乱取りと薬売り

 「乱取り」とは、いくさの後に兵士が戦地で行う略奪行為のことである。戦国時代では、多くの農民たちが略奪をひとつの収入としていくさに参加していた。加えて、勝利を収めた大名はを兵士への褒美としていた。


* * *


 いつものように村のみんなと朝から畑仕事をしていたら、槍を持った集団が村に押しかけてきた。突然のことだったから、何が起きているのか分からなかったけど、男たちの格好を見て理解した。『乱取り』だ。


(山を二つほど越えたところで戦が行われたって聞いたけど、もう2、3日も前のことでしょ⁉︎今更⁉︎)


男たちは怯えている村人たちを村の中心に集めて、私たちを見張る者と家に押し入って盗みに入る者で分かれた。


「ついにこの村にも乱取りが…」

「死にたくない、死にたくない、死にたくない…」

「お終いだ…、お終いだぁ…」


村のみんなは口々に自分たちが置かれている惨状に嘆き、泣き、そして震えていた。戦利品として足軽たちが手に入れた女や子供は売り払われたり、奴隷にされたりとのことを以前に聞いたことがある。相場は2貫(約30万円)…。でも、一度にたくさんの乱取りが行われたときは25文(約4000円)にまで値段が落ちるらしい。


「なあ、お前はにするよ?」

「俺は、若いのがいいなぁ」


見張りの男たちが私たちのほうを見ながら、何やら話し合っている。実に不愉快でおぞましい顔だ。捕えられた女や子供が何もされないまま売られるとは限らない。より一層、体の震えが強くなった。


(助けて‼︎)


…チリンッ、チリンッ…


「「「「「⁉︎」」」」」


…チリンッ、チリンッ…


村全体に鈴の音が鳴り響いた。


…チリンッ、チリンッ…


どこからだろう。村にいた全員が聞き取れるほどなのに、大きすぎず優しい音だ。


「おいっ‼︎何なんだ⁉︎この音⁉︎」

「分からねぇ…」

「敵か⁉︎」


足軽たちが一斉に辺りを警戒し始めた。


…チリンッ、チリンッ… チリンッ…


…チリン…


鈴の音が鳴り止んだ。


「おや?…これは、これは」

「「「「「⁉︎」」」」」


私たちを見張っている足軽たちの背後に男が立っていた。


「なんだ、お前⁉︎」

「どこから出てきやがった⁉︎」


驚いた足軽たちが一斉に離れたことで男の姿を確認できた。細身であまり日焼けしてない肌。その肌と対照的に吸い込まれるほどに黒い髪。背中には何やら木箱のようなものを背負っているのが見える。そして何より印象的だったのが、顔の下半分を覆う黒い面。


「お取り込み中、すみません。私、薬売りでして。この近くで行われたいくさで商いをした帰りに今晩の宿にと立ち寄らせていただいたのですが…」


薬売りを名乗った男は、足軽たちに槍を向けられても平然としていた。


(なんなの、この人?)


「おい、お前。行商人なら金を持っているんだろ?死にたくなければ、金と薬をよこせ‼︎」

「ん?お客さんなら、お薬をご用意いたしますが、そうでもない方に奪われる道理はありませんよ」

「ごちゃごちゃとうるせぇ‼︎」


足軽の1人が薬売りに対して槍を勢いよく突き刺した。だが、槍は薬売りの腹部に突き刺さる直前で止まった。


「んっ⁉︎」

「足軽さんは良い顧客なんですけど、気性が荒いのが難点なんですよね」


槍を片手で掴みながら、薬売りは苦笑いしていた。


「は、離せっ‼︎」


掴まれた槍を動かそうと足軽の男は力いっぱいに引くが、薬売りの手元が動く気配が全くない。


「商いにおいて、迷惑な方はお客さんにあらず。暴れて他の方々に被害を及ぼすのなら排除するべし…」

「ひっ‼︎」


背筋が凍るほどの異様な笑みを見せる薬売りの姿は徐々に変化していった。黒い面が吸い込まれるかのように肌と一体化し、顔から全身にかけてが広がっていくと同時に黒かった髪は一気に色が落ちて綺麗な白髪となった。やがて、2本の細い角のようなものが生えてきた。


