第2話

 お伽噺のお姫様のように、私の元へ運命の人が迎えに来ることなど、絶対にない。

 だって、お伽噺のお姫様は皆、美しくて、王子様はその姿に一目惚れをするのだから。

 もし王子様が私の顔を見たら、額の醜い火傷の痕に驚いて、化け物だと逃げ出してしまうことだろう。

 迎えなど来ない。そんなものは待たない。

 私は一人で生きて、一人で死ぬ。それで構わなかった。

 だからこそ、私は、自分には一生縁のない他人の色恋沙汰に、文字通り花を添えたいのだ。

 告白する勇気を、プロポーズする自信を、仲直りするためのきっかけを、私の作る花束で与えることが出来たら。

 私は、惑える恋人達へ素敵な魔法をかける善良な魔法使いになるのだ。

 醜い姿なら、せめて、美しい心と誇れる仕事を――それが、私の矜持だった。


 都から北にあるこの地方都市は、貴族の別荘が立ち並ぶ広原の避暑地でもある。

 そんな別荘地にある私の店は、恋を謳う男女から需要があって、そこそこ繁盛していた。

 一昨年、流行り病で家族を亡くして私一人になった時はどうしようかとも思ったけれども、私一人が生活していくだけの稼ぎは、なんとか得られていた。

 最近は避暑シーズンで夜会も多い稼ぎ時だから、この時間は日が暮れてからも店先にランプを出して営業をしている。

 私には縁遠い華やかな世界へ彩りを添えるのは、心が躍るものだ。

 私の花束で結ばれる恋人達がいるのなら、それはなんてロマンチックなことだろう。

「こんばんは、昨日は世話になったね」

 そろそろ店を閉めようかと思っていた時間に、店先から声を掛けられて顔を上げる。

 薄闇に灯るランプに照らされたその人は、恐ろしく容姿の整った背の高い男性だった。

 精悍さと美しさが等しく同居した面差しは実に誠実そうな雰囲気で、宵闇に溶けてしまいそうな黒い髪に、陽が落ちた直後の空のような紫がかった濃紺の瞳が印象的だ。

「ああ、昨日の! いらっしゃいませ」

 昨夜、うちで花束を買っていかれた一度見たら忘れないような美貌の貴公子が、軽く片手を挙げて店先に訪れているのを見て、私は挨拶した。

「花束はどうでしたか、ご令嬢には、気に入って頂けましたか?」

 こんなにすぐ訪れるなんて、何か不手際があっただろうかと、心配になって尋ねた。

「ああ、君の作った花束が実に好評だったよ、おかげで実に良い夜になった」

 私の心配を感じ取ったようで、お客さんは、にっこり笑って言ってくれた。

 貴族のご令嬢にも喜んで頂けたなんて、とても嬉しい。

「本当ですか! 良かったです。今日も花束を?」

 確か、ご令嬢は赤い薔薇がお好きだったと思って花瓶に手を伸ばしつつ聞いた。

「ああ、よろしく頼む。ただ――」

 お客さんは私の質問に頷いてから声をひそめ、留保をつける。

「今夜は、別のご令嬢に渡したいんだ」

 悪戯っぽく微笑んで言われ、私は呆気にとられてしまった。

「そこまで堂々と浮気を宣言される方は珍しいですねえ。皆さん言葉を濁されるのに」

 こんなに隠す気配もなく宣言する人を初めて見て、半ば感心しながら手にした赤い薔薇の花瓶を置く。

 お花を買うのが一途な人ばかりではないのが、世の常だ。

「それで、本日の方はどのようなお花がお好きなんですか?」

 お贈りするのが別のご令嬢なら、花束もその方の好みに合わせるべきだろう。

 私が尋ねれば、お客さんは目を丸くした。

「驚いたな、浮気者だと罵らないのか」

「同じ女だからというだけで、見ず知らずのご令嬢のためにお客さんを罵っていたら、商売上がったりですから」

 私は肩をすくめて笑う。

 恋を実らせる良い魔法使いでありたいにはありたいが、生活は生活として成り立たせねばならないから、難しいところだ。

「なるほど、確かに一理あるな」

 堂々とした浮気者のお客さんは、私の言葉に納得したように頷いた。

「今夜のご令嬢は、まだ若く可憐で初心なお嬢さんなんだ。ピンクの薔薇を中心に柔らかい色合いで、可愛らしく頼むよ。昨日と同じ額で包めるだけ頼む」

 彼は説明して、また銀貨を一枚差し出す。

「あら、昨夜とは随分と趣が違う方なんですね。かしこまりました」

 昨日は確か豪奢なものが好きな気位の高いお方と話されていたから、随分とタイプが違う。

 私は笑って頷き、注文に合う花を見繕っていく。

 可愛らしいピンクの薔薇は昨日の赤い薔薇よりいくらか小ぶりなもの。それをあるだけ入れて、花びら自体もその色味も柔らかい薄紫のスイートピー、純情さ際立つサーモンピンクと白のマーガレット、儚げな桃色のラナンキュラスといった淡く愛らしい色合いの花をまとめ、仕上げに白いレースフラワーをドレスの刺繍のように差し入れる。

 乙女の見る夢のように可憐な花束に仕上げた。

「どうですかね? 少し可愛すぎでしょうか? もう少し色味の強いものを入れて大人っぽくもできますが」

 昨夜の方は大人びた印象だったから、ちょっと少女趣味が過ぎるかと心配になって尋ねる。

「いや、それでいい。今夜のご令嬢は、まさにそういうイメージだ! 素晴らしい出来栄えだよ」

 お客さんは心底、感心したように目を輝かせて答えてくださったので、ほっとした。

「ありがとうございます! でもお客さん、守備範囲が広いんですねえ」

 これだけ花束の好みが違うとなれば、女性のタイプも昨夜とは全く違うのだろうとしみじみ思って言いつつ、リボンをかけた花束を渡した。

「私は、女性は全て美しいと思っているのでね――もちろん、君のことも」

 花束を渡した手を取られ、目を見つめながら、水仕事で荒れた指先へ口づけられる。

 あかぎれの多いかさついた指へ、戯れのように触れるしっとりした唇の感触と、その眼差しの艶っぽさに、私は目を瞬かせた。

 こんな醜い花屋の娘まで口説くなんて、とんだ女たらしだと思ってびっくりしてしまったのだ。

「お客さん、真面目そうな見た目なのに悪い男ですねえ。花束を持っていく相手がいるのに、その花束を作らせた花屋を口説くなんて。痴情の縺れで刺されないように気を付けてくださいね」

 私が笑って注意を促せば、お客さんは一瞬だけ目を丸くしてからバツが悪そうに苦笑した。

 きっとこれまで、これで落ちなかったご令嬢がいなかったに違いない。

「ははは、耳が痛いな。ご忠告ありがとう。気を付けるよ」

「はい。それでは、良い夜を」

 にっこりと笑って見送れば、お客さんは意味深な笑みを残して店を後にした。

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