第5話

 花屋の娘――アメリアの元を訪れ続けて十日が過ぎた。

 一人の女性の元へ肉体関係なしにここまで通い詰めたのは初めてだったが、これはこれでなかなか楽しいものだと思えたことに驚いている。

 私は美しいものが好きだ。だからこそ、彼女が作る花束の美しさや、それを作る彼女のセンスに惚れこんでしまったと言っても過言ではない。毎日見ても飽きない程、彼女の魔法のような仕事ぶりは素晴らしかった。 

 それに、花束を作る彼女と話すのも楽しいのである。

 貴族社会の教養はなくとも、打てば響く様に答えが返って来る自頭の良さ、自分でしっかり物を考えて臆さず発言する意志の強さ、微妙なニュアンスを捉えて話題を変える配慮、それらを相手に気付かせないようにするような明るさ――火傷の痕など些細なことに思えるくらいには、彼女を魅力的な人物だと思った。

 私が口説いても常に一線引いた所から返答するアメリアだが、私が感動のままに仕事ぶりを褒めると、嬉しく、誇らしそうに微笑む様子を特に愛らしく感じる。

 いつしか単に魅了チャームが掛からないから気になるだけではなく、アメリア自身のことをもっとよく知りたいと、思うようになっていた。

 しかしながら、十日かけて口説いても全く魅了に掛からないのは、完全に想定外だった。

 随分と打ち解けたと思うし、アメリアも私の事を憎からず思っている様子も感じられる。

 それなのに、魅了にだけは全く掛からないのだ。

 こうなると、魅了が掛からない条件の『私に魅力を感じていない』という線が薄くなってきた。

 すると他の可能性ということになるが、それは聖職者か、他の催眠に掛かっているかのどちらかである。

 彼女にも信仰心があるにはあるだろうが、純然たる花屋に、修行を重ねた聖職者並みの神の加護があるとも思えない。

 かといって他の吸血鬼の催眠下にあるとも思えなかった。

 まったくもって不可解な状況を前にして、十一日目の夕方、私は花屋に寄る前に酒場で情報を集めることにした。

「美しいお嬢さん、少しばかり君と話がしたいのだが」

 客で賑わう酒場で、食器を下げようとしていた女給の手を取って、魅了を掛ける。

「はい……なんでしょう」

 容易く魅了に掛かった女給は、うっとりとした目で答えた。

「この近くに、花屋があるだろう。そこに火傷の痕がある娘がいるね? 彼女について教えてもらえないだろうか」

「ああ、アメリアのことですね……本当に、可哀想な子ですよ」

 魅了で虚ろになった目でも分かる程の哀れみを浮かべて、女給は答えた。

「小さい頃に、熱湯を被ってしまって火傷の痕が残ったのだとか。それに、家族は一昨年、流行り病で亡くなって、あの子一人になったんです。それでも、健気に家業を継いで、明るく振る舞って……あの子の作った花束で求婚したら絶対断られないとか、夫婦喧嘩しても必ず仲直りできるなんて言われるくらい腕もいいし、本当に気立てがいいのに、あの痕のせいで、男の人は気持ち悪がって口説こうとする人は居ません。事情を知らない観光客の中には、『化け物』だなんて心無いことを言う人も居るみたいだし……そろそろ結婚してもいい歳なのに本当に可哀想だって、あの火傷の痕さえなければって、昔馴染みは皆そう言ってますよ」

