第3話 英雄にならない

 どれくらい落ちたのか。


 背中から打ち付けられた衝撃に息を止め、目をきつく閉じる。

 全身に意識を向けた。体が砕け散っていないことをまず感覚で確かめる。

 ゆっくり息を吐いた。目を開ける。――暗闇だ。


 食われた。

 

 どうやら固いものの上に落ちたらしい。木か、石か。人間以外も丸呑みにしてるのかもしれない。


 すこし暑いが、暑すぎるほどではない。息を深く吸いこんだら草の匂いがした。あたりは静かだ。


 視線をさまよわせる。

 なにかの影と、光るものが遠くに見える。あれはなんだ――怪物の歯? それにしては変な並びだけど。


 やっちまったなあ。


 こんなふうに死ぬなんて予想外だし期待外れだし、滑稽で残念で、たまらない。よりによって最後に助けた相手が隊長とはね。


 あの小さな白い光は何なんだろう。怪物の歯じゃなくて、星みたいだと思えばすこしは気が晴れる。怪物に食われたガシルも同じ光を見たんだろうか。それで、それから?


 光がまたたくのを眺めていたら、目隠しを外されたように景色が鮮明に見えてきた。


 慌てて立ち上がる。背中に違和感はあるが、痛みは感じない。体ごと回って周囲を見渡した。


 木の影がいくつも重なっている。葉っぱの形が見える。頭上にはたくさんの光の点。星みたい、じゃなくて、星だ。


 食われたはずなのに、どういうことだ?

 怪物の胃の中って、森なのか? 化け物トカゲは森そのものを食べていたのか?


 すこし歩いて立ち止まる。草を踏む音がしない。胸当てを小突いてみても、音がしない。

 

「イングルドの森か?」


 声は、足元から聞こえた。


 イングルドの森だ。それともやっぱり怪物の腹の中――いや、もうわけがわからない。


 とりあえずは生きてる。たぶん。息をしてる。死んでない。考える頭も心もここにある。森の中にいて、星空が見える。

 

「合流しよう」


 イングルドの森だとすれば、このまま朝を迎えるのは危険すぎる。剣がないんだ。できるだけ早く、怪物がいない夜のうちに移動して部隊に戻ろう。


 太陽が信頼できないから、星で方角を判断するのも危うい。それでも判断材料がないよりはずっといいから、東だと思える方向へ進んだ。


 いろんな問題が頭に浮かぶ。


 化け物トカゲのこと、ガシルのこと、隊長のこと、副隊長やユウファ、この森のこと、戦争と、家族のこと。


 魔の森。怪物の森。奇妙な森。狂っている森。


 本当にみんなと合流できるだろうか。


 ――それとも、いったん戻ろうか?

 

 森の中で迷子になるより、いちど戻って入り口から入り直したほうがいいのでは。いや、そこまで戻るならいっそのこと……


「隊長、被害は――」


 足を止める。

 聞こえてきた声は、副隊長のものだ。

 周囲には誰もいない。すぐ近くで話しているような声の近さだが、誰の姿もない。


「残っている者たちで任務を遂行する」


 隊長の声だ。副隊長の声より遠い。

 場所が近いのだろうか。どちらの声も左手から聞こえてきたから、そちらへ進む。


「隊長、その怪我では」

「問題ない。動ける」

「引き返すべきだと思います」


 三つめの声はユウファだった。抑えた口調だが、たぶんこれは苛立っている。

 

 闇の向こうに灯りが見えた。枝葉を押しのけて見おろす。

 

 ここはすこし地形が高くなっていて、下ったところにユウファの後ろ姿が見えた。だいぶ遠い。ユウファの全身は、俺の手のひらと同じくらいの大きさだ。

 

 ユウファと向かい合っているのは隊長のようだが、顔がよく見えない。隣には副隊長らしき人がいる。


「任務の遂行は極めて困難です。戻って報告するべきです」


 ユウファが隊長に意見するなんて珍しい。というより、初めてじゃないだろうか。

 

「もしも自分が隊長の立場だったなら、仲間を死なせていくことを恥じます。まだ目的地に着いてもいないのに、こんなところで味方を減らすことを恥じます。ロウガを失って自分が生き延びたことを恥じます」

「ユウファ、言葉が過ぎる」


 副隊長が諫めた。

 

 ユウファがこんなことを考えていたなんて知らなかった。


 そういえば鼻血を出したときに気遣ってくれたお礼をまだ言ってなかったな、と思ったとき、隊長の濁声が真後ろで聞こえた。


「あいつは綺麗に死んだ」


 思わず目を閉じた。冷水を浴びたような気分で息を吸う。


「仲間を護り、生かし、みずからは骨も残さず死んだ。見事だ。それでいい。英雄は見事に生き、綺麗に死ぬものだ。それでいい」

「それは本心なのでしょうか!」

「ほかにどんな言葉を贈れるというのだ」


 隊長の語尾がわずかに震えている。


 英雄だって?

 いやいやそうじゃねえよ。

 

 怪物の口の中に落ちたとき、とっさに隊長を引っ張り上げたのは、善意でも忠誠心でもなかった。剣を支えにして俺を受け止めてくれたことへの感謝、ってわけでもない。もちろん義務感でもない。


 死に逃げさせてたまるかと思ったんだ。


 無謀な作戦を受諾して、俺たちを死地に引っ張り込んだ隊長があんなふうに死んだら、責任放棄だろう。


 隊長だって上からの命令に逆らえなかっただけ、って頭ではわかっているけどさ。


 俺たちに指示を出したのは隊長だ。だからあんたが死ぬのはここじゃない。生きて、俺たちを連れ回した責任を取れ。


 本当にとっさに、そう思ったんだ。


 俺は死んだ。

 死んだことになった。

 それでいいよ。むしろ好都合。ここでお別れだ。


 だけど人の犠牲を勝手に美化しないでくれ。俺は英雄なんかじゃない。


 運がよけりゃ森を出られるだろう。そしたら帰る。当面の目標はそこだ。


 どうやって故郷まで食いつなぐんだとか、生きてるとバレて脱走の罪に問われるかもしれないだとか、そこに家族を巻き込む可能性だとか、課題はある。それでも――


「こんなところで無駄死にするよりマシだ」

 

 苛立ちまぎれの決意を声に出し、目を開けた。

 

 ユウファが振り返った。きょろきょろと見回して、なにかを探している。副隊長が声をかけた。


「どうした?」

「ロウガの声が聞こえたんです」

「そんなわけないだろう。しっかりしろ」


 隊長は俯いている。最後に顔ぐらい見ておきたかった気もするが、もういい。

 

 腹の底から笑みが湧いた。疲労はあるが、枷が外れたように体が軽い。

 

 きっとガシルは生きている。俺が生きているんだから、生きている。たぶんユウファも生き延びる。生き延びてくれる。


 俺は英雄じゃないし、勇猛な兵士でもない。名誉なんていらないから平穏が欲しい。それだけの男だ。


 生きて帰る。


 絶対にできるとは言えないが、絶対に不可能だとも言えない。いつだってそうだ。くそったれな場所から抜け出す穴を見つけたとき、その先が真っ暗でも飛びこんでいけるかどうかなんだ。


 それに、ここは魔の森だ。

 常識が通用しないってのは、奇跡そのものってことだろう?



 

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あいつは綺麗に死んだと隊長は言った 晴見 紘衣 @ha-rumi

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