山潜りと薬売り

 戦国時代では、大名からの要請で各地を巡って情報を集めたり、謀略などを駆使したりと合戦の裏で活躍していた者たちを忍者といった。彼らのなかには統率を図るための階級のようなものが存在した。まず、その地の領主または豪族である指導者の上忍。大名からの要請を受けて中忍たちに指令を出していた。中忍とは何人かの下忍を部下として従えて動く者のことを指す。そして、下忍は現場で任務を遂行する忍者で、諜報活動や暗殺、破壊工作などを行っていた。


 甲賀や伊賀などが有名な忍者集団として挙げられるが、全国各地にも様々な忍者たちがいた。「山潜り」もその1つ。山潜りとは薩摩での忍者の呼び名であり、伊集院修験系統の呪術を主体としていた。


* * *


 忍びの里に生まれて今年で18年。幼い頃から忍びとして必要な知識や技術を大人たちから叩き込まれてきた。昼も夜も全てが修行の日々。やがて大人たちに認められた若者たちは下忍として各地に散らばって活動し始めた。対して俺は、手裏剣や苦無くないなどの武器の扱い方、体術や変装など忍びとして必要な技術を一通り身につけてきたものの、いまだに下忍として認められていない。理由は、からだ。農民、足軽や商人などいろんな人間に姿を変えても、明らかに忍びが変装している独特な殺気立つ雰囲気を隠すことができないでいた。つまり、俺はことが下手なんだ。昔から大人たちにばかりを指摘されてきたが、どれだけ努力しても改善することができないまま月日ばかりが過ぎていった。だが、こんな俺にも得意なことはある。薬の調合だ。忍びは常に複数の薬を入れた印籠を持って任務にあたっている。血止めや眠り薬、毒薬など。手先が器用な俺は、それらを作ることを得意としていたため、下忍として認めらない一方で忍びの裏方として里のために働いている。


「おーい、。頼んどいたものはできたか?」

「はい、できてます。今、持ってきますんで」


里では、忍びになれない俺を親しみと揶揄をこめて「山潜りの」と呼ばれている。呼び名に嫌な気持ちもあるが、俺の存在を少しは認めてくれているのではないかと複雑な気分だ。


「こちらになります。いつもの胃薬と毒薬です」

「助かるよ。仕事が終わったら、また補充しに来るよ」


薬の調合が苦手な初老の中忍が帰った後、俺は他に頼まれていた薬の調合に勤しんだ。


「ん?…この薬草、残り少ないな。ん〜…、仕方ない」


時刻はまだ昼過ぎだったので、俺は作業場でもある家を出て、調合に必要な薬草の採取に向かった。里から少し離れたところに薬草だけを育てている畑がいくつかある。多少の薬ならここで材料が揃うときあるのだが、足りないときは探しに行く。とはいえ、それらがよく育っている場所は里でよく薬の調合をしている者なら経験で分かる。今回採取する物にも薬草が含まれていた。


「あった、あった」


目当ての薬草を見つけると、必要な数だけ摘んでいった。全てを採取してしまうと、自生しなくなってしまうからだ。すると、後ろで誰かが立っている気配を感じた。


「っ⁉︎」


普段薬の調合ばかりしている俺でも、長年体に染み込ませてきた忍びとしての反応ですぐに臨戦態勢に入った。


(何者だ…⁉︎)


里から離れたところとはいえ、外部の人間が訪れることは滅多にない。


(敵か?)


腰を屈め、右手で短刀構えて辺りを見回した。


(おかしい。気配をすぐ近くに感じるのに姿が全く見えない。他の里の手練れか⁉︎)


俺はとにかく集中して気配の主を探した。すると、


「いやぁ、この辺りは珍しい薬草が揃っていて素晴らしいですねぇ〜」

「っ⁉︎」


振り返ると、木箱のような物をそばに置いて薬草を摘んでいる男がいた。


「誰だっ‼︎」


短刀を向けて問いかけると、男はこちらに顔を向けた。


「あ、驚かせてしまい申し訳ありません。私、薬売りを生業としている者でございます」


そう言って、男は平然と俺に挨拶をしてきた。


「…ただの薬売りがこんな山奥にいるわけがないだろ」


薬売りを名乗った男をよく見ると、顔の下半分が黒い面で覆われていた。怪しい…。


「ん〜、確かに見知らぬ人間がいたら驚きますよね。…そうだ‼︎」


男は木箱から何やら取り出した。


「実はこの近くの出身の方を手当てしたときに紹介状を書いていただいたんですよ。手当てのお礼に珍しい薬草が生えているところをお尋ねしたら、自分の故郷の近くにあるって言っていたので」


