十四歳

尾八原ジュージ

十四歳

 十四さいのたんじょう日、お母さんがわたしのくまさんの毛布を捨てました。すずこさんはもう大人なのだから、こんなものはいらないのだと言って捨てました。くまさんの毛布はわたしの大事なものでした。赤ちゃんのころから家にいるときはいつもいっしょでした。ふわふわでいいにおいがして、これをもっていればどんなこわいことがおこっても平気だと思っていました。お母さんもわたしがくまさんの毛布を大事にしていたことは知っていたはずなので、わたしはお母さんが捨てたというのはうそだと思いました。でも、うちにかえってもベッドに行ってもくまさんの毛布はありませんでした。次の日になってもありませんでした。その次の日にもありませんでした。わたしが大人になったから、くまさんの毛布は捨てられてしまったのでしょう。あんなに大すきだったくまさんの毛布だったのに、色がうすくなってごわごわになっても大事にしていたのに、それが捨てられてしまったのはわたしのせいなのです。わたしが十四さいになったのがいけなかったのです。捨てられたものは、もやされたりうめられたりするそうです。くまさんの毛布はどんなにくるしかったでしょう。きっとわたしに捨てられたと思ってかなしかったことでしょう。家族みんなにおいわいしてもらった十四さいのたんじょう日が、こんなにこわい日だったなんて思ってもみませんでした。かなしくて泣きたかったのですが、ひとまえで泣くとお母さんが、もう大きいのにみっともないと言っておこります。それでお母さんのまえではちゃんとがまんして、かくれて泣こうときめました。じつは、そのための場所がちゃんとあったのです。うちのにわのすみっこに小さな家があって、むかしはにわのお手入れをする人が住んでいたそうです。今はだれも住んでいません。小さな家はぼろぼろでせまくて、たぶんひとつのへやでごはんを食べたり、ねたりしていたのだと思います。だから家に入っておふろまではすぐです。おふろには古いバスタブがおきっぱなしになっています。わたしはその中に入って、ひざをかかえてすわって、それから泣くことにしていました。バスタブはつるつるしていてつめたくて、中ですわっていると心がおちついてきます。学校でいやなことがあっても、家でかなしいことがあっても、そこでたくさん泣けるのでわたしは元気になります。わたしはくまさんの毛布が捨てられてしまって、とてもかなしかったので、泣くためにおふろに行きました。するとバスタブの中で、なにかがうごいていたのでおどろきました。今までもムカデみたいな虫がいたりして、びっくりしたことはあったのですが、その日バスタブの中にいたものはもっとずっと大きくて、おねえさんのかっているねこくらいでした。さいしょはピンク色のゴムのかたまりが、バスタブのすみっこにおちているみたいに見えました。でも、もぞもぞうごきながら、にいにいと小さなこえでないていたので、赤ちゃんに似ていると思いました。赤ちゃんが泣いているのだとかわいそうなので、わたしは自分が泣きたかったのもわすれて、バスタブに入ってその子をそっとさわりました。あたたかくてやわらかかったので、また赤ちゃんみたいだと思いました。まえに見せてもらったいとこの子に似ていたけれど、目もはなも口もなくて、なのににいにい泣いていました。おそるおそるだっこしてみると、もっと赤ちゃんに似ている気がしました。くまさんの毛布がなくなったらこの子が出てきたので、もしかするとくまさんの毛布の生まれかわりかもしれません。あたたかくてやわらかいかんじがとても似ていると思いました。わたしは赤ちゃんが泣きやむまでだっこしていました。そのうちぷーぷーといびきみたいな音をたて始めたので、たぶんねたのだろうと思いました。家にもちかえろうと思いましたが、だっこしたままバスタブから出ようとすると、とたんに目をさまして泣き始めるのでこまりました。ふしぎな赤ちゃんだから、このバスタブがおうちで、ここにいたいのかもしれません。だからやっぱりここにおいていくことにしました。そのかわり毎日ようすを見にくることにきめました。十四さいで大人なのだから、わたしが赤ちゃんのめんどうをみてやらなければいけません。家にかえって、ごはんを食べていたとき、赤ちゃんのごはんはどうするんだろうと気づきました。口のない赤ちゃんなので、ミルクをのんだりしないのかもしれませんが、おなかをすかせていないか気になって、わたしはいそいでごはんを食べました。それからまた、にわのすみの小さな家に行きました。夕方と夜のあいだくらいの明るさでした。バスタブをのぞくと、赤ちゃんはまだねていました。おなかはすいていないみたいだったので、わたしはほっとして家にもどりました。次の日は学校にいかなければならなかったのですが、あまり楽しくないので、ずっと赤ちゃんのことを考えていました。わたしはべんきょうはびりだし、体育もにがてで、みんなが話していることもよくわからないので、ともだちもいません。でも学校にはお父さんがたくさんお金をきふしているので、ふつうの子と同じクラスにいられるのだとお母さんが言っていました。わざわざ言うくらいだから、ふつうのクラスにいることはいいことなのだと思います。でもわたしにはわからないことがたくさんで、つまらないときが多いです。学校は女の子ばかりですが、わたしとなかよくしてくれる人はいません。わたしのおしゃべりがへただからです。ひとりでいるとたいくつで、よけいに赤ちゃんのことが気になってしかたありません。わたしは学校がおわるとすぐに家にかえって、にわのすみの家に行きました。赤ちゃんはバスタブのなかでハイハイをしていました。泣いていなかったのでほっとしました。赤ちゃんはおなかもへらなければ、おしっこやうんちもしないみたいです。バスタブの中をちょっとずつハイハイですすんでいました。わたしがバスタブの中に入ると、わたしのことをおぼえていたみたいで、近くによってきてくれました。だっこするとあたたかくてやわらかくて、かわいいと思いました。