千七部の迷探偵

K-enterprise

千洞真理は、心理と真理を探究する

「あのう、“千七部せんしちぶ”というのはここでよろしいのでしょうか?」


 線の細い三つ編みメガネの女生徒が、少し開けた引き戸からおずおずと顔を覗かせて言う。


「いらっしゃい! いかにも、ここがセンシティブです」


 ぼんやりノートを眺めていた真理ちゃんが跳ね立って両腕を広げる。

 いや、sensitiveって綺麗な発音で言うけど、あなたが付けた名前でしょ? “千七部せんしちぶ”って。もっと名前に誇りを持ってください。

 真理ちゃんは女生徒を部室の中に引っ張り込み、来客用の椅子に座らせる。


「私は部長の千洞真理せんどう まりです。それで、ご用件は?」


 対面に座った真理ちゃんは、机に両肘をついて両手を組み、顎を載せる。

 久しぶりの依頼に、目が爛々と輝いている。


「えっと、私、初めてなんですけど、ここって誰が誰の事を好きか、調べてもらえるって聞いて、それで……」


 緊張し恥じらう女生徒が新鮮だ。真理ちゃんも少しは見倣ってほしい。


「いかにも。私たちにかかれば、学校内の人間関係なんて、5分もあれば解決よ」

「あの、調べてほしい人がいて、それで」

「ちょい待ち。依頼はもちろん受けるけど、その対価も知ってるよね?」

「……はい、依頼者が求める情報と同等の情報を提供する」


 うつむいた女生徒の顔がリンゴの様に赤く染まる。

 恥じらいっていいな。すごくいいな。


「ちなみに、情報は前払いだからね。それと、情報の真偽判定は最初に確認させてもらう。あなたが求める情報はその後に渡す。OK?」

「私しか知らない情報は、どうやって真偽の確認をするんですか?」

「ふふふふ、私たちの商売は信用で成り立ってんの。つまり私たちが発信する情報は社会的な後ろ盾があるのよ。ガセネタだった場合、あなたが知らないあなたがこの世に誕生するでしょう」


 それっていつも思うけど、嘘ついたらあることないこと吹聴するからね! って脅しだよね?


「や、やっぱり先生方の弱みを握っているんですね……う、嘘なんか言いません。それに私の話なんてだれも信用しないと思うし……」

「私は信用するわよ。それに私だけは嘘の報告を言わない。だからこの部は成り立ってるの」


 真理ちゃんは満面の笑みのつもりだろうけど、女性徒は引きつってるぞ? てか、教師陣の秘密を握って好き放題してるって噂、やっぱりあるんだ。


「先に私の情報を言えばいいですか?」

「依頼内容が先ね。それに対する対価を私が指定するわ。その情報に納得したら依頼を遂行いたしましょう」

「えっと、山田太一くんの、好きな人が知りたいです」

「ふむ、二年三組で、野球部の山田君かな?」


 こんな活動をやってるだけあって、相変わらず在校生の情報は詳しいんだな。


「あ、はい。そうです」

「あなたの名前は?」

「同じ二年三組の須賀原すがわらユミナと言います」


 見たことある顔だと思ったら隣のクラスか。あまり目立たない、自席で本を読んでいる姿を見たことがあるな。


「ちょっと待ってね。うんうん、彼の好きな人は登録されてないね。つまり未知の情報を調べるってことだ」


 真理ちゃんはルーズリーフノートをペラペラと捲り、対象者の情報を確認して告げる。

 絶対に見せてくれないノートだが、どんな個人情報に溢れているのか気になってしょうがない。


「はい、私の知る限り、誰も知らないみたいです」


 そもそも彼に好きな人がいない可能性だってあるんじゃ?


