森 侘介

 川原であそんでいると、向こう岸から子供が飛んできた。水面からのぞく石のあたまを、とん とん とうつって飛んできた。苔のむした石のあたまに足をすべらせることなく、羽のあるいきもののように飛んできた。

 あたまのすぐうえでさかんに燃える太陽のために、川原の石はどれも焼かれ、熱の声をあげているように見える。膝ほどの高さのある大きな青い石に川の水をかけてやる。水が蒸発する音か、石が水を飲む音なのか、しゅう、とちいさな音があがる。何度かそれをくりかえし、熱のためにぼけて色あせていた石の色が、くっきりと青く輝きはじめたので、わたしはそこへ腰かけて、雪駄をぬぎすて、川の水のなかへふくらはぎまで浸かった、ちょうどそのとき、その子供はやってきた。

 子供はわたしの前をあるきまわった。裸足で焼けた石のうえをあるきまわって足裏は熱くないのだろうか、わたしは黙って見ていた。向こう岸の、なかば竹に侵された雑木林のなかから、くぐもった蝉の声が聞こえていた。

 子供はにぎっていた両の掌をわたしのまえでひらいた。汗ばんだちいさな掌のうえに、ひとつの小石がのっていた。この川原の石ではないように見える、どこにでもあるような、汚い石塊だった。子供はそれを「ながれぼし」なのだと言った。そう、と言って、わたしはシャツのなかに風をおくった。暑くてたまらなかった。

 水にあそばせているふくらはぎ、その皮膚に老いを見た。目の前でくるくる踊る子供の皮膚と見くらべてみる。なるほど、この若いからだにやどる無垢な想像力さえあれば、汚い石塊も流星の欠片に見えるものか。けれど子供のころのわたしは、果たしてどうだっただろう。なにも思い出せない。とにかく暑く苦しいのだった。


 「石」と題した作品をそれぞれ自由に書いて持ち合おうじゃないか、というたのしい誘いを受けてから、季節はもうひとつが咲いてすでに枯れた。ほかの二人は書けたらしいが、わたしはまだなにも書けないでいる。石、石、と念じるうちに、石のごろごろむきだしに生きているこの川原へと足が勝手に動いたことは、わたし自身の想像力の安直さを証してくれたようで、なにか情けない思いで座っている。流星のように大気圏を燃えてつきぬけるような想像力は、わたしにはないのだった。

 蔓延するウィルス騒ぎのために、世の中が右往左往しておちつかない、仕事もなくなり、書くこともままならず、死人のように日々をすごしていた。かろうじて呼吸だけはしていたが、とても生きているとは思えなかった。水中のふくらはぎの筋肉がよわって老人のように見えたのは、髀肉の嘆というような勇壮ななげきでもなく、そうしたわたしのほの暗いうしろめたさを映していただけなのかもしれない。


 川原で全身にたくわえた熱をひっさげて帰ったためか、わたしは夢のなかでついに石そのものになった。

 わたしは雑踏のなかを歩いていた。ふいに眼が見えなくなって、たちどまった。黒くふさがれた視界のなかに、蝋石でひいたようなしろいかすりがいくすじか見えるばかりだった、こわれた蜘蛛の巣に似ていた。そのほかには何も見えないのだった。眼があいているのか、あいていないのか、わからなかった。手で触ってたしかめようとしたときに、腕の動かないことを知った。腕がそこにあるのかないのかもわからなかった。つい今しがたまで歩いていたはずだったが、脚もまた、あるのかないのか、まったくわからなくなってしまった。

 まわりの雑踏の気配が、うすく、ちいさくなった。はやくこの場をうごかなければと焦りさんざんもがいてみたが、なにをしても体はうごかなかった。さては石に閉じこめられてしまったか、と考えた。手足のないこと、耳目のないこと、それらをさとってあきらめるまで、何年もあがいた。すっかりあきらめてしまった。それからさらに数年、そこでそうしていた。

 

 目を覚ましたとき、わたしはとびあがった。自然と、体がとびあがった。掛布団は部屋のすみまで飛んでいった、全身に汗をかいていた、空調は止まっていた。

 夢のなかの数年、みずからのうちがわだけを見つづけていた。とはいえ、そとがわがあるように感じられたのは閉じこめられたはじめのころだけで、そのあとは、うちもそともないのだった。せまく窮屈に感じられた世界にも慣れた。死ぬるほどの焦燥は塵ものこさずに消えて、そこにはただ思考だけがのこった。わたしは石になったのだった。

 おびただしい寝汗と、とびあがって起きたときのみじかい悲鳴、それを聞く耳、汗をふく手、部屋を見まわすせわしい目、悪夢にはちがいなかったが、汗ばんだ掌にはひとにぎりのさいわいがころりとあった。流星の夢など見ることはできない。わたしは夢のなかでさえ路傍の石だった。それが妙に快かったのだった。






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森 侘介 @wabisukemori

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