第6話

 その晩はクラウスさんが心配で、なんだか寝付けなくて、翌日は一日中、欠伸を噛み殺して営業を続けた。

「やあ、こんばんは」

 陽が落ちてすぐ、空が濃紺に染まる頃、涼やかな声が聞こえてパッと店先を振り返る。

 クラウスさんは約束通り、また私の店を訪れてくれた。

「クラウスさん! よかった、ご無事で……!」

 安堵して駆け寄れば、彼は優しく目を細める。

「いや、昨夜はロクな説明もできず、心配をかけて済まなかったね」

「いえ、とんでもないです。それで、ご事情は片付いたんですか?」

「ああ、おかげ様でね」

 私が勇み足に聞けば、彼はしっかりと頷いた。

「だからまた、君に花束を作ってほしいんだ」

 私の目を真っ直ぐに見て、クラウスさんは言う。

 昨夜、あんなに沢山の花を持って、自分で花を選んで渡すと言っていたのに、どういうことだろう。

 クラウスさんは、きっと彼のお姫様を見つけたのだと――そう思ったのに。

 しかも私の花束魔法は不要ではなかったのだろうか。

 よくは分からないけれども、それでも、また必要とされたことが嬉しくて、私は笑顔を作った。

「ええ勿論! 女性への花束を欠かさないお得意様は、花屋としてはとてもありがたいですからね。それで、今日はどのような方へ、どのような花束を?」

 毎晩違う女性への花束を頼まれていたので、相手の様子を聞くのも慣れたものだ。

「健気で気丈で、明るい町娘なんだ。でも、色々と苦労をしているお嬢さんでね。白い薔薇を中心に、黄色やオレンジの花を入れて、見ていて元気が出るような、明るい色のものにしてくれ」

「あら、今日はご令嬢ではないんですね」

 愛おしそうに目を細めるクラウスさんの、そんな表情は初めて見る。

 どんなご令嬢が相手かと思ったら、まさかの町娘とは。

 私以外にも親しい町娘がいたのかと、嫉妬でチクリと胸が痛んで、そんな私情を意識的に殺した。

「苦労をしているお嬢さんに元気になれるような花束を、なんて、素敵な魔法を掛けるような気分です。腕が鳴りますね!」

 そうだ、私は善良な花屋魔法使いだから。

 真実の愛を見つけた貴公子に、町娘をお姫様に変える花束魔法を授けなければ。

 こんな名誉な仕事はないと、私はいつも以上に気合を入れて、花束作りに取り掛かった。

 清廉な白い薔薇はご希望のものだから入れるとして、他のお花まで豪奢が過ぎると気後れしてしまうかもしれないから、他は親しみやすいお花にしよう。

 明るいオレンジ色のガーベラ、鮮やかな黄色のフリージア、淡いクリーム色のルピナス、アクセントに薄緑のピンポンマムを添えて、明るく爽やかな花束に仕上げる。

「こんな感じでいかがでしょう? あんまり豪華なお花を入れても気が引けるかと思って、薔薇以外は素朴なものを中心に入れましたけど」

 私が意図を説明すれば、クラウスさんは満足そうに笑った。

「ああ、相変わらず素晴らしいセンスと気配りだな。ありがとう」

 お礼を言われて、嬉しくて顔が綻ぶ。

「良かったです。それではお包みしますね」

 薄緑の紙で包んで、黄色いリボンで束ねた。

「はい、どうぞ。貴族のご令嬢と違ってこの辺の町娘は気が強い上に、山育ちで足腰が強くて力もありますからね。遊びなら遊びだと割り切ってもらわないと、下手すると本当に刺されますよ、くれぐれも気を付けてくださいね」

