見つめた。

 藍の部屋だ、まだ灯りは点いていない。

 いつもなら窓越しに柔らかな明かりが見えるのに、

 今日はカーテンが固く閉じられたままだ。


 僕の胸中に、どす黒い不安が膨れ上がってきた、

 もう藍は僕と、口を利いてくれないって。


 ……そんなの嫌だ!!


 僕の脳裏に藍と過ごした日々が浮かんだ。

 田んぼのあぜ道でアマガエルに驚く顔、夏祭りのリンゴ飴をほおばる頬、

 一緒に帰った帰り道の手のぬくもり、これからも続くと思っていた。

 二人で決めたおやすみの合図も……。


「藍は部屋の電気のスイッチを四回パチパチするから、

 恵一くんはスイッチを二回パチパチして、それがおやすみの合図だよ!」


「藍、何だよソレ、意味不明なんだけと……」


「それはね……」


 にっこりと笑う僕の幼馴染み。

 桜色の口元に覗く八重歯が愛らしい、それを見た瞬間、僕の中で、

 こんなにも藍が溢れていることに初めて気付いてしまった……。


「もう、いいやっ!!」


 僕は悩むのをやめにした、今やれることをしよう!!


 泥で汚れたプロフ帳を学習机に置く。

 今ならパソコンで検索してキレイにする方法を知恵袋なりで質問出来るだろう、

 だけどその頃はそんな物はない、僕はリビングに降りてお祖母ちゃんに電話した。


「もしもしお祖母ばあちゃん、恵一だけど、ちょっと教えて欲しいんだ……」



 *******



「よし! 上出来じゃないか……」


 僕はペンを持つ手を止め、再度文章を読み返した。

 時間がかなり経過したことに驚いてしまった、もう寝る時刻だ。


 ふと顔を上げると、藍の部屋の灯りが点いている!!

 僕は窓際に駆け寄り隣の様子を伺った、喜んだのも束の間、

 いつもは薄いカーテンなのに、まだ二重の厚いカーテンで閉ざされままだ。


 やっぱり怒っているよな。意気消沈してベッドに向かう。

 部屋の灯りのリモコンに手を伸ばした、次の瞬間。


 パッ、パッ、パッ、パッ。


 ……藍の部屋!?


 四回点滅、おやすみの合図だ。

 僕は自分の目を疑った、間隔をおいて繰り返される点滅。

 藍の言葉が蘇った。


「恵一くん、おやすみの合図は大好きな少女漫画でやっていて、

 私、すっごく憧れたんだ。幼馴染みの隣同士って、恵一くんと藍みたいだって」


 おやすみの合図は時間を決めてあるが、もし相手が答えなかったら、

 気付くまで繰り返しの約束だ。


 パッ、パッ、パッ、パッ。


 四回点滅が繰り返され、まるで季節外れの蛍みたいだ。


「藍、ありがとう……」


 お祖母ちゃんのアドバイスで、すっかりキレイになったプロフ帳の表紙を撫でた。

 意外だったが紙の土汚れには消しゴムが最適なんだ、さすがお祖母ちゃん!! 


 幸せな気持ちに包まれながらリモコンに手を伸ばす。


 パッ、パッ。


 二回点滅。


 パッ、パッ、パッ、パッ。


 向かいの窓が応答する。大好きな幼馴染みと僕を隔てる数メートル、

 離れていても、その瞬間だけは繋がっていたんだ。


 合図の提案をしたときの藍。はにかむような笑顔が眩しく思い出される。


「もうっ、恵一くんがしつこく聞くから特別に教えてあげる。

 私の四回点滅は け、い、い、ち

 恵一くんの二回点滅は あ、い

 漫画でもそうだったけど、大好きな相手の名前を同時に灯りで呼び合うの」


 そして藍は僕の一番大好きな、あの笑顔をするんだ。


「私ね、恵一くんのことが大好きだよ! 大人になったらお嫁さんにしてね……」


 あの頃の自分に戻れたら。もしタイムマシンがあるのなら。

 僕は過去に戻って、もっとハッキリ好きだと藍に告白しただろう。


 翌朝、いつものように玄関まで迎えに来てくれる藍。

 おはようとだけ挨拶を交わして、そのまま朝の通学路を歩み始める、

 何となく気まずい表情の僕に、自分の右手を差しだしてくる。


「……あ、藍、昨日はゴメン」


「そのことはもういいの。私もカッとなって先に帰っちゃって。

 可愛くないよね、こんな女の子……」


「そ、そんなことはないよ!! 僕の大好きな藍が可愛くないなんて……」


 ……言ってしまった、早鐘のように心臓が高鳴った。

 藍は黙ったまま、僕をじっと見つめていた。



「私、恵一くんが左利きなのが嬉しいんだ、いろいろ大変かもしれないけど、

 藍の右手と恵一くんの左手。一番使う手が仲良く出来るから!」


 そう言って藍は僕の左手に彼女の右手を重ね、

 ぎゅっ、と握り返してきた。


「ねっ、もっと仲良しになれたみたいでしょ!!」


 神様、この女の子と幼馴染みにしてくれたことに心から感謝します。

 願わくば、ずっとこの手を繋いでいられる関係を望んでもいいでしょうか?