 憂いた様子の女給の説明に、私は眉を顰めた。

 店で話した時の明るい様子からは、想像もつかない苦境を背負っていたらしい。

「口説く男がいない? 恋人も?」

「ええ、そんな物好きいませんよ」

「分かった、もういい……下がってくれ」

 哀れんでおきながらも、女給の口調に滲む侮蔑に近い感情に、気分が悪くなって、魅了を解いた。

 女給はハッとしたように何度か目を瞬かせてから、思い出したように食器を下げる。

 アメリアはこうして、哀れまれ、蔑まれながら、『酷い火傷の痕のある可哀想な娘』というレッテルを貼られて、腫れものを触るように扱われてきたのだろう。

 誰もがアメリアを見下して、この娘より自分はマシだと――そう思ってきたことが目に浮かぶようだ。 

 あれだけこちらの注文の微妙なニュアンスを汲み取って、それにぴったりの花束を作れる娘だ。

 そんな彼女が、周囲からのそういった感情を読み取れなかったわけがない。

 それでもそれに気づかないふりをして、自分を哀れみと侮蔑で見てくる人間の幸せのために、花束を作ってきたのだ。

 それを思うと胸が締め付けられるようで、頼んでいたグラスの赤ワインを一息に飲み干した。

 そうしながら、そこまで彼女に本気になってしまっている自分にも驚く。

 不遇を感じさせない明るさ、気さくながらはっきりした物言い、健気なほどに商売に誠実な態度、誇りを持った魔法のような仕事ぶり――それら全てに、いつの間にか惹かれていたらしい。

 魅了チャームを掛けるつもりが、逆に魅了されていたとはと、苦笑した。

 それでも、女給の話を聞いて、私の能力が効かない理由の一端が分かったような気がする。

 ――これはもはや、呪いだ。

 私はワインの料金を支払って、来て早々ながら酒場を出た。


 酒場を出た足でそのまま花屋へ駆ける。 

「こんばんは、まだ大丈夫かい?」

「ああ、クラウスさん、今日は遅かったですね。てっきりもう来ないかと」

 店仕舞いの支度をしていたらしいアメリアは、息を切らしてやって来た私へ驚いたように言った。

「昨夜『また明日』と言っただろう。愛しい人との約束を破るとでも?」

 どうせ掛からないと分かったから、魅了は掛けずに口説く。

「また調子のいいことをおっしゃって。それで今日は、どんな花束を?」

「いや、凝った花束にしなくていい――店に残っている花を、あるだけ全部くれ」

 私は、ある覚悟を決めて頼んだ。

「えぇっ!? あるだけ全部って、一体どんなお嬢さんへ差し上げるんですか!? 結構な量になりますよ?」

 アメリアは驚いて訊いてくる。

「構わない。今日は少しばかり忙しい夜になる予定でね」

「はあ、もしや梯子のご予定でも? それならなおのこと、お一人ずつきちんとお作りした方が良いのではありませんか?」 

 アメリアは首を傾げて尋ねてきた。

「いや、私が選んだ花を、贈りたいんだ」

「そう、ですか……」

 アメリアは私の言葉に一瞬、息を飲んでから、フードの奥で優しく目を細めた。

「じゃあ、主役にするといい花、脇役にするといい花、それらの引き立て役にするといい花、という感じでざっくり分けますから、そこから良さそうなものをバランスよく見繕ってお渡しするんですよ」

 どこまでも仕事に誠実な彼女は、気を回して助言してくれる。

「ありがとう、恩に着るよ」

「いえ、とんでもないです。それじゃあ、お掛けになってお待ちください。量が量なので、全部束にするだけでも結構かかりますが大丈夫ですか?」

 心配そうに言われて、笑って頷く。

「ああ、時間は気にしないでくれて構わない。それと、待つ間に、君の話を聞いても、構わないか?」

「私の?」

 私が言えば、彼女は作業をしながら聞き返してきた。

「酒場で、君が『可哀想な娘』だと言われているのを聞いてしまって」

 私の言葉に、彼女は苦笑した。

「ああ、私、この酷い火傷の痕せいで、大体、気持ち悪がられるか、哀れまれるかの二択なんですよ。ほら、さすがに『気持ち悪い娘』とは言えないじゃないですか。だから大体『可哀想な娘』って表現になるんですよ」

