第26話 家中分裂

 勝利暗殺をそそのかすべく、龍造寺の使者は山内の奥、鳥羽院とばいへと向かう。

 そこで城主である西川伊予守との対面に臨んだのだが、彼は伊予守の放った言葉に面食らっていた。


「よくぞ参った。そなたが来るのを待ち望んでおったのだ」



※ ※ ※ 


 城内の小さな一室に灯りが一つ。

 密談を交わすのに設けられたその場にて、伊予守は使者の眼前に歩み寄ると、小声で理由を打ち明ける。


「実はな、我ら神代家中には、都渡城原での敗北を、わしの働きが足らぬせいだと蔑み、噂する者がおる」

「まことに嘆かわしい限り。御心痛お察しいたします」

「腹立たしい事よ。だが、それはまだいい」

「はっ?」

「許せんのは、わしが山内に退却出来たのは、龍造寺に通じておったからだとぬかす輩がいる事だ! 馬鹿けておるであろう、龍造寺のせいで脚に深傷を負ったのにだぞ!」


 すかさず伊予守は袴を捲し上げ、その深傷の痕を使者に見せつける。

 そして顔を硬直させ、どの様な状況で傷を負ったのか、その詳細を語り出したのだ。

 

 何のために小さな一室で密談しているのか。

 その意味を忘れた伊予守の声は、憤りに任せ次第に大きくなってゆく。

 対して使者は、聞き役に徹し、時折頷きつつ、なだめすかすだけ。

 そして伊予守の境遇を察したのだ。この者は神代家中において、もはや居場所を失いつつある。我らの誘いは、彼にとって救いの手であったのだと。


 ならば好都合。彼が乗り気である内に、交渉をまとめてしまうべし。

 使者は、隆信から託された密書を懐から取り出すと、そそくさと差し出した。


──勝利暗殺に成功したあかつきには、貴殿を山内の棟梁となし、神代領一円を宛がう事を約束する。


 そこから事はとんとん拍子で進んだ。

 密書を読んだ伊予守は、即座に誓約を交わす。

 そして勝利暗殺に向けて動き出した彼は、何度か龍造寺と連絡を取り合った末、同じく山内の豪族の一つ、腹巻伯耆守を説得し、暗殺に加わる事を約束させたのである。


 しかし──


「兄上、これは……」

「馬鹿め、何故気付かんのだ!」


 夏、伊予守が送ってきた書状を見た途端、隆信、長信共に渋い表情となった。

 伊予守が次に誘った者は、重臣、三瀬長門守の嫡男、又兵衛だったのだ。


 三瀬氏はゆずりは氏、松瀬氏と並んで神代家三人衆の一つ。加えて、勝利の盟主就任に大きく貢献した、山内の名家である。

 重臣達を味方につける事が出来たら、暗殺成功の可能性は高まるはず。

 そう推測したまでは良かったが、伊予守は明らかに人選を誤った。神代家に最も忠義を誓っている家の者に、いきなり企てをばらしてしまったのだ。


 九月九日。

 熊の川城にて開かれた、重陽の節句の宴の場。

 そこにあったのは、三瀬又兵衛などの神代家臣達により、ズタズタに斬られた伊予守の姿だった。


 又兵衛は伊予守から企てを聞くと、その場で了承したふりをする。

 そして父である長門守に報告した後、共に熊の川城を訪ね、勝利の耳に入れたのだった。

 

 聴いた勝利は伊予守の討伐を決断。

 だが、出来れば犠牲者少なく、穏便に済ませたいところ。そこで利用したのが、九月九日に一族家臣達が揃う重陽の節句だった。

 儀式が終わり酒宴となった所で、御酌をしに来た家臣の一人が、盃を伊予守に投げつける。それを合図に、又兵衛らが襲い掛かったと言う。


 やがて伊予守に従っていた者達も討ち取られると、三瀬の者達は鳥羽院に攻め寄せ城を制圧。

 さらに、その場で腹巻伯耆守も一味だったと発覚し、後に彼もまた館を襲われ、討たれたのだった。



 勝利暗殺。

 それは龍造寺にとって、山内を制圧するために残された唯一の手段だった。

 しかしそれはあえなく頓挫した。むしろ逆意を持つ者達を討ち取って、神代家中の結束は強くなり、山内制圧はより困難になったと見ていいだろう。


 軍事、謀略をしくじった時、その尻ぬぐいをするのは外交交渉である。

 龍造寺に残された道はもはや和睦しかなかった。



※ ※ ※ 



 納富信景を交渉役として、龍造寺と神代の和睦が成立したのは、それから間もなくの事であった。 


 両家の和睦は、天文二十二(1553)八月、龍造寺の御家騒動を収めた時、永禄元年(1558)十二月、大友家の命令により、江上氏を交え三家で交わした時に続き、これで三度目のこと。申し出た隆信の書状には、彼の心情が素直に現れていた。



