また私何かやっちゃいました?
週明けの月曜日。あの夜からまだ数日しか経っていない。春子は学校を休んでいる。陽子は心配そうに娘の様子を見守っている。
そんな中、桃山には守らなければならないもう一つの戦場があった。
オフィスにはいつも通りの朝が訪れていた。ただ一人、死人のような顔色をして出社してきた福田を除いて。
「ちょっといいか。会議室に来てくれ」
始業早々、桃山は努めて真剣なトーンで彼女を呼び出した。金曜日の夜、桃山家での修羅場を共にし、家族を救ってもらったのだ。あんなことがあった以上、まずはきちんと礼を言わなければならない。父親として、そして一人の人間として。
「し、失礼します」
「座ってくれ」
「は、はい。あの、また私なにかやっちゃいました?」
慌てて駆け寄ってきた福田は、何度か自分のスマホに視線を落としている。椅子の端にちょこんと座ると、両手を膝の上で強く握りしめ、カタカタと震え出した。視線は泳ぎ、冷や汗がダラダラと流れている。
上司の家のプライベートな問題に首を突っ込んでしまったとあれば、呼び出されて動揺するのも無理もない。桃山は咳払いを一つすると、正面から彼女を見据え、そして――深く、深く頭を下げた。
「文江先生。本当に、本当にありがとう。春子の話を聞いて、味方になってくれて」
顔を上げた桃山の表情は真剣そのものだった。
「先生のおかげで、春子は救われたんだ。俺も、陽子もだ。あんたがいなきゃ、どうなってたか分からない」
桃山はもう一度頭を下げた。
「家族を救ってくれた恩人だ。心から感謝する」
会議室に沈黙が落ちた。顔を上げると、福田は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で口を半開きにしている。
「え……?」
桃山は偽らざる本心を伝えた。あの夜の彼女の言葉は、間違いなく家族の絆を繋ぎ止めたのだから。しかし福田の反応は、礼を言われたときにするものとは明らかに違っている。
「えっ、じゃあ……私、クビじゃないんですか?懲戒とか、損害賠償請求とか……」
何を怯えているのか、随分と物騒なことを言うものだ。そもそも何か思い違いをしているのか。
「そんなわけあるか!一体何だと思ったんだか」
「何でもします!何でもしますから、その……桃山さんがご所望なら、なんなら体で……」
いつものノリで笑いを取ろうとしているかもしれないが、若干反応しづらい。
「おいおい、笑えないからやめてくれ、何なんだ一体。ただでさえ人が少ないんだ、貴重な戦力をセクハラで失いたくはない」
もちろんハラスメントを受けているのは桃山の側だ。気まずい沈黙を断ち切ろうと、話題を変える。
「そういえば、実家のご両親は元気にしているか」
「え?あ、はい、なんなら、私より長生きするんじゃないかってくらい元気ですけど……」
「そうか、そりゃ良かった。あまり飲みすぎて心配かけないようにな。大事にするんだぞ」
「あの、家族には連絡しないでください! 私のやったことですから!」
なんのことはない、自分の家族の話をしたから、こちらも聞いてみたくなっただけの話なのに、福田はさらに顔面蒼白になり、ガタガタと震え始めた。
「わざわざ俺が連絡する話でもないだろうよ。春子のことがあったから、先生もご両親からしたら大事な娘だからな、って言いたかっただけだ」
そして、今日話すことはそれだけではない。桃山は会議室のドアがしっかり閉まっていることを確認してから切り出した。
「どうにも調子狂うな。それはそうと、実は折り入って頼みがあるんだ」
このあとに控えている南との会議。おそらくサービスの存続にかかわる内容だろう。それを乗り切るために必要なこと。説得には、おそらくは彼女が適任だ。
「頼みですか?」
「俺一人じゃ心もとない。先生の力を貸してほしい」
「あの……桃山さん。お話の途中ですけど、一つ確認してもいいですか?」
「ん?なんだ」
「やっぱり私、何かやっちゃったんですね……実は、飲み会の途中でトイレに行ったあたりから記憶がなくて」
「え?飲み屋の外で俺と話してたとこは?」
「そこまでかろうじて覚えてます。気がついたら家で寝てました」
「それじゃあ病院のあとに4人で食事したのは?」
「食事?なんのことですか?そもそも病院って……」
「ええっ!?何も覚えてないの?」
