第7話
――それから、私は彼女の花屋を手伝いながら二人で慎ましく暮らした。
私が吸血鬼だということも話して驚かれたが、だから別れるとか怯えられるということはなかった。
『人間だろうと、吸血鬼だろうと私を愛してくれたのは目の前の貴方ですから』
と穏やかに微笑まれた日は、いつになく盛り上がったのはここだけの話である。
それでも、私達の間に、子供は出来なかった。
彼女や私の体質の問題なのか、相性の問題なのか調べる術がなく、月のものが来る度に彼女は落胆し、私はそれを慰めた。
それでも、子供ができないこと以外は、大きな問題もなく、実に仲睦まじく過ごす間に5年の歳月が過ぎた。
兄や父には人間と番うなどもっと反対されるかと思ったが、私が派手な女遊びがてら食事してヴァンパイアハンターに狙われることがなくなったため、『感謝したいから今度城に連れてきなさい』などと言われる始末だった。
吸血鬼の巣窟に愛しい人を連れて行くなどもってのほかなので、丁重にお断りしたが、向こうがこちらに出向くなら、いずれ紹介するのも悪くないかと思っていた、そんな矢先。
彼女と結ばれて5年目の冬、大陸中を恐ろしい病が襲い――彼女もその病に冒されたのだった。
あらゆる手を尽くしたが、その病に効く薬はなく、同胞にも頼ってあちこち情報を集めたが、ダメだった。
どんな同胞も力なく首を振って、『転化させるしか、方法がない』と言ったのだ。
「どうか、吸血鬼になってくれ……! 吸血鬼になれば、死なずに済む!」
私が訴えても、病床の彼女は力なく首を横に振るばかりだ。
彼女は人間で、そのままであれば私より早く亡くなることは分かっていたが、それがこんなすぐに訪れるとは思いもしなかった。
「いいえ……このまま、死なせて、ください……私は、貴方の、汚点になりたくない……げほっ、ごほっ!」
激しく咳き込む彼女の背中をさすり、少し落ち着いたところで身体を抱き起し、水を飲ませた。
「君が私の汚点だなんて、そんなことがあるわけないだろう!」
私が怒りに震えて言っても、彼女は慈しむように目を細めるばかりだ。
「いいえ……こんな醜い火傷のある状態で、転化して、貴方の傍にいては……周囲の者は、貴方を蔑むでしょう……けほっ、私は、貴方の、枷になりたくないの……人の生に寄り添って、傍にいて、共に過ごしてくださった……それ、だけで、十二分、です……」
どんどん声が弱くなる。目から生の光が薄れていく。
「やめろ、死ぬな、そんなことを、言わないでくれ! 君が居なくなったら、私はどうすればいい!」
みっともなく叫んで彼女の手を取って縋った。
「大、丈夫、ですよ……貴方には、家族も、沢山のお友達も、います……きっと、私より、ずっと素敵な……女性にも、巡り、会えます……寂しくは、ありませんよ……寧ろ、これまで、女遊びを我慢させてしまって……ごめん、なさい、ね……」
私が握っているのと反対の手をゆっくりと伸ばして、私の頬を撫でた。
その温かさが、胸を鋭く切り刻む。
「馬鹿な事を言うな! 君以上の女性なんて居るわけがない!」
「あら、嬉しい……最期まで、情熱的、です、ね……っ」
「茶化すな、私は本気だ!」
まるで普段通りのように、おどけて言う彼女に、叫ぶことしかできない。
「優しい
「そう思うなら、どうか、吸血鬼になってくれ……!」
ぐったりとした身体を胸に抱きしめて、私は懇願する。
「ごめんなさい……最期の、わがままなの……人間のまま、幸せなまま、死なせて、ください……」
頑なな彼女の言葉に、ぐっと奥歯を噛みしめた。
「私は結局、君の呪いを解くことは、出来なかったのか……?」
悔しくて、やるせなくて、虚しさに胸を苛まれながら問う。
「いいえ……貴方に、花束をもらった、あの時から……私の、呪いは、解け、て……います、よ……」
「それなら、どうして……っ」
彼女の優しい微笑みに、涙が零れた。
「誰かと一緒に、生きる勇気を、持てた……それが、解けた呪い、です……ごめんなさい、私、やっぱり、自分の容姿を、愛することは、出来ませんでした……でも、貴方が慈しんでくれたから……醜いと、気持ち悪いと、思わずに済むように、なったの……ねえ、どうか、それで許しては、くださらない……?」
甘えるように頬を擦り寄せて、彼女は言う。
「君は、ずるい女だ……っ、私がその仕草に弱いことを知っていて、やっているな?」
彼女の身体から、どんどん魂が抜けていくのが分かる。
死が、容赦なく彼女を連れ去っていく。
だからこそ私は――いつも通り、甘く、囁いた。
