醜く善良な魔法使いへ花束を

佐倉島こみかん

第1話

 窓から差し込む満月の明かりを跳ね返してほの明るく見える真っ白な首筋に、そっと口づける。

「あっ、クラウス、さまぁ……」

 今、抱き終えたばかりのご令嬢は、一糸纏わぬ姿のまま、腕の中で恥じらうように華奢な身体をよじり、甘ったるく私の名前を呼んだ。

「怖がることはない。さあ、私に身を委ねて」

 耳元で優しく囁けば、魅了チャームを掛けられて虚ろな瞳が一層、溶ける。

「はい、クラウス様……」

「ああ、いい子だ」

 従順に頷いて身体の力を抜く彼女の首筋に、牙を、立てた。

「んぅっ……」

 ご令嬢は僅かに呻くが、我々吸血鬼の唾液には麻酔の効果があるため、痛みもないはずだ。

 乙女の柔肌をぷつりと差し貫く感触に、熱く甘い血液が口内に満ちる至福。

 とろりとした舌触りと喉を潤す健康的な味わいに、やはり食事は若い娘に限ると思っていると、この美しい月夜にふさわしからぬ慌ただしい足音が聞こえた。

 名残惜しいが、今宵の逢瀬と食事もここまでらしい。

 サッと手を挙げ、念動力で散らばった服を集めて身にまとう。

「吸血鬼よ、ご令嬢から離れなさい!」

 部屋のドアを開けた聖職者らしき格好をした壮年の男が、私を見るなり叫んだ。

 後ろには彼女の父親らしき身なりのいい貴族を連れている。

「僧侶殿、せっかくの甘い夜を邪魔するなど、無粋なことをするものではないな」

「戯言を!」

 私の言葉を聞いて、懐から銀の杭と槌を手にしてこちらに走って来る彼の動きには無駄がない。

 なるほど、聖職者とヴァンパイアハンターを兼任しているらしい。

 一番厄介なタイプだと判断した私は、ご令嬢が横たわるベッドの向こうの窓を開け、外へ身を投げ出す。

「ご令嬢は吸血鬼に転化させていないから安心したまえ――それでは、これにて失礼」

 蝙蝠に身を変えて月夜にはばたけば、悔し気に空を見上げるヴァンパイアハンターが見えた。


 ――居城に戻れば、兄であるところのヴィルヘルムが渋面で待ち構えていた。

「クラウス、お前はまた貴族の娘に手を出して退治人に追われたのか」

 父に瓜二つの精悍で厳めしい顔で溜息混じりに言われる。千里眼の能力を持つ兄には私の行動などお見通しのようだ。

「兄上、これは面目ない。しかし健康な若い女性の血が一番美味しいのはご存じでしょう」

 私が笑いながら言えば、さらに深い溜息を吐かれる。

「若い娘が好きなのは構わんが、足の付かんようにもう少し上手くやれということだ。ご令嬢でなく侍女辺りならさほど騒ぎにならんだろうに、どうしてそう面倒な娘にばかり手を出すのか、理解しかねる」

 生真面目な兄は頭が痛いと言わんばかりに言った。

「夜会に紛れ込んで獲物を口説くとご令嬢ばかりになるものでして。まあ、後をつけられるようなヘマはしておりませんし、魅了が解けたご令嬢は私のことなど何も覚えておりませんので、ご安心ください」

「母上の魅了の能力と艶やかさがお前に遺伝してしまったうえ、お前が妙な方向に努力家なのが悔やまれるな」

 嫌味を言われて、肩をすくめた。

 吸血鬼は様々な超自然的な能力を使えることがあるが、それは血脈と個人の才能によるところが大きい。

 私に備わっているのは、魅了・変身・念動力の三つだ。

 兄も変身と念動力は使えるが、魅了の能力はなく、代わりに父譲りの威圧と千里眼の能力を持っている。

 私のどちらかというと母親似の顔と父親譲りの体格の良さは、人間からも吸血鬼からも美男子と讃えられる有り様で、狩りにおいてこの容姿と魅了の能力を利用しない手はなかった。

「そうお嘆きにならずとも、兄上にご迷惑をお掛けしないよう上手くやりますよ」

 隠居した父の代わりに当主となった兄が、私の放蕩具合に頭を痛めているのを知ってはいる。

 とはいえ、恋の駆け引きじみた貴族女性の狩りは楽しくて止められない。

 だからこそ当主である兄に心痛で倒れられても困るので、少しばかり距離を置いてさしあげるのが良いだろう。

「それにもう避暑シーズンですから、しばらくノーザヴィルに行こうと考えております」

 ここから北にある地方都市ノーザヴィルは、貴族の別荘が立ち並ぶ広原の避暑地である。

 万年雪の解けない高山の連なったフィダタール連峰と、西の海に聳えるザクレシア火山に囲まれたその街は、温泉の地熱を使った温室と高山で採れる万年雪の氷室を使って四季折々の花が一年中、いつでも手に入る、別名『百花の街』とも呼ばれる。