思わず笑いがこぼれる。金曜の夜に起きたことを、ほとんど覚えていないとは。
「気がついたら色々SNSに投稿してたみたいで、通知多すぎて見てないんです。財布の中のお金も減ってるし、さっきから何故か春子ちゃんからやたら長文のメッセージが来たりして、連絡先も交換してないのに。ホントに私何もしてないんですか?」
福田は今にも泣きそうな顔をしているが、ついついからかってやりたくなってしまう。むしろ、記憶がなくても行動できたのは、本当に心の底からの想いがあったからこそだろう。そう考えれば感謝の気持ちはより強くなる。
「それは言わぬが花ってやつだ。本当に、ありがとうな」
「怒ってないのが逆に怖い!もう、教えて下さいよ!」
「まあ、まずはこの危機を乗り切ってもらわないとな!」
家族の危機は去っても、まだチームを立て直すためにやることはある。これからが本番だと、桃山は計画を話し始めた。
◆◆◆
「桃山さん、単刀直入に言います」
南は深刻な表情で切り出した。
「『イセワン』のサービス中止も視野に入れています。『パズモン』の売上も落ちてきているからテコ入れしたいのに人が足りてません。このままでは会社全体が危ないんです」
いつもの陽気さは鳴りを潜めており、深刻な様子が伝わってくる。
「しかし南社長、俺もはいそうですかって言って引くわけにはいかないんだ」
「わかっています、桃山さんとチームメンバーが頑張ってくれているのは。私だってできればこんなことは言いたくない。でも、経営者として判断しなければならないこともあるんです」
桃山は真剣な表情で南を見つめながら、スマホを机の下でそっと操作した。福田へのメッセージ送信完了。さあ、ショータイムだ。
「南社長、そうは言っても、まだ始まったばかりじゃないか」
その時、ノックもなく扉が勢いよく開いた。
「あ、すみません!こっちの会議室じゃなかったですね!」
福田がわざとらしく、いかにも慌ててますといった様子で顔を出した。
「福田さん、今は……」
南が言いかける前に、桃山はわざと大きな声で叫んだ。
「だから、サービス中止なんてそんなこと!って、あっ」
いかにも気づかずに熱くなってしまった体で、サービス中止の単語を口にすると、福田が立ち止まった。打ち合わせどおりだ。目を見開き、口を半開きにして固まっている。
「聞いちゃいましたか。これは、その……」
「さ、サービス……中止……?」
福田の声が震えている。そして次の瞬間、彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「そんな……そんなのって……」
福田がその場に膝をつき、床に突っ伏し声を上げて泣き始めた。それはもはや慟哭だった。
「うっ、あ……うわあああああああ!」
(やりすぎだろ!)
桃山は内心でツッコミを入れながらも、なんとか深刻な表情を保った。
「社長、ウソでしょ、ウソですよね?みんな、あんなに頑張ってるのに!」
「福田さん……落ち着いてください」
「落ち着けるわけないじゃないですか!」
福田は鼻水まで垂らしながら、南の方を見た。その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。これなら会社がなくなっても女優としてやっていけるんじゃないか。
「社長!お願いします!サービス中止だけは、それだけは!」
「ふ、福田さん……」
南が明らかに動揺している。よし、効いてる。だが、ここは一旦引いて揺さぶるべきだ。
「文江先生、気持ちはわかるが、ここは引いてくれ。社長が数字を見たうえで決めたことだから仕方ないんだ。俺だって辛い。でも、社長だって辛い決断だったはずだ」
そう言いながら、桃山はチラリと南を見ると、明らかに表情に迷いが浮かんでいる。
「仕方ないんです。福田さん。このまま続けていても収益が見込めなければ、決断は早いほうがいいんです」
福田が顔を上げた。涙を流しながらも、その目には力強い光が宿っている。
「でも、まだできることがあるかもしれないじゃないですか。私、SNSで宣伝します。フォロワー、一万人いるんです!」
「一万人……!?」
南が小さく呟いた。
「裏アカウントも入れたら二万人です!」
(裏アカウントは言わなくていい!そっちも一万人だったらそれはもはや表じゃないのか?)
