最終話 最後の対談
太陽が西、嘉瀬川の向こうに見える。
透明感を帯びた昼間の青さは消え、辺りはすでに夕日に包まれようとしていた。
その中を北上する隆信達。彼等の影が次第に長く伸びてゆく。
そしてついに探していた対象を捕えた。
嘉瀬川沿いに南下してきた、勝利率いる七百の一団。駆け足で迫って来る彼らに対し、隆信は旗印を掲げつつ堂々と立ちはだかる。
場所は佐嘉の外れ。龍造寺山城守隆信と神代大和守勝利、最後の対談が始まろうとしていた。
※ ※ ※
「山城守隆信である! 勝利殿はいずこに⁉」
隆信は馬を止め呼び掛ける。
その表情は怪訝なもの。勝利は筋骨隆々の体躯に、眼光鋭く威厳を伴った非凡の相の持ち主だ。一目見れば誰もが忘れるはずがないのだが、見渡した限り、なぜか彼の姿は確認出来なかった。
すると、応じて神代勢の中央から一人の騎馬武者が、数人の者を従え進み出る。
やはり勝利自ら来ている。隆信はそう確信し、同じく数人の家臣を従え、進み出て話し掛けようとしたのだが──
(あ、あれが勝利なのか……⁉)
隆信は目を思わず丸くしていた。
以前会った時と比べ、勝利の容姿は明らかに様変わりしていたのだ。
髪に白いものが混じったり、顔のあちこちに皺が増えていたり。彼はこの時五十二歳。老齢である事を考慮すれば仕方のない事だろう。
だが問題はそこではない。彼の頬はこけ、首元は痩せ細り、具足は
さらに表情もどことなく冴えず、威勢を感じない。
やがて勝利は口を開いたものの、やはりその声も、以前の様によく通るものではなくなっていた。
「これは隆信殿。わざわざ戦支度をした上での、御当主自らの出迎えとは痛み入る」
「それはこちらの台詞にござる。この様な物々しい佐嘉入りとは穏やかならず。貴殿に刃を向ける者達の処遇については、それがしに一任して頂きたい」
表情を緩める勝利に、顔を強張らせる隆信。
余裕の有無から、二人の間には、まるで勝利の方が上位の者であるかの様な雰囲気が醸し出ている。
「ふむ、帰っても良いが、その前に貴公から納得できる返答を貰わねばな。手を焼いておるのであろう? 御自慢の謀略でも上手いこと解決できんのか?」
「御自慢の謀略……?」
「そうであろう。周利を暗殺し、種長や石見守を葬り、西川伊予守を
「……未だ何も」
「ん? よく聞えんぞ、はっきり申されよ」
「未だ何もと申しておる! されど貴殿には迷惑は掛けぬつもり。ゆえにここはそれがしにお任せあれ!」
苛立ち交じりに隆信は思わず舌打ち。
下位の立場でありながら、今日の勝利の物言いはなぜか挑発的だ。以前何度か対面した際はこの様ではなく、隆信は内心戸惑うばかり。歳月が彼を変えたのか。それとも川上敗北の屈辱が変えたのか。
しかし、そんな思案をよそに、勝利は変わらずにやけてみせる。
「そうか、ならば引き返すのは出来ぬ相談だな」
「何ぃ?」
「どう始末を付けるか聞けぬと、枕を高くして眠れぬではないか。良い手が無いのなら、わしが授けてやってもよいぞ」
「やってもよいだと!」
隆信は思わず声を荒げると睨みつけていた。
ひれ伏して当然の立場の者が何たる傲慢か。周囲の家臣達の心配をよそに、彼は馬を進めて突っかかって行こうとする。
だが勝利の背後には七百もの兵がいる。こちらは数十、迂闊に事を荒立てる訳にはいかず、隆信はぐっと堪え、頷くしか出来なかった。
「よし、ならば聞かせてもらおうか。その物言いに見合った、さぞかし御立派な一手なのであろうな?」
「当然ではないか。そうと決まれば、隆信殿、あそこに見える丘まで駆けるぞ!」
「駆ける?」
「反逆者に通じている者がどこに潜んでいるか分からん。ならば一対一で話そうではないか!」
「そう言う事か、ならば心得た!」
勝利は携えていた指揮具で西の方を指す。