「ふふ、バレました、か……? ね? 優しいクラウス……私の今生の、我儘を、聞いて、くださる、でしょう……?」
「分かった……そこまで言うなら、聞き入れよう」
彼女の今際の時が近いことを痛切に感じて、私は、その願いを、聞き入れた。
「ああ、ありがとう……」
「ただし」
ほっとしたように息を吐く彼女に条件を付けることにする。
「もし君が生まれ変わって、また私と恋に落ちたなら、その時は、永遠に私の傍に居ると、誓ってくれ」
彼女を力いっぱい抱きしめて言った。
「あら、そんなこと言って……後悔しても、知りませんよ……もしそれで、浮気したら、刺しちゃうかも……」
小さく笑って、ほとんど吐息のような声で、彼女は返す。
「言っただろう――君になら、銀の杭でこの心臓を刺し貫かれても構わないと」
こちらが見えているのかいないのかも分からない、ほとんど光の消えた彼女の瞳を真っ直ぐに見て、告げた。
「嬉しい……っ、約束、するわ……貴方こそ、ちゃんと、見つけてね……」
「ああ、勿論だとも」
「愛してるわ、クラウス……ねえ、キス、して、くれる……?」
「ああ、勿論だ。私の最愛の人――」
嬉しそうに目を細め、最期の力を振り絞って私の首に腕を回す彼女の唇へ、熱く、口づけた。
そっと唇を離したその時、首に回されていた腕が、重力に引かれてベッドの上へ落ちる。
「逝って、しまったのか……?」
安らかな顔で目を閉じる彼女へ、震える声で尋ねる。
何も答えず、身じろぎすらない彼女を、強く抱きしめて、私はただ、泣き崩れた。
――あれから何世紀たっただろう。
百年ばかりは彼女の死を引きずっていたが、吸血鬼と人間の対立が激化したり、それが収まったりするうちに、徐々にその喪失感も薄れてきた。
彼女が許した女遊びも食事に困らない程度にしているが、昔ほど派手に遊んではいないし、彼女ほど痛切に心を惹かれる女性には、いまだに会えていない。
今は人間の文化に合わせて輸入雑貨商をやっている兄の手伝いをして、世界中を転々と渡り歩いていた。
そうして、ある時、仕事で日本に来て、鄙びた温泉街の商店街を歩いていた時だ。
ふと、通りに小さな花屋を見つけて足を止めた。
店先に飾ってあった花束に、目を見張る。
白いバラに、オレンジのガーベラ、濃い黄色のフリージア、クリーム色のルピナス、薄緑色のピンポンマム。
「いらっしゃいませ、何かお求めですか?」
足を止めた私に、店の奥から、店員らしき女性が現れて、声を掛けてきた。
その顔を見て、息を飲む。
額の右半分から右目の眦の辺りまで、皮膚が茶色く変色し、ひきつれた古い火傷の痕があった。
「ああ、初めてのお客さんですね。これ、小さい頃の火傷の痕なので、大丈夫です。ご心配は要りません。どのようなお花をご所望ですか?」
私の驚いた顔を見て、火傷の痕があるその女性は気にした様子もなく朗らかに言った。
よほど慣れているのだろう。随分と淀みのない口調だ。
彼女と出会ったあの日を繰り返しているようで、涙がこぼれそうになる。
――ああ、やっと、見つけた。
「ああ、不躾に女性の顔を見るなんて失礼だったね。すまない。店先の花束がとても美しかったもので、それを頂けないだろうかと思ってね」
「はい、勿論! よろしければ、ご希望とご予算に応じてお作りもできますよ」
花屋の娘は、明るく提案してくれる。
「いや、あの花束がいいんだ。思い出のある、花ばかりで」
「あら、そうなんですか? 奇遇ですね! あれ、私の好きなお花ばかりで作ったんです。そしたら、初めてのお客さんですし、もう店も閉めるところでしたし、半額の750円でどうぞ」
にこやかに笑って、彼女は花束を差し出してくれた。
彼女が例え何も覚えていなくても、私があげた花束の花々を、今でも好んでいてくれることに、胸を打たれる。
「悪いね、それでは、1000円からでいいかな」
「ええ、大丈夫です。それでは、お釣りを持ってまいりますね」
私から1000円札を受け取った彼女は小走りで店内のレジに駆けていった。
「お待たせしました、お釣りの250円です」
「ああ、ありがとう」
水仕事で荒れた手からお釣りを受け取り、そのままその手を取った。
「あの、お客さん?」
戸惑ったように私を見上げる彼女の手の甲に軽く口付ける。
「私の運命の人――この花束を、君に捧げてもいいだろうか?」
「え、ええっ!?」
驚いたように叫んで顔を真っ赤にする彼女に、私は微笑んで、花束を渡すのだった。
醜く善良な魔法使いへ花束を 佐倉島こみかん @sanagi_iganas
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