有情無情不在証明

目々

結果は身を以てお知らせします

 俺五月九日に死ぬんだよねと投げ出された一言はどこまでも気軽な調子だった。


 GWのド頭たる四月の末、友人同士で待ち合わせたはいいものの、やることもなくふらふらと晩春の陽気に浮かれて出歩いた挙句の成り行きで入った深夜のファミレス。冷房が上手く調整されていないのか妙にひんやりとした店内でチョコサンデーを突きながら保義はそう言ってのけた。


「祟りとかそういうやつ? 心霊スポットで鏡とか割った?」

「しねえよそんなこと……そっちの方が何だよ」


 俺の問いかけを一蹴して、保義は続けた。


「なんかうちの一族そうなんだよな。小っちゃい頃に墓石見て、ずらーっと五月九日なわけよ。こないだの春の彼岸に思い出して、何でだって兄貴に聞いたらそうなんだよって教わったから、そうだよって話」

「兄貴って保仁さんか」

「当たり前だろ。俺の兄貴ひとりしかいねえもん」


 保義の言葉に俺は記憶の底から該当する人物の顔を引きずり出す。保義がことあるごとに口に出していた、いわゆる自慢の兄であるその人保仁さんは、年の割には大人びた、物静かで口数の少ない人だったはずだ。保義の家でしか会ったことはないが、その微かな記憶を辿っても、与太や嘘をつくような人ではなかったような印象がある。


「やっぱり祟りとかそういうやつ? 長い付き合いだけど初めて聞いたぞ」

「知らね。祟りとかって相応に立派な家じゃないと駄目だろ。俺んち由緒も権威も何にもないしな。親戚が多い系な田舎の家ってぐらいだよ──知ってるだろ」


 保義の言葉に黙って頷く。いつかの夏休みに彼の家に遊びに行った時、ドラマで見るような広い仏間と客間を背に、縁側で鳴る風鈴を聞きつつサイダーを飲んでいたのを思い出した。あの時にも確か保仁さんがアイスを差し入れてくれて、選択肢がバニラしかなかったことに保義が文句を言っていた。

 保義のじゃれるような駄々に苦笑していた彼の横顔が、ふと脳裏を過った。


「条件は」

「えー? 普通に兄弟とか親子なら通るんじゃねえかな。同じ墓に入れて、こう……親族認定っつうか、親愛の情があれば死ねるだろ、五月九日に」


 命日決まってんのは便利だよなと笑った顔──いかにも屈託のない明るさのそれは話の内容に驚くほど不似合いだったが、連休の深夜だというのに人もまばらな国道沿いのファミレスには不思議なくらいに馴染んでいた。


***


 父親から慌てた口調の連絡が来たのは、連休が明けてからしばらくしてのやけに冷え込む夜だった。

 急遽用意してもらった慣れぬ喪服を着て駆けつければ、もう友人は骨壺に入っていた。事前に聞かされたようにどうにか焼香を済ませてから手を合わせ、仏壇前の遺影に対峙する。

 その笑顔がほんの少し前に見たものと同じだと考えた瞬間、胸に砂が積もるような気分になった。


「忙しいのに悪かったね。来てくれて、あいつも喜んでると思うよ」


 喪服のまま頭を下げる保仁さんに俺は首を振ってみせた。

 広々とした仏間の畳も、鴨居にずらりと並んだ遺影も、この人も。何一ついつかの夏と変わらない。

 保仁さんはひどく硬質な微笑みを浮かべる。その目元に、泣き黒子がやけに目立った。


「いや、驚きはしましたけど──ああ、この度は御愁傷さまです」


 慌てて口に出したお悔やみの言葉に、保仁さんはもう一度深々と頭を下げた。


「遅くなってすみません。話聞いたの一昨日で、急いだんですけど都合が」

「それはこっちが悪いから、気にしないでくれ。ぎりぎりまで人を呼ぶかどうかまで迷ってたから……」


 保仁さんは遺影の方を向いて低い声で呟いた。


「あんまり……いい死に方じゃなかったからね。身内だけで済ませようって話だったんだけど、君とは付き合いが長かったからさ」


 薄々予想はしていたが、改めて遺族の口から聞くのは嫌なものだった。

 さすがにそれ以上を聞くこともできずに視線を逸らせば、零れる程に手向けられた仏花の白さが目についた。


「いつ亡くなったんですか、あいつ。俺連休の初日に会ったっきり、いつもみたく連絡とか取らなかったんで……」

「六日だよ。休み明け早々にね、おかげで火葬場の予約に難儀したよ」


 連休明けの銀行と病院以外も混むんだねとどこかしみじみとした保仁さんの言葉に適当に相槌を打とうとして、俺は微かな違和感に身を強張らせた。


 保義が死んだのは六日だと保仁さんは言っている。俺はほんの数日前、あの夜に、あいつが言っていた与太を思い出す。


 死ぬ日が合わない。

 五月九日に死ぬのだと、あの深夜のファミレスで、無機質なBGMと共に投げつけられた一言とあいつの表情が俺の頭の中でぐるぐると巡っている。


 口に出すべきか気づかないふりをするのかを逡巡する。だが保仁さんはすぐに俺の下手な気遣いなど見抜いてしまった。目を伏せてから黙って頷いて、


「俺は家族だと──弟だと、思ってたんだけどな」


 そう小さな声で言った保仁さんの表情はやはりいつかの夏の横顔そのままで、俺は黙って視線を足元の影へと逸らした。

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