歴史推理ゲームに挑め!

白里りこ

歴史推理ゲームに挑め!


 この高校には歴史研究会なる珍しい部活が存在する。部員は僕と平松さんの二人だけ。厳密に言うと、上級生が卒業して平松さんの一人だけとなりそうだったところを、平松さんに思いを寄せる僕が下心満載で途中入部したという形である。


 だが悲しいかな、僕は数学や理科は得意なのだが、歴史にはちっとも詳しくない。大学受験でも歴史の科目は少ししか使わないから、入部してもさしたる旨味は無い。元から所属している理科部の部員仲間から、必死に止められたのも頷ける。

 だが何人なんぴとたりとも僕の恋路を邪魔することはできない。僕は決然と、会長たる平松さんに入部届を提出し、見事、歴史研究会の一員となった。


 平松さんは初心者同然の僕が入部してきたことに嫌な顔一つせず、色々と熱心に歴史知識を教えてくれた。平松さんの知識は幅広かった。江戸時代の華やかな文化、第二次世界大戦の惨状、エジプトのピラミッドの謎、フランス革命の経緯まで。僕も知らないなりに懸命に聞く姿勢を見せた。


 特に興味深いのが戦争についての話だった。今も昔も戦争とは、戦局の全体的な見通しなどよりも、食料や物資の補給などの後方支援がものを言うのだそうだ。「戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る」という格言もあるほどだという。

「『腹が減っては戦はできぬ』と言うからね。昔の戦では、農村とか町とかを襲撃して食べ物を奪ったりしていたそうだよ」

「ひえー、酷い話だな」

「もう少し時代が下ってからは、ちゃんと兵站へいたんを作って、戦争用の物資を溜めておいたりするようになったみたい」

「でも、それはそれで農民の負担になるんじゃないかな?」

「そうだね。いつ使うかも分からないものを、税として徴収されてしまうのも、きついだろうね。現代の軍事費や防衛費も然り……」

「いやー、今も昔も戦争なんてろくなもんじゃないなあ」

「本当にね」


 傍目から見ると恋愛のれの字もない会話だが、僕は会話できるだけで楽しかったし、楽しそうに話をする平松さんを見るのも楽しかった。よって、今のところ、二人の距離は順調に縮まっている。

