第4話
それから、恐ろしく容姿の整ったとんでもない女たらしのお客さん――クラウスさんは、毎日うちの店に花束を買いに来た。
名前は、この店へ三回目にやって来た時に向こうから名乗ってきたので、その後は名前で呼んでいる。
しかも驚くことに、このクラウスさんは、毎夜毎夜、違う女性への花束をお買い上げ頂いていた。
どうやら、私の花束を渡すと『私のことをこんなに分かってくださるなんて!』と貴族の女性達が感動してくれて、非常に評判が良いらしいのだ。
その話自体は、とても光栄なことである。
しかしながらこの貴公子、ここ十日程、花を買う度に手を変え品を変え、私まで口説いてくるのが問題だった。
彼にとっては挨拶代わりのようなものなのだろうが、これまで生きて来て口説かれること自体がなかった身としては、困惑してしまう。
二人にしか聞こえないような声音で囁かれる甘い愛の言葉を、素直に受けとめるだけの度量も、舞い上がる程の無垢さも、私にはなかった。
クラウスさんは、本当に女性へ分け隔てなく優しいのだろうと思う。
こんな気持ち悪い火傷の痕がある醜い女でさえ、他の女性と同等のように扱ってくださるのだから。
しかも彼は、私を気持ち悪がることも、哀れむこともしなかった。
私はこの火傷を負ってから、他人から哀れみも嫌悪も交えずに話してもらえたのが初めてで、こんなに心が軽くなるものかと驚いていた。
――今夜は妙齢の未亡人のご婦人へというご注文だったので、喪服をイメージしたほとんど黒に近い深紅のバラと濃い紫のアネモネ、ミステリアスな赤紫のヒヤシンス、美しい涙のような淡い青紫のラベンダー、凛とした悲しみを思わせる白百合を入れた花束を作っている。
暗い色合いだけでは、気が滅入ってしまうだろうと百合とラベンダーも入れたが、我ながら良い選択だったと思う。
「しかしクラウスさんも懲りませんねえ、私まで口説くなんて、本当に女性なら何でもいいんですね」
光沢のある臙脂色のリボンで花を束ねつつ、今日も今日とて私を口説いてきたクラウスさんに呆れて言った。
「毎夜、通っているのはアメリアのところだけだというのに……まだ、私の情熱を分かってもらえないのかな?」
今日も私の名前を呼んで口説いてくるので、出来上がった花束を渡しつつ苦笑した。
確かに、毎晩通ってくれているけれども、それは意味合いが違う。
「いや、ここに来るのは、私自身ではなくて、私の作る花束が目当てでしょう? しかも、ここに来た足でそのまま毎晩違う女性のところに通ってるわけですから、よくそれで口説けますよね」
クラウスさんはあまり貴族的な偉ぶったところがなく、気さくな人だというのがこの十日で分かったので、私は遠慮せずに言った。
というか、花を買うためとはいえ毎晩会っている女がいると知れたら、憤るご令嬢も居るのではと少し背筋が冷える。
「君が私の想いに応えてくれないから、他の女性に慰めてもらっているのだというのに、つれないな」
物憂い顔で大袈裟に溜息を吐く彼に、思わず笑ってしまう。
「はいはい。ご冗談はそれくらいにして、そろそろお出になった方が良いのでは? あまりお待たせしてもご婦人が可哀想ですよ」
笑って流してしまえば、彼は肩をすくめた。
「君がそう言うなら仕方ない、今日は悲しい者同士、未亡人と慰め合うとしよう」
何気なく言われたその言葉に、薔薇の棘がささったように胸がチクリと痛むのも、お門違いも甚だしいと自分で自分に呆れてしまう。
勘違いしてはならない。私はお姫様にはなれない。弁えねばならない。
「では、また明日」
クラウスさんが、花束を持ったのと反対の手を挙げて言うので、私は頭を下げた。
「ありがとうございました、良い夜を」
――また、明日。
その言葉に笑みがこぼれる。
彼が私の技術を必要としてくれていることが、嬉しかった。
拾い物のような何気ない言葉を、大事に胸にしまうことくらいは、許されるだろうか。
それを思い出して、気休めにするのは、許されるだろうか。
美しい思い出にするから。野暮なことは願わないから。
どうか彼が真実の愛を見つけるまで、花束を作り続ける権利をください。