「わかりました。未知の情報を調べるので、須賀原すがわらちゃんからいただく情報も私の知らない情報のみとなります」

「わ、分かりました。どうすればいいでしょう?」

「私が質問するからね、それに答えてくれればいいよ。私が知らない情報に辿り着くまでじゃんじゃん質問するからね、よろしく」

「お手柔らかに……」

「まずは生年月日から!」


 はい、個人情報吸収タイムが始まりました。

 俺にできることは、できるだけその情報を耳に入れないことだ。

 部室の片隅で、置物の様に存在感を消しておく。


「……ふう、なかなか私の知らない情報が出てこないねぇ、ま、いいわ。これが最後の質問ね。あなたが好きな人は?」

「山田太一くんです」


 どんな質問に対する答えも「知ってる、次」と返される質疑応答の時間は、考える暇を与えずに繰り返されるため、思考が麻痺し自然と真実の答えが口に出るようになる。

 きっと真理ちゃんは稀代の催眠術師か、最強の取り調べ官になれると思う。

 やってることは詐欺師と同じなんだけど。


「はい、お疲れ様でした。それじゃあなたの依頼内容が判明したら連絡するね。ここに電話番号を書いて」


 長時間に及ぶ質問攻めで、心身共に疲弊した須賀原すがわらさんは、言われるがままに番号を記録する。

 恐らく、自分が何を答えたのかも正確には覚えてないだろう。


「はい、ありがとうね! それではまたのちほど」


 真理ちゃんの言葉に、フラフラと立ち上がりお辞儀をした須賀原すがわらさんが口を開く。


「……ところで、なんで私の初恋の人とか、好きなタイプとか知ってるんですか?」

「ふふふふ、それが私たちの仕事だからね!」


 何を答えても「知ってる、次」と言われ続けた須賀原さんは納得いかない顔をしながら部室を出て行く。


「ふぅ、個人情報大量ゲット!」

「嘘付きはいつか刺されるよ?」

「私が知らなかったって証拠はないでしょ? それに、私が刺されて死んだとき、どれほどの情報が世に放たれるか興味あるの?」


 真理ちゃんは悪い顔で笑う。


「刑事ドラマに出てくる情報屋も顔負けのレベルだよね。でもまあ、依頼があるってことは、まだ悪名も校内全域にまで届いてないってことか」

「悪名って言うな。ま、大人しい子だったから、他の子と交流が少ないのかな? おかげで鮮度の高い情報がたっぷり」


 うひひひと笑いながらノートにペンを走らせる。

 今日もまた、いたいけな少女の個人情報が収集されてしまった。

 真理ちゃんが卒業するまでの残り十か月、全校生徒の情報はコンプリートされてしまうのだろうか。

 でも、少なくとも、一人だけは集まらない。

 彼女の手段を知り尽くしている、この俺の情報だけは。



――――



 隣家の千洞真理せんどうまりちゃんは一歳年上のお姉さんだ。

 物心ついた時から一緒にいて、いつも面倒を見てもらった。

 そんな関係だから、俺が何かを選んだ記憶はない。

 毎日の行動、通学、週末の過ごし方、休日の過ごし方、長期休みの過ごし方。

 そして高校の進路から所属する部活動すらも、俺は自分で選んでいない。

 全て、真理ちゃんが決めていた。


 さすがに中学校あたりからこれはおかしいと感じるようになったが、俺の周りに相談できるような友人はいなかった。

 いや、友人を作ろうとすると、真理ちゃんが邪魔をした。

 

「私がいるんだから友達なんかいらないでしょ?」

「でも、勉強したり」「私が教えるよ」「遊びに行ったり」「どこでも付き合うよ」「……なら、いいのかな?」「いいのよ」

 