男から書状を受け取って警戒しながら中身を読んでみた。内容は、京の都に潜入していた際に命を助けてくれた凄腕の薬売りがこの書状を持って里の近くに現れたら危害を加えないで欲しい、とのことだった。最後にこの書状を書いた人間の里での呼び名が記されていた。俺の知っている者だ。試しに薬売りに彼の人相を尋ねたところ、俺の記憶と一致していた。間違いない。


「…事情は分かりました。ですが、外部の者を里に案内するわけにはいきませんので…」

「ああ、大丈夫ですよ。私は薬草を採取できれば、それでいいので」


それを聞いて、俺は構えていた短刀を鞘に納めた。


「…ひょっとして、里のほうでと呼ばれていらっしゃる方ですか?」


薬売りは俺の顔を眺めながら、尋ねてきた。


「え、ええ、確かにそうですが」


(、俺のことも話したのか?いくら助けてもらったからとはいえ、話しすぎだろ)


「気分を害されたようでしたら、申し訳ありません。彼にあなたのを伺っておりまして。もし会えたら助けになって欲しいと」


そう言いながら、木箱からまた何かを取り出した。


「それは…?」


薬売りが取り出したのは、黒い印籠であった。


「これには『一蓮托生の世間体』という丸薬が入っております」


(聞いたことのない薬だな…)


「この薬はもともといくさで心に深い傷を負った足軽の男性のために作ったものなんです」

「へぇ〜」

「彼は争いを好まない性格だったのですが、つらい農民の生活から少しでも抜け出そうと戦に出て家族のために武功を上げようとしました。ですが、実際に命のやり取りの禍々しさを目にしつつ、それに否応なく参加した彼は深く傷つきました。やがて戦から帰ってきたら彼は、ある異変に気付きます」

「異変…」

「自分に向けられる視線全てからいくさのときに感じたのと同じ殺意を感じてしまうようになったのです。私が彼に出会ったのは、人と顔を合わせるのが怖くなって家に引きこもりがちになってしまった頃でした」


彼は懐かしそうに印籠を眺めながら語った。


「集落にたまたま寄った私は、彼を診てほしいと彼の家族に頼まれました。実際に彼に会って症状を診たところ、彼は長らくありもしない他者からの殺気に怯えていたためか、防衛本能によって自ら殺気を放っておりました」


丸薬を印籠から自分の手のひらに出して、俺に見せてきてくれた。


「私は彼の心を落ち着かせ、周囲を客観的に見渡せられるようにとこの薬を調合しました。これを飲むことで、彼は今まで周りの人たちが自分を狙っていると感じていたことは全て幻であったと気付き、いくさに出る前のもとの生活に戻ることができたのです」

「…それで、その薬が俺の助けになると?」

「ええ。彼からあなたのお話を伺う限り、完璧に変装しようと気負い過ぎてしまい、逆に気配を発しているのではないかと思いまして。なので、心を落ち着かせて周囲をよく観察できるようになるこの『一蓮托生の世間体』がおすすめだと考えた次第でございます」


(なるほど…。ちょっと欲しいかも…)


「いくらですか、その薬は?」

「そうですね…。お代は、あなたがお作りになられた薬というのはいかがでしょうか」

「へ?」


随分とおかしな請求ときたもんだ。


「いやぁ〜、以前から興味があったんですよ。忍びの里で代々その製法が継承されてきたという秘薬を」

「秘薬って…。俺が作っているのは、忍びが任務のときに使う道具の1つにすぎませんよ」

「いえいえ、里以外の者にしてみれば大変貴重な代物なのですよ。特に私のような一介の薬売りにとっては…。今なら、もつきますよ?」


俺は少し悩んだ。


(俺が作る薬は確かに里の年配者から教えもらってきたものだが、特に秘薬と称されるほどの薬ではない。むしろ他の里の忍びも携帯していて当然といったようなものばかりだ。…彼の提案を受け入れても…大丈夫…かな?うん、大丈夫だ)