 ところが。


「いつもごめんなさい」

 ある日、平松さんは僕に言った。

「えっ!?」

 僕は狼狽した。謝られるようなことなんて何一つされていない。むしろ僕が平松さんの邪魔をしてばかりだというのに。

「毎回、私ばかりが延々と話しているだけでは、つまらないでしょう」

 平松さんは続けた。僕はぶんぶんと首を振った。

「ちっともそんなことはないよ。いつも興味深く聞かせてもらっているよ」

「そう……それなら良いんだけど」

 平松さんは俯いた。

「私、考えたの。もう少し安藤くんに楽しんでもらえないかって」

 いや、話を聞くだけで充分楽しいのだが、平松さんが僕のために何か考えてくれたというならそれはそれでとても嬉しい。

「何を考えたの?」

 僕は尋ねた。

「推理ゲームをしようと思って」

 平松さんから思いもかけない言葉が飛び出してきた。

「推理ゲーム?」

「ちょっと、問題を作ってきたの。そしたら安藤くんも問題を解くのを楽しめると思って」

 僕はたちまち興味をそそられた。平松さんが僕のために一生懸命ゲームを考え出してくれたなんて! これに乗らない手はない。

「何々、どんなやつ?」

「う、うまくできてるか、不安なんだけど……」

「大丈夫だよ! 平松さんが考えたやつなら絶対楽しい! 平松さん頭いいもん」

「ありがとう」

 平松さんは照れ臭そうに笑った。


「それで、どんなゲーム?」

 僕は意気込んで尋ねた。平松さんはいくらか自信を取り戻したようで、ルール説明を始めた。

「私が問題を出すんだけど、安藤くんはそれに対して『はい/いいえ』で答えられるような質問をたくさんするの。それで答えを導き出してもらいたいんだ」

「なるほど……?」

「簡単な例題を用意したから、それからやってみようか」

「分かった」


 僕は力強く頷いた。

 平松さんは咳払いをした。


「じゃあ、行きます」


 そしてファイルから一枚のメモを取り出して、僕の前にスッと差し出した。それには手書きの綺麗な文字でこう書かれていた。


『ある日、男が故国からとある国に行くのに、パスポートを確認された。

 しばらくしてから、男がその国から故郷に帰るのに、パスポートは確認されなかった。

 何故でしょう?』


 まさか僕のためにここまできちんと準備してくれていたとは。僕は感激のあまりうっかり涙ぐみそうになったが、ぐっとこらえて問題文に集中した。

 とりあえず、一番ありえそうな答えを言ってみる。


「帰りは密入国したから?」

「いいえ」

 平松さんは即答した。うん、そういう安直な答えではないだろうな。


「じゃあ……男は帰りに死体になって輸送されていた?」

 うふっと平松さんは言った。

「物騒だね。……いいえ」

「うーん」


 僕は問題文を読み直した。


「故国から……故郷に……」

 ここで微妙に言葉のチョイスが違うのが気になる。そこでこう尋ねた。

「『故国』と『故郷』は同じ場所?」

「はい」

 これまた即答である。


 男の行動に問題はない。場所も変わっていない。だとしたら行きと帰りで違うのは何か? ……国境線だ。占領されたり侵略したり、国境線とは不変ではない。


「『故国』と『故郷』は同じ国?」

「いいえ」


 なるほど。男が「とある国」に行っている間に、故郷が違う国になった……いや、「とある国」に組み込まれたのか。

 実例はいくつかあるが、これは例題なのでそこまで凝った答えではないはずだ。つまり、僕が知っていてもおかしくない、身近な例。

 そこで僕はズバリと聞いた。


「この『とある国』って日本のこと?」

「はい」

 平松さんはにっこり笑った。僕はその笑顔に見惚れながらも、答えを推理した。


 日本。日本で他国との関わりが深い場所というと、北海道、対馬、沖縄くらいか。そのうちパスポートが関わってくる場所といえば、戦後にアメリカ統治下にあった沖縄で間違いない。


「分かった。男の故郷は沖縄なんだ。男は沖縄がアメリカに占領されている時期に日本に渡り、沖縄が日本に返還されてから沖縄に帰った。行きはアメリカと日本の間でパスポートが必要だけれど、帰りには同じ国になっていたからパスポートは要らなかったんだ」

「正解」


 平松さんは微笑んでパチパチと手を叩いた。僕は嬉しさのあまり赤面した。

 

「じゃあ、本題に入るね」

 平松さんは言った。僕は椅子に座り直し、唇を引き結んで、姿勢を正した。

 次に差し出された紙には、こんな問題が記されていた。


『某国の軍が敵国軍との戦いに圧勝して、敵国の首都に攻め込んだ。

 敵国の首都は完全に焼け野原となった。そのせいで多くの者が命を落とした。

 そして某国軍は敵国から逃げ始めた。

 何故、某国の軍は逃げたのでしょう?』


「へっ!?」

 僕は思わず間抜けな声を上げていた。

 敵国に圧勝して、首都を焼き払って、勢いに乗っているはずの軍が、突如として逃げ出した?


「ここでタイムリミットを設定します」

 平松さんはスマホを持ち出して言った。

「タイマーで五分計るから、その間に答えに辿り着いてね」

「ええっ」


 急に難易度が鬼のように上がった。これは急いで頭を回転させなければならない。


「用意、始め」


 ポチッとタイマーのボタンが押される。


 僕は急いで集中モードに入った。


 ええと、いきなり逃げ出したとなれば、何か不測の事態があったとしか考えられない。


 そこでまず僕はこう問うた。


「敵国からの予想外の攻撃はあったの?」

「いいえ。攻撃はあったけど、予想の範囲内だったよ」

「じゃ……じゃあ、その敵国以外からの攻撃はあった?」

「いいえ。ありません」


 うーむ。敵軍によるものではないのか。となると、某国の側に何か問題があったのか。


「そもそも某国は、敵国に留まるつもりはあったの?」

「はい」

「某国は敵国から撤退するつもりは元々無かったということ?」

「はい」

「そんなあ……」


 僕は情けない声を出した。平松さんはおかしそうに笑った。


 某国軍は予想外の攻撃も受けておらず、撤退のつもりも無かった。ならば、「逃げ出した」の部分に仕掛けがあるのだろうか。逃げたフリをして、最終的に勝ったとか。


「実は逃げ出したのは見せかけの作戦だった?」

「いいえ」

「某国軍は本気で逃げた?」

「はい」

「嘘ぉ」


 どんどん逃げ道が封鎖されていく。あと可能性があるのは何だろう。

 僕はもう一度じっくり問題文を見た。

 この中に絶対にヒントがあるはずなのだ。


「多くの者が命を落とした。、某国軍は逃げ出した。どうもここが引っかかるんだよなあ……」

「あと三分だよ」

「あーっ、まずいまずい。ええと……まさかとは思うんだけど……」

「いいよ、何でも聞いて」

「命を落とした『多くの者』って、もしかして某国軍の人のこと?」

 平松さんはぱっと顔を輝かせた。

「はい」

「ウオーッ」


 僕は頭を抱えた。


 敵国に圧勝して、首都を焼け野原にしたくせに、某国軍が打撃を受けた!? しかも、予想外の反撃も無しに!? 何だ、この意味不明な状況は! 一つ答えに近づいたはずなのに、ますます謎が深まってしまった。