──去年、川上合戦に大利を得て、山内は我が物となったと思っていたが、貴殿がまた戻って来て、元の様に治められる事に実に感心させられた。

 今後は互いに誓約を交わし、人質を交換し、婚姻を成し、二度と約束を破ることなく同じ思いを成し遂げよう。また、この事に同意なければ、もう一度戦をして決着をつけようではないか。


 

 この申し出に神代家臣達の意見は割れたと言う。

 しかし最終的に勝利は、和睦締結へと踏み切った。


 おそらく隆信は、和睦しておき、近国を安心して従えてゆくつもりだ。

 そして大身となったら後ならば、勝利がいかに剛強なりといえども、我らの軍門に降るより他ないと考えているだろう。

 しかし我らとて、隆信の大軍に対抗し、滅ぼそうとしても無理であろう。

 今は隆信の希望に任せ、真の和睦を成し、領地を広くして時を待つべきである。


 勝利はこの様に語ったと伝わっている。

 そして誠意ある隆信の書状に、丁寧に答えた。


──和睦の事、望むところである。隆信殿は大身にして、本来、こちらから礼を申すべきである。申し出のとおり合体の誓約を取替わすと致そう。


 やがて両家は、互いに贈り物をした上、誓紙を取り交わす。

 そして二つの縁組が取り決められた。一つが当時四歳の長良の娘と、隆信の三男善次郎(後の家信)との縁組である。


 そしてもう一つが、龍造寺胤久(※隆信の先々代にあたる龍造寺当主)の娘を、隆信の妹として勝利公の側室に輿入れする事だった。

 勝利はこの縁談を、高齢を理由に一度断ろうとしている。しかし信景に、彼女は山内への人質であると強く説得されたため、ついに承諾したのであった。



※ ※ ※ 



 ところが、その数日後──

 和睦は早くも破綻の危機を迎えてしまう。

 報せをもたらした龍造寺の使者は、熊の川城に駆け込むや否や、平伏して早口で告げていた。



「恐れながら、我らの家中から、一味同心して貴家を討とうとする計画が発覚致しました!」

「何ぃ!」


 勝利、長良にとって予期せぬ事態。広間は静まり返った。

 使者は詳細を語る。計画に加担した者は、家臣十九名。その一族郎党を含めると、数百人規模に及ぶと言う。


 両家の和睦については、龍造寺家中の多くが反対であった。にもかかわらず和睦締結を強行した結果、隆信は全てを抑え込むことが出来ず、一部の者達の暴発を招こうとしていたのだ。


「実情は分かった。だが、隆信殿はきちんと和睦を順守するのだろうな?」

「はっ、この度の和睦は、主隆信の主導によるものにございます。ゆえに、この計画が実行に移されたら一大事。まずは、いち早く勝利様へ知らせる様、それがしに命じられた次第にございます」

「ふうむ……」


 尋ねた勝利は顎髭を触りながら思案する。

 その余裕に穏やかならないのが長良だった。使者と勝利の両方を窺っていた彼は、頃合いを見て使者に問い詰める。


「それで隆信殿は、どの様にして騒動を収めるつもりなのだ? 逆臣として討ち取るのか?」

「それは……」

「まさか、このまま傍観するつもりではあるまいな?」

「滅相もございません!」


 長良の懸念に使者の目は丸くなっていた。

 疑念を持たれてはならない。その一心から、彼はすかさず平伏した上で釈明する。


「では、包み隠さず申し上げます! こたびの一件、主隆信もどう処したらよいか、賢明な答えを見出せず、未だ頭を抱えたままでございます!」

「説得しても聞く耳を持たない。討ち取るにしても数が多すぎる。そういう事か?」

「仰せのとおり!」

 