里に外部の者を招くわけにはいかなかったので、俺は薬売りの彼をその場に残して急いで家に戻った。一旦帰宅して、余分に作って残っていた薬を集めた。


(え〜と、血止めの薬、眠り薬、胃薬…、毒っているかな?…あっ、面白そうだから煙玉も持っていくか)


薬を集め終わった俺はすぐに彼のもとへ戻った。あれからしばらく時間が経っていたが、彼は焚き火を前にして何か作業をしていた。


「お待たせしました」


俺が声をかけると、彼は嬉しそうに顔を上げた。


「あっ、わざわざ有難うございます」

「何をしていたんですか?」


彼の手元を見ると、どうやら薬の調合をしていたようだ。


「あぁ、ここに来る途中に採取した薬草と持ち合わせの物であなたに渡そうと思ったの薬を作っておりました」

「へ〜、どんな薬ですか?」

「2日酔いを瞬時に治す強力な薬『酒蔵との離縁』でございます」


(随分と変わった名前だな…)


「これを煎じたものを飲めば、すぐに治りますよ。5回分渡しておきますね」

「ど、どうも…有難うございます。あ…、これ、俺が作った薬です」


持ってきた薬を渡すと、彼は目を輝かせながら何度も俺にお礼を言ってきた。その後、俺と彼は互いが知っている薬のことを語り合った。里ではあまり経験することのなかった充実したひと時だったと思う。結局、彼が持っていた携帯食を分けてもらいながら朝まで話が尽きることはなかった。翌朝、


「では、またどこかでお会いしましょう」


そう言って、彼は去っていった。


* * *


* *



 彼がくれた丸薬を服用して改めて忍びの修行を行なったところ、今まではできなかった忍び特有の殺気や気配を消して変装することのを掴められるようになった。程なくして下忍として認められた俺は薬の調合を得意していたことから、主に薬売りとして各地に潜入するようになった。そうして薬売りの彼と出会った日から、3年の月日が経っていた。里の裏方として働いていたの俺が、今では忍びとして認められている。実に充実した日々だ。だが最近、ある問題が生じてきて頭を抱えている。潜入先で情報を集めることが本業なのに、俺が作った薬が評判となり、諜報活動どころではなくなってきたのだ。


(忍びがこんなに目立っては、まずいぞ…)


その晩、俺はすぐに自分に指示を出す中忍にこのことを相談した。


「任務の失敗とは、言い難い珍しいことだな…。これは…」

「はい…。まさか、こうなるとは…」


潜入先から離れた廃屋で合流した中忍の彼は自身の白髪を掻きながら、苦笑していた。彼と俺が座っている間には、銭でいっぱいになった巾着袋が3袋ある。


「ん〜、君は一度里に戻ってこのことを上の連中に報告してこい。今回の任務は俺と他の者たちですませるから」

「…よ、よろしいのですか…?」


彼は重さを確認するかのように巾着袋を1つ持ち上げて、袋と俺を見つめた。


「普通の行商人でもこれほど儲けることはなかなかない。俺たちの里に生まれたからといって、君は忍びとしてだけでなく、もっと他に生き方があるのかもしれない。…だからといって、里を抜けて生きていくことは許されないけどね」

「……」

「今から上の連中宛に書状を書くから、君はそれを持って里へ戻るんだ」

「…分かりました」


彼の指示通りに里に戻った俺は、上に報告した。すぐに里に残っていた中忍たちと上忍の間で話し合いが行われて俺の処遇が決まった。どうやら俺は中忍に任命されるらしい。というのも、以前から里の上層部では忍びの稼ぎだけでこれから先も里が生き残っていけるのか、という不安が生じていたらしい。そこに異端ではあるものの、俺の得意とする薬の調合が新たな稼ぎ頭として注目されたようだ。しばらくして、俺のもとに薬の作り手の育成という名目で部下が数人つくことになった。全員、以前の俺のように手先が器用である一方で忍びとしての素質が不十分な者ばかりであった。俺は今まで培ってきた知識を余すところなく彼らに教授していくことにした。


(人生、何があるのか分からないものだな…)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

面頬~MENPO~ 鬼の薬売り 天瀬純 @yaku_ama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