それに隆信はつられて凝視する。西日を正面に見据え、眩しさから目を細めたものの、確かに嘉瀬川の手前に、小さな丘があるのを見て取れた。
すぐさま勝利は駆け出して行く。
次第に加速し、起伏の少ない荒地を進む様は疾風の如し。隆信の事など気にせず、その差をどんどん広げてゆく。
隆信は後を追う。
最初こそ戸惑っていたものの、憤りが彼を発奮させていた。その巨体を揺らし追う様は、獲物を狙う猛獣の如し。広がっていた差を少しずつ詰めてゆく。
その様子を両家の家臣達は、固唾を飲んで眺めていた。
隆信と勝利、二つの影が次第に伸びてゆく。
時折交わりながら、離れながら。
有力国衆の嫡男と小豪族の次男坊。
僧籍に身を置き修行を積んだ日々と、東千葉家に仕え武士のあるべき姿を学んだ日々。
そして親子程の年齢差。
生まれも育ちも性格も異なる、隆信と勝利が競い合った歴史は、憎しみを生み続けた抗争と、上辺だけの融和を繰り返して来た日々に過ぎないとも言える。
しかし長信は目を奪われていた。
影は、交差しては離れるその二つの影は──
競い合いながらも、どこか楽しんでいるかの様に彼の双眸に映った。
二人の心底を純粋に表している様に映ったのだ。
やがて二人の姿は丘の向こうへ消えてゆく。
わずかに見えたのは、長く伸びた影だけ。しかしそれも次第に短くなってゆく。
迫る日没。見つめる両家の家臣達は気を揉むばかり。
しかし、二人共帰って来ないまま、影はゆっくり闇夜に吸い込まれていったのだった。
※ ※ ※
隆信がようやく将兵達の元に戻って来たのは、辺りがすっかり暗闇に包まれた頃になってからだった。
「兄上、勝利は何と⁉」
長信は隆信の元に駆け寄って来る。
後に続き駆け寄って来る家臣達。その中の一人が気を利かせ、焚いていた松明を近づけ、隆信の周囲を照らしてゆく。
だが、戻って来た隆信は険しい表情のまま。
なおゆっくりと馬を進め、長信の横をすり抜けようとした時に、ようやく彼は立ち止まった。
「案ずるな、話はまとまった」
「では、我らの申し出を了承したのですか?」
「そうだ。勝利は軍を退かせると約束しておった」
「……兄上?」
「戻るぞ、長信。詳細は城にて話そうではないか」
隆信はそのまま馬を進めてゆく。
それを長信は不安視せざるを得なかった。勝利の佐嘉入りは回避できたと言うのに、隆信の声は丘に駆け出す前とは一変し、力なく、もの悲しさに包まれていたのだ。
何か思う所があったのだろう。案じた彼は後をゆっくりと追い掛ける。
すると、長信の想いが通じたのか、そこでふと隆信は振り返ると、最後に遠く山内の方を見つめ呟くのだった。
「おそらく今後、勝利に会うことはあるまい」
※ ※ ※
翌日、隆信は勝利の提案した一手を実行に移す。
まず、勝利打倒を企てた家臣十九人に対し、それぞれ優劣をつけた上で、領地を加増すると約束したのである。
なぜ優劣が生じるのか。その疑問は家臣達の中で嫉妬を生んだ。
結果、彼らが仲違いを始めたため、計画は水の泡となってしまう。
その後になって、隆信は彼らの罪を咎め誅罰を行った。
当然、仕置きに不満を持ち、反抗する者が現れたものの、彼らは小城芦刈の地にて討たれたと言う。
勝利の献策は見事に功を奏し、隆信は救われたのである。
以後、両家の間には融和の時が続いた。
と言うより、すでに前年に、川上合戦と言う大規模な会戦を行ってしまっている。そのため両家は、守護である大友家の目を恐れ、抗争を慎んだと言うのが正しいのだろう。
勝利自身も山内に引き籠ったまま、麓に降りてくる事は無かった。
二年後、永禄七年(1564)勝利は山内の奥、畑瀬の地に城を築くと、家督を長良に譲り隠居。
そして翌、永禄八年(1565)三月十五日、畑瀬城内にて五十五年の生涯を閉じたのだった。死因は胃がんであったという。
彼の亡き骸は畑瀬山の宗源院に葬られた。
