指先と恥じらい
藤枝伊織
第1話
萌奈ちゃんが新しい色のマニキュアをぬっていた。かわいい、と思ったけれどそう萌奈ちゃんに伝える勇気はなくて、私は帰り際制服のままドラッグストアに行って、似た色のマニキュアを買った。
制服のまま買い物をすることに罪悪感があって、まるで泥棒したみたいな気分になった。制服で入っても堂々と買い物できるのは本屋だけだ。私はドラッグストアの名前が書かれた小さな紙袋を胸の前に抱いて、背を丸めたままこそこそと隠れるように歩いた。
家に帰るなり、さっそく爪先に少しだけぬってみた。蛍光灯の下で、それはキラキラと光った。
萌奈ちゃんがぬっていたのもこんなオレンジゴールドだったけれど、もっと上品な色だった気もする。私はマニキュアなんて普段ぬらない。だからぬるのが下手で、ちがう色に見えるだけかもしれない。でも萌奈ちゃんのことだから、高いお店で買ったいいやつをぬっているのかも。だったらこれは偽物だ。かわいい色にちがいないけど、萌奈ちゃんのだけが本物で、それ以外は偽物。
私の指は萌奈ちゃんみたいにほっそりとしていないから、仮に本物をぬっても、私の指先に落とされた時点でそれは偽物になっちゃうかもしれない。私は萌奈ちゃんにはなれないから。それはわかっているけれど、でも、私は萌奈ちゃんと同じのがほしい。
私は決して美人ではない。でも、もし道行く人十人に訊いたら、三人くらいはお情けかもしれないけれど、きっとかわいいと言ってくれる。と思っている。
化粧なんてしたことない。仕方もわからない。マニキュアが精一杯だ。指先だけ色付いて、なんだか爪が、私に似合わないような気がする。化粧なんてしたら、顔が私に似合わなく感じるかもしれない。
かわいくはなりたい。もちろん。
でも萌奈ちゃんになりたいわけじゃない。
萌奈ちゃんは、萌奈ちゃんだけでいい。私なんかがなれるわけがないから、萌奈ちゃんにはずっと変わらずにそのままかわいくあってほしい。
でも……、と私は少し妄想する。
萌奈ちゃんみたいになれたら、萌奈ちゃんと友達になれるかもしれない。
萌奈ちゃんの一番の友達は、竹下さん。萌奈ちゃんは彼女を「まほ」と呼んでいる。竹下さんは萌奈ちゃんを「もな」と呼ぶ。二人は小学校からの友達だと、萌奈ちゃんと同中の子が教えてくれた。竹下さんもいつもかわいい。でも萌奈ちゃんよりももっと派手だ。
萌奈ちゃんも派手ではあるが、もっと気品みたいなのがある。
二人は笑い方がよく、似ている。
萌奈ちゃんはいつも制服を少し崩して着ている。薄くだけど、化粧もしている。たまに先生に注意されているけれど、いつも笑うばかりで、化粧をやめようとはしない。先生も諦めているのかもしれない。もし私が化粧をしていったら、先生はきっとびっくりするだろう。困惑する先生の顔を思い浮かべたら少し楽しくなった。
私はマニキュアをぬったことで、少しだけ、ほんの一ミリにも満たないくらいだけでも萌奈ちゃんとの距離が縮まった気がした。
学校にマニキュアをしていくわけにはいかないから、お風呂で一生懸命落とした。でも、私は萌奈ちゃんみたいなマニキュアをつけることしか考えていなくて、リムーバーは買わなかったから、上手く落とせなくて、爪に白い傷をつけた。
爪にできた白い傷を、そうすれば治る気がして指の腹でなぞりながら、私は布団へ入る。そもそも爪を磨いたこともないから、私の爪はいつも表面がガサガサしている。おまけに切りすぎて、深爪気味だ。かっこ悪いけれど、私にはこれがよく似あっている。
いつか私も萌奈ちゃんみたいなマニキュアが似合うようになるのだろうか。考えたけれど、一生無理そうで、なんだか安心した。
可笑しくなって、クスクス笑いながら寝たら、夢の中で私はマニキュアをつけていた。ぬっているのかどうかわからない、素の爪の色に近い色だった。その色は私の深爪でも違和感なく収まっていて、でも夢の中の私の手は、いつもよりも自信に満ちていた。
学校へ行くと、萌奈ちゃんはまた昨日と同じ色のマニキュアをしていた。
見た目は派手だけど、萌奈ちゃんはとても真面目だ。成績もいい。いつも私よりも早い時間に来て、席で静かに本を読んでいる。マニキュアをした指が、駅前の本屋のカバーをつけた少し厚めの文庫本のページをめくる。
時折、落ちてきた髪を耳にかける。
私はどうしても指先のオレンジゴールドを目で追ってしまう。
私は自分の席に鞄を置いた。私の席は萌奈ちゃんの席の斜め三つ後ろ。今みたいにまだ人があまりいない内は萌奈ちゃんがよく見えるけれど、HRがはじまるころにはもう、萌奈ちゃんは見えない。
私はわざと萌奈ちゃんの席のわきを通って、前のドアから一度教室を出た。トイレに行って、鏡で自分の顔を確認して、髪を直してから、また萌奈ちゃんの机が近いそのドアから教室に入る。
そして、今気づいたみたいな風に、萌奈ちゃんに声をかけた。
「川島さん、そのマニキュアかわいいね」
私の声はうわずっていなかっただろうか。すると萌奈ちゃんが本から顔を上げて、私のことを見てくれた。
「ね、木本さんもそう思う? 新しいやつなんだ」
嬉しそうに言う萌奈ちゃんが、とっても眩しくて、私は思わず頬を赤らめてはにかんだ。
指先と恥じらい 藤枝伊織 @fujieda106
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