最終話 聖女メリアの再就職
──まもなく、俺はこの国を発つ。
諸国を巡り、今の人の世を学ぶのだ。
なんでも、現代では『国際連合』という組織があるらしく、世界中の国がより良い暮らしを目指して協力し合っているらしい。かつて、俺が封印される前の世界には、そんな組織はなかったと記憶をしている。この国際連合とそれに連なる国々をこの国の王は騙し続けていたわけだが、彼らはみな優しく、魔族である自分にも好意的で学びの場を与えてくれることとなった。
自分たちが信じていた王家の闇が明らかになり、さらには悪しき存在と語られてきた魔族たちが急に現れて困惑の国民たちのため、隣国の王はとても優しく丁寧に国民に寄り添って経緯を説明してくれた。壁に囲まれた国の国民たちだが、比較的交流の多かった隣国の王の姿を見て安堵した者は多いだろう。
このまま隣国にこの国の統治を委ねる提案をした。長年人類の敵と刷り込まれてきた魔族が王となるよりも、そちらの方がふさわしい。
しかし、世界の王たちはもともとこの土地の王……魔王であった俺こそが、王になるべきだと支持してくれた。この信頼には報いるべきで、相応の努力は見せるべきだろう。
──国民たちは意外と俺たちに好意的だった。今までは高位貴族や金のある商人しか外に出られなかったが、今は自由に外に出ることができるのだ。過去、魔族の手によって作られた壁の中がいかに広大であろうと、一生をそこで暮らすには、さすがに狭すぎる。誰でも、好きなように外に出かけられるということは、思いの外、国民にとっては大きな喜びのようだった。
イージスの魔物肉の食堂も繁盛している。魔物の肉や皮といった素材を作った産業も、これから栄えていくことだろう。
エミリー、そしてメリア。二人の聖女が俺たち魔族に好意的な姿を見せてくれているのも大きいだろう。国民は王族以上に、彼女たちに親しみを持ちそして信頼を抱いているようだった。二人の聖女が受け入れているならばと、長きにわたり植え付けられていたはずの認識を彼らは乗り越えようとしてくれていた。
◆
長い旅になるだろう。
人の世に疎い俺は旅の従者を募ることとなった。
希望者を募り、面談をしてそのうちの数人に旅についてきてもらうことにした。そして、今日はその面談の日──だったのだが。
「…………」
そこで俺は、信じがたいものを見た。
広間に集まる従者希望者。老若男女が十数人ほど集まったのだが、その中に一人。
思わず、彼女がいる一点を凝視してしまう。
目が合った。彼女がはにかむ。かわいい。相変わらず、心臓がバカみたいに高鳴った。
いや、今はそうじゃない。『かわいい』を振りほどいて無心を心がけてもう一度彼女を見る。見間違いではなかった。
「……」
「……」
無言で見つめ合う。
特別に声をかけることはせず、俺は集まってくれた人たちに挨拶をした。そして、別室に移り、一人一人面談を開始する。
その時目の前にしている一人に集中しようと心がけるが、入退室のときに間ができるとそのたびに「なんであの子がここにいるんだ」といちいち気を取られてしまう。
意図的に、彼女の名前を呼ぶのは最後にしようと思っていたが、こんなことなら真っ先に、一番最初に彼女の面談をすべきだったと反省する。ちなみに、この面談にはディグレスも供だってくれていた。奴はひたすらニヤニヤしていた。
やがて、とうとう。俺は彼女の名前を呼ぶ。
「メリア──……」