 私は要らぬお世話だろうと思って忠告しつつ、出来上がった花束を差し出す。

「ああ、有益な助言をありがとう」

 私に言われて、彼は苦笑混じりに受け取った。


「――ではアメリア、こちらを受け取って頂けるかな?」


 クラウスさんは、今、受け取った花束を、そのまま私へ差し出した。

「えっ、私、ですか?」

 驚きでこれ以上ないくらい目を見開いて、聞き返す。

「ああ、いつも素晴らしい仕事をしてくれる健気な君に、感謝と敬愛の気持ちを」

 クラウスさんに微笑んで言われて、頬が紅潮するのが分かる。

 ああ、まさか、自分の仕事に対して感謝の花束を頂けるなんて。

 光栄で、嬉しくて、はにかんでクラウスさんを見遣った。

「あ、ありがとうございます! 自分を想って花束を貰うって、こんなに、嬉しいものなんですね……!」

 抱きしめるように花束を受け取って、お礼を言う。

 ああ、自分のお姫様を見つけた彼は、もうご令嬢の元を泊まり歩かなくなるから、たぶん今回の来店がきっと最後になるのだろう。

 だから、お礼の花束を下さったのだろう。

 それでも、私の花束魔法を認めてもらえた。

 お姫様ではない醜い魔法使いには、過ぎる程の栄誉だ。

「あ、でもそしたら、今夜のお嬢さんに差し上げるお花がないですね。別途お作りしますので、ご遠慮なくどうぞ」

 ハッと仕事中だと思い出して、花束を脇に置いた。

 彼は真実の愛を見つけたのだから、花束はもう一つ必要なはずだ。

「君、鈍感だと言われないかい?」

 クラウスさんは、何故か溜息交じりに聞いてきた。

「いいえ、言われたことはありませんね」

 何が言いたいのか分からず、キョトンとして返す。

「では率直に言おう――今夜、私と共に過ごしてくれないだろうか?」

 クラウスさんは、私の手を取ってその甲に口づけ、こちらの目を真っ直ぐに見て申し出た。

 息が止まる。私に迎えなど絶対に来ないはずだった。

 でもその台詞は、どう考えても、私を選んだとしか思えない言いようで。

「は……? え!? 正気ですか!?」

 真っ赤になって思わず大声で聞き返した。

「正気も正気だとも」

 私の様子を微笑ましそうな目で見ながら、クラウスさんは平然と答える。

「あの、ご冗談ですよね? だって、そんな、美しい貴族のご令嬢を見慣れているクラウスさんが、こんな私を? いやいやいや、ありえないでしょう。哀れみなら、要りません。感謝のお気持ちなら、この花束だけで十二分ですから」

 全く意味が分からなくて、花束を指して首を振った。

 冗談か、さもなければ、哀れみからくる言葉に決まっている。

 昨日、私が身の上話などしたから、女性に対して極端に平等に優しいクラウスさんは私を誘ってくれただけに違いない。

「そんな火傷の痕くらい、なんだと言うのだね? 私は君の仕事の誠実さと、心根の優しさ、明るさに惹かれたんだ」

 クラウスさんは、きっぱりと言い切った。

 せめて心は美しく、誇れる仕事を――それが私の矜持だ。

 それを分かって、そこを認めてくださったということに、胸が震える。

「それに、君は自らの姿を醜いと、気持ち悪いと言うが、私はそうは思わない」

 彼は手を伸ばして私のケープのフードを払い落した。

 自分でさえ忌まわしくてほとんど触れることのない痕に触れられそうになり、ぎゅっと目をつぶって身を縮める。

 クラウスさんは、愛しいものに触れるような優しさで、額の火傷の痕を、そっと撫でた。

「私は、もっと醜い人間の本性を、吐き気を催すほどのおぞましい振る舞いを、これまで沢山見てきた。それに比べれば、こんな火傷の痕くらい、可愛いものさ」

 クラウスさんに言われて、恐る恐る目を開く。

 穏やかに微笑むクラウスさんの言葉は実感が伴っていて、この火傷の痕よりおぞましく醜いものを見てきたなんて、これまでどんな人生を送ってきたのだろうと思った。

 貴族社会とはそれ程までに苛酷な世界なのだろうか。

「それに、この火傷の痕があるからこそ、君が今の君になったのだとしたら、私は、この痕すら君の一部として愛しく思うよ」

 優しく目を細められて、頬が熱くなるのが分かる。

「でも、私、火遊びが出来る程、器用な女ではありません……」

 彼の言葉に戸惑いつつ、目を伏せて言った。

 私も毎夜変わる女の一人になるのかと思うと、それはそれで胸が締め付けられるように苦しい。

「――君のために、今の女性関係を全て清算してきたと言ったら、本気だと信じてもらえるかい?」

 クラウスさんは、火傷を撫でた手をするりと下ろして、私の頬を優しく撫でて問う。

「えっ?」

 彼の言葉に、私は目を丸くした。

「昨日買ったありったけの花は、今、関係のある女性達に関係を絶ってくれとケジメをつけ、謝罪するために持って行ったんだ。昨晩、全員の元を回って謝罪して、まあ刺されはしなかったが、平手は二、三発ではすまなかったな」