 使者の声に熱意がこもる。

 そして彼は僅かに顔を上げると、ちらりと勝利の表情を窺った。


 対して眼前の勝利は、顎髭に手を当てたままだったが、突然使者と目が合った事で、ニヤリとしてみせた。

 何か良案が閃いたのだろう。だが、それは龍造寺にとっての良案と言えるのか。彼の思惑を測れない使者は、緊張から固まってゆくばかり。


 その中で、勝利はぽんと膝を叩くと立ち上がり、居合わせた家臣達に向かって下知するのだった。


「陣触れじゃ! 佐嘉へ向かう!」

『ははっ!』


 承った家臣達の腹の据わった声が場に響く。

 だがそれは龍造寺の使者を慌てさせた。彼は座ったたままわずかに進み出ると、再びおもむろに平伏する。


「お待ち下さりませ! 我ら勝利様と事を構えるつもりは毛頭ございません!」

「わしも隆信殿と戦うつもりはない。だが、その逆臣達に手を焼いておるのであろう。ならばわしの手で討ち取ってくれる!」

「しかし、今すぐの御出立は、上から下に至るまで、佐嘉の者達に動揺を与えます!」

「それを鎮めるのがそなたの務めではないか」

「えっ?」


「すぐに戻って隆信殿に伝えよ。我らが佐嘉に向かうのは、逆臣共を討ち取るため、そして隆信度に対面するためである。それ以外に他意は無いと、よいな」


 そう告げて勝利は広間を去っていった。

 そしてその後を家臣達が追ってゆく。すでに日は高くなりつつあり、ぐずぐずしていたら、佐嘉に到着するのは夜になってしまう。以心伝心、勝利の意図を理解した上で、彼らは迅速に動き出したのだ。


 やがて熊の川城の麓に、近隣の兵達が続々と集結する。

 こうして勝利は、彼ら精鋭七百と合流した後、佐嘉に向けて動き出したのであった。



※ ※ ※ 



 一方、勝利が佐嘉に迫っている事を、使者の報告から知った隆信は、その瞳を曇らせていた。


(果たして勝利の言葉を信じてよいのだろうか?)


 いくら和睦した間柄とは言え、戦支度をした上で、了承無く境目を越えるとは穏やかではない。  

 なのに彼は、境目どころか、その本拠にまでやって来ると言う。

 これを機に隆信の首を狙っているのではないかと、疑われても当然ではないか。


 懸念を膨らませ、隆信の背筋には悪寒が走っていた。

 彼は侮っていたのだ。もはや龍造寺と神代の威勢の差は数倍。ゆえに今回の和睦は、龍造寺が神代を従属させた形で結んでいた。

 その下位の者が、まさかこのような形で本拠に迫って来るとは──

 もし勝利が豹変して、佐嘉城を攻めたりすれば、今からでは到底対処しようがない。長年の抗争の末、ようやく屈服させたと決め付けた隆信は、勝利に対する警戒を怠ってしまっていた。

 

 だが時は迫りつつある。

 おそらく神代勢はすでに境目を越えたはず。今から兵を集め、戦支度を整える余裕はどこにもない。 

 ならば──


 隆信は意を決してすっと立ち上がると、居合わせた長信に命じた。


「戦支度をして参れ。城内の家臣のみを引き連れて、佐嘉の外まで出る」

「そ、それでは、勝利が我らを討つつもりであった場合、対処できませぬ!」

「ふん、だからと言ってこの城に籠っても、討ち取られるのは目に見えている。ならば腹をくくって対面に出向くまでだ!」



 来訪か、襲撃か。

 隆信は勝利の思惑を推し測り切れなかった。

 多布施での毒殺未遂、谷田城襲撃、駄市河原の退却戦、そして川上合戦……

 これまで散々欺き続けた恨みを晴らす、絶好の機会である。もしその気がなかったとしても、少数の我らを見た途端、魔が差してしまう事だってあり得る。


 しかし、勝利ほどの者が、その様な愚行に走るのだろうか。

 和睦はつい先日交わしたばかり。それを早々に破ってしまえば、彼の信義に大きな傷がつく。一族家臣は言うに及ばず、周辺国衆達も、神代とよしみを結ぶのは危険であると、警戒心を抱くだろう。

 


(勝利め、果たしてどう出る……?)

 

 隆信は愛馬に跨ると、数十の家臣を引き連れ駆け出して行く。

 目指すは佐嘉の外れ。城周辺にまで侵入され、神代勢を見た民が、いたずらに動転するのを避けるためであった。


 この時、隆信三十四歳、勝利五十二歳。

 隆信の惣領就任以来、足掛け十四年に渡って抗争を繰り広げてきた両者は、夕暮れが迫る中、最後の対面に臨もうとしていた。




※次回が最終話になります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る