 とにかく考えよう。うーん……どうしても「焼け野原」と「某国軍が命を落とす」が結びつかない。

 ここは「焼け野原」について問いただすか。「はい」か「いいえ」でしか答えてもらえないから、「何で焼け野原になったの?」は通用しない。地道にやるしかないが、時間も気にしないと。

 僕は急いで尋ねた。


「敵国の首都が焼け野原になったのは、空襲のせい?」

「いいえ」


 何とまあ。それならば飛行機が発明される前の時代の話だろうか。


「じゃあ、焼き討ちのせい?」

「いいえ」


 これも違うか。

 ……え? まさか、まさか……。


「そもそも……焼け野原にしたのは某国の仕業?」

「いいえ」


 何だか恐ろしい雲行きになってきたな。


「ええと……敵国が自国の首都を焼き払った……?」

「はい」

「な、何でそんなことを!? いや、それを考えないといけないのか……」


 僕は必死で情報を整理した。

 某国は確かに敵国に勝って、敵国の首都に攻め込んだ。

 その後敵国は自国の首都を焼き払った。

 その結果、某国軍の人が命を落とした。

 そして某国軍は逃げ出した。


 だんだん筋道が通ってきたぞ。


「分かった!」


 僕は言った。


「敵国は、首都まで入り込んできた某国の人を、火でやっつけたんだ! 某国の人は火に焼かれて死んでしまった! だから某国軍は逃げ出した!」


 平松さんはちょっと残念そうな顔をした。


「いいえ」


 渾身の答えを否定されて、僕はちょっぴり恥ずかしくなってしまった。平松さんはというと、後ろめたそうにしていた。


「少し、難しすぎたかな。悪問だったかも……。ごめんね。本当にごめん。あのね、これの答えは……」

「ちょっと待ったぁ!」


 僕は慌てて言った。平松さんをがっかりさせたまま終わるなんて、そんなことは許されない。


「まだ五分経ってないよ。もう少し考えさせて!」

「あ、うん……分かった」


 平松さんはおとなしく頷いて、口をつぐんだ。僕は大急ぎで、これまでの歴史知識を頭の中で総動員させた。

 焼け野原。戦争。略奪……。兵站。

「腹が減っては戦はできぬ」。「戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る」。


「これだぁ!」

 僕は大きい声を出した。

「わ」

 と平松さんが言った。

「あ、ごめん……」

「いいよ。何か思いついたの?」

「うん。戦争ではよく農村や町からの略奪が起きていたと聞いたけれど……焼き払われた町じゃあ、食べ物を奪えないよね! 某国は、食べるものがなくなって、仕方なく撤退したんだ!」


 平松さんは目を丸くした。

 その途端、ピピピピピとタイマーが鳴った。時間切れだ。

 果たして……!?


「……すごい。正解」


 平松さんは感嘆したように言った。


「やったー!」


 僕はガッツポーズをした。


「厳密にはもっと複雑なんだけどね」


 平松さんは説明を始めた。


「ここでの某国軍はナポレオン率いるフランス軍、敵国はロシア帝国のことだよ。これは1812年のロシア戦役でのことなんだ。ロシアは焦土作戦でモスクワの町を焼き払う作戦を立てたことで、モスクワの住民をみんな強制退去させてその生活を奪っただけでなく、多くの貴重な文化財を焼失させてしまったんだよね」

「ひえー、おそロシア……」

「でもこの非道な作戦によって、ナポレオン軍は、食糧と、泊まる場所と、燃料と……色んなものを得られなくなった。折しも季節は冬になったから、ナポレオン軍には餓死者だけでなく凍死者も続出したんだって」

「怖いね……」

「このロシア戦役はナポレオンが凋落する決定打となったんだ。ナポレオンはロシアの占領に失敗してボロボロになって逃げ帰った。撤退戦はどうしても敵に背中を向けて不利になるから、追い討ちを食らって更にボロボロになったんだよ。結局このあとナポレオンは捕まって、流刑に処されたんだけど……」

「ふむふむ」


 平松さんはまた滔々と歴史知識を語り出した。僕はこんな風に、好きなものについて一生懸命な平松さんを見るのが、大好きだった。

 幸せな時間が、今日も流れゆく。

 僕はにこにこしながら、平松さんに相槌を打った。

 この時間がずっと続けばいいのに、と思いながら。


 それにしても、僕のためにクイズまで用意してくれるなんて、平松さんはすごく優しい。

 ……これは、脈アリなのでは……?

 いつか、と僕は夢想した。

 いつか、告白をしたら、ひょっとしたらオーケーをもらえるのでは?


 まだそこまでの勇気はないけれど、今日は少し自信を得られた日だった。

 僕はますます上機嫌で、平松さんの話に聞き入った。




 おわり

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