「お、おおお、鬼っ‼︎」

「鬼…。まあ、そんなところでしょうか」


鬼へと変貌した薬売りは、表情を変えることなく掴んでいた槍を握りつぶした。そして目にも留まらね速さで足軽の懐に近づき、左手で男の腹部を貫いた。


「ぐふっ」

「人とは大変脆くできていますが、意外としぶといんですよね」


貫いた手とは別の手で足軽の肩を叩きながら、鬼は微笑みながら手を引き抜いた。


「激痛とともに、ゆっくりと眠りなさい」


うつ伏せに倒れた男を眺めながら、鬼は手についた肉片と血を振り払った。腹部を貫かれた足軽は目を大きく見開きながら、なんとか息をしようともがいていた。


「お次の方は…」


涼しげな微笑で辺りを見回した鬼は近くにいた他の足軽たちと目が合った。


「ば、化け物‼︎」


男たちは後退りし、鬼から逃げようと後ろを振り返った。しかし、彼らがそのまま走り出すことはなかった。


「化け物だなんて…ひどいですねぇ」


村に現れたときと同じように男たちの目に前に鬼がいつの間にか立ち塞がっていた。鬼は呆気に取られている足軽の頭を左右の手でそれぞれ掴むと、勢いよく地面に叩きつけた。


「「「「「ひっ‼︎」」」」」


「他の方々も…遠慮なさらずに」


頭部を跡形もなく粉砕された2つの亡骸を踏みつけながら、鬼は残った他の足軽たちに近づいていった。


* * *


* *



 夕陽が昇る頃には、村に足軽たちは1


 村を襲いに来た全ての足軽たちの息の根を止めた鬼は、それらの亡骸を村から離れたところにまとめて妖術らしき不思議な力で燃やし尽くした。骨が一欠片も残らないほどに。やがて人の姿に戻った薬売りを前にした村人たちは彼に対して恐れを抱いていたが、優しく微笑みかけながら村人たちを手当てしている彼を見て少しずつ受け入れるようになっていった。


 その晩、なかなか寝付けられなかった私は家の中から外を眺めた。暗やみの中で焚き火らしき灯りが遠くに見えた。不思議と薬売りの彼がいるのではないかと思い、家族が寝ているなか家を抜け出して近づいていった。案の定、彼はいた。彼の周囲には、不思議と良い香りがしていた。


「こんな夜遅くに女性が1人で出歩いてはいけませんよ」


彼はこちらを振り向くことなく、私に声をかけた。


「ちょっと…、眠れなくて…」

「そうですか。昼間のこともありますからね…。とはいえ、冷えるといけませんから、早く戻りなさい」


彼は私を気遣ってなのか、それとも昼間の自分の姿を気にしてなのか、私を家に帰らそうとしているのが伺えられた。


「…何をしていたんですか?」


私は彼の背に向かって尋ねてみた。


ですよ」

「後片付け?」

「ええ。普段、野盗や乱取り目的の足軽を相手にするのは山道などといった人目のないところなんですが、今日みたいに村や集落で殺めた場合は邪気などがたまらないように特製のお香で浄化するんですよ」


彼は私のほうを向いて、近くに来るようにと手招きした。見ると、焚き火の傍らには何種類かの薬草や樹皮のようなものが並べられており、いくつか粉砕して調合された形跡があった。


「これは『お焚き上げ華阿南毘かあなび』といって、丑三つ時に燃やすことで彷徨える魂たちを行くべき死後の世界へと導く亡者にだけ効く薬なんです」

「亡者にだけ…」

「今日私が殺めた彼らの魂は、もしかしたらもうここにはいないのかもしれません。ですが、もしも1人でも居残っていたら周囲の悪しき念を呼び寄せてしまうおそれがあります。ですから、浄化するんですよ」


私に説明しているときの彼の顔は、なんだか寂しそうだった。


「生きているときは乱取りで、死んでからは邪気を呼び寄せるって、迷惑な人たちですね」

、ですからね…」


 翌朝、彼は次の目的地へと旅立っていった。村を離れる前に、彼は私に鈴を1つくれた。なんでも、乱取りや野盗除けで1日に1回鳴らすことで効果があるらしい。


(また、会えるかな…)

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