――翌朝、花の仕入れの帰りに市場へ行き、食料品も買っていくことにする。
「すみません、じゃが芋と人参とキャベツと……あと、ひよこ豆をください」
「ああ、アメリア! いらっしゃい。調子はどうだい? 最近遅くまで店を開けてるらしいじゃないか、無理してないかい?」
青果店のおかみさんは、心配そうに尋ねてくれた。
ちらりと視線が火傷の痕に向かうのが分かるが、気にせず微笑む。
この人は哀れみの方。それで優しくしてもらえるなら御の字だ。
「ええ、お陰様でなんとかやれてます。今、ちょうどお貴族様が夜会のシーズンなので、稼ぎ時なんですよ。夜会に花を持って行く方のために、遅くまで開けてるんです」
私が言えば、おかみさんは目を細めて頷いた。
「本当に働き者だこと! うちの
おかみさんが愚痴をこぼしてから声をひそめて聞いてくるので、首を傾げた。
「物騒な噂? いいえ……どんな話ですか」
お客さん達と話はするが、物騒な話など聞いた覚えがなくて尋ねる。
「なんでも、最近、貴族のお屋敷に吸血鬼が現れるんだって」
「えっ、吸血鬼、ですか?」
私は驚いて聞き返した。
「避暑地に来ているご令嬢やらご婦人やらが、夜な夜な血を吸われているんだとさ。今はお貴族様だけだけど、いつか町の方にも被害が出るんじゃないかって、娘が居る家は戦々恐々としてるんだよ。アメリアも若い娘な上に独り暮らしなんだから、気を付けるんだよ」
おかみさんは恐々と、それでも興味津々な様子で語った。
「あはは、お気遣いありがとうございます。でも私はこの顔ですから、吸血鬼だって驚いて逃げ出しますよ」
私が笑って言えば、おかみさんは何とも言えなさそうな複雑な顔をする。
「アンタのそのあっけらかんとした所は大したもんだと思うけど、そう軽々しく冗談にすることじゃないと思うよ」
「あはは……すみません」
気の毒そうに言われたので苦笑して謝り、野菜のお代を払って店を後にした。
ここ最近、私を哀れまないクラウスさんとの会話に慣れていたから、うっかりこの痕のことを冗談にしてしまったと、後悔する。
周りの人にとって、私は『酷い火傷の痕のある哀れむべき可哀想な娘』だったことを思い出して、暗澹とした気持ちになった。
帰路に着きながら、自分の醜さを忘れてはならないと、自らに言い聞かせる。
家族でさえ、私のことを可哀想だと哀れんで、腫れ物を触るように扱ってきたではないか。
どれだけ気にしていないと明るく振る舞っても、取り返しのつかない申し訳ないことをしたと母は泣いていたではないか。
私がいるだけで、皆が悲しくなり、不愉快になり、その場の空気が悪くなる。
そんな当たり前のことを、どうして忘れていたのだろう。
そうして、クラウスさんの気さくな態度を思い出す。
日が暮れる前から彼の訪れる店先を眺める回数が増えたのも、彼の瞳に似た日暮れ直後の濃紺の空を特に美しく感じるのも、ただ、気兼ねなくお喋りできるのが楽しいから。
それだけでなければならなかった。
だって、私にとって、彼は物語の向こうの人なのだ。
私に迎えなど絶対に来ない。分を弁えなければならない。ときめいてはならない。
鏡を見て火傷の痕を確認しては、強く強く自分に言い聞かせる。
私は善良な魔法使いだから、この浮気者の貴公子が真実の愛を見つけられるよう、何度だって花束を作って、魔法を掛けてあげるのだ。
だから、醜い魔法使いのことなど口説かないでほしい。
私など構わずに、お姫様の話を続けてくれればいい。
そうすれば、望みなど抱かず、物語の向こうの人のままだと思えるのに。
そこまで考えて、ぼんやりと果てのない青空を見上げた。
――ああ、誰の目にも触れない場所へ行きたい。
衝動的にそう思い、俯いて小さく
いけない、暗くなってはダメ。
こんなに醜い上に、性格まで暗かったら目も当てられない。
せめて心は美しく、誇れる仕事を――そう自分に言い聞かせて、顔を上げ、背筋を伸ばした。
大丈夫、今日も私の花束は、皆の笑顔に貢献できる。
それだけで、十分だ。
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