 他には何も望みません。


「藍、悪かったな、完全に元通りじゃないけど……」


 小脇に抱えたプロフ帳を彼女に差し出す。


「……こんなにキレイにしてくれたんだ、大変だったでしょ?」


 表紙のガナーピーを愛おしそうに見つめる藍。


「大丈夫、そのかわり消しゴムがったけど……」


「消しゴム? 何それ、藍にも教えて」


「別にいいんだ。それよりプロフ帳、読んでくれないかな、

 そこには将来の夢が書いてある。

 僕なりに頑張って書いたつもり……」


「……ありがとう、でも読むの今じゃなくてもいいかな?」


「別にいいけど、どうして?」


「すぐに読んじゃうと、もったいないから……」


 繋いだ手に力が込められるのが感じられた。


「……藍」


 少し残念に思ってしまった。

 藍の反応がこの場で見られなくて。

 プロフ帳の将来の夢には、僕のが書いてあったから。



 *******



 しょうらいはなにになりたい?

 きぼうをかいてね!



 にのみやあい               


 けいいちくんのおよめさんに          

 なりたいです。   


      

 かつきけいいち 


 あいとけっこんして     

 ずうっとしあわせにする。




 *******




「……恵一くん、この古いブリキ缶の箱は、

 どこに置いておくの?」


 真新しい壁紙のにおいが心地よく感じられる。

 引っ越し屋さんが帰ったばかりで、新居は段ボールの山に埋もれている。

 その隙間から彼女が顔を覗かせた、初々しいエプロン姿が見えないのが残念だ。


「……ああ、それは僕が後でやるから置いといて!!」


「恵一くん、声がうわずってるよ、このブリキ缶の中身、

 私に見せられない写真でも入ってるの?」


「……そ、そんなんじゃないよ!!」


「あっ、むきになって否定するところが怪しいな。

 私以外の彼女の写真とか入ってたりして……」


「そんな物を新居に持ち込まないよ、

 この部屋が片付いたら、ゆっくりと見せようと思ってたけど。

 ……いいよ、開けてごらん」


 彼女がブリキ缶の蓋に手を掛ける。軽い金属音とともに、

 あの頃の空気感が僕たちの間に広がった。


「えっ、これって……!?」


「藍、約束しただろ、

 きみをずうっと幸せにするって……」


「こんな昔の約束を覚えていてくれたんだ。

 恵一くんのお嫁さんになりたいって、私が書いたこと……」


 藍のエプロン姿の胸には、ガナーピーとモントレーのプロフ帳が、

 抱きしめられていた。


「あのね、恵一くん、私がウエディングブーケに選んだ花、覚えてる?」


「ああ、もちろん忘れないよ、カラーの花だろ」


「あのカラーの花、私たちの家のそば。

 通学路のビニールハウスで栽培された物なんだよ……」


 あのカラーは、僕らの家がある小糸地区で採れた花だったのか。


「あの頃、恵一くんに言えなかったことが、もう一つだけあるの」


 藍は照れ笑いを浮かべながら僕にこう告げた。


「……私、恋のぼりって響き、結構好きだったんだよ。

 真っ青な空に、真っ白いわたあめみたいな雲。

 私の隣には恵一くんがいて、二人で見上げる空には恋のぼり。

 大きなお口で、わたあめみたいな雲をパクパク食べちゃうの、

 私の悩みや、病気のことも全部まとめて……」


「……藍、そんなことを」


「うふふ、子供っぽいでしょ。恵一くんには内緒だったけど。

 でも当時はそんなことを真剣に考えていたんだ……」


 僕が大事にしまい込んでいたブリキの缶。

 彼女も同じようにしまい込んでいたんだ、

 その胸の中に二人の大切な思い出を……。


「本当に恋のぼりの奇跡が起こったみたい、

 これから恵一くんとずっと一緒なんて……」


「……藍、僕のが良く似合うよ」


 彼女が嬉しそうに、胸の前で抱きしめたプロフ帳。

 あの日、僕が書いた将来の夢のページが開かれていた。



 そして僕たちは段ボール越しに、そっとキスを交わした……。


「完」


 この短編の関連作品です。


  桜が咲くこの場所で、僕は幼馴染の君と二回目の初恋をする。


 https://kakuyomu.jp/works/16816927862177861750



 ※恵一と藍の恋愛物語をコレクションにまとめました、作者が読んで欲しい順番で並べてあります。


 https://kakuyomu.jp/users/kazuchi/collections/16817139554659269321

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