 あちこちにある温泉施設や大規模な温室の花園、美しい高原や海に、狩りの出来る森と、観光名所が多数あり、避暑中の貴族の娯楽に耐えうる実に良い街なのであった。

「ああ、それがいいだろう。お前はこちらで少し目を付けられ過ぎた。ほとぼりが冷めるまでそちらで大人しくしていなさい」

 兄が少しばかり安堵したように息を吐いて言うので、肩をすくめる。

「まあ、大人しくする保証は出来ませんが」

「クラウス!」

「冗談です。上手くやります」

 兄の叱責に苦笑して、なだめるようにその肩を叩いた。

「はあ、余所で何かあっても尻拭い出来んぞ」

 上手くやるとは言ったが、大人しくするとは言っていないことを察して、兄は私を睨んで言う。

「勿論、分かっております。お手を煩わせるようなことはいたしませんので」

 微笑んで答えれば、兄はまた仕方なさそうに溜息を吐くのだった。


 そのような訳で、私はノーザヴィルにやって来た。

 我が一族も表向きには貴族として人に紛れて暮らしているので、ここに別荘も持っている。

 夜会で口説いていた貴族のご令嬢が何人かこの避暑地にもう来ているということだったので、その伝手でこちらでの夜会に紛れ、女性との繋がりを増やすのがいいだろう――と兄が知れば烈火のごとく怒りそうなことを考えた。

 夕方に起きて別荘を出れば、高原の風は涼しく爽やかで、海に聳えるザクレシア火山の向こうへ日が落ちたばかりの空には星が美しく瞬いている。

 この避暑地の自然の美しさが好きだ。今、住んでいる都の整った街並みも勿論悪くないが、この雄大な自然の美しさはやはり格別であった。

 美術品、工芸品、宝石、花や自然の風景――人間が作るもの、自然が生み出したもの、この世界は美しいものに溢れている。

 闇に潜んでひっそりと暮らしたがる兄と違い、私はそういった美しいものに出会うためにあちこち出歩くのが好きだった。

 夜会に出るのは狩りのためもあるが、そういった場で様々な情報や伝手を得て、見たことのない心惹かれる美しいものを目にする機会を増やしたいのである。

 もちろん闇の眷属たる吸血鬼ゆえに、人間が行ってきた同胞への悍ましい弾圧の数々や、醜悪な本性を剥き出しにする様なども数多く見てきた。

 どちらかというと厭世家な兄など、そんな人間達に積極的に関わる私の気が知れないようだが、私からすれば接触する人数が少ないから、恐ろしい人間にしか出会わないのだと言いたい。

 恐怖に駆られていなければ、多くの人間は概ね無害だ。

 それに、彼らの何かを作り出す技術と発想は素晴らしい。職人や芸術家の技術の粋を見ている時など、人間の短い生でここまでのものを作るとはと、感嘆してしまう。

 そのような、吸血鬼にしては些か人間に好意的過ぎる私の価値観には、父も兄も頭を痛めていた。

 中でも、自然の神秘たる女体が一番美しいと思っていることが特に問題らしかった。

 技術の粋を集めて作った宝飾品やドレスで美しく着飾ったご令嬢を丁寧に脱がして、産まれた時のままの姿にしていくのは、堪らない愉悦だ。

 食事ついでに色々な女性を抱いてきたが、どんな女性も、それぞれに美しさがあると思っている。

 その心と身体を許される心地よさは、私にとって何にも代えがたいものだった。


 ――さて、目抜き通りに出れば、温泉施設や酒場も観光客で賑わって活気のある様子だった。

 今日、夜会を開く予定の伯爵家の娘は気位が高い。

 花でも買ってご機嫌を取らねば、彼女に魅了チャームを掛けるどころか話すらしてくれないだろう。

 そう考えながら通りを散策していると、こぢんまりとした花屋を見つけた。

 店先にランプが灯っている所をみると、やや遅い時間だがまだ営業している様子である。

「すまない、花束を作ってもらえないだろうか」

「はい、いらっしゃいませ!」

 私が声をかければ、薄暗い店の奥から、若い娘の声がした。

 出てきた花屋の娘は、フードの付いた深緑色のケープを身に纏い、そのフードを目深に被っていた。

 ハキハキした声音の明るさとかなり対照的な、魔女のような出で立ちである。

「おや、夏なのにそんなフードを被って暑くないのかね?」

 私が思ったままに尋ねれば、娘は驚いたように私を見上げた。

 その拍子にフードから顔がのぞいて、ぎょっとする。

 額の右半分から右目の眦の辺りまで、皮膚が赤黒く変色し、ひきつれた古い火傷の痕があった。

「ああ、初めてのお客さんですね! 貴族の方の前なのに、フードも外さず申し訳ございません。小さい頃に負った酷い火傷の痕ありまして、お見苦しいものですから。このままでお話しさせていただければと思います」