 と俺の疑問や質問は常に真理ちゃんが解消してくれた。

 そりゃあ、普通じゃないとは思いつつも、特に困ることもないからいいかと思ってここまできた。


「ねえひろちゃん、ラプラスの魔って知ってる?」


 俺が高校受験の直前、勉強を教わっているとそんなことを聞かれた。


「それって受験に出るの?」

「たぶん出ないと思う」

「じゃあ後にしてくれる?」

「私ね『敵を知り己を知れば百戦危うからず』って言葉が大好きなの」

「そんな格言なんかより、この関数の問題を教えてください」

「ありとあらゆる情報を入手することができれば、その環境を支配できると思わない?」


 その時は、俺の偏差値ではギリギリの、真理ちゃんが通う高校に合格することだけを考えていて、彼女の独り言はよく聞いていなかった。

 それを思い出したのは、高校に入学した初日、真理ちゃんに腕を引かれて訪れた“千七部せんしちぶ”の部室で、部の活動内容を聞いたときのことだ。


「ねえひろちゃん、ラプラスの魔って知ってる?」

「知らない」

「簡単に言うとね、ありとあらゆる原子の、位置と方向を知れば未来が予測できるって話なの。要は、みんなの持ってる情報を全部知れば、思い描いた未来をコントロールすることも可能ってワケ!」


 全然分からんが、これだけ長く付き合いがあっても、彼女が何を考えているか分からないのはいつものことだ。


「それで、この部はどういう部なの?」

千洞真理せんどうまり七海 広ななみ ひろしが活動する部活動よ。略して“千七部せんしちぶ”」

「名前の由来じゃなくてね、何をする部なの?」

「人の心の敏感な情報、つまりセンシティブな情報を売り買いするのよ」

「情報屋?」

「それじゃあ胡散臭いでしょ? 誰も知らない真実を探るので、心の探偵“千七部せんしちぶ”ってわけ」


 何をどれだけ聞いても理解できないことがあると知り、考えることを放棄した。

 とは言え、やることは単純だった。

 依頼主が誰かの情報を聞きに来る。

 それに見合う情報を入手する。

 依頼主が求める情報を提供する。

 そんなセンシティブな情報のやりとりだから、時にはトラブルによる、いわゆる炎上騒ぎにも発展しかけたが、真理ちゃんの所有する多くの情報は、強力な消火剤にもなり、炎上する前に鎮火した。

 人々は彼女を恐れたが、真理ちゃんは秘匿すべき情報は決して外に漏らさなかったこともあり、それなりの立場を維持していた。

 怒らせると怖いけど、使いようによっては有益であると。

 現に、彼女に依頼した多くの恋愛探究者が恋人を確保したのは間違いない事実で“恋愛相談所”“恋愛成就の神”などと喜ばれることもあった。


 それにしても、真理ちゃんはそもそもなんでこんな活動を始めようと思ったのだろう?

 もちろん聞いたことがある。

 帰ってきた答えは「本当に知りたい真実に辿り着けないなら、総当りの消去法しかないでしょ?」と返された。

 もちろん、何を言っているのかさっぱり分からない。


――――


「山田君、ちょっといい?」

「げ、“千七部せんしちぶ”」


 真理ちゃんの問いかけに青くなる山田君。

 げ、とはなんだ、げ、とは。

 まあ、情報を漁るハイエナみたいな存在だから、そんな反応も慣れているんだけど。


「部活終わりで疲れてるところ悪いんだけど、ちょっといい? あなたの好きな“松本堂”の栗饅頭があるわよ」

「なんで俺の好物を……」

「ふふふ、他にもいろいろ知ってるわよ、いろいろとね」


 真理ちゃん、だからそんな悪い顔しないでよ。



「で、何スか?」


 校庭脇のベンチで、饅頭とペットボトルのお茶を提供された山田君が警戒して聞いてくる。


「単刀直入に聞くわ。あなた好きな女の子いる?」

「いや、別にいないッスけど」

「どんなタイプの子が好き?」

「俺、野球部だし、やっぱ運動が好きってか、活発な子がいいなって思うッス」

「それで上手くいくと思うの?」

「は? だって一緒にトレーニングしたり、スポーツ観戦したり、趣味が合うって大事じゃないスか?」

「好きだからこそ譲れないポイントがあったらどうするの? ちなみにあなた、自分のカラダでいうとどの筋肉が好き?」

「上腕二頭筋ッスかね」

「もし、あなたの彼女が腹斜筋ラブだったらどうするの?」

「いや、べつにどうも」

「同じ傾向、同じベクトルの趣味嗜好は、時として大きなズレを生むのよ。好きだからこそ譲れない、そうでしょ? もし譲れるのだとしたら、あなたの上腕二頭筋なんんてその程度のものなのよ」