しかし現在、墓は嘉瀬川ダムの建設に伴い水没してしまっている。
勿論、建設前に遺跡発掘調査が行われたのだが、そこでは遺骨が出てこなかったと言う。
勝利の死を知り、隆信はようやく彼の意図が理解出来た。
何故あの時、勝利は境目を越えてきたのか。
すでに病魔に冒され、やせ細っていながらも、何故無理をして佐嘉にやって来たのか。
彼は見せつける必要があったのだ。神代の威勢は健在であり、いつでも隆信の寝首を掻ける所にいるのだと。
実際、彼は畑瀬に居を構えたものの、当主である長良は、山内の麓である
この物語の冒頭を思い出していただきたい。
多布施の毒殺未遂の後、勝利は報復として山内から千布へと下り、境目の龍造寺領を焼き払っている。
千布に神代当主が居座る事は、龍造寺を明らかに刺激したはず。とても川上で大敗し、従属を余儀なくされた家のする事ではない。
神代親子は平伏したふりをしながらも、再起の時を虎視眈々と狙っていたのであった。
※ ※ ※
隆信と勝利の約十四年に及ぶ抗争は、こうして幕を閉じた。
ここからは、龍造寺家と神代家のその後について触れておきたい。
勝利の死と同年、永禄八年(1565)四月、長良の嫡男千寿丸が十一歳で、娘が七歳で疱瘡を患い他界。
大いに嘆いていた長良夫妻に対し、隆信は納富信景と一族の龍造寺信明を遣わし、弔意を示している。そして、改めて隆信三男の善次郎と、神代一族の姫との婚約を結ぶべく誓紙を差し出した。
だが、この丁寧な対応は隆信の謀略であった。その夜、納富信景率いる六百の兵が、千布
長良は一時畑瀬城へと逃げ延びたものの、追撃を受け、筑前那珂郡
隆信は山内強奪を諦めきれず、再び信義に背く行為に走ってしまったのだ。
しかし歴史は繰り返すもの。八月、神代旧臣や、
翌永禄九年(1566)には、両家の境目である龍造寺領千布、和泉において、山内からの川をせき止められたため、田が枯れる被害に見舞われた。前年の龍造寺の裏切りに対する、神代側の報復であった。
これに怒った領主である納富信景は、弟信純を水路点検のために派遣。
だが彼は、待ち伏せしていた神代勢により討たれてしまう。報せを受けた信景は、その後自ら百余の兵を率いて攻め寄せたものの、駆けつけた長良により、ついに決着をつける事は出来なかった。
そんな一進一退が続く中、大友家との関係が悪化した隆信は、ついに本拠佐嘉城を六万の大軍で包囲される。永禄十二年(1569)三月からと、元亀元年(1570)四月からの二度にわたって行われた、龍造寺討伐である。
これに長良は現地の案内者として、大友勢に加わり、局地戦ながらも一度龍造寺の軍勢を打ち破っている。
長良は長年に渡り家の威風を保ち続けたのである。
だが、それにも終わりの時がやって来る。元亀元年(1570)、長良は大友勢を退けた隆信と再び和睦を締結。以後龍造寺の出兵要請に応じる事を余儀なくされる。
そして天正七年(1579)、嫡子無く、自らの死期が近いと悟った長良は決断する。龍造寺との和平を固めるべく、小河信俊の三男、犬法師丸を養子に迎え、娘との婚姻の上、家を相続させようとしたのだ。
小河信俊は、佐嘉の地侍であった鍋島清房を父に、龍造寺一族の者(隆信の伯母、華渓)を母に持つ。
そして宿老であった小河信安が、勝利と一騎打ちして討ち取られた後、小河家に養子入りして、家を継承したという経緯を持っていた。
彼の三男である犬法師丸は、龍造寺の血を引く事に加え、勝利と酒を酌み交わしたり、一騎打ちしたりして知られていた、小河信安の孫である事も、決め手となったと思われる。
長良は天正九年(1581)五月に四十五歳で病死。
その後は犬法師丸が諱を家良と名乗り、九歳で後を継いだ。
「家」は龍造寺家の通字である。そして彼の後見役を鍋島直茂が担うことによって、ここに神代家は完全に臣従したのであった。