 私の驚いた顔を見て、火傷の痕がある娘は気にした様子もなく朗らかに言った。

 よほど慣れているのだろう。随分と淀みのない口調だ。

「そうか、もう痛くはないのかい?」

 痛々しい痕だったので尋ねると、彼女は明るく笑った。

「ええ、今はもう大丈夫です。お気遣いありがとうございます。それで、どのようなお花をご所望ですか?」

 彼女は笑顔で尋ねてくる。

 同情を受け付けないはっきりとした物言いに、職人としてのプライドが感じられた。

「これから会う女性に花束をと思ってね。紅い薔薇はあるだろうか。大振りなものがいいのだが」

 閉店間際であろうこの時間であるため、多少は萎れているかもしれないとあまり期待せずに尋ねる。

「まあ、真っ赤な薔薇の花束なんて情熱的ですね! そうですね、こちらの薔薇などいかがです?」

 娘は私の話を聞いて、後ろの壁に並んだ棚から薔薇の入った花瓶を見せて楽しそうに言った。

 その薔薇を見て目を見張る。よく手入れのされたことがうかがえる鮮やかなくれないの大輪の薔薇は、この時間でも実に瑞々しく生き生きとしていて、丁寧に処理されていることが分かる状態だった。

「素晴らしい。この時間なのに、実に美しいな」

「ありがとうございます。フィダタール連峰で採れる万年雪で棚の付近の室温を低く保っているんです。そうすると美しい状態が長く続くんですよ」

 私が感嘆して言えば、彼女は嬉しそうに目を細めて説明する。

「なるほど、知恵と工夫があるのだな。では、それを頂こう」

「はい、ありがとうございます! 何本ほどお包みしましょうか?」

 元気なお礼と共に尋ねられて、私は財布を取り出した。

「そうだな、この金額で包めるだけ頼む」

 銀貨を一枚出せば彼女は驚いたように目を丸くした。

「えっ、お客さん、その額だと薔薇の方が足りません」

 貴族相手にぼったくってもいいだろうに、正直な娘である。

「そうなのか。こちらは都に比べて物価が安いとは聞いていたが、そこまでとは思っていなかった」

 向こうの花屋で薔薇を買おうとすれば、この金額で精々この花瓶の半分しか買えない。

「ここは『百花の街』ですからね。特に花は名産品なので、都よりもお求めやすい価格になっているかと思います。その額に見合うだけの花束をご希望でしたら、足りない分は他の花をお入れすることも出来ますが」

 随分と商売に誠実らしい花屋は、代替案を出してくる。

「ふむ、ではそうしてもらおうかな。相手は気位が高く豪奢なものが好きな貴族のご令嬢だ。気に入って頂けるようなものを頼むよ」

「かしこまりました。腕の見せ所ですね!」

 私が言えば、娘はにっこりと笑って、棚に並んだ無数の花の中から、紫がかった赤のダリアと、縁だけが白い紅のカーネーション、白い霞草を持ってきた。

 それをあるだけの真っ赤な薔薇に、手際よく足していく。

 ダリアもカーネーションも主張の強い花のように見えるが、数と配置で、計算されたように薔薇を引き立てていた。

 そして濃い色味の花の中へ、小さい花が沢山ついた白の霞草をバランスよく差し入れれば、入れる前でも十分にあでやかだった花束が、更に星をまいたようにパッと華やかさを増した。単体では地味な花がここまで花束の印象を大きく変えるとは思わず、そのセンスに脱帽する。

 あるべきものをあるべき所へ収めるように無駄のない動きで作るその手際は、まるで、魔法を見せられているかのようだった。

「これでいかがでしょうか?」

 花を束ねた彼女は、包む前に確認で全体を私に見せて尋ねる。

「ああ、実に彼女の好みそうな花束だ。これだけの情報でここまでとは、素晴らしい腕だな!」

 まさしく、今から持って行くご令嬢に相応しい豪奢な花束で、私は感動して言った。

「ありがとうございます!」

 娘は誇らしそうに笑って礼を言うと、花束を薄紫の包み紙でくるんで、真っ赤なリボンで根本を束ねる。

 目立つ火傷の痕に目が向いていたが、笑った顔をこうして見てみると器量自体は悪くない――などと考えていると、あっという間に豪華な花束が仕上がった。

「花束を持って行って差し上げたら、きっとお相手の方も、喜んでくださると思います」

「ありがとう。君のおかげで良い夜になりそうだ」

 花束を受け渡して気さくに言ってくる娘に、私は微笑んで答えた。

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