「好きだからこそ……譲れない、た、確かに」

「悲しい錯覚なのよ。同じ趣味ってのは確かに同じ方向を向くの、でもねその位置が違うだけで、あなたたちが辿る進路は平行線。交わるポイントは永遠に訪れない」

「付き合ってもいないのに、交われない? そんな……」

「でも悲観することはないわ、じゃあどうすればいいのかって言うと、少し目線を変えてみればいいの、あなたは上腕二頭筋を鍛え続ければいい。それをただの筋肉と評価してくれる人を探せばいい」

「俺は上腕二頭筋を捨てなくていい?」

「そうよ、どんな筋肉も「筋肉ってスゴイですね!」って評価してくれる人がいるとしたら?」

「幸せだと、思うッス! でも、俺みたいな野球バカには、目線を変えるってどうすればいいのか……」

「だから私たちが来たのよ! いい? あなたが懸命に生きる姿を応援している人がいるの。あなたは何も変わらなくていいし何も捨てなくていい。ただ、その子を受け入れるだけでいい。簡単でしょ?」

「そんな女神さまみたいな人が……」

「この世にたった一人だけいるわ、その人の名前は……」


 相変わらず見事な腕前に感服です。

 これでまた一つこの学校にカップルが一組誕生した。

 そして不思議なことに、真理ちゃんが強制マッチングした恋人同士で、別れてしまった例はないのだそうだ。


「そりゃそうよ。私は勝てる勝負しかしないもん」


 つまり綿密な情報収集によって、意図した真実を生み出していると言う事だ。

 真実を暴くという、結果から始まる推理じゃない。求める結果に至る必然の道を作り出す。


 それが心の探偵“千七部せんしちぶ”の真の活動だ。

 

――――


「というわけでね、山田君の好きな人は、なんと須賀原すがわらちゃんでした!」


 山田君と会った後の部室で、真理ちゃんはスマホを使って須賀原すがわらさんに報告する。

 正確には先ほど好きにさせたわけだが、まあ嘘は言っていない。


「あと、47人……」


 通話を済ませた真理ちゃんがノートを眺めて、ため息を吐く。

 ちなみに昨日まで48人と言っていた。


「その人数って、なに?」

ひろちゃんは知らなくていいの」


 いつもと同じやりとりだったが、今日は何故だか先に進もうと思った。


「彼氏のいない女の子の数でしょ?」

「ななななんで知ってるの?」

「あのさ、いくら俺が真理ちゃんの言うとおりに生きているとしても、この頭は飾りじゃないんだよ」

「……じゃあ、私がなんでこんなことしてるか知ってるの?」


 真理ちゃんは真実を作り出す。

 それはたった一つの道を、完全なものにするための手段。


 俺は真理ちゃんの真実を解き明かすことを決めた。


「穴だらけな作戦だと思わなかったの? 俺たち以外の生徒全員をカップルにさせても、俺が誰を選ぶかなんて分からないと思うんだけど」

「だって……そうでもしないと」


 あれだけ他人の気持ちが分かって、情報を正しく利用して、的確なカップリングを選定できて、適切で強引な説得とアドバイスができる能力があるくせに、どうしてこの人は、一番近くにいる存在の気持ちを理解できないのだろう。

 いや、それは俺も同じか。

 一緒にいるのが当たり前すぎて、確認することが怖いんだ。


 真実はたった一つしかないのに、その推理が間違っているかもしれない。

 名探偵はそれを暴くのが怖くて、遠回りをしてる。


 だから、彼女が自信を持って推理できるように、最後の情報を提供しよう。


「ねえ真理ちゃん。俺の依頼を引き受けてくれないかな。知りたい情報は、あなたの好きな人。俺が提供できる情報は、俺が千洞真理せんどうまりを大好きだってこと」


 さあ、真理ちゃん。

 顔を赤くしてる場合じゃないよ? この難問、果たして5分で解けるかな?



――― 了

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