においも、くまさんの毛布に似ている気がしました。わたしは赤ちゃんをだっこして、ずっとバスタブの中にすわっていました。天井にあいた穴から光がさしこんで、空気がきらきらしていました。赤ちゃんはわたしのうでの中で、ぷーぷー音をたててねむっています。わたしもねむくなって、赤ちゃんをだっこしたままうとうとしてしまいました。目がさめるともう外がくらくなっていたので、わたしは赤ちゃんにさよならをして、いそいで家にかえりました。しばらくすると赤ちゃんはつかまり立ちをするようになり、もっとあとになると、バスタブのかべをさわりながらよちよち歩きはじめました。わたしはすごいと思ってほめました。バスタブの外に出たいのかと思いましたが、だっこして外に出そうとすると、やっぱりにいにい泣くのでした。わたしは赤ちゃんが歩くのを見たり、だっこしてゆらしたりしているとき、とてもほかほかしたいい気もちになりました。だっこをしていると、わたしもいつか本当のお母さんになれるだろうかと思いました。わたしが高校をそつぎょうしたら、お父さんとお母さんが決めた知らない人とけっこんすることが決まっています。だからそのうち本当のお母さんにはなれると思います。でも、いいお母さんになれるかどうかはわかりません。お母さんたちは、すずこさんはお顔がきれいだからきれいな花よめさんになれると言います。でも、お顔がきれいなだけでは、よいお母さんにはなれないのではないでしょうか。もっとかしこくて、いろんなことができる人でないといけないのではないでしょうか。わたしはごはんも作れないし、ぶきようだし、本をよむのもへたくそです。そういうことができないかわりに、もしも本当のお母さんになったら、赤ちゃんをたくさんだっこしてあげたいと思いました。でもわたしがけっこんして、この家を出ていったら、バスタブの中の赤ちゃんはどうなってしまうのでしょう? わたしは赤ちゃんが大すきでした。くまさんの毛布よりももっとすきだったかもしれません。おわかれするのはかなしいので、けっこんするときはバスタブをもっていこう、お母さんにしかられてもそうしようときめました。でも、ある日学校からかえってくると、小さな家はめちゃくちゃにこわれていました。やねもかべもほとんどなくなって、しらない人たちが木の板やれんがをかたづけていました。おふろばの方はもう、あとかたもありません。あんまりびっくりしてぼんやり立っていると、しらない男の人がやってきて、ここはあぶないから、おじょうさんはとおくにいってらっしゃいと言いました。男の人は大工さんでした。この家はもうだれも住んでいないし、古くなってあぶないから、こわしてかたづけてしまうのですよと、しんせつに教えてくれました。わたしはきゅうにかなしくなって、十四さいでおとなのはずなのに、子どもみたいにわんわん泣いてしまいました。大工さんはおどろいていました。わたしが泣きながらバスタブを知らないか聞くと、さっきトラックが捨てにいきましたとおしえてくれました。赤ちゃんがいなかったかも聞きましたが、ふしぎそうな顔で、そんなものはいなかったと言われてしまいました。大工さんのはなしでは、うみの近くにうめたて地があって、そこに捨てるのだということでした。うみはどこですかとまた聞くと、大工さんはびっくりして、ずっと南の方ですよと言いながらゆびをさしました。わたしはむちゅうで外にとびだしました。大工さんがゆびさした方をめざして走りました。すぐに息がくるしくなって、走れなくなりました。くつがこすれて足がいたかったので、くつはぬいでしまって、南の方へ歩きました。どうかしましたかと聞かれたのでふり返ると、おまわりさんが立っていました。うめたて地に行きたいと言うと、とてもとおいからおうちの人にたのみなさいと言われました。交番につれていかれて、すぐにお母さんがとんできて、わたしをしかりました。家にかえると、お母さんはわたしをへやにとじこめて、あたまをひやしなさいと言いました。わたしはベッドにねころがって泣きました。なみだがたくさん出すぎて、体がしわしわになってしまいそうでした。いきなり家をこわされて、バスタブといっしょに捨てられてしまって、赤ちゃんはどんなにこわくてかなしかったでしょう。赤ちゃんのことをかんがえると、なみだが止まりませんでした。そのうちたくさん泣いたので、つかれてねむくなってしまいました。うとうとしていると、にいにいというこえが聞こえてきました。赤ちゃんのこえでした。わたしはびっくりして立ちあがって、どこから聞こえるのかさがしました。でも、へやのどこにも赤ちゃんはいません。歩きまわっているうちに、わたしがうごくと、こえもいっしょにうごくことがわかってきました。わたしのおなかの中でこえがするのです。いつのまにこんなところに入ったのでしょう。トラックでとおくに行ったはずなのに、どうしてここに来られたのでしょう。ふしぎな赤ちゃんだから、わたしにはわからないことができるのかもしれません。にいにい泣いているのがかわいくて、うれしくて、わたしはベッドの上で自分のおなかをとんとんたたきながら、ゆりかごのうたをうたいました。大きくなっても外に出さないで、いつまでもおなかの中にいてほしい。わたしがバスタブになるから、いつまでもいつまでもここで泣いたり、ねむったりしていてください。ゆりかごのうたをうたいながら、わたしはまたねむくなってきました。赤ちゃんがいつのまにかぷーぷーねむってしまったので、わたしもおいかけるように目をとじました。そして、うみの近くのうめたて地で、大きくなったおなかをなでながら、バスタブをさがすゆめを見ました。いらなくなったものたちの上を歩いていると、うみの向こうに大きな夕日がしずんでいくのが見えました。わたしたちは、バスタブをさがすのをやめて、いつまでもそれをながめていました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

十四歳 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