 彼女は諦念が滲む声音で、それでもおどけた調子で言って、あっけらかんと笑った。

「この火傷、子供の頃に母が不注意で落としたやかんの熱湯を被ってしまった時のものなんです。そのせいで、母は父にも祖父母にも『女の子なのにこんな酷い痕が残る火傷をさせるなんて』と責められて、私にも『こんな顔じゃ嫁の貰い手がない、本当に申し訳ないことをした』って泣き暮らして。私は、それがとても嫌だったんですよね」

 辛い過去の話だろうに、それでも彼女は明るく話す。

「だから、こんな火傷の痕なんて何でもないんだって、平気なんだって、そうやって明るく振る舞って生きてきたんです。ほら、こんな醜くて気持ち悪い見た目で、中身まで暗かったら、いい所が一つもないでしょう? せめて性格くらいは良くなくっちゃと思って」

 健気で強かで――それでいてその声の明るさの裏に、ゾッとするほど暗い自己嫌悪が染み付いているのを感じた。

「幸い、花屋の仕事は好きでしたし、家族がいた頃は裏に籠って作業すればお客さんに顔を見せずに済んでいたので、恙なく過ごしていたんですけど……一昨年、家族が流行り病で皆、亡くなってしまって、困ったことに一人になってしまったんですよね」

 肩をすくめて語りながらも、作業をする手は実にテキパキと動いている。

「それは……気の毒だったね」

 家族が亡くなったことは酒場で聞いて知っていたが、それでも彼女の口から聞くその重さに、自然と言葉が出ていた。

「お気遣いありがとうございます。それで、この顔で客商売もどうかと思ったんですけど、この仕事が好きだったので、私一人で続けることにしました。家族の思い出が残った店を畳むのも嫌でしたし。幸い、町の皆さんが良くしてくださって、こんな私でも、なんとかやっていけています」

 アメリアはそう言って、次々と店に残った花を束ねていく。

「花はいいです。私と違って美しくて、その姿だけで誰かの気持ちを明るく出来て。私はこの姿ですから、お伽噺のお姫様のようにはなれませんけど、良い魔法使いにはなれると思ったんですよね。誰かの背中を後押ししたり、笑顔にしたりする――善良な魔法使いに」

 とても前向きに聞こえるその台詞は、痛みを伴う程に苦しい諦めの言葉だ。

 その火傷の痕に対する嫌悪の眼差しが、哀れみの言葉が、彼女へ呪いのように『自分は醜く、誰からも愛されない』という自己暗示を植え付けている。

 もはやそれは催眠の域に近く、それで魅了が掛からないのだと、はっきり理解した。

「クラウスさんは、こんな私にも気持ち悪がらずに接してくださるし、哀れむでもなく気さくに話してくださるし、そういう点は良い方だなと思います。浮気者ですけど」

「最後が一言余計だな」

 最後の一束を束ね終わったアメリアが言うので、私は笑って指摘する。

「あはは、失礼しました」

 私の指摘に、アメリアは笑いながら謝った。

「でもというか、だからというか、いつか痴情の縺れで刺されるんじゃないかと心配してるんですよね。今夜は、何か事情がおありなんだと思いますけど……どうか、ご無事で」

 アメリアは束ね終えた大量の花を両手で抱えて持って来て私へ渡した。

 私を見上げる瞳が、不安げに揺れているのを見て、愛しさを覚える。

「ありがとう。まあ、平手の二、三発は覚悟しているところだが、さすがに刺されはしないだろう」

 これから行うことを思えば、そのくらいの痛手は負うことくらいは覚悟せねばならない。

「いや、ほんとに今夜、何があるんですか!?」

 私が受け取りながら言えば、アメリアは突っ込みながら聞いてくる。

「そうだな、色々片付いてから、明日、話そう。また来る」

「はい……分かりました。お待ちしています」

 私が言えば、アメリアはよく分からなさそうなまま、コクリと頷いた。

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