「はい! メリア、十七歳です! 十歳になる前からずっと王宮で『聖女』として働き続けていました! 体力には自信があります、またわたしは『聖女』として各国に赴く機会も多く、世界の要人と一通り面識もあります。勉強不足なところもありますが、この国以外の外の世界を直接見て知っているという点では、お役に立てる自信があります!」
「……」
「それと、魔王さま……。ええと、ロイド……様、にもまだ数ヶ月程度ですけど、おそばにいさせていただいていたので……。身の回りのお世話も……何かと気がつけることも多いかと思っているんですが……」
「うん、いいですね。採用」
「まて、まてまてまてディグレス。勝手に決めるな」
いつになく緊張した面持ちで一生懸命喋るメリアはとてもかわいらしかった。いや、それは置いておくべき思考だ。しかし、かわいい。ちょっと不安そうに蜂蜜色の瞳が揺れているのもかわいい。白い頬がほんのりと赤らんでいるのもかわいい。──いや、今はそうじゃないんだ。
「……メリア。俺は少し時間を置いて考えようと言ったよな」
「はい、言われました」
「ではなぜ……」
旅の従者に立候補したんだ。俺はこの期間は彼女と別れて過ごすつもりでいたのに。
きっと、長い旅になるだろう。二年、三年……もっと長いかもしれない。
それくらい長い月日が経てば、お互い冷静に自分たちのことが俯瞰して見れるはずだと、そう思ったのだ。そして、彼女はそのうちに自然と他の誰かを好きになっているだろうと。
──もしも、自分が帰ってくるときまで、彼女が自分を好きでいてくれたら、その時はとも思っていたが、しかし、彼女は与えられるべき自由も青春もなく過ごしてきた。やっと自由になった彼女はまだ若い、青春にはまだ遅くない。
自由に、彼女の心のままに過ごしてくれることを一番に祈っていた。その結果、彼女の恋の相手が自分でなくても、それが一番望ましいのだと。
それなのに。
「だって、考えている時間の間も、一切会わずに別れて暮らさなくっちゃいけない、なんてことはないじゃないですか?」
「…………」
小首を傾げて、小さな唇をほんの少し拗ねたように尖らせて言う彼女は、とびきりかわいかった。
「あなたのことが本当に好きなのか。わたしは魔王さまのそばで、考えていたいです」
メリアの蜂蜜色の綺麗な瞳が、俺のことだけを見つめて言った。
頭を抱える。仕事の面談会場でそんなことを言うんじゃない。
──いや、その話題を振ったのは俺なのだが。
「……今までずっと働いてきただろう? もっと休まなくていいのか?」
「なんだか休んでいる方がしっくりこなくて……。それに、わたし、魔王さまのところで働かせていただいていた時が一番楽しかったですし……」
「ご両親も、君にそばにいてほしいだろう」
「父と母は、今までわたしたちのために尽くしてきてくれてたんだから、これからはあなたのやりたいように生きていきなさいって言ってくれて……」
「…………」
「もう、魔王さま。わたしが志願したのは、下心が理由じゃないですよ。わたしもちゃんと見聞を広めて、教養を深めたいと思って……。それに、実際この国でわたし五本の指に入るくらいには外の世界のことを見たことがある人間だと思いますし……」
実際のところ、彼女は旅のお供としては魅力的だった。各国の要人とは大体顔見知りであるし、風土もよく知っているだろう。それに、身の回りの世話をしてもらうのなら、彼女はたしかに自分のことをよく知っている。
「わたし、魔王さまのお役に立ちたいんです。魔王さまみたいな方が王になられる……そのお手伝いがしたいです」
キラキラと、蜂蜜を溶かしたような瞳が煌めき、真っ直ぐに俺を見つめる。
(…………ぐ……!)