桃山は必死に笑いをこらえた。福田をなだめている体で南に背を向けていて助かったが、今にも吹き出しそうな顔を見られては終わりだ。
「即売会では壁サークルなんです!毎回新刊3000部、完売させてます!読者の子たちを、全員このゲームに引き込みます!」
「3000部!?」
南が後ずさりした。福田の迫力と数字のインパクトに完全に押されている。
「それに、このゲームには、亡くなった長井君の想いが詰まってるんです。月本君がどんな思いでこの企画を持ってきたか」
福田が再び静かに涙を流し、真剣な声色で話し始めるのを聞いた。待て、それは打ち合わせにないぞ。
「月本君の想いに動かされて、私は手伝いたいって思ったんです。私の力でできることがあるなら何でもしたいって、まだうちの会社の企画として動く前からです」
福田の心からの言葉であることが確かに伝わってくる。月本が一人で頑張っていたときに、最初に協力した彼女のことだ。このプロジェクトに賭ける思いは人一倍強いはずだ。
「私たちが託されたものを繋いでいかなかったら、長井君の生きた証はどうなりますか」
とはいえ、南も冷静に反論をする。
「しかし福田さん。サービス開始当初は良くても、数字は伸び悩んでるんです。今後のイベント内容も、特に大きく状況を変えられるものではないと判断しました」
「数字の話じゃない、これは生き方の話です!社長、わざわざ京都から戻ってきて、会社を立ち上げてまでやりたかったことは何ですか?」
「福田さん、私はこのスマホゲームの市場に可能性を感じてるんです」
「だったら!」
これはいける、説得の余地はある。助け舟を出さなければ。
「南社長、理屈はわかる。そもそも儲からなきゃ会社が潰れちまう。でも、俺は覚えてるよ。新人のときに、目を輝かせて『心に残るゲームを作りたいです』なんて言ってたのを、昨日のことのように思い出せる」
「それは、確かに桃山さんにはお世話になりましたが……それとこれとは話が別です」
「わかってる。でも、まだ『イセワン』の売りが全部出しきれてるとは思ってない。それを俺の力不足と言われたら返す言葉もない。でも、そもそもスマホでストーリー読ませる時点でナンセンスって話なのに、どうして企画として通したのか」
「それは、違うジャンルであればユーザーが被らずに……」
「社長も月本の企画書に、情熱に動かされたからじゃないのか。いいものが出来上がると、期待してくれたからなんじゃないのか」
「それは、否定しませんが……」
よし、もう一押しだ。
「やっと、やっとだ。サービス開始して、やっと土台が整ってきたんだ。これからなんだ」
桃山は自分の言葉に熱がこもるのを実感していた。
「もう少しだけ、チャンスをくれないか。こんな人数で突貫工事で作ったゲームだ、粗もあるのは俺が一番わかってる。何も考えなしで言ってるわけじゃないんだ、頼む」
実際に計画があるわけではなかった。どうするかはこの場を乗り切ってから考えればいいと、自信を持って言い切った。
南がゆっくりと口を開く。
「負けました」
「え?」
桃山と福田が同時に顔を上げた。
「三ヶ月です。年内に数字を見せてください。できなければそのときは、わかっていますね。SNSだけじゃなく、具体的な改善案もまとめて出してもらいます」
「はい!必ず!」
福田が力強く頷いた。先程まで号泣してたのが嘘のようにさっぱりした顔だ。南が違和感を感じないうちに退散しなければと、桃山も深く頭を下げる。
「必ずや期待に応えてみせる。南社長、ありがとう」
桃山はそう言うと、そそくさと二人で会議室を出た。充分に離れてから、福田とハイタッチを交わす。
「やったな!」
「最後、ちょっと本気になっちゃいました」
福田が鼻をかみながら小声で囁いた。
「俺もだ」
やはり本気の言葉は人を動かすということか。これでひとまずは猶予ができた。本番はここからだ。
(やってやる。必ず、この窮地を乗り越えてみせる)
三ヶ月。プロジェクトを立て直すには短すぎるかもしれない時間。
だが、それでも不思議と桃山に悲壮感はなかった。ただ、やりきれるという静かな確信だけがあった。
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