そして天正十四年(1586)神代家は山内を下り、小城郡芦刈の地に移封される。
脅威であった山内の民との繋がりを断とうとした、龍造寺の処置であった。
さらに江戸時代に入り、初代佐賀藩主、鍋島勝茂の六男、直長が養子入りして当主となると、以後は親類格として存続していったのだった。
※ ※ ※
後年、佐賀藩祖である鍋島直茂は、息子の勝茂に対し、山内についてこう述懐している。
山内の者達が我らに帰服しているので、筑前から手出しは出来ない。
筑前から攻め入る場合、山内の三瀬、一谷、背振、綾部などの難所を越える事になるため、土地の者が少数迎え撃っても、一日二日は足止め出来る地形である。
山内を万が一取られてしまえば、佐嘉は敵の眼下に置かれ、騒動の地となり、久しく守るのは難しくなる。山内への心遣いこそ第一である。(※葉隠聞書第七より要約)
攻め込むのは至難の業。
だが、味方となれば大いなる盾となる。
隆信は以後、東奔西走、積極的な軍事作戦を毎年の様に行っている。そこには和睦により、北に対する憂いが無くなったことが大きいだろう。
永禄六年には西肥前の雄、有馬氏の大軍を丹坂峠にて撃破。
大友家の佐嘉城侵攻を退けた後も、隆信は再び周辺国衆達との抗争を始め、肥前全土に着実に威勢を広げてゆく。
そして、耳川の戦いで大友家が島津家に大敗すると、大友支配からの脱却へ。
この移り行く怒涛の情勢を、龍造寺の躍進を、勝利はどこかの地で「隆信め、やりおるではないか」と見守っていたに違いない。
佐嘉と
肥前の一部で繰り広げられた激闘は、数多の逸話を生みだした。
だが残念ながら、それは広く一般に知られていると言い切れるものではない。
それでも勝利の生涯は、これからも山内の人々に語り継がれてゆくのだろう。武勇と人徳を備えた、唯一無二の名君として。
そして隆信もまた、佐賀の地で語り継がれてゆくはずだ。その知勇を以て九州に名を轟かせた名君として。
(了)
※ ※ ※
※あとがき
お疲れさまでした。
いかがだったでしょうか?
隆信と勝利が繰り広げた、手に汗を握る駆け引きを、楽しんで読んで頂けたのなら幸いです。
今、書き終えて率直に思うのは、勝利の方が主人公に向いていたなあと。
史料を調べていた時、すでにそんな気がしていたのですが、いざ執筆してみると、やはり彼が追い詰められるシーンの方が、面白く書けていた様な気がします。
やはりドラマには葛藤が大事ですね。次書く時はドSに徹して、主人公を散々に苦しめてやろうと思います。(←私の性癖ではありません)
※今後について
龍造寺から一旦離れます。短編と長編の構想があるので、それが形になったら近況ノートで告知したいと思います。
最後になりますが、フォロー並びにハートマークを下さった、刃口呑龍様、リマリア様、鎌倉結希様、カーキの柿様、蓑火子様、八十科ホズミ様、与多のりゆき様、ありがとうございました。
※四谷軒さんへ
この作品いつも7時に予約投稿していましたが、だいたいその二時間後くらいまでにはハートマークを下さるという爆速ぶり。お仕事の合間に、多数の作品をアップされてる中でご覧いただいたこと、大変励みになりました。
毛利と絡めたかったのですが、年代的にちょっとそこまでには至りませんでした。すいません(汗)
※大村冗弾さんへ
時々近況ノートを拝見していますが、史料を丁寧に読んで執筆されている様子がうかがえて、見習わないとなあと刺激を受けていました。私は自己流の解釈に走りがちな所があるので。一足先に読み専に戻ります。引き続き執筆頑張ってください!
川上合戦 龍造寺隆信と神代勝利の激闘 浜村心(はまむらしん) @noutore
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