第五章(2)

 四時限目の数学の授業は退屈だ。四十代半ばくらいの眼鏡をかけたどことなく覇気のない先生は淡々と教科書をなぞるだけで、授業を面白く、女子高生たちの好奇心を煽るものにしようという心意気がまったく感じられない。


生徒のほうもここは文系クラス、大学受験にも数学を必要としない子が多いから、熱心に授業を聞こうとしない。先生に気付かれないように眠ったり、こっそり他の科目の勉強をしたりしている子がクラスの三分の二を占めていた。



 わたしは数学のノートの下にもう一冊別のノートを置いて、ノートを半分だけ使えるようにして、執筆をしていた。執筆というと大げさだけれど、小説のプロットのようなものを淡々と書きつけていた。


登場人物の年齢、性格、誕生日や血液型にいたるまでの細かい設定、ざっくりとしたストーリー展開、要所要所できらめく台詞などを思いつくまま、ひたすら書いた。



 自分でも単純だと思うけれど、この前オカジマさんに会ってから、あの人に言われた言葉がずっと気になっていたんだ。ハードルを越えなきゃ、何もできない。


小さい頃は自分で小説とも言えないような、「お話」的なものをノートに書いていたこともあったけれど、みんな中途半端で完結させられないままだった。



 小説家になりたい、なんて本気で考えているわけじゃない。でも、まずは自分のやりたいことに全力でチャレンジしてみたい。だからとりあえず、一作は完結させたい。



 その思いで、必死でシャープペンを動かした。授業の黒板は一応、大事そうなところだけはノートに書き写した。



 チャイムが鳴ってお昼休みが訪れ、教室は花が咲いたように賑やかになる。お母さん手作りのお弁当を持参する子。食堂でランチを食べる子。購買のパンを買う子。それぞれのやり方で昼食を用意し、お昼休みのひと時を過ごす。


教室にはあちこちに女子グループの島ができ、わたしはいつも通り芳乃と笑子と琴美の四人グループで集まってお弁当を広げた。夕べのおかずの残り物と冷凍食品が詰まった、茶色っぽくて素っ気ないお弁当だ。



「ねぇ澪、さっきの授業中、なんか一生懸命書いてなかった? あたし、斜め後ろの席だからよく見えたんだよね」



 笑子に言われてシュウマイをあやうく喉に詰まらせそうになった。動揺しているわたしを見て笑子の目が意地悪な三角の形になる。



「何、そんな慌てちゃって。もしかして何かまずいもの書いてたの?」

「まずいものなんて別に、書いてないよ」



 お茶でシュウマイをようやく流し込み、答える。それにしてもどうしたらいいだろう。適当な言い訳が浮かんでこない。



「うっそだー、あっやしー! きっと、あれだ! ラブレターでも書いてたんだ!」



 笑子なりの推理が的外れすぎて椅子からすっ転びそうになる。このスマホ、メッセが主流の時代にラブレターって。まぁたしかに笑子なら、ひーくんにファンレターをしたためていそうだけれど。



「え? 澪、誰か好きな人ができたの? 誰々?」



 琴美まで目を輝かせて聞いてくる。友人に好きな人ができるというのは、女子高生の価値観では大事件なんだ。



「まさか、赤川先生じゃないよね? たしかにわたし、赤川先生と両思いになれるなんてちっとも思ってないけど。でも、澪の相手が赤川先生だったら、少し、複雑」


「違うって」

「じゃあ誰なの?」

「誰でもないし、ラブレターも書いてない」



 ちょっと強めに言って、ひと呼吸置いた。芳乃、笑子、琴美。六つの目がわたしの次の言葉をじっと待っている。



「塾の宿題してただけだよ。今日、塾だから。全然宿題、間に合ってなくて」

「なーんだ! だったら最初からそう言えばいいのにー!」



 なんて、自分からラブレターなんていうトンデモ説を持ち出したくせにそんな言葉で片付けて しまう笑子。ちょっと苛ついた。


でも、小説のプロットを書いてることが誰にもバレなくてよかった。小説を書いているすごい子、とも小説を書いている中二病まっさかりのイタい子、とも思われたくない。



「知ってる? 千絵子、学校辞めるんだって。子ども産むことにしたらしいよ」



 芳乃が話題を変えた。決して規模は大きくない女子校だから、今朝からその話は教室のあちこちでひそひそと語られていることを知っていた。


 反射的に静音の姿を探す。静音とそのグループは食堂に行ったのか、姿は見えなかった。



「ほんと、千絵子もバッカだよねー。十代で妊娠だの出産だの結婚だの、絶対上手くいかないじゃん。すぐ相手の男に捨てられて、人生パアだよ」



 その場に静音も千絵子もいないのをいいことに、大声で笑子が切り捨てた。琴美が小さくかぶりを振り、芳乃はじっと下を向いて、わたしは何も言えなかった。



「ムカつくんだよねー、責任も取れないのにそんなことする連中。命の重みがどういうものか、ちっともわかってないんだよ。千絵子が学校辞めてくれてよかった。あんな人と一緒のクラスにいたくないし」


「でも、千絵子も自分なりに悩んで考えて、結局子どもを産むことにしたんでしょう? 命の重みはわかってると思うけど」



 芳乃が反論すると笑子がきゅっと唇を尖らせる。



「だから、そんな悩んだり考えたりするくらいなら最初からそういうことするなって言いたいの! ウチらの歳でそんなことするのって、要は背伸びをしたいだけでしょ? 


自分がちょっと特別になりたいって。だからって妊娠の心配するようなこと安易にしちゃうとか、あたしは理解できない」


「笑子は特別になりたいとは思わないの?」



 気が付いたら、そう聞いていた。普通、なんてよくある言葉でみんなと一緒くたにされたくない。誰かの特別になりたい。既に彼氏の特別になっている芳乃は別として、笑子や琴美にはその種の感情はないのか。


 笑子が顔をしかめて言った。



「特別、って要はその人の主観でしょ? 自分が特別だと思ったら特別だし、そうじゃないならそうじゃない。そんな曖昧なもので、人生壊すリスクのあることする人間の気が知れないよ。千絵子みたいなさ」



 言い捨てて、ミニトマトをかぷりと口に放り込んだ。


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JKパパ活倶楽部 櫻井千姫 @chihimesakurai

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