第一五二話 星の巡り

俺は武田の美濃進軍を止める為に行軍中の信濃で謀略を巡らせた。

どうやら三国同盟杯におっさん世代の信玄が一人混じっていたのは息子である武田義信とやらの謀反があったからのようだ。この武田義信、甲相駿、三国の同盟の要の人物の一人であったのだが、その罪で今はどこぞの寺に幽閉されているらしい。今川と北条の手前、強く処罰もできず幽閉に留まっているようだ。


…と、そんな話を滝川のおっさんに聞かされた俺は一も二もなくその噂に飛びついた。未だに謎の多い滝川のおっさんの部下を使い飛騨を進軍中の武田軍に「武田義信に再び謀反の兆しあり!」や「武田義信が御屋形様の居らぬ事を良い事に挙兵した!」との噂を兵に紛れて出来るだけ声高に撒かせた。

「いいから甲斐に帰れ!」の一心でこの義信とやらの偽情報の散布に全力を尽くしたのだが…結果からいうとこの謀略に武田軍は全く揺らぐ事無く何の成果もなく神無月の頭に信濃と美濃の国境を越えて現れた。とてもつらい。


俺が下手な謀略の空振りに気を落としていると今日も今日とて立派な呑兵衛っぷりを隠さない上杉謙信が盃をあおりながら応えた。


「ふふ…ふ、来たか武田め…」


兵を出す気が全くないとお気持ち表明をした謙信が相変わらず酒を呑みながら愉快そうに言葉を紡ぐ。正直謙信がここ稲葉山城に来てから盃を手放したのを見た事がない。外に出て馬に乗っていても盃を手放さない程の筋金入り具合だ。そんなダメ謙信と暫く一緒にいた事で俺にはすっかりこの男が軍神というより呑兵衛でダメ人間のイメージがついてしまった。そうしてその謙信が赤ら顔でのたまう。


「おちつけ…武田は上杉われわれがここ稲葉山城に居る事などとうに理解しておろう」


「は、はぁ…」


確かに武田の忍者だか間者だかわからん奴がどっかで草の根諜報活動をしてこちらの情報を流しているのは間違いないだろう。この城の中の会話まですっぱ抜かれているとは思わないが、ここに上杉軍九〇〇〇が駐屯している事は間違いなく向こうも把握している筈だ。

疋田から話を聞いても上杉は間違いなく強い…のだが戦う気がないと公言しているのを武田は把握しているのだろうか?そして把握していないとしてこの数は武田への牽制か抑止力になってくれているのだろうか?

俺がこうして上杉に酒を振舞っているのはこの抑止力を期待してのものだが、この時代の蛮族仕草として敵に怯え恐れるのは恥という考えがある。それどころかとりあえず自らの武威を示す為になんでもいいから一当て「したい」まである。抑止力という原理を根本から否定されるあたおか発想だ。この時代の蛮族マインドは俺の令和精神との文明格差が大き過ぎてどう判断したらいいのか分からない事が多々ある。


武田やつは黙っていてもやってくる。それが巡り合わせというものよ…」


くっくっくと笑う謙信。流石は過去何度も正面対決しただけはある…しかし俺はこの男が聞き捨てならない発言をした気がした。


「えっと…それは上杉様がいるから武田はやってくる…と?」


肩を揺らして笑う謙信。


「そうなろう…強者は強者を呼ぶ、五度まみえた仲だ…此度も天は見逃しはすまい」


「………」


…ちょっと思考が停止した。

俺は戦わなくてもいいが形だけでも上杉の軍がいるだけで武田への牽制になってくれる…そう思っていたのだが、むしろ上杉コイツがいるから武田がやってくるなんていう狂った事を語りはじめた。無論そんな運命論だとかは荒唐無稽な妄想話だと思うが、問題は武田軍がやってくると思っていて上杉が軍を動かす気が無いというはた迷惑な話である。かっこよさそうにスピリチュアルな事言いやがって…こいつは毘沙門天とかじゃない、厄病神的な何かだ、俺は確信した。

ちなみに今回俺が動かせるであろう尾張と美濃の軍は合わせても三〇〇〇。前門の虎、後門の厄病神、俺は覚悟を決めた。


「上杉様、何卒武田と会敵せぬよう近江から越後に抜けてお帰り下さい」


確かに上杉謙信がここにいるが故に武田信玄も目標の一つにしているのも間違いなくあるだろう。抑止力どころか目標になっているとか…そんな上杉にはさっさと引き上げてもらいたい。


「この城を私の死に場所とします」


「…そう…か」


多分今の俺は大分目が座っている。


「…覚悟を決めた…か」


「はい、上杉様と最後に澄酒を酌み交わした事、冥途の土産としてあの世で語らせて頂きます」


その言葉に謙信の表情が少し反応した。


「今生でもう二度と上杉様と澄酒を酌み交わせないのが悔やまれます」


そう言うといつもダウナーで気怠そうにしている謙信が今までにない表情をしていた。絶望というほどではない、驚きというものでもない、その表情は明らかにキョドっていた。


「…ま、待て待て、尾張にいけば…澄酒は手に入るのであろう?」


この呑兵衛め…俺は心の中で毒づく。


「あの酒…澄酒は他国で作ったものでございます」

「酒蔵に私が知恵を貸し、そして酒蔵の執念の上で磨きに磨き、奇跡の酒となりました」

「彼は私に恩義を感じてくれているようで融通して頂いておりますが…私の死後はきっとその国だけの秘酒となるでしょう」


「他国…だと…お、尾張の酒蔵に…其方の知恵とやらを貸さぬのか!?」


いつもダウナーでぼそぼそと喋る謙信が珍しく焦りを滲ませ声を荒げる。


「…あー…その…言いにくいのですが尾張…熱田の酒は…」


熱田の石丸酒蔵の馬鹿息子にビール作って欲しいと頼んだのだが熱田琥珀酒なんて名前ばかり大層な微妙な酒を造りやがった。何かが足りない味の深みがない残念な酒だ。

ただアルコールで酔えればいいという者も多く、庶民には好かれているようだがもちろんぬるくキンキンに冷えてなどいない。


「…半端者が作った大衆向けの安酒になっております…」


そう言うと謙信は「こんな表情も出来たんだ…?」という絶望に満ちた現場のねこのような表情をしていた。

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おーい?桶狭間で信長死んだってよ たにたけし @tanitakeC

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