 クラウスさんは苦笑して言った。

 だから、あんなに沢山のお花を、と納得がいく。

 この避暑地に来てからだけでも十人以上の女性と関係を持っていたのだから、ここに来る前のことも思うと一体、どれだけの女性の元を回ったのだろうと思う。

 でも、さすがに全員の元を一晩でというのは、物理的に厳しいのではないだろうか。

「そんな……でも、それが、本当だと確かめる術は、私には、ありません」

 きっと、その話が本当のことだと信じたい。

 それでも、口でならなんとでも言えるとも思ってしまう。

 どうしたらいいか分からなくて、ゆっくりと彼の目を見上げた。

「ならば、この言葉が嘘だと分かった段階で、銀の杭でこの心臓を貫いてくれて構わない」

 クラウスさんは、私の手を握って言った。

 宵闇のような紫がかった濃紺の瞳が――熱にうかされていると、思ってしまった。

「や、やめてください、そんなことを、おっしゃらないで下さい……!」

 私は、ハッとして首を振った。

 のぼせ上がっているのはどっちの方だ――と、染み付いた自己嫌悪が耳の奥で私をなじる。

「私は、誰からも愛されることはないから、一人で生きて、一人で死んでいくと決めたんです。きっと今は、こんな火傷の痕がある醜い女のくせに、自分になびかない女が物珍しいだけです。私は、教養もない、美しくもない、つまらない、田舎娘に過ぎません。華やかな貴族社会に生きてきた貴方は、きっとすぐに飽きて、嫌気が差してしまわれることでしょう。貴方を、後悔させたくありません。どうか、冷静になってください」

 私は、泣きそうになりながら、懇願した。

 そうだ、何を思い上がっていたのだろう。

 こんなの、浮気者な貴公子の、一時の気の迷いに過ぎない。

 簡単に捨てられるくらいなら、一時の幸福など知らない方がずっといい。

 誠実な仕事への感謝の花束として、このお花を受け取れれば、人生で一番幸せな日で今日を終えることが出来る。

 それ以上は要らない。望んではいけない。

「冷静になれるような想いなら、全員と関係を切ったりしていない」

 彼は私の腕を強く引いて、その胸へ抱き寄せた。

「クラウス、さん……離して、ください……」

 男の人から抱擁されるなんて初めてだ。

 その逞しさに、力強さに、戸惑って身をこわばらせながら、辛うじて震える声で拒絶の言葉を吐き出す。

「出来ない相談だ。君も本当に嫌なら、突き飛ばしてくれ」

「そんなこと……っ」

 子供のように聞き分けのないことを言われて、私は言葉に詰まる。

「出来ないなら、君も私のことが好きだと受け取る」

 そう言われて、ぐっと唇を噛みしめた。

「あなたが、きっと私のことを好きではなくなると、申し上げているんです。私の気持ちなど……関係ありません」

 そうだ、私の問題ではなく、彼の気持ちの、問題なのだ。

「ああもう、強情だな、君は!」

 苛立ったように声を荒げたクラウスさんは、抱きしめていた手を私の頬へやって、両側から挟んで彼の方に無理矢理顔を上げさせる。

「御託はいい! 私の気持ちを勝手に決めるな! 君と話していると私は楽しい! 教養なんてこれからいくらでも身につければいい! 貴族社会にこそ飽き飽きしているんだ、こっちは! この町の美しい自然と、君の作りだす花束が、どれほど私の心を躍らせたと思っている!? 断言するぞ、火傷の痕があろうと、なんだろうと、私にとって、君は! 紛れもなく! 一緒に居たいと思える女性だ! 大体この私に、ここまで叫ばせている女性に、飽きるわけがないだろう!」

 聞いたことのないような大声での、全力の心境の吐露だった。

 いつも甘い美辞麗句を並べ立てる彼が、飾り気もへったくれもなく本音を叫ぶなんて。

 呆気に取られていたけれども、その本気さがようやく伝わり、涙が零れ落ちる。

「わ、私、自分が、貴方の隣に並ぶことがふさわしい人間だとは、思えません……っ、でもっ」

 私の言い分に口を開きかけた彼は、私が逆接を口にしたのを見て、口を噤んだ。

「クラウスさんが、本気だというのは、分かりました……っ」

 運命の人が迎えに来てくれることなど絶対にないと、諦めていた。

 それでも、もし迎えに来てくれるなら、それは彼以外では嫌だと思ったのだ。

「だから、こんな私なんかでよろしければ――お傍に、いさせて、ください」

 泣きながら、嬉しさではにかんでクラウスさんへ告げる。

 彼は、くしゃりと泣きそうに表情を歪めて、私の頬を伝う涙を親指の腹で拭った。

「ああ、どうか、傍にいてくれ……っ」

 愛しさが溢れるような声で言われて、熱く口づけられる。

 お伽噺のように、醜い魔法使いが王子様のキスによって美しい娘になったりはしない。

 それでも、誰からも愛されないと刻み付けられた私の呪いは、確かにその時、解けたのだった。

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