俺が苦虫を噛み潰したような顔をしているのを、ディグレスが伊達眼鏡の奥で金色の眼を爛々と輝かせながら見守っているのが視線だけでよくわかった。お前は仲人おじさんか。
「魔王さまのところで働きたいです! よろしくお願いします!」
グッとメリアは拳を強く握り締め、俺を上目遣いで見上げた。ダメ押しである。
「……公私混同は、しないように……」
「──はいっ、ありがとうございます!」
そう言うのが、精一杯だった。
「どっちかというとそれは魔王様が心掛けるべきことなのでは?」
「………………わかっている……………」
ディグレスがやれやれと肩をすくめる。
俺は深くため息をついた。
「わたし、頑張りますね、魔王さま!」
そう言って満面の笑みを浮かべたメリアはとびきりかわいかった。
かくして、自由を得た聖女メリアは再び魔王のもとで働くこととなったのだった。
◆
「わあ、魔王さま! 海ですよ!」
白い砂浜を、裸足の彼女が駆けて行く。太陽に照らされ輝く彼女の姿があまりにも眩しくて、目をきつく眇めてしまう。
メリアは今日もかわいかった。
旅に出て、共に多くの時間を過ごすようになって、だいぶ経ったが、それでも俺の魔力回路が落ち着きを見せることはなく、彼女を目に入れるたび、声を聞くたび、ザアアッと音を立てながら俺の心臓を囃し立てるのだった。
「わたし、海は初めて見ました! きれいですね……すごいなあ」
「ああ、俺も初めて見る。……きれいだな」
メリアはうっとりと、遠い水平線を眺めていた。その横顔、強い日差しに照らされクッキリと影を落とす長いまつ毛を見つめながら、彼女の背景として海を見る。煌めく波が確かに美しい。メリアがいつもにましてキラキラと輝いて見えていた。
(……俺が、彼女のそばにいて平静でいられるようになることは……あるんだろうか……)
ふと思う。いや、常日頃から、悩んでいた。
彼女からの告白を「今はまだお互い早計だ」と、保留するようなことを言って返してしまったことを、些か後悔していた。
いや、あの時にすんなりと「俺も好きだ」などと言ってしまわなかったこと自体には後悔はないのだが、問題は「いつ俺は彼女にドキドキしなくなるのか」ということが全く見通しがつかないことだった。
魔力回路が落ち着いても、変わらぬ気持ちを抱いていると確信できたら──と、そんなことを言ってしまったが、心底自分は馬鹿なのだと思う。
もうすでに、メリアから返してもらった魔力は体に馴染んでいる。今更、乾いた砂に水を注ぐような勢いで魔力回路が目まぐるしく動く必要もないというのに、彼女のそばにいるとダメだった。
「……やっぱり、魔王さまの瞳って、海みたいですね」
気がつくと、メリアが俺のことを見つめていた。蜂蜜色の瞳を細め、嬉しげにはにかんでいる。
これは気のせいではないと思うのだが、俺のことを好きだと自覚してからのメリアは一層かわいらしくなったと思う。目が、表情が、声が「好きです」という感情を孕んでいることは恋愛ごとに疎い俺にでも、存分にわかった。何しろ、ものすごいかわいい。彼女にこんなふうに見つめられて、笑いかけられて彼女の気持ちがわからないなど、無機物か何かだろう。
(……俺はいつになれば、この子に『好き』だと言うのが許されるんだろうか……)
『一目惚れ』と片付けてしまうのには、抵抗があった。だから、色々と考えたし、彼女のいろんな姿を見てきた。だが、結局のところ、馬鹿な頭はひたすら「かわいい」と「好き」しか処理ができずにどうしようもなかった。知れば知るほど好きになるし、何をしていてもかわいらしく見えてしまう。
メリアが自分の従者を志願した時に、一思いに不採用にしてしまえば。いや、しかし、彼女は従者として優秀だった。よく気が利いて、明るく真面目で、主人となる自分のことも、これから巡る他国のこともよく知っていた。むしろ、その彼女を落としてしまうことのほうが『公私混同』であるほどに。……と言っていたのは、実はディグレスなのだが。
しかし結局のところ、離れて過ごしていても同じだったかもしれない。ただ、彼女と会わずに過ごしていたほうが俺は『格好悪い自分』を自覚せずに過ごすことはできていたかもしれない。
(……かわいい……)
海に足を浸してはしゃぐ彼女を、少し遠くから眺めながら俺はしみじみとため息をついた。
◆
──それから、俺がとても情けない形で彼女に想いを告げるのはまだ少し、未来の話だ。
隣に彼女がいることが当たり前になってからも、俺の魔力回路が落ち着きを見せることはついぞなかった。
それを言うとメリアは笑って「ずっとドキドキしていてくれて嬉しいです」などとかわいらしいことを、かわいらしい声と表情で言うものだから、思わず抱き締めてしまう。俺の心臓の音を聞いてか、メリアは俺の胸元にほおを寄せながら「ふふ」と笑った。
「……これからも、そばにいてくれ。ずっと」
「はい! 喜んで、魔王さま!」
腕の中の彼女が明るい声で返事をする。
その声の軽やかさがまたかわいらしくて、俺の魔力回路はまた性懲りも無くゴポ、と聞こえないはずの音を立てた。
追放聖女の再就職 〜長年仕えた王家からニセモノと追い出されたわたしですが頑張りますね、魔王さま!〜 三崎ちさ @misachi_sa
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